三 「恋の予感」


「アイリス!」
すみれの叫びに応え、大神はとっさに刃を奮おうとした。警報がなる。
大神の目の前が赤く染まり、光武は動きを止めた。
(出力制御か!)
公正を期すための装置が、こんなところで足枷になろうとは。手足にそれまでの数倍もの圧力を感じる。頭に血が上り、こめかみが激しく波打つ。
「ぐっ……」
ノイズの横線が入るようになったモニターには、一歩も動くことの出来ないアイリス機の姿。
とっさに大神は二刀を頭上に掲げ、エックス状に交差させた。
先ほど、大神自身が浴びた、カンナの霊力波。あれを大神は自分自身で出すつもりだった。トロフィーの落下地点を逸らすしかあるまい。
「アイリス、こらえてくれ!」
大神が全霊力を二刀に集中した、刀身が青みを帯びた光を放ちはじめる。
解き放とうと歯をくいしばった途端、大神の上を、冷たい衝撃波が駆け抜けていった。

その時、マリアもまた、大神と同じことを考えていた。直接救出には距離が離れすぎている。ならば霊力によってしか障害物を取り除くことは出来ない。
出力制御はマリアの霊力の変換効率を下げている、ならば制御装置の許容をはるかに超えた霊力をもってすれば必殺技とて放てるかもしれない。
(ままよ! アイリスの命があぶない)
マリアの身体が白銀色に輝いた。心臓に楔を打ち込まれたような痛みを感じる。だが彼女は構わなかった。
銃口を上げる。
「──スネグーラチカ!」

空気の凍る音が聞こえた、と大神は思った。
一直線にトロフィーに吸い込まれた攻撃は、大型の障害物を一瞬で凍りつかせ粉々にくだいてみせた。ダイヤモンドダストのようにきらきらと輝くかけらがアイリス機に降り掛かる。
その場に佇んでいた黄色い機体は、やがてその場に崩れ動かなくなった。
「アイリス!」
とっさに光武のハッチを開け、外に飛びだそうとした。白いシルスウス鋼の機体に、霜が付くほどに気温が下がっている。グローブに覆われていない指がシルスウス鋼に張り付いたが、大神はかまわず引きはがした。
沈んだアイリス機に駆け寄りながら、後方に眼をやると、同じように沈黙のまま凍り付いたマリア機にカンナと紅蘭が駆け寄っているところだった。

展望所のあやめとランドーも、思わず腰を浮かせた。青ざめた由里があやめを振り返る。
「アイリス機、マリア機、共に交信不能」
「大神隊長は」
「目視にて確認しました。戦闘を中断してアイリス機に駆け寄っています!」
さすがの由里の声も上擦っている。
「戦闘訓練中断、繰り返す、訓練一時中断、風組整備班は光武の格納を急いで。由里、椿は医務室へ!」
あやめがスピーカーを通して叫ぶ。その瞳は漆黒の機体を探して揺れていた。
(マリア、あの子──霊力で出力制御を外したというの!?)
背筋に冷たいものを覚えた。制御装置をヒートさせるほどの霊力は、これまでのマリアからは測定されなかった。
(おまけに、あの威力。マリアの必殺技が大神くんの霊力を巻き込んで……合体した……?)
その時静かに、あやめの脳裏に仄暗い闇が生じた。
(危険──)
(アノ二人ヲ、引キ離サナケレバ──取リ返シノ尽カナイコトニ)
「あやめはん!」
悲鳴に近い紅蘭の通信が、短時間のあやめの自失を解いた。
「え?ああ、紅蘭……どうしたの……」
「マリアはんの光武は完全にブラックアウトや。意識もあらへん。大至急医療ポッドにいれたって!」
今、いったい何を考えていたのか、彼女の記憶は全く残っていなかったが、それを不審に思う余裕は無かった。
あやめは一つ息をはいた。
「了解、由里、聞いた通りよ、準備はいい?」
「こちら由里、医療ポッドの機動完了しました。マリアさんを収容します」
「よし。大神くん──大神くん、聞こえる?アイリスの様子はどう?」
雑音に混じって、必死に冷静さを保とうとする大神の声が、ようやくあやめの下に届いた。
「アイリスは無事です。光武もまだ生きていますし、緊張が解けて失神したのだと思われます」
「椿が医務室で待機しているわ。指示に従いなさい」
「了解しました……」
大神の焦りが滲んだ声はノイズによってか細く消えた。

一気に緊張と弛緩の訪れた展望所内の片隅で、ランドーは静かに成り行きを見守っていた。窓の外にはアイリスを抱えて担架に乗せようとしている花組隊長の姿がある。
「……catalyst」
ランドーは大神の一挙手一投足から目を離さず云った。
「そういうことか」
穏やかな笑顔の奥で、瞳だけが炯々と光る、その姿を目にしたものは誰もいなかった。


