| 夢見る少女がおとぎ話の甘い恋物語に浸るとき、誰もがハッピーエンドを思い描く。 でも少女は気づかない。夢にはいつか終わりがあることを。そしておとぎ話には決して幸せな結末ばかりではないことを。 それでも少女はいつまでも儚い世界に想いを馳せ続ける。 いつか自分だけを愛してくれる自分だけのナイト、王子様が迎えに来てくれることを願って… 「ねえ、マリア。それで悪い魔法使いに囚われたお姫様はどうなったの?」 アイリスの問いかけにマリアはハッとなる。 「え‥と、そう。ごめんなさい、この続きは忘れてしまったの。今度書庫で調べてみるわね」 マリアはちょっとすまなそうにアイリスに答える。 ここはアイリスの部屋。 昼寝をする前にマリアにお話をせがんだアイリスは、途中までしか知らないというおとぎ話を無理に頼んで聞いていたのだった。 「アイリスね。きっと王子様がお姫様を助けて幸せな結婚をすると思うんだ」 「そうね。そうだといいわね」 ベッドに横になり、天井をじっと見つめていたアイリスはポツンと口にする。 「アイリスにも‥いつか王子様が迎えに来てくれるかな?」 マリアは笑顔で答える。 「もちろんよ、アイリス。何年かしたら素敵なレディーになって王子様みたいな男性に巡り会えるわよ」 だが、アイリスは変わらずぼんやりした口調でつぶやくように言う。 「アイリスは……お兄ちゃんがアイリスの王子様だとずっと思ってた。でもお兄ちゃんにはもう心に決めた好きな人がいるんだよね」 「アイリス……」 アイリスの言葉に返答が詰まったマリアは困ったような顔をし、ジャンポールを抱いて横になっている少女を見た。 大神とマリアが結婚の約束を交わしたのはつい先日のことである。 まだ二人だけの秘密でメンバーの誰にも話してはいなかったのだが、カンの鋭いアイリスには雰囲気や態度で気がついたところがあったのだろうか。 マリアが言葉をかけようと思ったとき、不意にアイリスは布団を深くかぶって言った。 「アイリス、眠いからもう寝るね。お話ありがとう。お休みなさい、マリア」 微かに拒絶の気持ちがこもったアイリスの話し方に、マリアは眉を寄せたあと優しく声をかける。 「お休みなさい、アイリス。夕食には起こしに来るわね」 静かにドアを閉じてアイリスの部屋を出る。 廊下を歩きながらマリアは思った。 (これから米田支配人やかえでさん、そして花組のみんなにも報告しなくてはいけないんだわ。支配人やかえでさんはともかく、みんなは何て言うだろう…) ことにさくらの反応を想像して、マリアは重苦しいため息をつく。 まだ発表はしていないとはいえ、婚約して幸せの絶頂にいるはずの未来の花嫁はあまり浮かない顔をしていた。 それはメンバーに対しての気遣いと申し訳なさの気持ちもあったが、更にもっと奥深いところでマリアを思い煩わせるものがあったからだった。 恐いくらい幸せすぎるから却って不安になる。 いつかこの幸福が崩れて、何もかも夢で終わってしまうのではないかという怯えがマリアの中に巣くっていた。幸せという境遇にあまり慣れてない生き方を送ってきたせいもあるのだろうか。 (大丈夫よ。隊長を信じていれば何も恐い事なんてないわ。そうよ、これは夢なんかじゃない。現実のことなんだから…) マリアは嫌な考えを振り払うように軽く頭を振り、サロンへと顔をだす。 そこにはさくら、すみれ、織姫という珍しい組み合わせのメンバーが午後のお茶を楽しんでいた。 「あら、マリアさん。わたくし自慢のお紅茶、召し上がります?」 「ええ、ありがとう、すみれ。いただくわ」 さくらが美味しそうなケーキを並べた皿をマリアに勧める。 「このケーキ、とっても美味しいんですよ。銀座でも指折りの洋菓子店で買ってきたんです。マリアさんもどうぞ」 「あら、ほんと。どれにしようか迷うくらい美味しそうなケーキね」 カップに口をつけた織姫が例の口調でしゃべりたてる。 「さくらさんにしては目の付け所がベリーグッドで〜す。ここのケーキ、わたしもファンになっちゃいました〜もう一個もらうでーす。それにしてもカンナさんがいなくてとっても良かったってカンジ〜」 ティーポットからカップにつぎながら、すみれもすかさず同意見を言う。 「そうですわね。あの食い意地の張った、がさつゴリラ女がいたらお茶やケーキは全部きれいに平らげて、このティーセットまで壊されてしまいますわ」 すみれからカップを受け取ったマリアは、心持ち顔を引き締めて注意する。 「あなたたち、他の人の分も取っておいてあげてね。外出から帰ってきたカンナが聞いたら怒るわよ」 「わかってますよ、マリアさん。あたし、一番美味しそうで大きなケーキ、ちゃんと大神さんにとってあるんですから」 取り澄ました顔のさくらが答える。 