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第22章 消えなかった狛犬と消えた獅子――台湾神社再訪
2007年11月、およそ10年ぶりに台湾を再訪しました。
前回台湾を訪ねた時に思ったことをかつてこのような文章にまとめましたが、それから10年近い歳月の間に、様々なことがわかり、今回はついに台湾神社の狛犬と出会うことが出来ました。
以前書いたように、台北市街の北側、剣潭山にそびえる圓山大飯店は、日本統治時代の台湾神社の跡地に建てられたものです。
少し詳しく書くと、台湾神社は明治三十四年(1901)に創建されましたが、昭和十年(1935)に台湾神社の造替が決定し、隣接地に新しい境内を整備して新社殿を建設することになります。新社殿の建物は昭和十九年(1944)にほぼ完成していましたが、祭神を移す前に新社殿の側に飛行機が墜落したため、大部分が炎上してしまいます。その後、結局は終戦までに新社殿は完成しませんでした。
圓山大飯店が建っているのはその新旧二つの社殿のうち、創建時からの旧社殿跡になります。
さて、前に書いたように圓山大飯店の正面には中国式の獅子像があるだけで、狛犬はありません。
ではどこで台湾神社の狛犬と出会ったのか。
実は、台湾神社の狛犬は移設されていたのです。
圓山大飯店の向かって左側の斜面を下った所に、剣潭公園というごく小さな公園があります。
狛犬はそこに移設されていたのでした。
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上の狛犬の写真は位置が「阿吽」になるように配置したが、実際には「吽阿」になっている。
右の写真は狛犬越しに見た圓山大飯店。
左下の石段の上に狛犬がある。
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こちらをご覧いただくとわかるように、この狛犬はおそらくは明治年間には設置されていたと思われます。
おそらく創建時からあるものでしょう。
ただ、いずれの写真も狛犬が小さくしか写っておらず、この狛犬が間違いなく台湾神社の狛犬であるという証拠とはしづらいものばかりです。
そのため、数年来、確実な証拠となる写真を探していましたが、そんな写真が見つかりました。
これです。
『日本統治下の海外神社』(菅浩二 弘文堂 平成十六年)に掲載されていた当時の絵葉書です。
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絵葉書の全景(上)と右下部分の拡大(下)。
日本式狛犬の手前に中国式の獅子がある。
掲載されている本でのキャプションは
「官幣大社台湾神社:参道より社殿を望む。当時のおみやげ用絵葉書より。」
となっている。
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これによって剣潭公園の狛犬が台湾神社の狛犬であることは確実になりましたが、同時に新たな謎が生れました。
圓山大飯店の中に入ると、圓山大飯店の歴史を写真パネルで紹介しているコーナーがあります。
その1枚に、こんな説明文がついています(中国語・日本語・英語で表記されており、そのうちの日本語のものをそのまま書き写した)。
林家石獅子
広場に置かれた一対の石獅子は百年に近い歴史があります。日本人が神社を建築する際に、板橋の林家に奉献させたものです。この中国南方式の石獅子は牌楼下方の石獅子より、年代も古いし、体も小さいですが、たくましく気勢のある彫り方により、生き生きとさせています。
≪板橋の林家≫と書くと、なんだか日本人のようですが、もちろん≪板橋≫は台湾の地名で、≪林家≫は台湾人の富豪の一族の名です。
この説明通りなら、私は前回圓山大飯店に来た時に、既に台湾神社の≪狛犬≫を見ていたことになるわけです。
そう言われれば、確かに『日本統治下の海外神社』掲載の絵葉書には、狛犬とともに、中国式の獅子が写っています。
しかし、これが謎なのです。
よく見比べるとわかりますが、今あるものと、絵葉書のものは別のものなのです。
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上が現在圓山大飯店前の広場にある獅子で、パネルでは≪林家石獅子≫とされる。
絵葉書の獅子とは顔の向きや持ち物が違っている。
