![]()
----------------------------------
恩讐の彼方に、米とカダフィ
----------------------------------
〈 Tue, 27 Jan 2004 〉
|
●38年ぶりの公式訪問
「38年ぶり」をサラリと受け取る人はオジンです。38才未満の人には思い出の外にある歴史年代にすぎない。それほど長くアメリカとリビアは互いに公式接触がなかった。1969年に王制を倒したカダフィ大佐が関与したテロ事件は数多く、カダフィのお世話になった各国のテロリストもまた数多い。リビアに亡命したロリストには日本赤軍もいる。1970年代のイツ赤軍(RAF:Rote Armee Fraktion)など、独・仏の古典的テロリストはカダフィを頼れば客人待遇で迎えられ、あのころの欧米に対するテロはたいていカダフィが関わり、アラファト一味はミュンヘンオリンピック事件のようにもっぱらイスラエルとユダヤ人をテロっていました。 |
|
日曜日、米の議員団が38年ぶりにトリポリに降り立ち、クルト・ウェルドン団長一行は平和利用核研究施設を見学しカダフィ大佐を表敬訪問。カダフィの核放棄表明により、ここへきて急激に国際社会復帰が確実になった。米は今年中に経済制裁を解き外交正常化をはかるだろうといわれている。
|
|
●18年の怨讐をこえて
互いに過去を水に流してカダフィ大佐は柔和な表情をみせている。以前のコラムにも書いたように、1986年、カダフィは住居の寝込みを爆撃され、家にいた使用人や養娘を殺された。本人は砂漠のテントで野営していたのでぶじだったが、ウラミは死ぬまで消えないだろう。と、わたしはおもう。しかるにカダフィも相当ヒドイことをしたからで、あの米軍のトリポリ空爆はドイツ駐留の米兵が集まるディスコをリビアのテロリストが爆破した報復である。米はカダフィ暗殺に失敗し、さすがリーガンとサッチャーの頃といえ首長殺害をやりなおしするわけにもいかず、この年、リビアに経済制裁を課したのである。あれから18年が流れた。 |
|
夜襲に無事生き残ったカダフィは89年にUTA 722機をサハラ上空爆破して170人の犠牲者を、翌年イギリス、ロッカビー上空でパンナム機を爆破して、270人の犠牲者を血祭りに上げた。あれは自分が狙われたウサ晴らしだったのか、どこまで関与したか明らかではないが、並みの悪人にはできない蛮行です。しかしこの悪人は公式に関与を認めていないので、誰と会っても臆することなく華やかなカダフィ・ファッションで柔和に澄まし込んでいられる。
|
|
余談ですが、UTA機 ではフランスの犠牲者が多く、カダフィと独自に早く合意して慰謝料をとってしまった。米英の犠牲者が多かったパンナム機の慰謝料交渉は長引いたが、昨年夏とてもよい賠償金にカダフィが同意したところ、フランスが自分たちが少なかったのを不公平とゴネだし、結局上積みしてもらうが、ことほどさようにフランス外交は国益優先、EU取り込みに熱心なのである。
|
|
●幕やの会見
爆破されたカダフィの邸宅の跡地はそのままにして伝統的な「幕や」が張ってある。カダフィは米議員団をこのテントへ招き入れて会談した。なぜこの場所でなければならないのか、カダフィに聞くよりほかないが、アメリカ人の身になれば『オレはここで危なく殺されるところだった』と言われているようで「わだかまり」があります。慇懃にならざるをえない。思うにカダフィは砂漠の移動テントで寝るのが好きで、英米のジャーナリストとインタビューするときもよくテントのなかでお茶を前にアグラを組んでいる映像をいくつかみたことがある。ま、あまり他意はないのかもしれない。 |
|
アメリカは石油を買いたい、リビアは売りたい石油がタップリあります。平和な取引が開かれるのは世界のためによいことです。(了)
|
![]()
![]() |
|
Pnorama Box制作委員会 |