永遠にも似た、このひとときに


作戦司令室を出てゆく帝都・巴里花組十四人には、今までにみられない不安があった。無理もない、突然のミカサ暴走。大久保長安に乗っ取られた巨大空中戦艦は暗雲とともに帝都の空を覆い、砲弾の雨を降らせている。
私はコンソールに向かう風組に向き直る。オペレーター三人は気丈に振る舞っているが、もちろん顔色は冴えない。
「陸軍の状況は?」
「芳しくありません。品川より完全撤退。大崎、目黒もほとんど抗戦不能です」
「各帝都蒸気ボイラーの様子は?」
「いまだ金色蒸気の噴出が止まりません。ミカサが地下から飛び出した後なのに、どうして……」
「それはここで云っても詮無いことね。……何にしろ、ミカサをどうにかしないことには、根本的な対策はとれないわ」
「はい」
「お台場の風組、草薙班より、第三、第五砲台被弾とのこと、残るはあと第二砲台だけです」
「判ったわ。花やしきに合流するよう云って。──お台場は捨てましょう」
「副司令、警視庁より入電です。日比谷、赤坂、四谷、神田、日本橋に都内全警官隊の配置完了。月組との合流を待つ、とのことです」
「椿、加山隊長に通信。“篝火は揃った、光君を待つ”」
「了解」
月組は都内各所に分散し、それぞれが、魔物との戦闘の矢面にたったことのない警官隊を指揮することになる。月組の各班は「源氏物語絵巻」にちなんだコードネームをもっている。人選や行動手順は加山くんに一任してある。
椿が通信機を置くのを待って、私は彼女の肩をたたいた。
「ありがとう。ここまでで出来ることはすべて終えたわ。あなた達も一休みしてちょうだい」
「……でも」
「この間買って来た大辻屋のバタァケーキ、まだいくつか残っているの。お茶でも飲んでいらっしゃいな」
大神くんや花組には内緒よ、と片目をつむるとようやく三人は肩の力を抜いた。
「ではお言葉に甘えて」
三人娘が出てゆくと、作戦司令室には私と米田司令の二人だけになった。彼にも休憩を促すと、いかにも心ここにあらずといった風な生返事が返って来た。
スクリーンの中で無差別砲撃を続けるミカサから視線を話そうともせず、米田司令はかすれた声で云った。
「ああ、あやめくんも身体を休めておいてくれ。長丁場になるぞ」
私は、何事もないようにハイと返事をし、一礼して退出した。
米田司令が私とあやめ姉さんを混同するのは今に始まったことではないが、他に部下がいなくて良かったと思う。総力戦を前にして、司令の精神力の翳りを感じさせることは出来ない。それは士気の低下につながる。
これは、私1人が記憶しておけばいいだけのこと。
米田司令にとって、私は藤枝あやめの代わりでしかないことを。
──それももう慣れてしまったことだ。
これが副司令の役目なのだ。
どんなに心乱されようと、平然とした顔をして、大丈夫だと云って回るのが。

私はそのまま更に地下への階段をくだる。
式服に身を包んだ少女が二人、扉の前を固めていた。
私が近づくとそっと頭を下げ、扉を開く。とたんに限界にまで高められた霊気と、ぴたりとそろった詠唱が覆いかぶさってきた。
各国から集められた霊能力者で構成された夢組、その帝撃内での本陣。
魔法陣が描かれた広い部屋に三十人弱の少女達。円の中心に座した夢組隊長に唱和し、一心に霊想を続けていた。
御所内の桔梗門に残る半数も、同じようにミカサから発散される大久保長安の悪念を少しでも押さえようとしているはずだ。
夢組は一足早く、戦い始めている。
額に汗を浮かべた娘、あれは夢組の中で一番幼い子。東北の寒村から見つけ出し、奉公と称して上京させ、帝撃に引き入れた。
手が震えているのは、印度から連れて来た水占をする少女。悪意の波動に人一倍弱い彼女には負担が大きいはずだ。
一人一人の姿を焼き付けるように見渡すと、何人かが気付いて目線をよこす。
力づけるように大きく頷くと、それだけで彼女達は安心したように、さらに深い祈りに入った。彼女達の気を散らさないように、私は退散することにする。

足音高く、地下通路を薔薇組の三人が駆けて来た。
帝撃に保管してある非常食糧、医薬品、災害救助用具、そして護符。これらを帝都市民の避難キャンプに配布するよう副司令権限で発令しておいた。また医師を誘導してくれるよう手配してある。
彼らはその意を汲んでくれ、先頭にたって救援活動に向かってくれる。
清流院大尉に深々と頭をさげると、いつもの調子でけらけらと笑った。
「任せて。かえでちゃんの分まで人助けしちゃうわよ!」
いつもと変わらぬ不敵な笑み。強い人だ。勝敗の行方など超越して動くことが出来る。
清流院大尉の背中を見送り、彼ならばあやめ姉さんのように完璧な副司令を果たせるだろう、と思った。
藤に連なるものとして、陸軍の士官候補生として、賢人機関のエージェントとして、私は結局姉さんに一度も勝てなかった。
だから副司令就任を求められた時には正直云って戸惑った。私の経歴からしても、二度と指揮官の任は与えられないだろうと思っていた。
欧州星組の顛末は、私の中からも、ひとときも消えることのない痛みだから。

