「よし、上出来だ。出せ」
サージェは味見すると、その出来映えに笑みを浮かべた。若い料理人は改心の笑みを浮かべ、力強く拳を握りしめて達成感を表す。
中には本当に料理人として大成するやつもいる。サージェのやり方に反発して出て行った奴も多いが、きちんと巣立っていった者もいる。ここにいつまでも居残っているやつだっていた。
今、鴨のソテーとそのソースを仕上げたギリガンなどは、本当なら魔術の才能があったので、そちらの道を歩ませてやろうとしたが、結局彼はこうして料理人の道を歩んでいる。
戦士の道を選ばなかったサージェにしてみれば、反対する理由などない。
鼻になにやら嫌な匂いが感ぜられた。
「おい、そこのソース煮詰まってるぞ!」
サージェは匂いの元を振り返り、叱咤する。
「す、すいません!!」
任されていた見習いは慌てて平鍋を火から下ろす。もちろんソース作りなどまだ早い。火の番くらいは出来ると思っていたのだが、忙しいからといって疎かにしてはならないことだ。
こうなれば、あとはサージェがどうにかしてやらねばならない。
舌を鍛えていたら、いつの間にか鼻も利く様になっていた。
料理もそうだが、戦い方を教えてやった奴らは、傭兵として戦士として頭角を現している。そうした連中は、戦いに出て生きて帰ってくると必ず店に顔を出してくれる。サージェの下から離れずに、店の用心棒を買って出る奴もいる。
サージェも今では、自分ではあまり調理はしない。
サージェは自分が十代半ばで剣も料理も身につけたことを良くわかっている。だが、彼が育ててきた子供たちは、早ければ十歳に満たない内にそうした教育を受けさせてきた。
よっぽど怠けない限りは、いつかサージェを追い抜いていくだろう。そうした連中が、サージェの持っているものを引き受けていってくれるなら、それでいいと思った。
サージェは自分が追い抜かれることに憤りや嫉妬を感じるほど幼くはなかった。あまりに偉大な人物たちを見てきたために、達観しすぎてそんなことは思わなかった。
まだまだ負けられないこともあるが。
「追加注文です。自慢の魚料理と、それに合うワインを」
フィリップがさげた皿を持って厨房に入ってくる。満面の笑みを浮かべ、サージェにそれを見せる。
サージェは得意げに笑った。
店自慢の特製ソースとコンソメスープは、必ずサージェが仕立てていた。
スカルはいつも、じっくりと時間を掛けて積み重ねていく料理がしたいと言っていた。旅を続けていたスカルには、そんな暇はなかった。
だが、店を構えた今のサージェにはそれが出来る。だから、今はまだこれは誰にも譲れなかった。
あの不吉な黒の男も、コンソメスープに満足した様子だ。追加に注文してきたならば、他の客同様別の料理も食べたくなったに違いない。
よし、俺自らが、と言おうとした瞬間、サージェは寒気を感じてはっと視線を巡らせた。この熱気と活気に溢れる厨房で、感じるはずがない気配。
様々な匂いの入り交じる厨房で、血の臭いがする。
サージェは黒衣の男が、吹き抜けの階段の影に立っているのに気付いた。その姿に一瞬目を疑い、そして呆気にとられ、怒鳴りつけていた。
「おい、あんた! ここは客が入ってくるところじゃない、出てってくれ!!」
アレナディオは自分が見つかったことに驚いた。いや、料理をしているその男の姿に驚き、見入ってしまったのだ。その瞬間、隙を見せた。
だが、驚いたのはサージェの弟子たちも同様だ。フィリップは男を招き入れたのは自分だと知って、真っ赤になった。
アレナディオは黙って階段の影から現れ、怒っている料理人の前に立つと頭を下げて謝罪した。
彼が、<戦う料理人>か。想像していた以上に若い。まだ、二十代半ばか。明らかにアレナディオよりも年下だろう。
そうだ、まさかスカルがここにいるはずがない。
アレナディオは先ほど食べた料理の味を思い出していた。スカルがどうなったのか、アレインだってアレナディオだって目撃しているのだ。
だが、そういうサージェの方も、この黒衣の男には絶対に勝てないと悟っていた。その存在感に気付いていたものの、厨房に入られるとは思ってもみなかった。これだけの人数で立ち向かっても、勝てるかどうか。
本当に上には上がいるものだ。
だが、サージェにも店の主としての意地がある。
「俺はアレナディオだ。お前が、戦う料理人と名高い店の主か?」
アレナディオは開き直って自ら名乗ると、サージェに訊ねた。
サージェは顔をしかめる。アレナディオ? どこかで聞いたことがあるような……?