マリアの耳の奥で轟々と風が渦を巻いていた。身体ごと馴染んだシベリアの風。
吹き付けるごとに、弱いものから懐にさらいこんでゆく、理不尽な死。
ああ、今日も風が鳴いている──。
マリアは闇の中の風音に手を差し伸べようとする。だが指先は、凍り付いてしまったかのように動かない。
(そうだ、私は──スネグーラチカを放って、そのまま──)
自分一人の霊力では考えられない威力をもって、障害物を破壊した。薄れゆく意識の隅でそれだけは感知した。けれどもその後の記憶が途切れている。
あれは、なんだったのだろう。
大神隊長が霊力を蓄積していたらしい刀身を、マリアのそれがすりぬけようとしたとき、青白い光が爆発した。と同時にあの光は絶対零度の風の間隙に落ち込もうとしたマリアを救い上げてくれたのだ。
(あの光は、なんだったのかしら……)
謎を抱えたまま、マリアはまた眠りの坂を転げ落ちて行った。


マリアとアイリスを医務室に収容し、花組の面々は悄然と作戦司令室に戻って来た。米田とあやめはまだ彼女らの枕元で医師と話し込んだままだ。
疲れたように椅子に座り込み、無言の花組の中で、一人すみれが立ち上がった。
「大神中尉。お話があります」
肩に意志の強さをみなぎらせ、すみれは真っ向から大神に向き合った。
「今回の茶番は、どなたの発案ですの?」
大神は、気力を振り絞りすみれに向かい合った。
「……俺だ」
すみれは無表情のまま、大神の頬をはった。
「貴方という方は、なんて無様な」
それだけ云うと、傲然と部屋を出て行った。細い背中が、大神の言い訳をすべて拒否していた。大神が椅子に腰を落とすと、今度は上からカンナに見下ろされる格好となった。
「隊長。あたいもこういうだまし討ちみたいなやり方は好かない。マリアやアイリスがこうなったんじゃ尚更だ」
「ああ……、まったくもって面目ないよ」
「悪いけど、隊長に従うのはもうちょっとしてからにするよ。少し考えさせてくれ」
すみれよりも若干口調は和らいでいたが、突きつけられる厳しさは同じものだ。
曰く──この男は命を預けるに足る人間なのか。
踵を返すカンナにも、大神は瞑目して送り出すしかなかった。
誰よりも、彼自身が恥じていた。
ランドーの目を気にして光武へ偽装を施したばかりにアイリスを危険にさらし、マリアには過度の負担を強いることとなった。
(隊長失格、か……)
「大神くん」
憚るように声をかけられ、大神は飛び上がった。
「あやめさん!マリアは……、アイリスは」
「大丈夫。アイリスは眠っているだけよ。マリアは……、霊力の過剰放出で体温の低下が著しいけれど、脳にも内蔵にも異常は見られないわ。静養すれば大丈夫」
「そうですか……」
安堵のあまり膝から力が抜けそうになる。
「よくやってくれたわ。パニックを起こしていたアイリスが、トロフィーを交わしきれたとは思えないし。あなたとマリアのおかげね」
大神は黙ってかぶりを振った。とても助けたとは云いがたい状況だ。
「ただ」
あやめもまた厳しい表情を崩そうとしない。
「ランドーさんの目はごまかせそうにないわね」
「あ……」
本末転倒とはこのことだ。思い切りバツの悪い顔で大神はうなだれた。

