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〜〜プロローグ 1〜〜
「秀忠は腑抜けじゃ」
宙の一点を見つめて男がつぶやく。
「されど、その腑抜けから天下一つ奪えぬわしは、腑抜け以下であろうな」
男は手にした扇を端座したままの、みずからの膝に打ちつけた。
下段に平伏したまま、女はびくりと身体を震わせた。じかに顔を仰ぐ事さえ許されぬ、卑しい身の上でありながら、女は男を哀れに感じた。
この場には、彼女ら二人きり。叶うものならば、男を抱きしめてやりたい。
守れるものならば───と、女は思った。雲上人でありながら、どこか庇護欲をそそるその器量が、男の弟を、そして父親を不安がらせるのであろう。人心が集まる。太平の世において男の器量は天下を乱す鏑矢になりかねない。
「舞うてくれぬか。わしには、一時の戯れを繰り返す以外、心を宥めることが出来なんだ。でなければ、わしは───いつか秀忠に弓引いてしまいそうじゃ」
女は、その場にすっくと立った。
金糸の縫い取りが絢な赤い羽織に紫の帯。髪は銀杏の髷に結い、首には水晶の数珠がかけられていた。
(この御方も、人、でしかない───)
女はあらためて思った。
(どんなに御偉い大名様も妬みそねみ、小昏い邪気を押し隠しながら生きていなさる)
(あたしらはいい、どんなに憎くったって喧嘩すりゃ終いさね。けど、お侍は違う)
(戦がおきる)
(乱世になるんだよ)
(───おかわいそうに)
やがて女は舞いの一節を始める。
胸元にだらりと下げられた水晶が、異様に澄んだ光を放った。
〜〜プロローグ 2〜〜
「帝国歌劇団・花組」4月公演「椿姫の夕」
特別対談 マリア・タチバナ嬢を迎えて
波多野「(前略)では、マリアさんは、アルマンという男性像を否定なさるので
しょうか?」
マリア「そういうことでは、ありません。二人で暮らしていた時分、アルマンは
生活のすべてをマルグリットに預けていました。気楽な身分のままの苦
労も知らないままごと遊びの延長ともいえる生活です。私は、この時の
アルマンは本来のアルマンではなく、本当の意味での恋ではなかったと
思います」
波多野「ずいぶんと観念的な恋愛論なのですね。では、マリアさんは、この二人
の人生は偽りであったと思ってらっしゃるのですか?」
マリア「アルマンの場合、途中までは、そうです。私が役作りをするにあたって
は、マルグリットが死んで初めて、アルマンは真の愛情に気付いたと考
えています」
波多野「と言いますと?」
マリア「ラストシーンでアルマンは、マルグリットの死体を目のあたりにします。
私は、この時初めてアルマンはマルグリットに対して愛情を得たと考え
ています」
波多野「死体に対して・・・、ですか?」
マリア「そうです。醜い死体となったマルグリットに対して愛情を感じたからこ
そ、彼はそれまでの自身の感情はうわべだけのものだと理解することが
出来たんです」
波多野「そのラストシーンですが、帝国歌劇団での演出では、小デュマの原作で
は前半にあったシーンを持って来ていますね。アルマンが、マルグリッ
トの墓を暴いて、無残な死体の様子を見て、失神せんばかりになります」
マリア「ええ。私が、そう変えて貰ったのです。その方が私なりのアルマンの心
情が出るからと」
波多野「マリアさんは、何故アルマンは愛した人の墓を暴き、変り果てた姿を見
ようとしたのだと思われますか?」
マリア「(少し考えて)多分、マルグリットの屍を乗り越えなければ、次の恋が
出来なかったのだと思います。そうしなければ、思い切ることが出来な
かったのです」
波多野「マリアさんは、どうですか? 過去の恋の屍を乗り越えなければ、次の
恋愛には踏み切れませんか? これは勿論、比喩的表現ですが」
マリア「・・・その質問にはお答えしかねます」
波多野「失礼しました。では、マルグリットの恋愛については、いかがでしょう」
マリア「彼女の場合、『恋愛』がそもそも生活の糧なのですから、アルマンへの
恋愛感情が果たして本物であったのか、当初彼女自身もわからなかった
のではないかと思います」
波多野「今回、神崎すみれさんは、純情なアルマンを振り回す小悪魔的なマルグ
リットとして演じていらしたのですが、この解釈は、いかが思われます
か?」
マリア「私は原則的に、花組のメンバーの役作りには口出しはしません。ですが
前半が徒な女だっただけに、ラストの彼女の死やアルマンの述懐が引き
立ったのです。このあたり、神崎すみれの演技は素晴しかったと思いま
す」
波多野「ラストのアルマンの述懐というと、小デュマの原作では、記述者である