「あっ、ズルイで〜す!ぬけがけなんて言語道断ってカンジ〜さっさとわたしに寄こすで―す!」 「あらあらお二人とも。そんなチンケなケーキごときで中尉の心が動く筈ありませんわ。何といってもこのわたくしが真心を込めていれた美味しいお茶があればそれだけで充分ですもの」 嫌味たっぷり込めたすみれの言葉に織姫とさくらは同時に食ってかかる。 「そのチンケなケーキを3つも食べたのは誰ですか?すみれさん」 「誰が入れようとお茶の味なんて変わらないで〜す!」 マリアは苦笑してケンカの仲裁に入る。いつものように喧騒だが暖かな午後の楽しいひととき。 そのお茶の時間を台無しにしたのは、突然息せき切ってサロンに飛び込んできた由里の情報だった。 「た、大変ですっ、みなさん!今凄いこと聞いちゃいました!」 由里の様子にそこにいた4人は目を丸くする。 「どうしたんですの?まったくけたたましいといったら…」 そのすみれの言葉を遮って由里は一気にしゃべり出す。 「今、米田支配人のところにお客さんが来てて話の内容がちらっと聞こえちゃったんです。大神さんに海軍大臣の姪御さんとの結婚話が持ち上がっているようなんです」 一瞬の沈黙の後、さくらと織姫は一斉に騒ぎ出して由里に詰め寄る。 「そんなの嘘です!あたし絶対信じません、そんなこと」 さくらはワナワナ震えながら青い顔で叫ぶ。 「あったりまえで〜す!由里さん、いい加減なことを言うとえんま様に舌を伸ばされるで〜す」 「嘘じゃありません。私この耳ではっきり聞いたんですから。それにもうお見合いの日時とか結納のことまで持ち上がっていたんですよ」 すみれがスックと立ち上がってサロンを出ようとする。 「どこ行くんですか?すみれさん」 さくらの問いかけに、すみれは厳しい顔つきを向けて答える。 「もちろん支配人のところですわ。こんなところでギャアギャア言っても埒があきませんもの」 すみれはそう言って肩を怒らせ、サロンを出る。 「あたしも行きます」 「わたしもでーす」 後に続く二人。由里はおろおろして、三人の後ろを追いかけていった。 今まで騒々しいくらい賑やかだったサロンは急にシンと静かになった。 その中でマリアは黙って椅子に座り続けていた。表情はあくまで冷静である。 だがよく見れば、組んだ両手が細かく震えているのが分かる。 (落ち着いて。落ち着くのよ、マリア。まだはっきり決まった訳じゃない。そうよ、たとえその話が本当だとしても隊長が受けるわけがない。だって隊長は私と…) マリアは大神を信じることで心に無理矢理納得漬けさせていた。そしてそれに縋ることによって何とか平静を保っていられたのだった。 だがやはり心の隅に巣くっていた不安は増していくばかりである。 マリアはその場に座り込んだまま、カンナ達と外出した大神の帰りを今か今かと焦る気持ちで待っていた。 その日の夜―― マリアは苦悩に満ちた顔で星が煌めく美しい夜空の中、テラスに立っていた。 手は自然と胸元に伸び、ロケットの鎖に掛けてある銀の指輪を握りしめる。誕生石である小さな真珠のついたこの指輪は、大神がプロポーズしたときに、照れながら渡してくれたエンゲージ・リングだった。 月明かりでキラキラ光るリングを鎖から外し、そっと左手薬指にはめてみる。 こうして一人でいるときや、二人で甘い時間を過ごしているときはこの指輪をして幸せいっぱいの夢に浸っていた。 でも今は…… 「マリア」 突然声をかけられて反射的に振り向く。 そこには明かりを手に持った大神が立っていた。 「見回りご苦労様です、隊長」 二人の間に少しの沈黙が流れる。 外出先から帰ってきて以来、色々ごたごたしててやっと二人きりになれたというのに、マリアは微笑みを浮かべることさえできなかった。 あれからカンナやレニと買い物に出掛けていた大神は、支配人室前で大騒ぎをしていたすみれ達から事情を聞き、すぐに支配人室に入って結婚話を持ちかけてきた来客と話をしたようだった。 やがて部屋から出てきた大神は、そこにいたメンバー達にはっきりと結婚話を断ったと言い切ったのだった。 マリアは後で、その場にいたカンナからそのことを聞いても心から安心した気持ちにはなれなかった。 だから大神の本心を直接訊きたくてこのテラスでずっと待っていたのだ。見回りのときにここに来ることが分かっていたから。 大神はにこやかな顔になって静かにマリアに近づき、漆黒の瞳を真っ直ぐに向けて口を開く。 「やっと二人きりになれたね。ちゃんと君に詳しく説明したいと思ってたんだ」 マリアの胸におののきが走る。聞きたいと思って待ってたくせに、いざとなると耳を塞ぎたくなるような気持ちにかられてしまう。 