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2002/09/27(金) がっかり。

10月に父が来てくれるはずだったのだけど、 来られなくなったって電話がありました。
「あらあら、そんなことでがっかりしているの?」 って笑われそうだけど。 楽しみにしていたの・・・(くっすん)。
母によく「あんたはパパっ子だからさぁ」って笑われていたのだけど、
30もとうに過ぎてもそう言って笑われて、反論していたのだけど。 今日のわたしのがっかりしようでは・・・
やっぱり『パパっ子』だったのかぁ〜〜〜〜(笑)。

2002/09/28(土) 中洲の帝王の娘に生まれて。

九州一のオトナの歓楽街・博多・中洲 おこちゃまはお呼でない。
以前なら今はさびれ切った『親不孝通り』。 今なら『大名あたり』が子供の遊び場。
オトナ
。 それもおじさま方の遊園地。 それが、中洲。
そんな中洲には何人か、いや何十人か、いやいや何百人かもしれない『帝王』と呼ばれる人たちがいる。
わたし自身も何人かは知っている。 そして、一番身近で『帝王』と呼ばれた人・・・
それがamamiパパ(笑)。


実際にお付きにさせていただいたことがないので、その豪遊ぶりはどのくらいのものかは目にしたことがない。
ただ。 物心ついた頃から、父は週4日は午前様だった。5日の時だってあったわけだ。
そのうち2日が接待麻雀だったとしても、
約30年間、2日以上の中洲通いだったと見て良かろう。
行っていない店などないのではないのだろうか?
高度成長期から、バブルを乗り越え、もうすぐ定年間近の営業一筋の男・・・。
接待・接待・接待・・・でも楽しんでいたはず(笑)
2時だろうと3時だろうと、ぐでんぐでんに酔っ払って帰って来たことはない。
まあ、匂いは漂っていたが。 (あんまり実は飲んでなかった=飲めなかった説あり。)
翌朝は、ちゃんと自分で7時に起き、出勤。乱れはない

いつぞやか、父が50過ぎた頃か、 「死なん(死なない)か心配〜。毎日遅くて・・・」 という娘に、
帝王の妻は言った。
お父さん、老けんやろ〜が。恥ずかしかよ。50になっても髪黒々で、あたしの方が6つも下なのに、老けてみられてからくさ!中洲通いは楽しいから、あ〜やって若若しくできと〜とよ!心配無用!!」 と言い放った。
以来、そんなもんかもな・・・と思うようになった。

さてここに中洲の帝王の帝王っぷりを、間近で見た男の貴重な証言がある。 Mくん(33才)だ。 ***************************

「とにかく自分じゃ絶対行けないような高級クラブに連れていかれる」
「行く店行く店、ママが寄ってくる」
「常連なのかな?って思ってたら、『1年ぶりね』とかって言われている。」
「行きつけでもないのに、なんか人気者っぽい」
「1軒1軒の時間が短い。次々にはしご・・・」


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・・・まさに帝王・・・うらやましくある。

わたしが男だったら、父は中洲に連れていってくれただろうか?
母は、いろいろ思った時期もあったようだが、自分の人生を楽しむようにしたようだ。
(こんな夫は、ちょっと辛くもある。母はえらい)
娘たちは、そんな父を嫌うこともなかった。 『お仕事だから』と信じこんでいたから。←素直過ぎ
(実際は半分は遊びだったやろ!?と今なら突っ込む)。
母が看護婦復帰して、夜勤でいない日なんかもあって、
グレてもおかしくない状況下が作られていた時期だってあった。
まあ、帝王も帝王らしくえらかった。
遅刻・欠勤もせず、給料はすべて母に渡し、ギャンブルはせず、日曜は必ず子供たちと遊んだ。

今だ現役の帝王。 遠く名古屋から応援しております。 体には気をつけてね(健診異常なしで良かったね)。


2003/01/04(土) 交差点では駆け出すけれど 手を振るときはきゅんp(^^;)とくるね

父が大晦日から2日まで名古屋に来てくれていました。
っんだよ〜タイトルとなんの関係があるんだよぉ〜・・・ っとつっこんだアナタ!
浅い、あさ〜〜〜〜〜い!!

