「カンナさん、サンドバック貸していただけますか!?」
 さくらが、カンナの自室を訪れたのは、深夜をまわった頃。
完璧に眼が座っている。その三白眼の恐ろしさに思わずのけぞったカンナは、
かくかくかくっと首を振って、さくらを招じ入れた。
「ありがとうございますっ!」
 さくらはつかつかと歩み寄るとわき目も振らずに、げしっとサンドバックを殴
りつけた。
 何やら肩のあたりから、怨念めいた気配を感じる。
「さくら───何かあったのか?」
「なんでもありませんッ!」
 どげしッ!
 隊長がさくらの「つねり」を怖がる理由がわかる気がした。
 さわらぬ神にたたりなし。
 カンナはこっそりと部屋を抜け出した。

 どかばきどかばきびしっばしっべしっ。
ドア一枚隔てた廊下にも、さくらの鉄拳が連打される様子が聞こえてくる。
「・・・なんだろーね、ありゃ」
「そりゃ、原因はアレやろ?」
 突然、背後から紅蘭がいいつのる。
「うわぁ、びっくりしたぜ」
「なにアホなこと。カンナはんを驚かすんは熊でもムリや───さくらはんの大
荒れの原因は、大神はんに決まってますやろ?」
「ああ、やっぱな・・・」
 大神がマリアの里帰りに同行すると言い出した時の、さくらの顔ときたら。
達磨だってこうはいかねーだろうというくらい、ふくれっ面で、まっかっかだっ
たっけ。
「いつかは、ぶち切れると思うてましたんや」
 紅蘭はうんうんと頷いている。
「アタイはどーすりゃいいんだよ・・・」
「ほんなら、さくらはんの気ィがおさまるまで、ウチの部屋で待っとりますか?
ちょっとカンナはんにも見てもらいたいモンがあるさかい」
「ふーん、そんなら邪魔すっかな」

 紅蘭の部屋の床は、相変わらず発明の残骸ですき間もない。
「今、一世一代の大発明品が完成間近ですのや。カンナはん、見たって」
 紅蘭はそういうと、部屋の中央に鎮座ましましていた物体から白い掛け布を
取った。
「じゃじゃーん。これがウチの新作『とつげきくん』や!」
「な、なんか勇ましいな」
 やたらでかい。やたらトゲトゲしている。やたら不細工。
 あんまり近づきたくない容姿の人型蒸気だった。
「ふふん、それがシロウトはんの浅知恵や。これはな、見かけによらず、おちゃ
めさんなんやで」
「・・・どんな風に?」
「それを今から教えたる。あ、カンナはん、これ読んで」
「えー、なになに?
『キャーーっ!大神さーーーんっっ!!ステキーーーーーっっっ!!!』
 なんじゃ、こりゃ?」
「ほい、録音完了。ほな、行くで」
 ぶるんと身動きして、『とつげきくん』がカンナの方に向き直った。
 いやな予感がする。
『キャーーっ!大神さーーーんっっ!!ステキーーーーーっっっ!!!』
『とつげきくん』が喚き、カンナに突進してくる。
「う、うわぁぁぁぁぁぁああっっっ!!」
 反転して逃げようともがくが、すでに遅し。
『とつげきくん』はそのたくましいトゲトゲの二の腕で、カンナをぐわしっと
抱きしめると、顔をぶちゅうーーーっと押し付けようとする。
「うわ、やめろっやめろっ!紅蘭、止めろーーーーーっっっっっっ!」
「やったで、成功や! ほな、止めますわ」
 紅蘭がちょちょいといじくりまわすと、『とつげきくん』は動きを止めた。
「な、何なんだ、これは・・・」
 ぜえぜえと荒い呼吸を整えながら、カンナがうめく。
 紅蘭はにっこり笑って解説した。
「この『とつげきくん』はな、大神はんが帰ってきはった時に、お帰りなさいの
接吻をするんや」
「・・・隊長、死んじまうぞ?」
「だーいじょうぶやって。マリアはんが助けてくれはりますて。


