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一時帰省(8)旧友一家の想い出
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〈 Tue, 30 Dec 2003 〉
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11月26日、サトーさんに芦屋駅まで送ってもらい、ハタさんと電車を乗り間違えたか森ノ宮に出る。環状線に乗り換え鶴橋へ、その昔梅田界隈で働いていたころ毎日の通勤電車だ。慣れた感じで近鉄線で乗り換え、目新しいのは切符の精算を自動キカイでするくらいか。
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●お世話になった赤塚さん一家
今日は赤塚幸司さん(ノルウェー沿岸クルージングで一緒の親友)と会う約束が、昨日から今朝も連絡がとれない。昨日沖縄から帰ったはずだが、彼が間違うはずはない。おれまたどっかで軽率したらしいが、はて。とにかく家のある石切駅でおりて公衆電話で確かめよう。あいかわらず留守、あきらめる。 |
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それでは、と今年92才で他界したご母堂さんの仏前にごあいさつしておきたいので麓の実家への坂道を下ってゆく。石切神社へおりる長い参詣道で、両側にギッシリみやげもの、雑貨屋、食堂が並び、「坂本のあかまむし」本舗などがあり小生にはオドロオドロしい。ふつうは並行した別の住宅道を歩くのですが。今日は思いきって参詣道を確かめるかのように歩いてみる。明るく小綺麗になりオドロしさは影を顰め、適当に俗っぽさがある。相変らず人が多く「いしきりさん」はなんの御利益で有名なのか、神社の前で同じところをグルグル回って「願かけ」する人が何人もいる。それも若い人が。異質というより「ときを超越した場所」はサイレント映画をみるよう。
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中の兄さんが住む実家のベルを押すとさいわい、兄さんが「おうっ」と顔をだす。たすかったぁ。いまジムから帰ったばかりで、弟夫妻も一緒だったがあちらは指導員のプログラムをおわったあと、プールとサウナにはいって来るので1時間半ぐらい待てとのこと。ケイタイは着替えているから通じないがメッセージをいれてもらって、ご母堂の仏前に「お世話になりました」とお礼。実際この家に無断で住みついてむちゃくちゃ世話かけた頃があった。それでもこの迷惑な息子の友達を好いてくださったのか以来仲よしだった。仏前で遺影を見上げ、ご母堂とのエポックが終わったことにハっとする。
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幸司夫妻を待つ会いだ兄さんと雑談。お葬式の写真アルバムと妹さんがパソコンで作ったほのぼのとしたアルバム・お母さんの一生を見せてもらう。高女時代の写真、若い娘時代の写真がある。わが母にもそのような写真があり、一日がかりで宝塚歌劇にいくのが最高の思い出とそのころの歌を口ずさんでいました。赤塚お母さんはどうなのかな。お掘端に蔵が二つ立っている場所で撮った写真をさして、兄さんは母の実家前だという。こう格式のある家娘では宝塚はご法度だったろうな。そういえば、住みついていた20代はじめ、ベートーベンの「運命」全SP10枚くらいが納まった箱が無造作に積んであるのを見つけた。父君の遺品だろう。戦争のムゴイあらわれ。
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赤塚家は父君が戦争で亡くなられた。だから赤塚家はみな戦争がキライ!天皇なんぞ知るものか、なのである。うちの父親はコンペイ唐をみやげに帰ってきたせいか、私のタカ派的見解は赤塚さんに認めてもらえない。ムベなるかな。話しをもどそう。まるっこくて可愛いお母さんはその実、強じんな肉体と精神の持ち主だった。子供4人を立派に育てたのだから。ま、ここの家系はみな秀才で、その点でうちの母は苦労している。そんなわけ中学時代、ボクは秀才赤塚クンの「ひっつき虫」をしていました。
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そうこうするうちに幸司夫妻が伝言メールをみてやってきた。朝から4時間運動してきたとさ、退職後、ほとんど毎日おしどりでジム通いしたりテニスで体を鍛えているのでハラがスマート。いいですな。さて今日会う約束だが、沖縄行きは12月だという。赤塚さんから帰省は○○月26日ですね!と前もって確認メールをたしかにもらった。よく読みもせずハイそうですと返事したのが運の尽き、○○月が12月だったとは・・。
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間違った予感はあったので今夜は奈良に帰ってハリーさんと食べる約束をしておいた。充分喋ってから駅まで送ってもらい今日はお別れ。(了)
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