庭の蓼の木にかかる蜘蛛の巣がつやつやと雫をはじき、水たまりがつかの間の青空を映す。
坂の中腹にあるその家からは町並みを眺めることが出来る。
しばらくぶりの太陽の光に、心なしか帝都の雰囲気も明るい。
庭の一角にしつらえた物干しには洗濯物がはためいていた。シーツとパジャマ、夫のシャツ、子供達のハンカチ。
風に飛ばされていないか確認して、マリアは繕い物を広げた。上の息子はもうすぐ五歳。すぐに服が小さくなってしまう。さっと広げるとかすかにラヴェンダーの香りが漂った。
たんすの中に入れているポプリは、この前アイリスが持ってきた手作りだった。
現在では銀座・大帝国劇場に残っているのは彼女とレニだけで、トップスタァとして後進の指導に当たっている。忙しい合間を縫ってよくこの家を訪れる彼女は、マリアの用意した食事やお菓子を平らげていく代わりに、こういった小物やワインなどを持ってくるのだ。一緒に持ってきたうさぎのアップリケは、マリアの手によって娘の胸元につけられている。
一針一針、慎重に針を動かしていく。料理はわりあい自信のあるマリアだが、針仕事だけは華麗に、とはいかない。ためつすがめつして、ようやく完成させた。


一息いれようかしら。こじんまりとしたキッチンに向かうとコーヒー豆を挽き、カップを温める。畳の掃き掃除や縁側の水拭きも終えたさっぱりとした窓際で、コーヒーを飲みながら町を眺めるのがマリアは好きだった。長身のマリアには、シンクや調理台は低すぎた。結婚して、この家に越してきてすぐに夫が日曜大工で底上げをしてくれたものだ。
もっとも行き当たりばったりで始めて傾きそうになったので、慌ててレニに設計を、カンナに大工仕事の手伝いを頼んだのだが。
昔から、ちょっと詰めが甘いのよね、あの人。
くすりと笑いながら、カップを手にする。夫とお揃いのリモージュ焼きのカップは巴里華撃団の五人からのプレゼントだった。結婚祝いに五人で相談して決めた、とのことだが、実はまったく意見が合わなかったので隊長であるグリシーヌが強権を発動したらしい。考えてみれば彼女らしい選択だった。
彼女たちはまた、子供達の誕生に際しても、名前や生まれた時間、身長体重などが刻み込まれたオリジナルプレートを贈ってくれた。こちらはもったいなくて飾り棚にしまいっぱなし。
大きくなって独立するときに持たせよう、などと気の早いことを考えている。


さあ、アイロンかけてしまわないと。
紅蘭の手になる「あつあつくん」を取り出すと、とりこんだ洗濯物に向き直る。
しわひとつないぴんと張ったシーツほど、心地よいものはないとマリアは思う。
以前そう話したら、花組全員分のシーツにアイロンをかけさせられたことがあったっけ。
あの時の原因を作ったのは織姫だ。
シエスタの習慣のある彼女の場合、シーツにしわのない状態という時がなかった。ちょっと注意したら「だったらマリアさんが手本をみせてくださ〜い」となったのだ。
挑発に乗って帝劇中のシーツを集めてみたら、やはり一番よれよれだったのは織姫だった。
不思議に思って覗いてみると、その寝相たるや思わずブロマイドにして配布したくなるほどのものだった。
枕元に脚が向いているのはまだいい方で、お尻だけがベットにのっていたり、セミのように縁につかまっていたりと、ある意味見事な「技」が繰り出されていた。
そんな織姫もいまや人妻。あの寝相が旦那様に夜な夜な披露されているのかと思うと笑いがこみあげてくる。


……それにしても静かね。
マリアはアイロンを置くと、廊下を伺ってみる。
さっきまで床一面に絵本を散らかしていた子供達の声が聞こえない。いつもなら、兄妹喧嘩が始まって、まだあまり口の回らない娘が言いまかされて泣きついてくる頃なのに。
立ち上がって呼んでみると、思いのほか近くから返事があった。
レインコートと長靴を着込んで、庭の飛び石の上で跳ねている。
「どうしたの、その格好」
「おかあさま。雨がふりそうです」
息子が空を指差した。先刻までの青空はどこへやら、暗灰色の雲が広がっていた。
「かーたま、あめ」
娘は振り回しているのは夫の傘ではないだろうか。
「まあ、お父様ったら傘を忘れて行ったのね」
さりげなく取り上げて、思案する。帝劇にも置き傘くらいあるのだけれど……。
「僕、とどけにいく」
「あたしもっ」
子供達がマリアの心を読んだように先手を打った。
この子達の一番のお気に入りは「外へのおでかけ」なのだ。
マリアはにっこりとして宣言した。
「じゃあ、皆で迎えに行きましょう」


支度を終え、戸締りをする頃には、ぽつりぽつりと水滴が落ちてきていた。
「とーたま、どじだねえ」
娘は嬉しそうにいう。誰に似たのか、この子は父親をたしなめるのが大好きだ。娘に甘い夫がそれを素直に聞くものだから、どこまでも調子づく。
「しかってあげないとね、かーたま」
「そうね」
先を行く息子は、傘を振り回しながら、あーめあめふーれふれ、と繰り返している。
二人とも、天気が悪いくらいではしょんぼりもしない。元気なのはなによりだ。
水を吸わない煉瓦の道は、あちこちに小さな池を作っていた。
一人、前を進んでゆく息子はゴム長靴の底で、大きく波を立ててゆく。
「ね、かーたまは雨すき?」
手をつないでいる娘はマリアを見上げて訊いた。
「ええ。けっこう好きよ・・・・・・昔、お父様と二人で雨の中を歩いたこともあるのよ」
「ふーん」
あれはまだ、帝劇に織姫やレニが来たばかりの頃だった。
台風に備えて非常用のろうそくなどを買いに出たのだが、帰り道で振り出してしまった。しかもうっかりしていたことに、傘は一本しか用意していなかった。
夫は風雨や水たまりからマリアを守ろうとして、自分はびしょぬれになったものだ。
もっとも感謝の気持ちは、風呂をのぞかれたことで雲散霧消してしまったけれど。
でも、あれ以来、雨は好きだ。

道の両側の店ではひさしの先に出していた品物をばたばたと取り込んでいる。
仔犬が雨宿りの場所を探して通りを横切ってゆく。
梅雨時には、いつもの光景。
顔見知りの店主に軽く頭を下げると、彼は軽くマリアたちに手を振って見せた。
自然と顔がほころぶ。この何気ない風景はマリアたちが守ったもの。子らが生まれ、生きていくこの町はわが身を呈して救ったもの。
一足ごとに、娘の手のひらの温かさを感じるたびに、マリアは幸せをかみ締めずにはいられないのだ。
「早く来ないと乗りくれちゃいますよ」
歳の割にはいやに丁寧な言葉遣いの、もう一人の宝物はじれったそうに足踏みをしていた。
「今いくから。お兄ちゃん、傘振り回しちゃだめよ」
すかさず娘も真似をする。
「だめよ、おにいちゃん」
向こうから銀座行きの帝鉄が近づいてきた。



遅筆すぎです私。もはやバースデイSSでもなんでもないです。一応4を踏まえてます。
初期のイメージとしてはタイトルから、雨の中で歌って踊るなっちゃんのCM、だったんですが、進むにつれ無関係100%になってしまいました。
そういえば雨に走れば、クリア出来ません。むちゃくちゃ難しいです・・・・・・。