アレナディオは夜明けの湖に口笛を吹き、拍手を送った。アレナディオの側に控えていた神官らしき男が、魔族の気配が消えたことを告げる。
サージェが左手を降ろすと、弓は短く萎れていき、再び腕輪に戻った。
あっさりと魔族を倒したその手並みは美事としか言いようがない。竜たちですら、魔族を完全には滅ぼせないことがあるのだ。サージェをけなそうとした竜騎士も今はすみっこに隠れている。
「ますます気にいったぜ。お前のとこの店は、言い値で買い取ることに決めた」
「あんたはいったい、なんなんだ!? 俺は<円卓の騎士団>には入らない。何度も断ってるはずだ!」
アレナディオの尊大な言い方に、サージェは怒鳴りつける。
「サージェ、この人は<円卓の騎士団>の大将軍だよ。騎士団の全戦闘部隊の統括者だ」
サージェの袖を、ヘンゼルが引っ張る。
「は?」
サージェは驚いて目を丸くしてヘンゼルを見ると、あんぐりした間抜け面でアレナディオを見やる。
「驚いたか?」
アレナディオはふふんと得意げに鼻を鳴らした。だが、サージェはくだらないと肩を落とす。
「相当暇なんだな、あんたんところは」
そんなお偉いさんが、こんなとこまで。
「まあ、待てよ。俺が手段を選ばないことは、よくわかったはずだぜ?」
アレナディオはきびすを返そうとするサージェを、軽い口調で脅しにかかる。
「……なんなんだ、いったい。戦いたくない奴を、死地に追いやるのか? 俺はあいにく死にたくない」
サージェは肩越しに振り返り、冷たく返事をする。
「なら、戦闘には出さない。店の連中の面倒は見てやる。厨房の料理人として、補給部隊の配属にすればいい。とにかく、今は優秀な料理人が必要なんだよ」
戦士としてではなく、料理人として。そう言われてサージェもそれ以上は無碍には出来なかった。
クローディアは、サージェも優秀な戦士になれるといってくれた。だが、サージェは料理人になる道を選んだ。その腕前を求められているというのならば、話くらいは聞いてもいいという気になる。
「おめえらは先に帰ってろ」
アレナディオは、竜騎士団と<円卓の騎士団>を撤退させた。
「……フィリップ、先に帰ってろ」
「……わかった」
サージェにそう言われては、フィリップも頷かざるをえない。サージェは料理人として求められては、それを断ることが出来ないのだ。
朝日はすっかり昇って、湖を照らし出していた。だが、今朝の騒ぎで、珍しく静かな朝だ。
「俺んところの大将は、ちょいと味にうるさくてな。まあ、いろいろ気苦労も多い立場だからよ、仕方ねえんだけど。無二の親友を亡くしちまって、ついでに、恋人も亡くしちまって。……ただ、喰うことだけは一丁前で、俺らがしてやれるのは、食い物に関する我が儘だけなんだよ」
アレナディオが柄にもない様子で、遠い目をして水平線を見やるので、サージェは押し黙ってしまった。
サージェだって、<円卓の騎士団>とやらを率いているのが、星の王と呼ばれているアレインであることは聞き知っていた。
だが、サージェ自身はそこに自分から訪れようとは思っていなかった。太陽神神殿のこともあるが、アレインの傍らにスカルの存在を聞かなかったからだ。
「なのに、あいつときたら俺たちが見つけてきた料理人にいろいろと難癖をつけやがる。だからって、もりもり喰うわけじゃなくて、痩せてくいっぽうでな。本当に食い物が口に合わねえのかも知れねえ」
アレナディオは、そこで一度言葉を切った。
サージェは故郷を出てきて、クローディアたちと一度国に戻ったときのことを思い出した。あの時、ライアルは拒食症になっていて、そんなライアルのためにサージェはスープを作ったのだ。
あの時のことを、思い出している。あれ以来やはり帰っていないが、ライアルが無事に国を治めていることは、風の噂に聞いている。
「けど、昨日お前の料理を食って、すげえ美味かった。……なんか懐かしくってさ。あいつのことを思い出したんだよ」
アレナディオは振り返って、サージェを見て呆気にとられた。
サージェは両の目から涙を流していたのだ。
「……スカルは、死んだのか?」
サージェの震える呟きに、アレナディオは絶句した。
「お前……」
アレナディオは何かを言おうとしたが、サージェがすすり泣きを始めたので、何も言えなくなってしまった。
俺はやはり心のどこかで、こうなることを知っていたんだろう。だから、あそこには近づかないようにしていたのだ。いつか、スカルではなく、別の誰かからそのことを告げられるのを、ずっと恐れていたんだ……。
「……少し、時間が欲しい」
泣きやんだサージェはしばらくの間、朝日を照り返す湖を見つめていたが、やがてアレナディオを振り返ることなくそう言った。
「店のことか? 料理人たちも一緒に面倒見るぜ?」
アレナディオはそう言ったが、サージェは首を振る。
「いや、俺は絶対に行くよ。アレイン先生や姐御に会いたいしな。ただ、少し時間が欲しいんだ」
考える時間ではない、サージェはそう言った。
「昔、シグマっておっさんが俺に言ったんだ。みんなは俺に、夢を託したいんだろうって」
シグマの名前が出てきて、アレナディオは少なからず動揺した。だが、サージェは気付かなかったようだ。
「だからさ、俺はスカルの代わりにその夢を叶えようと思ったんだ。そして、ようやくその夢を叶えた。そう簡単には手放せない」
サージェに静かに言われ、アレナディオも頷かざるを得なかった。
アレナディオには、サージェが言うような夢なんてものはない。強いて言うなら、スカルが戻ってきて、イリーナが目覚めて、セリナがいて、まだ見たことのない平和な世界とやらをその目で拝むことだ。
俺もそんな歳になったわけか?