『私』が述べていた部分ですね?」
マリア「そうです。
『神は教育によって善というものを教えられなかった女のために、彼女ら
をご自分の元に導く二つの道をほとんど常につくっておられるものであ
る。その二つの道とは、悲しみと恋である』
アルマンとの恋と、その別れからくる悲しみ、これらが本当の恋という
ものを知らなかったマルグリットを変えたのだと思います」
波多野「先ほどからの、マリアさんのお考えを伺ってますと、『本物の恋』にこ
だわってらっしゃるようですが、何を持って『本物の恋』だと思われま
すか?」
マリア「それは・・・(長い沈黙)・・・命を預けることが出来る、ということ
だと思います」
波多野「命、ですか」
マリア「ええ。どう表現したら良いのか判らないのですが、恋愛の相手というの
は、この世で最も信頼する相手の事だと思います。だから、一番の信頼
の示し方というと、私にはそれしか思い浮かびません」
波多野「なるほど、マリアさんらしい、実に生真面目なお考えですね。
(後略)本日はありがとうございました」
於:日本橋 東洋軒
文責:波多野 秋子
(太正12年、婦人公論6月号より、抜粋)
〜〜プロローグ3〜〜
医療ポッドの中で、三日間昏睡状態にあった大神は、ようやく自室に運ばれることになった。花組の面々は、彼の周囲を取り囲み、意識を取り戻した彼にすがりつかんばかりに喜んだ。その輪の中にマリアの姿はなかった。
薬を与えられ、再び眠りについた大神を、夜、マリアは一人で見舞った。
大神に会うのが怖かった。
眼の前で指揮官が倒れてゆく。二度と見たくはなかった光景を眼前で繰り返した自責。故人への思慕と、救えなかった罪悪感がないまぜとなって、マリアを自暴自棄に走らせた五年間が、今さらのように思い出された。
こんな心理状態のまま、大神に会って、取り乱すのが怖かった。
マリアは大神のベット脇にそっと近づいた。
少しやつれたようだ。触れた指の先にのびた髭がざらつく。
「・・・貴方は、どうして・・・」
マリアは、この新米少尉を信頼してはいなかった。
士官学校首席というだけあって、戦闘能力や采配に素質は感じられる。しかし、今までの戦いは雑兵相手にすぎない。
もしも隊長としての力量がないとみるや、マリアは彼から即座に指揮権を奪っていただろう。
彼の熱意は認める。だが、それだけで自分や花組の命を預けるには、マリアはあまりにも修羅場を知りすぎていた。
そして今、大神は誰のせいでもない自身の失策で、ここに横たわっている。
「・・・」
怪我など、しなければ良かったのだ。
そうすれば、マリアは思う存分、彼を罵倒することが出来た。
だが大神は、光武が刹那の蒼角に傷つけられて倒れた後も、ハッチを開けて飛び出し、全身で子供を衝撃からかばった。マリア達花組が、周囲を取り囲む魔操器兵を片付け、彼ら二人を救出したとき、すでに大神の意識はなかった。
(貴方は・・・、何のために命をかけようとするのです? 何を守ろうというのです?)
国の為に戦う。そういって命を落していった者を、マリアは数多く知っている。熱っぽい口調で理想を語り、革命に散っていった彼らは、だが最後には涙を流しながら「革命万歳」ではなく、嘆きや苦悶や愛する者の名と共に死んでいった。
学校を出たてのこの少尉は、戦いの過酷さを、未だ理解していないのではないか。
(これでは、いつか───命を落す)
マリアの頬を一雫の涙がつたった。
マリアはそれに気付かなかった。
その雫は大神の頬に落ち、その瞬間、彼のまぶたがぴくりと動いた。
「ん・・・」
「・・・少尉?」
マリアのささやきに答えるように、大神は意識を半分夢の中においてきたような瞳を彼女に向けた。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
マリアはそっと、大神の額に手を伸ばした。
大神はくすぐったそうにな表情をひらめかせたが、身体の自由がきかないのか、されるままでいた。
「まだ熱っぽいですね・・・」
「───すまないな。隊長である俺が、こんなことになってしまって」
大神は辛そうに身体をよじった。
青白い頬が、死人のそれを思わせる。
マリアは身を震わせて、額から手を離した。
眼を閉じた大神にかつて愛した男の像を重ねる。
彼女の目の前で息を引き取った男を嫌でも思い出さずにいられない。
「・・・なぜ、飛び出したりしたんですか・・・」
「───え?」
「少尉───今回の少尉の負傷は、少尉自身の責任です。そればかりか一民間人に気を奪われたばかりに、敵をみすみす逃がしてしまった・・・。その結果、寄り多くの市民の命が危険にさらされることが・・・、貴方にはわからないんですか?」