それでもやっとの思いで掠れた声で尋ねる。 「結婚のお話を断ったとお聞きしてますが‥」 「ああ、もちろんだよ。海軍大臣の昵懇だという人に、その話は無かったことにして欲しいと丁重に断ったんだ。最初は目を丸くして驚いていたけど、自分の正直な気持ちをありのまま何度も伝えたら分かって貰えたみたいだった。米田支配人にはもったいないと言われちゃったけど」 そう言って、ちょっと笑いを浮かべいる間も大神の視線はマリアの瞳から離さず、じっと見つめ続けていた。 マリアは嬉しさが少しずつこみ上げてくるのを感じていながらも、思わず口からついてでた言葉は思っていることと全然別のことだった。 「後悔…してないんですか?」 その言葉に驚きの表情を示し、ほんの少し声を荒げてしまう。 「何を言ってるんだ、マリア。俺は君と結婚の約束をしたばかりじゃないか。断って当然だろう?」 「でも‥海軍大臣のご親戚と結婚したら将来を約束されたも同然ですよ?そんな大事なことをよく考えないですぐに決めてしまわれて良かったんですか?」 言いながらマリアは自分が情けなくてたまらなかった。 違う。こんなことを言いたいのではない。本当はその胸に飛び込んで迷わず自分を選んでくれた喜びの涙にくれたかった。 だが、意に反して真意を窺うような言い草をしてしまう自分に心が痛むほどの自己嫌悪に陥り、思わず視線を逸らしてしまう。 本当に嫌な女。信じていないわけじゃないのに、愛されているという実感をもっと得たくて、その言葉に思い切り酔いしれたくてつい求めてしまう醜い自分。 こんな可愛げのない、素直じゃない女を大神はどう思っただろう。 顔を見るのが恐くてうつむいたままのマリアに、大神は小さく笑顔を作り、両手をとって優しく握りしめた。 「俺は出世や地位のために軍人になったわけじゃないよ、マリア。それに、顔も知らないよく解らない人と生涯を共にする気なんか更々ないさ。前にも言ったけど、俺がこれからの人生を一緒に歩き、支え合って生きていきたいと思っているのは世界中でたった一人、マリア、君だけなんだから。これでもまだ俺が迷ってると思うかい?」 握られた暖かな手の温もりが、その力強い言葉が不意にマリアの心に激情を湧きあがらせる。 「す‥みません。私にはこの幸せが恐くて不安でいつもびくびくしてたんです。いつか夢で終わってしまうんじゃないかと心のどこかで感じてるのが消えなくて、安心を得たくてつい確かめるようなことを言ってしまって…私、私は‥自分が恥ずかしいです‥」 ポロポロと涙がこぼれる。後から後から溢れて止まらないほどに。 大神の前では心が丸裸になって何もかも晒け出してしまう。 そして、どこまでも貪欲に欲しがっているほど愛して止まないことを改めて思い知り新たな涙が込み上がる。 大神は優しくマリアを抱きしめささやいた。 「しょうがないなあマリアは。俺は何時だって君のそばにいて君だけを見つめているのに。そうだ!いいことを考えた」 マリアは真っ赤に泣き腫らした翡翠の瞳をあげて尋ねる。 「いいこと?」 「うん。明日の朝一番に米田支配人とかえでさんに婚約の報告をするんだ。そしてみんなにもね。それから来週には休みを貰って俺の実家に君を連れていくよ。もちろん結婚を誓い合った婚約者としてね。そうそう、式の日取りや準備や新居についてもいろいろ考えないとな。こうしてあれこれ忙しくなったらマリアが不安に思う暇なんてなくなるだろう?」 片目を瞑って良い考えだろ?とでもいいたげな顔をしている大神に、マリアはポカンとした顔をした後クックッと笑い出す。 「もう大神さんたら…びっくりして涙が止まっちゃいました」 大神はやっといつもの笑顔がでたマリアに、喜びを隠しきれない様子で言った。 「俺はね、マリアの笑顔が大好きなんだ。これからもその笑顔で俺を幸せにしてくれるかい?」 「はい。喜んで」 二人は固く抱きしめ合った。もうお互いに離れられないほど強く激しく。 マリアは大神の深い愛情に包まれながら、ふと思い出し笑いをする。 「何だい?」 「いえ‥おとぎ話の続きを思い出したんです」 魔法をかけられ、目には見えない空間に閉じこめられたお姫様は、王子様が探しに来てくれるのをただひたすら信じて待っていた。不安と心細さで涙にくれながら。 だが王子様は見事に悪い魔法使いをやっつけて、迷わずお姫様を見つけて捜しだした。 そう。幸せに満ちた二人は誰もが羨むような祝福された結婚をしていつまでも仲良く暮らすのだ。ずっと永遠に…… 不思議な顔をする大神に、マリアは微笑んで微かに首を振り身体を預ける。 その後闇の中で一つに溶けあった二人は、互いの温もりを心地よい気持ちで味わい、安らかな眠りについた。 Fin. |