1.27
さあ、目覚めなさい。
「……? 私は死んだはずでは?」
あなたは死んでいません。
さあ、目覚めるのです。
うっすらと目を開くと、天井が眩しいくらいに真っ白だった。その割に、周囲は暗い緑色に包まれている気がする。
なんだろう? 周りを、緑の衣服に身を包んだ医者たちが自分を見下ろしている。
ああ、ついに改造人間にされてしまうんですね。
飛泉は遠のく意識の中、どんな機能が増やされるのか考えた。
「……え?」
何か冷たくて飛泉は目を覚ました。
「……なんですか、これは?」
飛泉は辺りを見回した。周囲は真っ暗で、飛泉がいる場所だけ天井から白い明かりが灯されている。
しかし、飛泉は自分の現状が尋常でないことに気づき、戦慄した。
飛泉は何故か水色の浴衣を着せられていた。しかも襟元を大きくはだけられてへそまで見えている有様だ。さらに尋常ではないのは、その浴衣が濡れていることだった。どこぞの屋内の中に岩山が築かれ、小さな滝と小さな川が用意されて、その浅い川の中に飛泉は座らされていた。
「目覚めたかね?」
スポットライトの明かりの中に、白衣に覆面の男が入ってくる。噂のDr.Yだ。
「君の身体は思っていたほどサイバー化されていないのだね。体内にナノマシンを飼っているのには驚いたが、まあアクシズのボンボンなら不思議もないか」
「あなたは?」
飛泉がそう訊ねると、Dr.Yの背後に一名ずつ、五名が明かりの中に入ってきた。
「ドクターは天才です」
「ドクターは偉大です」
「ドクターは酔狂です」
「ドクターは変態です」
「ドクターは世界一です」
「うむ」
取り巻きたちの褒めそやしと一部例外は覗き、満足げにDr.Yは頷いた。
「私は天才なる遺伝子工学の権威であり、サイバーウェアの権威である、ドクターーー」
全員がDr.Yの動作に合わせて両手を天井に向けて広げた。
「Y!!!!!!」
見事に六人の声が唱和され、さしもの飛泉も我を失い激しく動揺した。
「……本物の変態集団だ……」
飛泉は気を取り直した。
「それで、なんで私がこんな目に?」
飛泉は背中に回された両手が、手錠で締められているのを確かめながら訊ねる。
「それは君の両手のサイバーウェアを、私が改造してバージョンアップしたからだ」
「は?」
飛泉は目を点にする。
「その料金を払えないだろうから、君には身体で払って貰う」
「いえ、払えます。私の従姉はとある会社の社長ですし。足りなければ、彼女に借ります」
飛泉は落ち着いて言った。
「だが、君はあの二人の子供に売られたのだよ。売られた分の事はして貰わねばなるまい」
Dr.Yは腕を組んでいった。結城悠と同じ手口?
「……ぐるですか?」
「人聞きの悪いことを!!」
そう嘆きながらくるくると回って、ガンドルフがスポットライトの中に現れる。
「結城悠には逃げられたからね。彼女の分の支払いを、親切な君にして貰おうと思ったのだよ」
「勝手に、借金の連帯保証人にしないでください!」
飛泉は嘆いた。
「嗚呼、素晴らしき、びせいねん。水もしたたる佳い男」
だが、ガンドルフは聞いていなかった。
「……結城悠の支払いはどうなっているんですか?」
飛泉はDr.Yに訊ねた。
「彼女は行方不明だからね。だけど、あの二人の子供に売られた分のことはして貰ったよ」
「いったい、何を?」
飛泉は眉をひそめた。
「手術の時に裸にしただろう? その時デッサンをとったんだ」
「は?」
「そのデッサンを元に、ガンドルフが彼女の彫刻を作るのだよ。彼の趣味でね。もっとも芸術家としても最高だけど」
Dr.Yは苦笑して言った。
「……私は?」
飛泉はぎょっとして目をむいた。
「君の身体はあまりに美しすぎる。筋肉は薄いから、彫刻でその姿に永遠を与えるほどではないが、私の欲望を満たすことはできる」
ガンドルフはぐふふといやらしい笑みを浮かべた。
「……その欲望が、これですか?」
飛泉は顔を引きつらせた。
「あとで、浴衣美人と金髪碧眼の筋肉男が君のお相手をしてくれるから」
えへらえへら。
「……あなたじゃないんですか?」
「私は見るだけだよ」
ガンドルフは何か不満なのかと首を傾げた。
「…………」
変な男だ。
「彼は見ているだけで幸せなんだよ」
Dr.Yは妙なフォローを入れる。
「君、私の養子になったらなんでも買ってあげるよ」
ガンドルフはよだれを垂らしながら言った。
「……結構です」
飛泉はうなだれた。
「では、スイッチオン!」
ガンドルフはくるりと回って、右手人差し指を天井に向けた。パチリと指を鳴らす。
周囲にホログラムが展開される。背景には青空と白い雲が浮かび上がり、桜の木が現れる。周囲にちらちらと桜の花びらが降り始める。