そして、サージェが羨ましく思えた。アレナディオは悔しいと思った。やはり、スカルは英雄よりもそっちの方が似合いのように思えた。そして、その意志を継げるかと言えば、アレナディオには到底無理な相談だった。
スカルは、本当の願いをサージェに託していた。
ジェクトが目覚めたとき、このことを知ったらきっとまた複雑な顔をするに違いない。
「……わかった。アレインはしばらく出掛けているからな。あと二週間は戻ってこない。整理がついたら、ファリアースの支部に顔を出してくれ。話は通しておく」
「あと、太陽神神殿にも顔が利くんだろ? そっちも頼むぜ」
サージェはちゃっかりその辺を付け加えた。
「わかった。それも俺の方から必ず話を通しておく」
アレナディオは苦笑して約束した。あとになってそのことで、メアリデールになにか言われたらたまらない。
ぷらぷらとサージェが店に戻ると、開店前のはずの店はすっかり満員御礼になっていた。
店の連中も、傭兵の連中も、全員が食堂に集まり、サージェの帰りを待っていた。
「……なんだ、どうした?」
サージェは苦笑を浮かべた。
その場をまとめていたであろうフィリップが、テーブルや椅子を縫ってサージェの側に辿り着く。
「行ってきなよ、サージェ」
フィリップの言葉に、サージェは絶句した。
「俺はいったいいつになったら、サージェがあそこに行くのかと思ってたよ。あれだろ? サージェがいつも話してくれた、不死鳥英雄伝の英雄たちが、サージェを待っているんだろ?」
食堂ではすでに、すすり泣きが漏れ始めていた。
「……俺は、吟遊詩人が歌ような英雄じゃねえよ」
サージェは泣きそうになった。スカルのためにあれだけ泣いたのに、またまた泣けてきた。
「この店は、俺たちが守るから」
フィリップは言って、後ろを振り向く。
「俺たちが、この店を守る。でもって、傭兵の連中はそのままサージェが連れて行ってくれればいいからさ」
「フィリップ、お前……」
「俺のことは、もういいから」
フィリップはサージェに首を振る。
「サージェが、スカル・クロスボーンズのために作ったこの店を、今度は俺がサージェのために守るから」
フィリップがサージェの肩に手を置く。
サージェは笑おうとしたが、礼を言おうとしたが、もうなにも言えなかった。
「お前、知ってたな」
アレナディオは、クローディアを睨み付けた。
「知らないわよ。……もしかしたらとも思ったけど。一人前の料理人として名をあげたいとは言っていたけど、戦士としても有名になるなんてね」
クローディアは遠い目をした。
遙か昔のことのようだ。けれど、サージェが来てくれるならば、エディのことも元気づけられるかも知れない。もちろん、小さかったエディがサージェのことを覚えているとも思えないが。
「剣の腕前もなかなかだったな。隊の統率もよくとれてた、たいしたもんだ」
アレナディオは素直に感心していたが、クローディアは複雑だった。
サージェは絶対に一流の戦士になれたはずだ。アレナディオの言うなかなかという評価は、一流と言うことではない。円卓の騎士団にも、同様の腕前の戦士は吐いて腐るほどいるだろう。
だが、今のアレインに必要なのは、一流の戦士ではなく、スカルの意志を受け継いだ料理人だ。
十二年前のサージェの決断は、正しかったということか。
サージェは到着早々、厨房に入っている。幹部たちの家族は特に、城の上層階に暮らしており、サージェはそこの厨房を任されることになった。
さっそくサージェの十二年間の成果を見せて貰えるとなると、やはり楽しみだ。
エディはなにやら水の精霊たちが騒がしく、ふらふらと部屋を抜け出した。エディは果物や水だけでしばらくは生きていけるのだが、さすがにそれもきびしくなってきた。寝たきりだったのであまり体力を消耗せずにすむのだが。
さすがになにか食べないと不味いと危機感が出てきた。
エディは水の精霊たちの囁きに耳を傾け、ふらふらと壁に手をついて厨房を目指す。そこにならなにか残り物くらいあるかも知れない。
だが、目的地に近づくにつれ、やたらと食欲をそそるいい匂いがしてきた。ひさしく感じたことの無かった空腹を感じ、腹が鳴ったことに、エディの方が驚いた。
やがて、活気の良さそうな厨房に辿り着き、サージェは開け放たれたままのその入り口に立った。
一瞬、眩暈を覚える。
人の気配に振り返ったサージェは、人影に笑った。
「悪いな、もうちょっと待ってくれ。すぐに出来上がるから」
エディは、堪えきれずにくたくたと崩れ落ちる。
驚いたサージェは、エディに駆け寄った。
「大丈夫か? そんなに腹が減ってるのか?」
サージェは少年の側に駆け寄り、顔色が悪いことを見て取り、病人かと慌てる。だが、エディは弱々しくサージェを見上げた。
今の、あの広い背中、後ろ姿は……。
「エディ、必ずまた会おう。俺は、必ず戻ってくるから」
もう、名前も覚えていない……
シリーンにもあえて聞かなかった。知らないと言われるのが、怖かったから。だけど、水の精霊たちは覚えている……。
エディは男のエプロンを握りしめ、必死に顔を上げて問うた。
「あなたは、……青いマントの、ひと、ですか?」
エディはそれっきり気を失ってしまう。
そして、サージェは、それが成長したエディであることに気付いた。