第4章  さまよえる狛犬――井の頭弁財天の巻  

 狛犬や、神使というのは、ないがしろにされるものです。というのは言い過ぎかもしれませんが、軽んじられていることは確かです。

 例えば、このサイトの「青梅の神使」でも紹介している武蔵御岳神社の猪は、修繕工事の後、左右が入れ替わってしまいました。

 また、このページで紹介されている亮朝院の狛犬ですが、私が1996年4月に見た時には、参道に平行に設置されていたのに、どうやら今は参道に直角に置きかえられているようです。

 ことほどさように、寺社の都合で、どうとでも扱われてしまうのが、狛犬・神使の悲しさです。

 さて、表題の井の頭弁財天ですが、ここにも、そんな歴史があります。

 今、井の頭弁財天を訪ねると、社殿の前に、一対の狛犬がいます。明和8年(1771)設置とされるもので、独特の姿をしています。私の特に好きな狛犬の一つです。

井の頭弁財天の狛犬
この顔がお気に入り

 

 この狛犬、初めからここにいた訳ではありません。

 例によって、古い絵葉書を見てみます。これも、製作年ははっきりしませんが、遅くとも大正から昭和の初めくらいといったところでしょうか。

 この絵葉書では、狛犬はこんな所にいます。これは一体どこでしょうか。

「井ノ頭弁財天社頭」の絵葉書(上)とその拡大
宇賀神像

 

 場所のヒントになるのは、狛犬の右手に写っている、不思議な石柱です。これは宇賀神の像です。柱の先端に彫られている不気味な像が宇賀神です。宇賀神というのは、人面蛇身の女神ということで、こんな姿をしています。ちなみに、宇賀神は水神で、時に弁財天と同一視されることもあります。弁財天の代りに七福神に入る場合もあるそうです。

 さて、これがあるのは、弁財天社南の土手の上です。井の頭弁財天は、井の頭池の中ノ島にあるので、当然周囲より土地が低い。特に南側は高い土手になっているのですが、その上にこの宇賀神像はあります。つまり、かつて、この狛犬は、その土手の上にいたわけです。

 この写真ではわかりませんが、狛犬の背後には下へ降る石段があり、その向こうに弁財天社があるわけです。

 話はこれで終りません。もっと時代をさかのぼってみましょう。

 『江戸名所図会』という書物があります。狛犬をはじめ、江戸文化に興味のある人なら、一度は目を通したことがおありでしょう。最近はCD−ROM版も出ていますが、私には高くて買えません。それでも、原本を古書店で購入するよりは安いのですが。

 それはともかく、その中の、「巻之四 天権之部 第十一冊」に井の頭弁財天の姿が描かれています。

 この『江戸名所図会』の長谷川雪旦による挿画は、現地取材に基く、非常に写実的なものとして知られています。その絵の中に、狛犬の姿があります。

「井頭池 弁財天宮」の図(左)とその画面右端中央部の拡大。
石段下に狛犬、鳥居の向こうに宇賀神像らしきものが見える。

 

 社殿南側の土手の下を見てください。石段を降りきった所に、土手の方を向いて、狛犬が一対置かれているのがわかります。

 参道の順路からいって仕方がないとはいえ、土手の方を向いた狛犬というのは、私は見たことがありません。とても落ち着きの悪いものです。

 ちなみに、先程の絵葉書で狛犬がいたのは、この石段を登りきった所です。

 おそらく多くの人が、この位置に狛犬がある事に違和感を持っていたのでしょう。それで、石段の上に持ち上げた。ところが、その後、さらに何らかの理由で、社殿の前まで移動したわけです。

 こういうのは出世と言って良いのでしょうか。とりあえず、場所的には、だんだん良い場所に移動しているようには見えます。

 もっとも、現実には、池の整備やら何やらで移動を余儀なくされたのだろうと睨んでいるのですが。

 ところで、それとは逆に、ずっと移動していないものがあります。それは先程の宇賀神の像です。『江戸名所図会』の絵をよく見てください。土手の上に、あの像と思われるものが描かれています。実は、この宇賀神の像は明和4年(1767)に建てられたもので、狛犬とは4年しか違いません。ところが狛犬が少なくとも二度、場所を替えているのに対し、宇賀神の方は200年以上、あの場所に留まっているのです。

 このあたりは地元の人に聞いてみないとわかりませんが、ひょっとすると、あれを動かそうとすると、祟りがある、などという言い伝えでもあるのかもしれません。かなり不気味な像ですから。

 そういえば、東京の人なら誰でも知っている、井の頭池でボートに乗ったカップルは別れるという噂、あれの源は、案外この宇賀神像にあるのかもしれません。

 ちょっと狛犬から離れてしまいましたが、さまよえる狛犬と、動かない宇賀神の一席でした。