空港に送っていって、 搭乗口に消えていく、何回も何回も振り返り、手を振りながら・・・
そんな父を見ながら、amamiはぐっと涙を堪えていたんです。
胸の奥はきゅんきゅんきゅぅ〜〜〜〜ん!です。
涙も階段降りながら、ぽろぽろぽろりんです。

そしてそんなamamiの肩には、その日父から買ってもらった
『afternoon tea』のでかい福袋
と、 ついでに・・・と買ってもらった
サトさんへのお年玉? シャア専用ザクのプラモデル
が・・・。



誰よ〜ちゃっかりしてるなんて言ってるのは〜〜〜〜(笑)!


2003/05/02(金) 泣く女。

別に特別泣き虫ってわけではないんですが。
むしろ、人に涙を見せるのはいやなタイプで、 (まぁ、サトさんの前だと泣いたりしてますが)
堪えに堪えて、ひとりでお部屋で泣く・・・ っていうタイプです。 (あ、あと映画館は例外。泣くさ!・笑)
ですが。 それは知らない人の前ではあまり適用されていませんで(笑)
実は『別れ』に弱いタイプなので。
いつまでたっても慣れない。

サトさんと遠距離恋愛中は、サトさんが新幹線に乗って、
手を振って、新幹線が見えなくなる頃、メールが来る・・・。
階段を降りながら、ぽろろんぽろろんと涙がこぼれてきていました。

今は福岡に帰省してから、帰る時。 見送ってくれる人と別れて、
搭乗口をくぐると、ひょ〜っと涙が出てきます。 拭き拭きっ、としても5、6つぶはこぼれます。
この間は妹たちを見送った名古屋空港でやっぱり 搭乗口に入った妹たちに手を振って、
一生懸命振って、 妹たちが見えなくなった後、ぽんぽろりん。

今日も名古屋空港で、中洲の帝王の後姿が搭乗口から見えなくなったら、
ひとりでとぼとぼ空港内を歩いていて、泣けてきました。 やっぱり5、6つぶ。



「あ〜泣いてるな〜辛い別れなのかな〜?泣き虫なのかな〜?」 なんて。
きっとすれ違う人は思っている・・・。 いや、気がついてもいないかもしれない。



縁もゆかりもない『泣く女』。



5分くらいすると。 気持ちは大体切り替わっています。 わたしの良いトコロ(多分)。
自分が見送る側の時は、まっすぐ家には帰りません。
デパートなどで、3、4時間キレイなもの 好きなもの、楽しいもの、かわいいもの・・・
いっぱい見て、お腹いっぱいにして(笑) 我が家に帰るのです。
「今着いたよ!」と連絡がある頃には、 わたしは元気になっている。
いつも通りのわたしに戻っていて、 淋しいキモチも落ち着いて、
さぁまた明日からガンバロウ!になっているのです。
(『今日』はがんばらない!家事も放棄!ごめんなさい^^;)


2003/06/05(木) 伝説の親不孝者〜ある親不孝通り物語。

時は忘れもしない平成元年。
就職して2ヶ月経った頃だろうか。
中学時代の友人百恵(仮名)に誘われ、奄美(仮名・当時20)は、
今の寂れきった『親不孝通り』ではなく、 きらきらと輝く、親不孝どもの夜の遊び場に繰り出したのだった。

福岡の北天神に『親不孝通り』はあった。 今はなき、某地元予備校があり、
そこに通う浪人生が通ることから、 最初はこの名がついたのだ、と聞いた。
昭和の終りから平成の始め。 『バブル』と呼ばれた時代。遊び呆ける『新人類』たち。


「仕事、どう?」 高校卒業後すぐに、美容業界に就職した百恵は、社会人として先輩。
奄美は自分の持っていた理想とは違う看護の世界の現実を目の当たりにして、
ちょっぴりがっかりしていた時期だと思う。
たくさんの愚痴を吐き、浴びるようにお酒を飲んでいた。


お酒は、好き。 ふわふわ〜となる感覚はとても好き。
でも、慣れてなかったのだろうと思う。 自分の限界がはっきりわかってなかった、若い頃。
ウイスキーをふたりで1本、短時間に空ければ・・・。