もしも私に霊子甲冑に乗るだけの霊力があったなら。
陸軍の一隊でも手元に残されていたなら。
副司令と云う立場でさえなければ。

最前線で戦うことが出来るだろうか?
あの悲劇を繰り返さないように、わずかでも力になれるだろうか?

じりじりとした焦りを振り払って、私は人気のなくなった倉庫へと脚を踏み入れた。
今は出来ることをするだけだ。
部屋の一隅に近づくと私の霊力を僅かに感知して、細長く空間が開く。十センチ四方のディスプレイに、自身の認証コードを手早く打ち込む。カチリと鍵の外れる音がして私は床の隠し戸を開けた。
藤枝家に伝わる神剣、白羽鳥。あやめ姉さんの形見の一つだ。
紫色の宝珠が輝く柄を引き出すと、一点の曇りもない刀身が私の思い詰めた表情を映している。

私は二階の自室に戻り、ドレッサーの引き出しにしまい込んだきりの小さな箱を取り出した。手のひらに収まるビロード張りの箱。もう一つの形見──紫の布の中には鋭い光を保つ銀の十字架。
姉さんがいつクリスチャンになったのかは判らない。花組の少女達を求めて、長く世界を巡り歩いた時期に、なにかの機会があったものか。それとも、誰かの為に祈る神が必要だったのか。
姉さんが亡くなる直前、急に帝都に呼び寄せられた私は、この小さなペンダントを譲られたのだ。

(銀は魔を断つのよ。だから、かえでに持っていて欲しいのよ)

姉さん。
いまこそ、私に力を貸してください。
私には守りたい人が、いる。
全身全霊で祈る娘達。ほぼ非武装のまま、救助の為に炎の街へ飛び出して行った男達。父とも慕う人。危険を承知で残る格納庫の風組メカニック達。ミカサへ向け、悲壮な決意とともに出撃して行く戦士達。
──そして1時間と経たずに警官隊を率い、生身で魔操機兵と対峙しているはずの、彼を。

ペンダントをつけて、軍服の詰め襟の中に潜り込ませると、ふいに気配を感じた。慌ててパーテーションの向こうを覗き込むと男が一人ベットに寝転んでいた。天井を見つめ、遠く近くに繰り返される砲撃音を聞いている。
「加山くん、あなたいつからここに」
「高村くんからの通信はここで受けましたが」
悪びれずに云ってのけると、よいしょっ、と場違いに明るい声で弾みをつけ起き上がる。
相変わらず神出鬼没で心臓に悪い。先ほどまで心の中に思い描いていたのだから、なおさらだ。
「……背中の傷の具合はどう?」
「いやもう全然痛みはありません。さすがは藤枝の秘薬です。多少、傷跡は盛り上がってはいますが」
見ますか、と海軍の上着に手をかけるのを慌てて止める。
「まったく、こんな時に何をしに来たの」
「釘を刺しに」
加山くんから血と煙草の匂いがした。
「副司令ともあろう方に武器を抜かれるのは、自分たちがすべて倒れた時……、そんな時が来ないことを願いたいですね」
加山くんが手を差し出す。
白羽鳥を預けろというつもりか。
私は首を振った。
「もちろんぎりぎりまで自重するつもりよ。けれどすでに、この帝都に安全な場所は存在しない……この銀座本部でさえも。ならば、この神剣はただ一度、最後の機会に解き放つべき。私を信じてはくれないかしら」
「……」
「お願い」
「……困ったなあ。俺の一番苦手な“お願い”じゃないですか」
わざとらしいため息をつき、加山は再び仰向けに転がった。
私は何も云わず、彼の隣に寄り添い、彼の胸に手を当てた。加山くんの腕がお互いの存在を確かめるように私の身体を引き寄せた。
使命も、恐怖も、責任も、その時すべてを忘れた。

廊下を行き交う足音も、遠くに聞こえる爆音も、脳裏から消えた。
ただ彼に強く抱きしめられた身体の熱と、高鳴る鼓動だけが私を支配していた。
慌ただしく服を剥がされ、のしかかる男を受け入れる。
焦燥に駆られてうごめく指。
絡め合った舌に言葉にならない想いをのせる。
脚がひらかれる。
声をあげようとして塞がれる。
熱い奔流が一気に私の中に流れ込んで来たかと思うと、激しく揺さぶられる。
飲み込まれ、溺れるに任せた。

