冗談じゃない。
このまま金属の化け物にされてたまるか。
男はそっと物陰に隠れて、巡回中の警邏の兵をやり過ごし、非常階段に飛び込んだ。ここの警備はそれほどではない。様々な機能が制限されているようで、監視カメラもままならないようだ。様々な雑事を、人間が行っている。
だが、エレベーターを使用するのはやはり危険だった。エレベーターくらいには、監視カメラが仕掛けられているはずだ。
身体をいじられたのは不快だが、改造されれば改造されるほど脱獄するチャンスが増えたのも事実だ。さっきの警邏の兵士も、耳にパラボラ聴覚のサイバーウェアが埋め込まれていなかったら、気付かなかっただろう。目も強化されていたが、暗闇を見通せるようにはまだ改造されていなかった。
もういいかげんこんなことはうんざりだった。そして、まさかこんな幸運が巡ってくるとは思っても見なかった。だが、安心するのはまだ早い。外に出られたとして、ここがどこかもわからない。陸の孤島であったとしたら、生き残る術はない。サイバーウェアもバッテリーで動いているのだ。バッテリー切れで動けなくなり、そのままのたれ死ぬことだって考えられた。
人をなんだと思っているのか? あらかた改造も飽きてきたから、全身金属のフルメタルサイボーグのボディに、脳を移植しようだなんて、冗談ではない。
B層に上がれるなんて、そもそもがおかしいと気付くべきだったのか。いや、政府も一枚噛んでいるに違いない。それにいつからそんな他人に頼るようになったのだろうか?
ここに閉じこめられて、四年。
自由が懐かしい。
人類がこのシールドに閉じこめられてから、二千年。
人類は自分たちでも開くことのできないシールドで覆われたこの閉ざされた世界を、コロニーと呼んでいる。
どこまで降りてきただろうか?
男は警戒して、非常階段の扉の陰に隠れた。
物音はない。
扉を開くと、男は暗い廊下に飛び出した。消音システムは組み込まれていないので、足音がひたひたと廊下に響く。
……何か、感じる。視線? 監視カメラか?
いや、違う。
勘?
出口は、こっちか?
男はその後、ある出会いから、ここから出ることができた。
そして、二度目の運命の出会いは、それから五年後になる。
『今から二千年ほど前。エルマー人は科学という力で、世界を支配した。その力は凄まじく、世界を覆う結界から人を解き放ち、世界中どこにでも飛んでいくことのできる乗り物を持っていた。そして、世界を消滅させる秘術も心得ていた。
だが、神は傲慢な人の身を、許しはしなかった。
また、世界のあらゆる種も、エルマー人を許さなかった。
かくしてウラノウスに月が舞い降りる。
彼の月は勇者を導き、世界を救った』
科学?
未だに聞き慣れない言葉だ。
かつて、東の果てのウラノウス大陸で栄えた学問。魔術と対極をなすという力。
ウラノウス大陸に封じられたエルマー人は、科学という技術でもって世界中を席巻しようとした。エルマー人が世界に広がろうとすればするほど、世界は神々の力で満ちていき、その力を削いでいったという。
そして、あの月が、地上に舞い降りた……。
アレインが探し求めているのは、その舞い降りた月という月光戦斧シャスティフォルだ。
それには聖具が関わっていたとも考えられる。ノルティングの箱船には、まだ不明な点が多い。どこまでが真実か知らないが、この船が世界の結界を破り、星界に辿り着くことが出来るのは事実だ。
エルマー人の文明や歴史をひもとく手がかりは少ない。今のアレインには、ジャング・ホルスが残した古文書以外に、アードの使い魔しか情報源がなかった。
薄暗い都市。多層に渡る高層ビルの谷間に、風変わりな一行が迷い込んでいた。