『隊長、ご無事でしたか』
『ああ、ありがとう、マリア』
『いいえ。隊長のお役に立てるのでしたら、私・・・』
『マリア・・・』
『隊長・・・』


 そんで二人はメデタシメデタシや」
「それって・・・」
(大神の立場がないんじゃないだろーか?)
 カンナは少しばかり同情した。
 その瞬間、『とつげきくん』の顔から、がちゃりと下半分がはずれた。
「あちゃー、『クチビル』の接続が悪かったんかいな?」
 紅蘭は、生真面目に口元を引き締めて、ボルトを締めにかかった。
メガネの奥のつぶらな瞳が、手元を一心にのぞきこんでいる。きゅっきゅっと手
首をひねる度に、『とつげきくん』が嬉しそうな顔になっていくのは気のせいだ
ろうか?
 そんな一生懸命な紅蘭を見ていて、カンナにも、おぼろげながら理解できた。
 紅蘭の発明は紅蘭自身なのだ。
 彼女の知恵と勇気と愛情とを、全部受け継いで、産みだされてくる子供達。
 手荒いながらも『とつげきくん』の接吻は、きっと紅蘭の・・・。
「ま、一回くらい、こんなことしたって、ええやろ」
 はからずも、カンナの心に反応して紅蘭がぽそり、と言った。
 そしてカンナの視線に気付いて、慌てて弁解した。
「あ、なんでもないんや、なんでも」
 カンナはあえて、聞き返さないことにした。
「じゃ、アタイはこれで」

 やれやれ、さくらってば、まーだ叩いてるよ。こりゃ明日の両手が見物だぞ。
 カンナはひとりごちた。そこへ、
「・・・カンナさんでは、ありませんでしたのね」
 すみれが扉を開けて、こちらを睨んでいた。
「あいにくだけど、さくらだよ」
「まったく。夜中にこんな迷惑な音を出す非常識な人はカンナさん一人だと思っ
てましたのに、北と南でも田舎者というものは似るものですわね」
「なんだとぉ?」
 すみれは気色ばむカンナを無視して傍らを通り抜けた。
「眼が冴えてしまいましたわ。お茶でもいただくことにしましょう------なんで
したら、そこにぼーっと立ってらっしゃるデカブツさんにも、恵んで差し上げて
もよろしくてよ?」
「お前なあ・・・」
 拳を振り上げようとしたカンナだったが、こんな夜更けに喧嘩する気力もさほ
どなかった。
 おとなしく、すみれの後に従う。
 サロンですみれが入れてくれた紅茶を飲みながら、カンナはテーブルに飾られ
た豪華な生け花を見やる。
「そういえばさあ・・・」
 カンナが首を傾げる。
「ここんとこ、妙に帝劇中、花だらけじゃねーか?」
 サロンといい、ロビーといい、手洗いや事務局、階段の踊り場にまで、花瓶が
並べられている。その上、どれもこれも、ハイビスカスやら竜舌蘭やら「金かけ
て取り寄せて見ましたッ」という珍しい花ばかり。
 中には支配人室のラフレシアのように、よくぞ生けたというものもある。
 カンナの言葉に、すみれは白々しい引きつった笑顔を浮かべた。
「そ、そうですかしら?わたくしには、これで、普通に思えますわ」
「ふーん・・・」
「庶民のカンナさんには、お判りにはならないかもしれませんわね。生け花とい
うものは、天、地、人が相殺されることなく、かといって互いを引き立てること
にもならず、各々の秘められたわびさびを競ってこその芸術。精神修養にも最適
なのですわ」
「花なんざ判らなくてもいいけどさ、すみれ、お前最近、茶ばっかり飲んでねー
か?」
 すみれは、またまたぎくりと身を震わせた。
「そ、そんなこと、ございませんわよ?第一、お茶をいただくというのはお花と
同様、心安らかに苛立ちを静め・・・」
「なんだ? 何かいらいらすることでも、あんのか?」
「なっ・・・」
 すみれは顔を真っ赤にして、バンッとテーブルを叩いた。
「何もある訳、ございませんでしょ!」

 まったくー。なんだろうね、今夜は一体。
カンナは、厨房で、夜食の用意をしながらつぶやいた。
「下手に茶なんか飲んだら、腹へっちまった」
 皆そろって、何でもない、何でもないって。
 んな訳ないだろ。
 隊長とマリアが気になるくせに。
 そりゃ、自分だって気にならない訳じゃないのだ。
 大神が一緒に行く、と言ったとき、ぶん殴ってでも止めたかったのだ。
 でも。
 あの、過去の重荷を抱え込んだままの親友を支えてやれるのは、大神しかいな
いと判っていたから。
 大神が隊長としてではなく、一人の男としてそれに応えようと決めたことが、
判ってしまったから。
 がまんして送り出してやるのが、女ってもんだと思ったのだ。
 そう、がまんがまん。
 胸がちくんと痛むくらいは。 
「───これっくらい、何でもないさ」