「私と……あやめ姉さんでは、白羽鳥との相性が違うのよ」
立ち上がり、手早く衣服をまとっていた男が、意識だけをこちらの話に向ける。
「姉さんが使うと、白羽鳥は魔を滅するために威力を発揮する。触れただけで消滅するような恐ろしい光景を、私は何度も見て来たわ。
でも私が使っても、それは致命傷にはならなかったわ。かえって魔を戸惑わせるように見えた。姉さんと藤枝家の刀匠達はそれを『断ち切る』と表現したわ」
「断ち切る」
「かつての人間の怨念を種に産まれた降魔や蒸気の絡繰りは、恐ろしい破壊衝動を持っているわ。それは本能が命ずる絶対的な命令。それを断ち切ればその瞬間、彼らはそこに存在する理由を失うのよ」
それは“彼ら”にとっても酷な状況だったことだろう。
「そう、私は今までこの剣を使ったことはなかった。なぜなら惑った魔物達は新たな存在意義を求めるの。新たな命令を下してくれる者を求めるの。それにふさわしいのは、彼らの妄執を断ち切ってみせた……私」
そこで一斉に彼らは、新たな首魁として、私を、魔に取り込もうとするのだ。
その度に苦しむ私に魔を押さえる銀の十字架をくれたのはあやめ姉さんだった。
いずれ、自分の亡き後、私にどうしてもこの白羽鳥を使いこなさなければならない時がくると判っていたのだろう。けれども実戦に耐えうる結果が出せぬ内に、陸軍対降魔部隊の戦いは始まり、私の与り知らぬところで終わってしまった。
そして月日は流れ……魔に取り込まれたのがそのあやめ姉さんで、いま私が帝撃に居るとは何たる皮肉だろうか。
「やるなら一度、作戦司令室に敵が迫ったその一瞬。惑いを見せたその瞬間に切り伏せるしかないわ」
副官として米田司令と各隊員との単なる調整役と思われていた私。姉さんの陰として振る舞い続けて来た私。
誰の力も借りずに、やっと独力でなし得ると判断できたのが、この作戦だった。誰にもマークされていないと思っていたのに……。

(もしも私に霊子甲冑に乗るだけの霊力があったなら。
 もしも陸軍の一隊でも手元に残されていたなら。
 もしも副司令と云う立場でさえなければ。)

でも実際には、どれも叶わぬこと。
与えられた立場と能力だけで、戦えるのならば、私は戦う。
欧州星組と同じ轍は絶対に踏まない。

ようやく振り返った加山くんには、いつもの飄々とした笑顔が浮かんでいた。
やれやれと欧米人がするように、大げさに天を仰いでみせる。
「花散里に別働隊を預け、銀座本部の守りを固めるよう云ってあります。あなたの手足として使ってください」
「……ありがとう、加山くん」
この男はいつもこうだ。私が望むものを与えてくれる。
「ただし、無茶はしないと約束してください。かえでさんはここに──帝劇にいて下さいね。この戦いが終わった後、俺たち帝撃の人間は貴女の元を目指して帰ってくるでしょう。大神達花組も、俺達月組も……貴女に『お帰り』と、そう微笑んで欲しいんです」
唇が震えた。
「……そんなことで、いいのかしら」
「それが大切なんです。この終わりの見えない戦いで貴女だけが未来への扉を指し示してくれる。上に立つ人間の、それが役割です。それに……この戦いが終わった後、俺の戻るところがなくなっているのは困ります」
彼はニヤリといたずら坊主の笑みを作る。
「この先、二人で日記とやらを書き続けていかないといけないですからね」
頬がかあっと熱くなった。
「……! どうしてそれをっ……聞いてたのね!?」
今度は快活に笑って、加山くんは姿を消した。
引き止めようとのばした腕から力が抜けるのが判った。
あれは大神くんが「ああ無情」の演出プランについて相談した時に、雑談まじりについこぼしてしまったものだ。──私の結婚観。
あの男、やっぱり天井裏にでも張り付いていたのか。
「まったく……油断も隙もないったら」
まだ気怠い身体を無理に起こし、軍服を引き寄せた。ほどなくして集合を呼びかける由里のアナウンスが劇場内に響いた。

──時は来た。最後の大舞台だ。


思いのほかビターテイスト……「白羽鳥捏造話」です。
何故かえでさんは前線へ出ないのか……二剣二刀って結局、他に使い出があるのかしら?という所から始まり、いつのまにかラブな話がくっついてました。
月組の符牒で云うと加山隊長が「光源氏」なので、かえでさんは影でこっそり「紫の上」と呼ばれてることでしょう。
他のSSとはちょっとスタンスが違うので、「番外編」としてお読みくださいませ。