空にはいくつものスマートカーが行き交い、様々な金属音があたりに鳴り響いている。街の至る所にある彩り豊かな看板が、ピカピカチカチカとわずらわしい。道路のアスファルトやむき出しになっている壁のパイプからは、なにやら液体が漏れだし、その壁は派手な色で悪戯書きされている。そして、人々は所狭しと押し合いへし合い、互いのことに干渉しないように生きている。
その風変わりな一行は服装から三者三様に変わっていて、今は忘れられた絵本の中から現れたような格好をしていた。コスプレやホログラフィにしては、現実味を帯びた存在だった。確かに人間だ。なにかのイベントのサンドイッチマンだろうか? しかし、なによりおかしいのは時代遅れなその服装に、三人ともガスマスクを着けているのことだった。
「……あの御仁を信用するのはどうかと思うのですが?」
陰陽術師、荒井雪乃が息苦しいガスマスクを、忌々しそうに言った。
忌まわしいとはいえ、ここの空気は最悪だ。吸ったとたんに肺が腐るのではないかと思うくらい、酷い空気だ。ここに住む人間たちは平気のようだが、慣れとは真に恐ろしいものだ。アレインが面白半分に買ったガスマスクが役に立とうとは。
アルノス大陸の南に位置する島国、神威。和の国とも呼ばれるその神威の国の魔法が、陰陽道である。アレインがルーン文字で呪文を唱えるように、陰陽術師たちは真言なるものを唱える。また、式神なる人工霊体を召喚する。クローディアの身体に刻まれた入れ墨はこちらの陰陽道の応用であるようだ。だが、原理は同じだ。
式神とは、一時的に想像の産物を実体化させた、魔法生物のことで、雪乃の場合は雷獣と呼ばれる身体から稲妻を発散させる小獣を召喚する。アレインの得意技も同じ雷に属する術なので、本当は別の人員を連れてきたかったのだが、コロニー内の特徴として、いろいろなものが稲妻などに弱いので、連れてきたのだ。
ここはウラノウス大陸にある、エルマー人の住むコロニーのひとつだ。
V4−G御影。これがこの都市の名称だ。
アレインにも雪乃にも、理解しがたい名称だ。言葉を覚えるのも一苦労。アレインは一通り言語を理解できるようになっているので、従者の二人に魔術を掛けている。
この都市の人間は確かに、アレインよりも雪乃に似た黄色人種が多い。それが関係しているのだろうか?
「荒井さん! アレイン先生が行っちゃうよぉ!」
もう一人のアレインのお供、触媒師の少年がガスマスクの下から、もごもごと彼女を呼び止めた。少年はジーニアスという名で、クローディアとセシルの息子だ。まだ、十歳だがクローディアからは魔眼の技術を、アレナディオからは格闘技術を叩き込まれている。
アレインは今回、三人の触媒師を連れてきていた。彼はその一人で、他の二人はキースクリッドのいる騎士団のウラノウス支部で待機している。
ウラノウス大陸のたいていの都市はマナが薄く、アレインたち魔術師は魔力を振るえなくなる。そのため、触媒師が必要になる。一人では何もできない彼らも、魔法使いと組めば魔力をより効率よく具現化できる。
万物の根元たるマナ。陰陽術師たちはこのマナを、陰陽の気と呼んでいる。あるいは地脈。地脈の豊かな土地では、自然が豊かでマナが溢れているという。だから、自然の恩恵の乏しいここでは、マナが乏しく、魔法使いは魔法を使えなくなる。
もっとも、アレインには四星至宝玉があった。ジャング・ホルス老師の形見の杖があった。この杖はマナを発散させる魔法樹でできていて、この空間でも問題なく魔術が使える。
ジーニアスはショーウィンドウに釘付けになっているアレインと、先に行ってしまっている雪乃の間に立っておろおろしていた。
……今日はこれで、何回目?