 さらに時が移り、年長の少女達がようやく寝入った頃。
 帝劇中にアイリスの絶叫が響き渡った。
「いやあーーーーーっ、おにいちゃん、行っちゃダメーーーーーェ!!」
 部屋の明りが次々ついて、皆がアイリスの部屋に駆けつけた。 
「アイリス!?」
「どないしたんや、アイリスッ」
「どうしたんですの?」
「怖い夢でもみたか?」
 ベットに起き上がって、寝ぼけまなこで皆を見つめるアイリス。
 しかし、やがて小さな声でぽつんと言った。
「・・・なんでもないよ」
「なんでもないて、アイリス───」
「なんでもないったら、なんでもないのッ!」
 アイリスは布団を頭からかぶって寝てしまった。いくら訊いてもうんともすん
とも言わない。
 四人は顔を見合わせつつ、廊下に出た。
「拍子抜けしてしまいましたわね」
「ええ・・・」
「なんやろな、あの『行っちゃダメ』て」
 不満そうなすみれたちを横目に、カンナは身体を二つに折って笑いを堪えてい
た。
「どうしたんですか?カンナさん」
「どーしたもこーしたも」
 カンナの眼に涙がにじんでいる。
「絶対、隊長の夢みてたに決まってんじゃねーか。それをさあ、『なんでもな
い』だって。アタイ達とおんなじこといいやがって・・・」
 思い当たるフシのある彼女らは、一斉に顔を赤らめる。
「ちっこいちっこいと思ってたのに、ちゃんと少しずつ大人になって来てんだも
んなあ・・・」
 あとからあとから、笑いと涙がこみあげてくる。
 可愛くって可愛くって、しょうがなかった。
 さくらが、紅蘭が、アイリスが、すみれまでもが。
 皆がちゃんとわかってる。
 大神の気持ちを大切にしようとしている。
 同じくらい、自分達の「想い」も大切にしている。
『なんでもない』なんて、大嘘だ。
 この気持ちは捨てられない。
 捨てられないなら、せめて、大神が戻ってくるまでに、自分達の心の準備をし
ていよう。
 各人が、誰にも告げずに昇華することで。
 いつも通りの笑顔で、大好きな人を迎えるのだ。
 さもないと───帝撃・花組の名がすたる。
「あーあ、笑いすぎたら腹減ったな」
 一つのびをして、カンナが階段に向かった。
 その後に、紅蘭が続いた。
「?」
「同じくや。もう眠る気にならへん」
「お茶でもいただきましょう」
 すみれも言う。
「すみれさん。お茶飲みすぎると、お手洗いが近くなりますよ?」
「・・・さくらさん。貴女、でりかしぃという言葉をご存じ?」
「いいえ?」
「・・・」
「ま、まあ、いいじゃねえか。すみれ、何か食いもん持ってねえか?」
「仕方ありませんわね。わたくし、お茶受けに『たまごむうす』を買ってありま
すわ」
「カンナさん。あたし、明日のおめざに栗饅頭を用意してます。良かったらどうぞ」
「ウチ、椿はんが売店の片隅に、しょうゆ堅焼せんべいを隠してあるの、知っと
るで!」
「かすみさんが、事務局の書類束の後ろに芋けんぴ、隠してあるの、ご存じ?」
「ええっ!? ひどい、かすみさん。あたし芋けんぴ大好物なのにぃ」
「米田支配人の部屋に、あたりめがあるって知ってっか?酒呑みだから、いっつ
も備えてあるんだぜ」
 持っている、というより強奪になっている気がしないでもない。
「ついでに一升瓶取ってきちまおうか?」
「それには及びませんわ。秘蔵のシャンペンでもあけるといたしましょう」
「・・・すみれ、なんで今までそいつを出さない」
「あなたのような水と高級酒の区別のつかない方に、飲ませる馬鹿がいますの?」
「───しゃあないな。ウチもとっときの紹香酒出すわ」
「あ、あたしの部屋にもおいしい越乃寒梅が───」
「・・・おい」
「ははは、気にせんとき、カンナはん!」
 紅蘭がカンナの背中をばんばん叩く。
 苦笑するしかない。
「仕方ねえな、宴会でもするかぁ?」
 背後でドアがばたんと開いた。
「アイリスもーーーーーーーーーーっっっっ!!!」
 アイリスの手には、しっかりチョコレートの袋が握られていた。

 その翌日の花組特別公演は謎のメロドラマ、「私を帝劇につれてって」。
 美人姉妹のさくらとすみれがプレイボーイ、カンナにナンパされ、帝劇に行く
のはいいが実は彼は妻子持ちで、妻の紅蘭と娘アイリスが生活苦から封筒貼りの
内職に手を染め、その辛さに思い余って天神様に願をかけにいくと、その効力で
さくらが巨大化しカンナに天誅を加えると、彼氏を踏みつぶされて怒ったすみれ
が、実は悪の組織の女帝スミレで、日本を制圧してしまうという、良く判らない
内容であったが、花組の女優達はやけにテンションが高く、大好評だったという。
 ───その怪演の原動力が何であったか、知る者はない。

 時は、桜の花が散る頃。
 あと数日で、二人が帰って来る。

<了>