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柔らかいライトの下で、7人の天使達が仲むつまじく踊っている。
舞台袖から見守っていた大神は、そろそろ聖母役のマリアに準備をさせようと振り向いた。彼女の出番はクライマックス、気まぐれに人間達に善幸を施していた天使達が、やり過ぎて災いに転じてしまいそうになった時だ。
「マリア、そろそろ・・・」
大神はふと口を噤んだ。
舞台が見通せる位置で椅子に座っていたマリアが、かたかたと小さく震えている。
「マリア───」
膝の上で指を組んでいたマリアがぴくんと反応する。
「隊長・・・」
「どうしたんだい?」
マリアの前に片膝でひざまずくと、大神は彼女の青白い顔を見上げた。柔らかい薄化粧を施し、透き通るヴェールをかぶったマリアは、いつもの男役の印象とは違い、優雅な貴婦人そのものだった。
「・・・恐いんです」
「・・・?」
「今まで、何度も舞台に立ってきたのに、恐くて堪らないんです。こんなこと、一度もなかったのに───隊長」
「ん?」
「本当に、私で良かったんでしょうか・・・?」
マリアの眼をじっと見つめて、大神は小さく吹き出した。
「・・・隊長?」
「うん」
大神は左手をマリアの両手に重ねた。
「本当は一人占めにしておきたかったんだけど」
右手をそっと、マリアの頬に添えた。
「でも、今日は特別な日だから───」
「隊長・・・」
「マリアには俺一人じゃなく、みんなを幸せにしてほしい。舞台で待っている花組のみんなや観に来てくれたお客さんを、マリアの聖母役なら、きっと幸せにすることができるから───だから選んだ。マリアなら大丈夫」
「でも・・・」
「実例が目の前にいるよ」
「え?」
「俺は、君のその姿を見ることが出来て、最高に幸せだよ」
大神はそう言って、触れるか触れないかのキスをした。
「・・・!」
マリアの白い頬が朱に染まった。
大神は彼女の手を取ると、出の位置までエスコートした。
「行っておいで───俺はここで待ってるから」
「・・・はい」
マリアははにかみながら頷くと、ドレスの裾を翻して舞台の中央へ進んでいった。
ライトと歓声、そして大きな拍手が彼女を迎え入れた。
「コラ、大神くん」
「いてっ」
軽い衝撃を感じて、大神は頭をさすりながら振り向いた。そこには丸めた台本を片手に、かえでが立っていた。
「公私混同」
「あっ・・・、すみません───見てたんですか?」
「皆、見てたわよ」
「いいっ!?」
大神が見回すと、黒子達が一斉にそっぽを向いた。
「大神くんを演出担当にしたのは、間違いだったかしらね」
「そ、そんな・・・」
「あは、冗談よ。大神くんがマリアを選ぶのは、まあ、なんとなく判っていたし」
「───そうなんですか?」
「大神くん・・・、貴方、誰にそのことを相談したの?」
「それは由里くんですが・・・ああ!」
彼女の耳に入った話が、帝劇中に伝わらないはずがない。そのことをすっかり失念していた。
眼を白黒させている大神を面白そうに見遣って、かえでは口調を改めた。
「ねえ、大神くん。舞台って、特別よね」
「え?・・・ええ」
「最初は自分達が納得するために頑張っているはずなのに、いつのまにか客席の誰かを喜ばせるために頑張ってしまうのよね」
「・・・そうですね」
「自分の中の一番の幸せを分けてあげたいと思う。だから、自分の一番好きな人を推す。私はそれで正解だと思うわ」
「はあ・・・」
大神は頭をかいた。かえではくすくす笑った。
「今回だけは公私混同を見逃してあげる───だって、こんなに素晴らしい舞台を見せてもらったんだもの」
「ふうっ、ちょっと酔いを醒ますかな」
楽屋では打ち上げとレニの誕生日、そしてクリスマスイブが重なって響宴が続いている。