気がついたら、ネオンがキレイだった。
「?」 奄美は何時の間にか、見覚えのある車の後部座席に乗っていた。
「??(-_-)」 運転していたのは、中洲の帝王だった・・・。
そして、高校生の奄美の妹・淳子(仮名)が乗っていた。



大失態・・・である。
親不孝通りで、飲みすぎて気を失った奄美。
百恵は『こりゃーやばいことに』と思い、 奄美の家に電話をして、謝ったらしい。
結果『親不孝通りにはずかしい親不孝者を迎えにきた親=中洲の帝王』。

奄美はひとり暮しをしていたのだが、 その日は実家に連れて帰られた。
誰も、怒らなかった。 父も、母も、妹も。 みんな、呆れていたのかもしれないが。
でも、本当は、疲れている奄美をわかっていたのかもしれない。
客間には、布団が敷いてあって。 「ごめんなさい」 と泣きながら眠りについた。

翌日、奄美は6時半に起こされた。
トマトジュースを出され、それを飲んだら、父がアパートまで送ってくれた。
その日は朝からの仕事だった。
少し痛む頭を抑えながら、職場へ急ぐ。

朝日がほんとにまぶしいなぁ・・・と思ったことを、 15年経った今でも奄美はっきり覚えている。



「お酒強いね」 初めて会った、殆どの人が奄美に言う。
お酒、好き。
いまでも奄美は懲りていない。
飲む機会も、飲む量も、すっかり減ってしまっているが、 それでいいんだと思っている。



あの日以来、気を失ったことは、とりあえずない(笑)。


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▼親不孝通り▼
『親不孝』なんて名がいかんとかっていって、 『親富孝通り』とかふざけた名称にしようかという話が
出たりとかもしていたが、どうなんですかね? そのせいで寂れたんじゃ・・・。
正式名称『天神万町通り』←あまり知られていない。

amamiが良く行っていたトコロ

高校生   洋麺屋『ピエトロ』  (本店だよ〜♪パスタはココか、新天町の『せんなりや』)
バブっていた時期    ディスコ『maria club』  
(巨大ディスコ。TMNのアルバムにはこのディスコの歌が・・・)
〜バブルはじけ後   居酒屋『洗濯船』   (生シャンソンが聞けます)  
沖縄料理『山猫屋』   (初めてココで沖縄料理を知った。はまった)  
スペイン料理『BOBO(ビオビオ)』  (フラメンコを習うきっかけになった 不定期でフラメンコライブあり)  
映画館『シネテリエ天神』  (ミニシアター いろんなマイナーな映画を小さいスクリーンで観ました)

まぁ、今は昔、の話ですけどねヽ(^_^)ノ

2003/06/15(日) 親不孝万歳!@父の日 〜見透かされてる?

父の日ですね〜。

中洲の帝王(amamiパパ)にはおととい 『ミッキーマウスのぬいぐるみ電報』を打ち、
サトパパには『靴下2足』を昨日高島屋で買ってきました。


さて。 電報を打つ時115に電話しますよね。
何故かわたしが115すると『九州センター』に繋がります。 (今まで打った3回とも・・・)
全部『九州センター』が請け負っているんですかね??
今回もそうだったんですけど、ま、それは気にせずに、
「ミッキーマウス電報で〜」と頼み、 電話番号、名前を告げ、相手住所を言い、文面を依頼。
スムーズにことは運びました。

「では繰り返しますね(^-^)」 とN■T九州センターの●木さんは言いました。
すらすらすら〜っと漢字をわたしに確認しながら、 必要事項を確認していきます。

「・・・で、相手方さまの名前が、漢字が・・・」 ふむふむ。

「・・・で、『通』(うちの父の名前にはこの字が入っています)が、
親不孝通りの『通』ですね(^-^)」


・・・はいp(T-T)
ぐっ


確かに九州センターだし。 親不孝通りは有名な通り名だし(でも正式名称じゃないし)。
福岡に向けて打ってるんだから、わたしのことも福岡出身だろうと 思ったんだろうし。
でも。

一応父の日電報だし〜〜〜〜〜〜!!ヾ(^^;)

N■T九州センターの●木さん。 かなりウケました。

タイムリーに、■6月5日■の日記に書いたばかりだったしね。
はぁ。父の名前には親不孝通りの『通』が入っている・・・。


運命かしら(笑)。