スポットライトの中に、おずおずと清楚な浴衣姿の若い女が現れる。恥ずかしそうにしているがなかなかの美人だ。
「彼女はかの有名なレックスにいろいろと仕込まれたのだが、早々に彼がいなくなってしまって、その身の恋の炎の処理に困っているのだ。いわいる、恋いの病だね。凄いよ、彼女」
Dr.Yは至極簡単に余計な紹介をした。
「さあ、美青年よ! 快楽に身をゆだね、悶えあえぐ姿を見せておくれ!」
ガンドルフは絶叫して、カメラを回し始めた。
飛泉は天井を見上げて、己の運命を呪う。
女を泣かせていないと言ったら嘘になるが、こんな風に報いを受けることになるとは。
人生に幕が下りるような気分だ。
肌も露わな浴衣美人は、頬を紅潮させてゆっくりと人工の川に足を踏み入れ、飛泉に近づいてくる。女の濡れた指先が、そっと飛泉の頬を撫でる。眼鏡を外し、ほうとため息を付いた。その手が首筋を撫で、そして胸板へと滑り落ちていく。うっとりと夢見るような女の瞳は、熱に浮かされたように潤んでいる。
「…………」
よく見ると確かになかなかの美人だ。惜しむらくは、両手がふさがっているところか。
そんなことを考えている場合ではない。
この場をどうにか切り抜けなければ、彼女の次ぎに来るのは……。
周囲が、唐突に真っ暗になった。
1.28
「……春を売ってしまった、そんな気分ですか」
飛泉は気怠げな口調で、そっと濡れた髪の毛をかき上げ、ため息を付いた。その割に口元は笑っている。
「……一応、間に合ったと思うけどね」
神妙な口調で悠は言った。
「どうせなら、彼女も連れてくれば良かったですね」
飛泉は浴衣美人を思いだす。こんな風に出会わなければ、と思う。
「D層もさほど悪いところじゃないんですね」
飛泉はそう言って、悠を振り返った。
「何言ってんだい。子供が大人を売るような世界が、そんなにいいのかね」
悠は呆れたように言った。
「……そうです。けれど、彼らはきちんと生きているんですよ。私と違ってね」
飛泉の寂しそうな口調に、悠はちらりと彼を見やった。
寂しそうな横顔に、遠くを見るような瞳。前髪から、水が一滴落ちた。濡れるほどに美しく見えるのは、水使いの性なのか、はたまた美青年故か。
飛泉がこちらを向いて微笑み、悠は顔を赤らめ引きつらせた。
「……ほら」
悠はガンドルフの店からくすねてきた、彼の荷物を押しつけた。
「こんなことまですみません」
飛泉は荷物を受け取った。と言っても、刀と扇。身分証等の財布だけだ。マネーカードからは手術代がしっかり引かれていた。
あの医師はこうなることを予感していたのだろうか? そんな大金を持ち歩いている彼も彼だが。
「それから、ほら」
悠は青い瞳の龍を飛泉に投げた。
飛泉は驚いてそれを空中で掴む。
「これは、……いいんですか?」
飛泉は驚いて訊ねた。
「いいよ。どうせあたしに必要なのは、赤い瞳の龍だしね。そればっかりは、どこに売られたのかわからない」
かろじて、青い瞳の龍は市場で抑えることが出来た。もっとも、盗んできたものだが。
カノンの言葉を思い出す。
「あの指輪は、いずれ本当に必要な人のところに行くわ」
もし、本当にそうなら。悠がいくらあがいたところで、あの指輪は葵のところに行くだろう。そして、その指輪の痕跡を辿っていけば、いずれ葵にたどり着くはずだ。
「これで借りは返したよ」
悠はそう言って、飛泉に背中を向ける。
「待ってください」
飛泉は悠を呼び止め、そして、そっと彼女に歩み寄る。
「本当に、ありがとうございました。……あまり、無茶はしないでくださいね」
悠は間近で飛泉に見下ろされ、かっとなった。眼鏡を掛けていないので、なにか違和感を感じた。なんとなく、睫毛が長いのを発見した。
「うるさい、そんなことはわかってる!」
我に返って間合いを取る。
「何かあったら、言ってください。私に出来ることなら……」
「恩着せがましいんだよ、ばか!」
人の良さそうな顔をしている飛泉に、悠は真っ赤になって罵倒した。
飛泉は驚いて目を見開くと、苦笑した。
「どうでもいい話なんですが、一つ、聞いてもいいですか?」
「……何?」
悠は決まり悪そうに俯き加減に訊ねた。
「……レックスって、有名人なんですか?」
飛泉の問いに、悠が呆気にとられた。
「……あんた、あの悪名高い極悪人を知らないなんて、本当にお坊ちゃんなんだね」
「すみません、世間知らずの箱入り息子なもので」
飛泉は苦笑する。
「監視局に行けば、一発でわかるよ」
悠はそう言い捨てて、きびすを返す。
「そこまで御一緒してよろしいですか?」
飛泉は声を掛ける。
「そんな格好の男と並んで歩くなんて、やなこった」