雪乃は呆れてアレインのもとに戻った。
アレインはショーウィンドウに並べられている、テレビなる箱に釘付けになっている。
箱はみんな同じ形をしているが大きさはまちまちで、箱の中では黒服の男が派手な机に座っている人間になにか話しかけている。
「……『クイズ、はやく言ってよ』、か。アースガルドにもこんなのがあったな」
アレインはそう言って、雪乃を振り返った。
もうすぐ四十歳だというのに、子供の一人もおらず、年がら年中あっちにふらふら、こっちにふらふらしている中年男。
だが、雪乃は彼を尊敬していた。そして、命の恩人でもある。素晴らしい術者だ。ただ、人間としてはいまいち尊敬することができない。こんな飄々とした人がよくもまあ……。
「アレイン先生、さっきの話聞いてました?」
「聞いてたよ。アードの代わりに待ち合わせ場所に急がないとね。本人とは私一人で会うから、君はジーニアスの面倒を見てね」
アレインは軽い足取りで、先を急いだ。
「危険ではありませんか?」
雪乃は言ったが、およそアレインほどの魔術師が後れをとるとも思えなかった。あるいは、雪乃とジーニアスが足手纏いになると危惧しているのだろうか? そういうこともあるだろう。雪乃の方はジーニアスの触媒能力がないと、無力だ。
「私ももっと早くに会っておきたかったんだけど、アードが駄目だって言うから、ずっと待ってたんだよ」
アレインは触媒師の少年を呼んだ。
アレインたちはこのシールドに被われた都市に、瞬間移動の術で侵入したのだ。
この都市でも科学という力で、瞬間移動を可能にする装置は完成されていたが、いかんせん、その装置には入り口と出口が必要なのだ。コロニー間の移動はすでに完成していたが、装置の都合上外に出ることが叶わないのだ。
つまり、それは商売になるのだが、アレインは魔術を誇示して、エルマー人を外の世界に出そうとは考えていなかった。むしろ、それは恐ろしいことになると考えている。
この世界はそれを許さなかった。だから、ここに閉じこめたのだ。治療できない病巣をこうして眠らせることで。
今この世界は、魔族という脅威に晒されている。さらに、エルマー人の科学という得体の知れない技術に晒されたくはない。
コロニー内での情報収集には、人間ではなくアードの使い魔を利用している。アードの複製である、人造人間の使い魔は、この世界に適応し、人間として生活している。情報屋として生計を立てているのだ。コンピュータという装置で情報社会を形成しているこの都市では、情報が何より高価であった。金銭が形骸化し、データ上の数字にすぎないというのもその表れだ。
真実の情報を得るのは、大変な苦労なのだ。
そのあたりの事情はオーディナスやアルノス大陸の人間には、とうてい理解できないであろう。だが、アースガルドの民なら理解できたかもしれない。たとえば、カタリーナなら。
力は違っても、魔法も科学も似たような仕組みを築き上げている。
似たような仕組みの中、けれどまったく違う文化が形成されている。
アレインは至宝玉の力でマナを増幅し、絨毯を広げた。
もう二十年近くも付き合いのある、アレインの、ここ風に言うと、愛車の空飛ぶ絨毯だ。
物質操作呪文でいつも新品を保っている。不都合はない。
三人は目を丸くしているこの都市の一般人を尻目に、空に飛び上がった。
空を飛ぶ車は知っていても、空を飛ぶ絨毯は理解できないようだ。半重力装置を搭載した車やバイクは、それでもまだ高価で大きくならざるをえないのだ。
空と言っても、この都市の空はシールドと呼ばれる覆いに過ぎない。この都市に生まれた人々は、誰も本物の青空というものを見たことがないのだ。
その点だけは、アレインも同情した。
今のところ、アードから連絡はない。
ダンバインの報告だと、人造人間の使い魔、ダールスとヴァイオレットからの定時連絡が途絶えているという。
アードは先行して、二人を探しに行った。アレインは、先に目的の人物に会うことにしたのだ。
「アレイン先生、なにか飛んでくるよ!?」
ジーニアスがアレインのローブを引っ張った。
「ん?」
「ソコの……、飛行物体、停止してくダサイ」
ぶんぶんと音を立てて、小さな箱を組み合わせたような物体が空中を近づいてくる。
「なんだろうね?」
アレインは首を傾げる。
「どうするんですか、先生?」
雪乃は不安に想いながらアレインに伝える。
「万物の根源たるマナよ……」
アレインは透明の呪文を唱え、その姿を隠してしまう。
例の飛行物体は、しばらくその場をうろうろしていたが、諦めて引き返していく。アレインたちはもちろん、その場を退散していた。