大神は廊下に出て、ベストの内ポケットをさぐった。煙草をくわえて、既に照明を落とした舞台の方をちらりと見遣った。
酔っているのは、酒のせいばかりではない。はじめて演出という形で公演に参加した余韻が、まだ大神の身体中に残っている。初めて知った舞台の高揚感、客席との一体感───。
そして、彼女の姿───。
「隊長」
不意に、思い浮かべていた当人の声が、背中から聞こえた。
「・・・マリア」
「こんなところにいらっしゃったんですか?」
マリアの頬も心なしか上気している。
「今日はお疲れ様。素晴らしい舞台だったよ」
恥ずかし気に眼を伏せながら、マリアが礼を述べた。彼女が帝劇の舞台で女役を演じるのは初めてのことだ。以前、「シンデレラ」を演じたのは、地方の小学校。あの時の、実に嬉しそうなマリアを見て、いつか帝劇でも、と思っていた。
格好のクリスマスプレゼントになったと大神は密かに自負していた。
「緊張していて、お客さまの様子を窺うことが出来なかったのですが・・・、あの、どうでしたか?」
「どうって?」
「その・・・、私いつも男役でしたからお客さまも驚かれたんではないかと・・・」
「そんなことないよ───みんな君に見蕩れていた。こっちがはらはらするくらいにね」
「・・・?」
「ただでさえ、君のファンクラブの娘さん達に敵視されているのに、さらに増えたらかなわないからね」
大神が肩を竦めると、マリアはくすくす笑った。
「おっ。二人ともこんなところにいたのか」
廊下の向こう側から大股に歩いてくるのは米田だ。一升瓶を抱えているところを見ると、とうとう秘蔵の一本を出すつもりらしい。
「・・・まだお飲みになるんですか」
「いいじゃねえか、今日ぐらい! それより、二人してどうした。クリスマスのデートか?」
二人は同時に赤くなる。米田は呵々と笑った。
「若いってのはいいよな。・・・ま、今日は特別な日だ。少しばかりは大目に見てやろう。その代わり、十二時までにはちゃんと戻って来いよ」
瓶を振り回しながら、米田は楽屋へと消えた。
「・・・どうしようか、マリア」
時間を気にしつつ問うと、
「隊長・・・、ちょっと行ったところに、教会があるんです。もしよろしければ・・・、一緒に行ってみませんか?」
珍しくマリアの方から言い出した。
「ああ、いいとも。ちょっと待ってて。コートを取ってくるよ」
階段を駆け昇りながら、なにせ時間がないからな、と大神は呟いた。すばやく支度を整えて戻ると、慌てたせいで掛け違えていたコートのボタンをマリアが直してくれた。大神は照れ隠しに言った。
「十二時までに戻らないといけないなんて、シンデレラみたいだね」
「ふふっ・・・、そうですね」
マリアも笑いながら頷いた。
「あっ・・・。隊長・・・、雪です」
「ホントだ・・・。こんなに積もってる」
ホワイトクリスマス、とマリアがつぶやく。街中が砂糖をまぶした菓子に変身していた。
「ウチの方も積もってるんだろうな」
江田島に入学以来、ほとんど帰っていない栃木の実家を思い出す。山を背にした村だ。今頃は、身を切るような寒さに違いない。
かざしていた手のひらに、次々に大きな結晶の連なりが落ちてくる。
「こんな雪を見るのは、マリアとロシアに行って以来だな───あれからもう、二年近く経つんだね」
「そうですね・・・。また、こうして隊長と、帝都で雪を見るなんて・・・」
「マリアはロシア生まれだから、雪は珍しくないんだろうけど」
「ええ。でもこんな特別な夜に降る雪は、やっぱり特別に奇麗な雪に思えます」
「・・・そうだね」
「・・・行きましょうか、隊長」
マリアは微笑むと大神を促して歩き始めた。雪道に慣れているマリアに遅れまいと、大神は小走りに彼女に並んだ。