悠は濡れた浴衣に刀をぶら下げた、美青年を振り返った。おそらく、彼は道すがら何度も襲われるだろう。どっかに売られるか、ガンドルフのところに逆戻りか、あるいは裏路地に連れ込まれて……。
そうなったって、関係ない。
彼は自分よりも強いのだ。
「また、会えますか?」
飛泉は微笑んだ。懇願するかのようなわずかに甘えた口調に、悠は再び真っ赤になった。
「それがお前の口説き文句だって、しっかり覚えておくよっ!」
これ以上呼び止められたらたまらない。悠は走り出し、二度と振り返らなかった。
「照れ屋さんですね」
飛泉はそう言って笑うと、自分の格好を見下ろした。裸足に濡れた浴衣姿。おまけにその下は……。辟易し、そして歩き出した。
「……とりあえず、どこかで着替えますか」
1.29
「さっさとして」
カノンは背中にガジラのぬいぐるみを背負い、おもちゃの荷台にランドセルと横下げ鞄を乗せ、Mの準備が終わるのを待っていた。
「そんなの置いて行きなさいよ」
カノンはMの大きなアタッシュケースを見て、眉を寄せた。
「だって、ジェットガンのロケット弾必要だろう? 上だと物価高いって言うし、こいう武器は売ってないって言ってたし」
Mはカノンを見習って、背中にテディベアを背負った。
「あのお坊ちゃんの撮影が終わるのが夕方だって言ってたから、今から行かないと間に合わない。ロスト・ワールドに到着したら、ガンドルフからお坊ちゃんが男に襲われてる写真を貰わないと、脅迫できない」
カノンは荷台を引きずって、黄泉の家を出た。
「おい、待てよ!」
Mはアタッシュケースを押して、慌ててカノンの後を追う。
しかして、二人は置いてきぼりをくらうことになる。
二人の子供は監視局の前の道路で、車が行きすぎるのをただただ茫然と見ていた。
一人はテディベアを背中に背負い、傍らにアタッシュケースを並ばせた、黄色いパーカーのやんちゃそうな少年。
一人はガジラを背中に背負い、鞄を乗せたおもちゃの荷台を引きずっている、お下げの無表情な少女。
けたたましく鳴り響く車の音に、二人は同時にそちらを振り返った。
「おい、ガキ共! 道路の真ん中につったってんじゃねえ!!」
車の窓から顔を出した厳めしい男が二人に怒鳴った。厳ついサングラスを掛けているが、あまりに似合っていないので、二人は鼻を鳴らして数歩後ろに下がった。
今は「こんな大人になりたくないワースト8」の相手をする気分でもない。
「……これからどうする?」
Mは真っ直ぐ前を向いたまま、この少年にしては珍しく内気な口調で相棒に尋ねた。
結局、「ロスト・ワールド」はもぬけの殻だった。ガンドルフや店の従業員の何人かは、ワイヤーでがんじがらめにされており、飛泉は姿を消していた。
二人は慌てて監視局にやってきたのだが、如何せん遅すぎたようだ。待てど暮らせど、飛泉は現れないし、そもそも脅迫するネタがない。
「……葵が言ったの」
カノンは空を見上げた。シールドに閉ざされた、空。
『いい、カノン?』
葵は夕日の海浜公園で少女に言った。
『いい女っていうのは、佳い男を食い物にして生きていくのよ。顔が良くて、スタイルが良くて、お金持ちで、強くて。そういう男を見つけたら、踏みつけて捕らえて離さないのよ。世間一般で言う悪女って言うのが、佳い女の証なの』
葵はつらつらと言った。カノンは黙ってそれを聞いている。
『私は佳い女になれなかったけど、カノンなら絶対に佳い女になれるわ! カノン、私の代わりに夢を叶えてね!』
きっと、その日葵は嫌なことがあったに違いない。レックスに相手にされなかったのかも知れないし、レックスが五人くらい女を部屋に連れ込んでいたのかも知れない。あるいは、紫藤がレックスと付き合うなと彼女のお小遣いを減らしたのかも知れないし、黄泉が葵に何か良からぬ事を言い含めたのかも知れない。
とにかく、カノンはその時葵の遺言(?)を守ろうと思ったのだ。
「……私、佳い女になれなかった」
カノンは呟いた。
「……おまえ、それであの男にセクハラしてたのか?」
Mは恐るべき葵の洗脳能力に戦慄した。
「御免ね、じいちゃん。あたし、佳い女になるために、悪女になる」
カノンは星も見えない、夜空に誓うのだった。
「じゃあ、おれはあと五年は無事でいられるな」
Mは安堵して、ため息を付いた。そして、思いつく。
「それよりお前、魔女のほうが合ってない?」
そうして、二人は悪の道を進み始めたのであった。
そのころ、目的の男が下着を買っていることなど、二人には思いも寄らない。
だがとにかく、この恐るべき二人の子供の手元には、それなりの資金が残ったのであった。その金が何に使われたのかは、また別のお話。