「戦う料理人が誰だか知らないが、俺がこの店の主だ」
サージェは最近、スカルが英雄と敬い奉られることをいやがっていたことを、身をもって知った。
「話がしたい。時間をくれないか?」
やなこったと、サージェはさっさと店から追い出そうと口を開きかけたが、ぞんざいな言葉は飲み込み、思案する。
その雰囲気がどうにも気になる。その血なまぐささの気配と、物怖じしない度量の大きさは、あまりにも不釣り合いだ。
「……明日の昼頃ならいいぜ。賄いでよければ、くわせてやるよ」
サージェの言葉に、フィリップは少し驚いた様子だったが、サージェは無視した。
「わかった。また、明日来る」
アレナディオはあっさりと引き下がった。また明日来ればいいことだ。思ったよりもファリアースに来るのに時間がかかってしまった。だが、五日はクローディアがなんとかしてくれる。
どうしても、この男を連れて帰らねばならない。
「おい、魚とワインはどうするんだ?」
サージェに声を掛けられて、アレナディオは驚いたように振り返る。そして、躊躇わずに食べて帰ることにした。
サージェはアレナディオにぞんざいな口調で応対していたのに、彼は特に怒った様子はなかった。向こうの方が年上なのに、なんだか立場が逆のようだった。
傭兵たちの喧嘩もなければ、料理にいちゃもんつけてくるような酔狂な客もなく、今日も無事に店じまいとなった。
朝は早くて、夜は遅いのだから、身がもたない。
最近は朝市の仕入れも下の連中に任せられるようになったし、大事な行事や客が来るときだけ、サージェ自らがすべてを仕切ればいい。そのうち、二号店三号店と育ててきた料理人たちが巣立っていくのだろう。
サージェは早くそんな日が来ないかと、楽しみにしている。
「じゃ、悪いがあとは頼んだぜ」
サージェは厨房の掃除にかかっている料理人たちに手を振った。
「お疲れ様でした」
料理人たちは揃ってサージェを振り返る。
「また、明日な」
サージェは厨房からホールを通る。ホールでは、若い給仕たちがテーブルの片づけをしている。片付けたテーブルから椅子を上にひっくり返して乗せていく。
「フィリップ、戸締まり頼むな」
サージェは給仕頭に声を掛ける。
「わかってるよ。お疲れ様でした」
いつものことなので、フィリップは軽く肩をすくめただけだった。
サージェは欠伸混じりに店を出ると、二つの入り口の間から空を見上げる。そこには店の看板である、太陽をくわえた獅子がぶらさがっている。
「サージェ」
「サージェ様」
若い女の声に、サージェはぎょっとなって立ち止まる。店の舞台に立っている、芸人姉妹が駆け寄ってくる。店が閉まってから、すぐに帰ったはずなのに、待ちかまえていたようだ。
前と後ろから挟まれて、サージェはうんざりする。
サトゥルスを巡る騒動を終えた後。
再び一人旅を始めたサージェは、いきなり孤独に嘖まれ、寂しくて仕方がなかった。しかし、妊娠したクローディアの側にいるのもおかしいと思っていたし、それでも彼女は戦うことを止めようとはしなかった。
だから、と言うわけでもないと思う。
ただ、リマインに留まっているだけでは駄目だとわかっていた。まだまだ、サージェは知りたいこと、学びたいことがあった。
けれども、気付けば世間は、世界はかなり物騒なことになっているようだった。いつしか、人々は魔族と呼ばれる、怪物たちを恐れるようになっていた。
そして、ようやく辿り着いた森の中の村は、ぼろぼろだった。
もちろんエディやサトゥルスといった子供たちの面倒を見ていたこともあってだろうが、子供を拾ってしまった。
そのまま連れて行くつもりもなかったのだが、どうやら魔族に襲われて、両親を殺されたようだった。他に生き残りもいない様子だったし、あるいは本当は逃げ遅れただけなのかも知れない。
泣きじゃくる二人の子供に、サージェはあり合わせの料理を造ってやった。泣きじゃくっていた子供たちではあったが、やはりお腹をすかせていたためか、それを腹一杯に詰め込んだ。
数日そこで過ごしていたが、誰も戻ってこなかった。