大神の蒼白な顔が、マリアの言葉によって少しずつ紅く染まってゆく。生気が戻る。乾いた唇を湿しながら何事か言い返そうとする男を、マリアは皮肉な眼で見つめていた。
「それは、違う。俺には・・・、俺には、あの子供を見殺しにすることは出来ない!俺達、帝国華撃団の任務は、帝都市民の安全を守ることにあるはずだ! 子供一人、助けられなくて、何が帝撃だ! 何が花組だ!」
大神は初めてマリアを正面から睨みつけた。
そのまなざしの真剣さに、マリアはひるんだ。
と、同時に激しい怒りも感じた。
この男は何もわかっていない。帝撃のなんたるかを。命を賭けるということも、人を守るということも、やはり何もかも、ただの理想論だ。
「・・・では、仮に子供は助かって、かわりに少尉が死んだとしましょう。少尉・・・あなたはそれで、花組隊長としての責任を果たしたと言えますか?」
仮にも人の上に立つのなら、「部隊」を率いる者であるなら、部下すべての生死に関してに最後まで全責任を追うべきである。それを途中で投げだし、命を落とすなど論外だ。
だが、大神はさらに反駁した。
「マリア・・・君の言っていることは、戦士として、軍人としては、正しいのかもしれない。・・・でも、子供を見殺しにするなんて、俺には出来ないよ!」
マリアには判っていた。
大神が、何と答えるかを。
あの人と同じだから。
自身を砲火にさらしてマリアを助けに走ってきた、あの人と、同じだから。
信念の為に死ねる者は幸いだ。
(───でも)
(貴方にはわからないでしょう)
(そうやって、残されたものの気持ちが───)
「もし、少尉が死んでしまったら、あの時と・・・、同じなんです」
不意にマリアは理不尽な怒りを感じた。忘れたくとも忘れられない痛みを、思い出させてくれた、この男に対して。
だが、ありのままを告げることは彼女には出来なかった。
心の内をひとかけらも出さないことで、今までマリア・タチバナという役を演じ切ってきたから。
その仮面を、この男の前で崩すことなど、出来なかったから。
だからマリアは、本心を告げるかわりに、大神をおとしめる台詞をはいた。
「大神少尉。あなたは・・・、隊長失格です!」
〜〜プロローグ4〜〜
「・・・この度は、多大なご寄付を頂きまして、誠にありがとうございます」
微笑みを投げかける聖母子像を背に、司祭が頭を下げた。
そうすることで、神の威光を一身に受けているがごとき印象を、見るものに与える。
奇麗に揃えた暗灰色の髪、口元に浮かぶ柔和な笑顔。だがトパーズ色に輝く瞳は、笑ってはいない。
向かい合う男の方は、さきほどから落ち着かない様子で、周囲を見回している。
こちらの方は対照的に、髪も髭も伸び放題。着ている服など何日洗っていないのか、すえた臭いを漂わせている。
男は上目使いに、相手を窺う。
「ああ・・・。だが、約束だぜ。それに見合うだけの協力はしてもらうって」
司祭はにこやかに頷いた。
「ええ、ええ、勿論でございますとも。我々、神の忠実なるしもべは、決して約定をたがえることなど、いたしません」
小さな子供をあやすような口調である。それがかえって男の勘にさわったようだった。
「口だけじゃなくて、証拠を見せて欲しいな」
男がぺっと、唾をはいた。司祭は、その冒涜的な行為に眉一つ動かさなかった。
「焦りは禁物ですぞ。貴方様の敵が、いかような力に守られているか、よくご存じのはず」
「・・・」
「ご案じなされますな。そのために、われわれ神の下僕が貴方様のお味方をさせていただくのでございます」
司祭は優雅に一礼する。伏せた瞳に侮蔑の色がある。だが苛々と足を踏み鳴らす男にそれが見えようはずもない。
顔を上げた司祭は、また穏やかな笑顔を作って男に問いかけた。
「時に、貴方様は旅券をお持ちですかな?」
「旅券?」
「我々とて指を加えて時を過ごしていた訳ではありません。お役に立つ情報を差し上げましょう。貴方様の捜しておられる御方は、海の向こう、ニホンにおいでになる」
「ニホン!?」
「左様、ギンザの、『大帝国劇場』というところに」
「・・・どこにいようと同じことだ。捜し出して、この手で」
男は、拳を突き出した。
司祭は低く笑った。
「貴方様のような神の子羊には、きっとその労苦が報われる時が参りましょう。我々の仲間も、ニホンには多数おります。どうか、貴方様の手足としてお使いいただけますよう」
「・・・いいのか?」
男の声にこびるような響きが加わる。
司祭は慈愛の微笑みを浮かべた。
「勿論でございます。貴方様の望みと、我々の望みは同じものなのですから───」
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