翌日、マリアは医療ポッドを出て自室に戻ることが出来た。大神が部屋を訪ねると、彼女はベットの上に起き上がり読書をしているところだった。
「起きても大丈夫なのかい?」
「ええ、少し身体が重いくらいで。眠るのにも飽きてしまいました」
肩から薄手のカーディガンを羽織ったマリアは、そう云って小さく笑った。
「何か入り用なものはあるかい?」
「ありがとうございます。でも朝からみんなが良くしてくれるので不自由はありません。あ、でも──」
「何?」
「少し窓をあけていただけますか?空気を入れ替えたいので……」
大神は細く窓を開き、夏の日差しが強く当たらぬよう、カーテンを引いた。
その配慮にマリアは目を細める。大神はマリアの傍まで戻ると思い切って頭を下げた。
「俺が小細工をしたせいで、マリアに負担をかけてしまった。本当に申し訳ない」
「まあ……」
「アイリスを助けてくれて、ありがとう」
そう云うと大神はもう一度頭を下げた。
「隊長……、それをおっしゃいますか。私は当然のことをしただけです」
「それでお詫びにと云ってはなんなんだけれども」
大きなリボンのかけられた包みをマリアに差し出す。
「受け取ってもらえるかな?」
「……え、私に?」
「マリアにと思って前から用意していたんだけれど、手渡すチャンスがなくってね。──この前浅草について来てもらったお礼もまだしていなかったし……」
「そんな気を使っていただかなくても」
「本当に、ほんの気持ちだから」
大神はマリアの手を取り、有無を云わずに押し付けた。
「あ……」
「要らなかったら捨ててくれていいんだよ。とにかく開けてみてくれないかな」
真顔で云い募る大神に、マリアはそれ以上抵抗せずにリボンをほどいた。そして絶句した。意外といえば、これ以上考えられないほど意外なプレゼントだった。
「子猫……」
「ぬいぐるみだけれどね」
呆然とするマリアに、大神は鼻の頭をかいた。自分でも気恥ずかしい気持ちはある。昨日、向かいの三越から買って帰った際には、玄関で椿が口を大きくあけてこちらを見つめたまま無言だった。
「……一つくらい持っていてもいいかな、と思ったんだ。ちっちゃい頃遊んだことがないって言ってたから」
マリアがぱっと顔をあげた。
「これでアイリスの相手をしてやってくれよ。 ジャンポールに友達が出来て、きっと喜ぶよ」
「そう……ですね」
マリアはじっと子猫のぬいぐるみを見つめた。マリアがこっそりと世話をしていた子猫がどうなったのか、大神は知らない。事務局で騒がなくなったということは姿を見せなくなったのかもしれない。三味線屋──由里はペットショップだと言い張るのだが、大神は信じていない──に売られてしまったということはないにしろ、マリアが寂しがってるだろうな、という思いは大神の頭にずっと残っていた。三越の玩具売り場でいろいろな動物のぬいぐるみの中から迷わず子猫を選んだのは、そのせいかもしれなかった。
「やっぱり怒った? 子供だましって」
「いえ、そんなことはないんです。ただちょっとびっくりしてしまって」
マリアの白い指が、子猫をそっと撫でた。マリアが黙り込んだのを機に、大神は部屋を去ろうと思った。彼女の横顔を見ていると、なんだかひどく気詰まりなような、落ち着かないような気分になってきたのだ。
「あの、隊長」
ドアを閉めようとすると、マリアに呼び止められた。
「ん? 何?」
「……ありがとうございます。大切にします」
マリアは胸にきゅっとぬいぐるみを抱え込んで、大神に頭を下げた。

翌日からの、花組公演「西遊記」の稽古には、大事を取ったマリアを除き、全員がいつも通り顔を揃えた。
すみれとカンナは衝突することも無い代わりに、大神に対しては必要最低限の会話しか交わさず、稽古は淡々と進められた。
だが二人の関係が、そして花組として、何も進歩していないことに変わりはなかった。
数日後、ようやく復帰をゆるされたマリアはあやめの部屋に呼ばれた。
ドアをノックする前に、呼吸を整える。花組のリーダーとして、事故の責任を問われるに違いないと思ったからだった。
マリアを迎えたあやめはいつもの軍服ではなく、私服の着物姿に着替えていた。あやめはマリアに座るよう促すと、急須を取り出した。正座をしながら、収まりの悪い格好でマリアはあやめが口をひらくのを待っていた。
「マリア──カンナとすみれを、どう思う?」
「早急に策を講じなければなりませんね。いつ作戦行動に支障が出てもおかしくない状況です」
マリアの返答は素早く、簡潔だった。
「なんでしたら、私が二人に話してみても、構いませんが」
「……」
あやめは答えず、ほうじ茶を湯飲みに注ぐ動作に専念していた。
「マリア──あの二人のことは、大神少尉に一任しようと思うの」
「……隊長に?」
「不満?」
「いえ、そういう訳では。ただ、その……、こういってはなんですが、大神隊長は、女性には甘いところがありますから、こういう説得が苦手ではないかと」
「説得──そうね、マリアはそういう方法をとるのよね。でも、果たして大神くんはどうかしら」
「え?」
「いえ、ここは彼の手腕を見守りましょう」
あやめは、湯呑みをマリアの前に置くと、話を切り換えた。
「ところでマリアに一つ、お願いがあるのだけれど」
「──なんでしょう」
今日のあやめは妙に思わせぶりだった。少しばかり苛つきながらマリアは訊いた。
「ランドーさんのお手伝いをしてもらえないかしら?」
「お手伝い?」
「そう。日本語はお出来になるんだけれど、日本の地理や風習には慣れてらっしゃらないから」
「それはどのような目的を持った任務なのでしょうか」
「そうね、まずは日常生活のサポートなのだけれど」
あやめはふと湯のみに目を落とした。どちらかといえば、マリアの視線を避けた、ようにも見えた。
「探し物を、手伝ってもらうかもしれないわ」

<1> 06.9.10