絵葉書の獅子は『銭』を持っていると思われるが、現在のものは向かって右は子獅子を連れている。
ちなみに左の写真は牌楼下の獅子。
10年前に来た時にはちょうどこのあたりを工事していたと記憶する。
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これはどういうことでしょう。
パネルの説明が正しいとするならば、台湾神社には林家の獅子と絵葉書に写る獅子の2対の中国式獅子が設置されていたと考えるしかありません。
となると、台湾神社は官幣大社でありながら、日本式狛犬より中国式獅子の方が数が多かったことになります。
パネルの説明を素直に受け取るならば、林家の獅子は台湾神社の創建時に奉納されたことになります。
しかし、こちらの写真を見る限り、少なくとも昭和6年以前には狛犬とともに絵葉書に写る獅子は存在していません。
ただ、林家の獅子は全く別の場所にあったと考えることは可能です。
逆に、パネルの説明が単なる地元に残る伝説で、裏付けの無いものである可能性もあります。
その場合は絵葉書の獅子こそ林家の獅子で、今ある獅子は何らかの形でそれと混同されてしまっただけの別物であると考えることも出来ます。
もうひとつの解釈としては、日本式の狛犬こそが林家の奉納によるものであるという可能性も考えられます。
しかし、官幣中社である台南神社にも日本式狛犬と中国式獅子があることを考えると、日本人が造った神社に中国式獅子を設置することに何らかの意味を込めていた可能性があり、その点からはこの解釈は可能性が低い気もします。
今のところ、その真相はわかりません。
圓山大飯店建設の際に、参道にあったもののうち日本式狛犬は排除したが、中国式獅子は残した、というストーリーなら、話はすっきりするのですが、事はそう単純ではないようです。
いずれにせよ、絵葉書に写る獅子が今はどこかに消えてしまっていることだけは、間違いありません。
(080403追記)その1
上の文章で触れた謎の獅子は、現在は台北市内の二二八和平公園に移設されているとの情報がありました。事実のようです。
(080403追記)その2
「台湾神社誌」(台湾神社社務所編纂 大正5年4月3日発行 昭和3年2月15日4版)というものを入手しました。
この中に、『十 奉献金品』という項目があり、そこに下記の記述がありました。
明治三十四年
九月十三日 石造獅子 一対 板橋 林本源
これがすなわち「林家奉納の獅子」ということでしょう。
興味深いのはこの日付で、神社そのものの鎮座式が明治34年10月27日に行われているので、この獅子は台湾神社が鎮座する前の建設段階から設置が進められていたことになります。
同じ項目に、このような記述もあります。
明治三十五年
七月十三日 石造獅子 一対 在台湾陸軍高等官
これが剣潭公園にある狛犬のことでしょうか?
しかし、同じ書物内に下記のような記述があることが引っかかります。
明治三十五年
二月十六日 石高麗狗 一対 台南 植木儀三郎
この記述は、上とは異なる『十二 台南御遺跡所奉献金品』の項目に記載されています。
≪台南御遺跡所≫は、台南神社の前身ですが、大正12年に台南神社として独立する以前は台湾神社が管理を行っていたため、この書物に記載があるわけです。
こちらでは「高麗狗」の語を用いながら、一方で「石造獅子」と書いているのが気になります。
しかも、同じく石造獅子と表現されているものは、間違いなく中国式獅子です。
『十 奉献金品』の項目には、昭和3年2月11日付の奉献品までが記載されていますが、その中に獅子あるいは狛犬はこの2点だけです。
その一方で、台湾神社には本文で触れたように昭和3年の時点までに林家の獅子、二二八和平公園の獅子、剣潭公園の狛犬の3対が存在していたと考えられます。
この矛盾をどう考えるか?
一つの解釈は、明治35年の石造獅子は二二八和平公園にあるもので、剣潭公園にある狛犬は、初めから神社の付属物として設計の構想の中に入っていたものであって、奉献品ではないので、この項目に含まれていない、という考え方です。
しかし、それについての記述は見出せませんでした。
ちなみに、この書物には狛犬や獅子が写った写真が掲載されていません。そのため、どれがどれを指しているのか、不明確なままです。
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