雪をかむ靴の音、白く煙る吐息、手を伸ばせば届く身近に彼女がいる。
(───こんな特別な夜は、今日ばかりじゃなかった)
遥かな北の国で初めて結ばれた夜も、こんな風に雪が降っていた。ニューヨークから帰ってきたマリアを抱きとめた夏の夜は、星が降っていた。
『二人だけ』で過ごした時間は、確かに少ない。けれども、いつのまにか、こうして自然に並んで歩くことの出来る二人になっている。
大神はマリアの手を取った。マリアが眼を見張って、一瞬立ち止まりかけたが、すぐに軽く握り返して、前を向いた。
表通りから一本入った狭い通りに、小さな教会はあった。雪で天然のデコレーションをしたもみの木が、前庭で彼らを出迎える。夜中だというのに、窓には暖かい明かりが点っていた。
「隊長、お祈りをしましょう」
二人が中に入ると、和服姿に頭からレースのヴェールをかけた年輩の女性が入れ代わりに出て行った。後に残されたのはマリアと大神だけ。さして広くもない礼拝堂に二人はひざまずいた。
大神がこれまでのことを感謝し、眼を開けるとほぼ同時にマリアも顔をあげた。吹っ切れたような清々しい笑顔だった。何に祈りを捧げたのか訊いても、はぐらかすように首を振る。大神は肩をすくめて、改めて聖母像を見上げた。
「・・・隊長のご実家は確か」
「うん。神社」
「もしかして、無理にお連れして、ご迷惑でしたか?」
「いや。マリア、今言ったじゃないか。大切なのは形じゃなく、心だって。祈る心は一緒だろ?」
「それはそうですが」
マリアも、自分と同じ名の聖母像をちょっと見て、
「私も・・・、本当のところをいうと、神など信じていないのかもしれません」
と、低く洩らした。
「え? でも確かロシアは・・・」
「ええ。ロシア正教という、キリスト教の一派です。カトリックやプロテスタントよりは強く地域に根ざしたものですが、同じ神を崇めることに違いはありません。ですが───」
マリアは赤い手袋をした自分の手のひらを見つめた。
「私には、神に祈るよりも、恨み言を唱えていた時間の方が長かったですから・・・」
「・・・」
「この教会は、日本に来てすぐの頃、あやめさんに教えてもらいました。あやめさんは信仰を持ってる人だったんですよ。御存じでしたか?」
「そういえば、部屋に十字架が飾ってあったっけ」
「何度か、ミサに連れて来られました。でもね、隊長。形ばかり真似て祈っている内に、神ではなくて私にとって大切な人の顔が思い浮かぶようになったんです。米田支配人やあやめさん、花組のみんな、公演を見に来て下さるお客さま・・・。おかしなものですね。恨み言ばかりいっていた時には自分の事しか考えなかったのに、祈ることを覚えてからは、人の事ばかり頭に浮かんで───だから、思うんです。私は神に祈るためにここに来るのではなくて、大切な人に感謝するために、ここに来ているのではないかと」
「・・・」
「面と向かって、言葉にするのは恥ずかしいです。だから、こうやって祈りに変えるのかもしれません」
「───ああ、そう思うよ」
二人は揃って、聖母像を振り返った。
十二時の鐘の音を背に、二人が教会を後にする頃になっても、雪はまだやむ気配がなかった。
「───アイリスが喜びますね」
雪の中を跳ねるようにマリアが進んでゆく。見守りながらついてゆく大神は苦笑しながら叫んだ。
「ああ、この分だと明日は、雪遊びで一日終わってしまうな」
「それもいいですね───。ほらっ、隊長!」
「うわっ!」
マリアが両手で雪をすくって投げ付けて来た。視界が真っ白になり、大神はその場に尻餅をついた。
「やったな!」
雪玉を作って応戦する。声をたてて笑いながら、マリアは逃げまどった。
「全然あたりませんよ!」
「的が逃げるからさ。こら、動くなっ」
「無茶いわないでくださいっ」