逃げた先で全滅してしまったのだろうか。
こうなると、サージェは二人の子供を連れて街を目指さねばならなかった。
すべては、そうしてはじまったのだ。
サージェは子供連れで、傭兵団を渡り歩いた。人間同士で戦争をしている暇はなかった。神出鬼没な魔族を相手に、戦争をするわけにはいかない。夜の世界を、魔族を追うわけにもいかなかった。
おかげで、たいていは村や町の防衛に参戦することになり、その間は子供たちを街の神殿や村の司祭に預けることが出来たし、足りない食い扶持は賄いを買って出て、どうにか子供たちの食事だけは手に入れた。
だが、サージェはまだあまりにも若かった。父親に間違われるには、子供たちが大きかったし、数が多かった。
そう、子供たちの数は減ったり増えたりを繰り返していたが、おおむね増えていた。サージェはことあるごとに子供を拾うことになり、その子供たちを村や町の孤児院に預けたりした。あんまりに酷い孤児院では、子供たちを連て逃げ出したこともあった。
預けて逃げても、結局は着いてきてしまう子供たちもいた。
サージェは何かあるたびに、身勝手な大人たちに道理を説かれて辟易した。戦場を子連れのサージェに怒った傭兵に殴られたこともある。
傭兵たちの中には子連れもいたが、さすがにサージェのように団体さんはいなかった。
フィリップもそんな傭兵を父親に持っていた。戦場で離ればなれになり、それからサージェが面倒を見ている。
まさかサージェも彼らを面倒見られるはずもなく、途方に暮れたことも度々あった。一度に半数の子供たちを死なせてしまったこともある。
だが、サージェは彼らに何もしてこなかったわけではない。それなりの指導はしていた。その辺りは、昔スカルに言われて、孤児院の子供たちの面倒を見ていたことが役立った。アレインやクローディアに教えられていたことが役立った。
サージェは彼らに戦う術を教え、そして料理を教えたのだ。もちろん、戦う術など教えたくはなかった。だが、サージェは教えずに何人もの子供たちを死なせてしまった。
サージェに戦い方を教えるのを拒んでいたスカルも、最後はサージェに戦い方を教えてくれたのと同じだ。
サージェでは子供たちを守ることが出来なかった。子供たちが一人一人、自分の身を守るしかなかったのだ。
死なせてしまった子供たち。そのことで何度泣いたか知れない。養子に出した少女もいたし、サージェのやり方に反発して出て行った少年もいる。
サージェは子供たちを守れなかった。最初の面倒は見ても、あとは切り捨てるしか出来なかった。
だが、それでも気付けば、サージェは子供たちを率いて戦場を渡り歩いていた。
子供の傭兵団ができあがっていたのだ。
だが、もちろん、子供たちが戦っているわけではない。日々の戦いの訓練は、子供たちに自信を持たせたが、さすがにサージェもそこまで浅はかではない。
子供たちは賄い班として、傭兵団を渡り歩いたのだ。
その中で、サージェはいつの間にか、戦う料理人と呼ばれるようになっていた。サージェの料理を食べた傭兵団は、負け無しと噂され、各地の傭兵団に誘われるほどになっていたのだ。
その間にもいろいろあった。
サージェはよく、女にだらしないと言われたが、彼自身はそうは思っていない。どう考えても、女に弱いだけだ。なんでそうなるのかわからないのだが、どうやらサージェは女にもてるらしい。とくに美形なわけでもないのに、何故か女が寄ってくる。
やっぱり、料理が出来るともてるのだと実感した。
そうして、何年も一緒にいれば、子供だった少女たちも大人になるわけで、もちろんそんなこと全然想像もしていなかったサージェは、言い寄られてあっさりほだされ関係を持ってしまったこともある。
そうなると他の少女たちも黙ってはいなかった。
あの時は、死ぬかと思った。その時渦中の少女たちは、今はもういない。彼女たちがいたら、サージェの方がここにいなかっただろうけれど。
女は恐ろしい。本当にそう思った。おまけに、現在店の舞台を飾る舞姫と歌姫に言い寄られていて、困っているところだった。