マリアを追い掛けて帝劇まで戻って来た大神は、ふと二階の窓を見上げて人さし指を口に当てた。
「・・・どうしました?」
「───加山だ」
ろうそくを持ってうごめく人陰。背中に白い袋を背負った男の姿があった。その前を赤い衣装を来た小柄な影が歩いて行く。
「米田支配人・・・」
米田に付き従って、加山が重そうな袋を背負い直す。その拍子に、窓の外の大神に気付いたようだ。手で「まあまあ、ちょっと待て」と合図する。
「・・・どうやらサンタクロースの仕事中に来てしまったらしい」
「支配人、十二時までに帰って来いって、このことだったんですね」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのまま、二人のサンタが消えるまで、しばらく雪を眼で追っていた。そろそろ頃合いかと静かにドアに身体を滑り込ませる。大神の頭や肩にも、雪が積もっていた。
マリアの長い睫毛にも、粉雪がとまっている。
「マリア、ちょっと眼を瞑って」
大神は指先で軽く雪を払って、そのまま神妙に眼を閉じているマリアに口付けた。「───俺も聖母様にお願いしてもいいだろうか?」
真面目な顔でマリアに訴えた。
「・・・なんです?」
「ずっと一緒にいてほしい・・・、これからも、ずっと」
「・・・大神さん」
マリアは大神の肩に顔を埋めた。大神は背中にまわした腕に、あらん限りの力を込めた。
翌朝は、誰もが寝過ごした。
サンタからのプレゼントに気付いたアイリスが大はしゃぎで皆を起こしてまわったのが、既に昼近く。
のそのそと起き出した花組の面々が、ドアの前に置かれていたプレゼントを食堂に持ち寄って、かしましくブランチを取った。
ちなみに大神には「白いウクレレ」が贈られており、彼は頭を抱えた。その後、厨房でマリアと二人、皿を洗っているとかえでが複雑な表情でやって来た。
「ねえ。これ、どう解釈したらいいのかしら・・・?」
かえでが貰ったクリスマスプレゼントは、なんと昨夜の舞台で使った天使の輪と羽であった。
加山の趣味だな、と大神がこめかみを押さえていると、マリアが
「・・・かえでさんにも、舞台に立ってほしい、ということなのではないでしょうか?」
無難な謎ときを披露する。かえでは勢い良く首を振った。
「まさか! 私に天使役をやれというの!?」
「さあ・・・」
言ったマリア本人が首を傾げている。今にも怒りだしそうなかえでを大神が取りなした。
「まあ、かや・・・いや、サンタはきっと、かえでさんが天使を演じることで幸せになるのでしょう───何考えてんだか───かえでさんが昨日言ってたじゃないですか。自分の一番好きな人を推す、という・・・え?」
(そ、そうだったのか!?)
一人で眼を白黒させている大神に、かえでは心底不審そうな声で訊いた。
「昨日?」
「ええ、ほら舞台袖で」
「なんのこと? 私、昨日は二階の貴賓席で招待客の方々のお相手をしていて、舞台袖には一度も行っていないわよ?」
「え?」
(───コラ、大神くん)
「じゃあ、あれは───」
急に黙りこくった大神を、怪訝そうにマリアとかえでが見つめる。やがて、ため息をついてかえでが言った。
「・・・どうやら、ろくでもないプレゼントが出回ったようね。マリアは何をもらったの?」
「いえっ、やっぱり大したものじゃありません!」
「・・・そう?」
衣装部屋に返してこなくっちゃとぼやきつつ、かえでが出て行く。
「・・・どうなさったんですか? 隊長」
「───ちょっとね。もう一つの、聖夜の奇跡の話なんだ」
大神は窓際にマリアを招いて話し出した。天からはまだ、雪が降っていた。
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