The Last Legend 08. 2/10



 D層。朽ちた街、大都市の底辺。いたるところに廃墟のビル。見捨てられた地区。
 剥き出しの鉄筋、崩れ落ちたコンクリートの壁。電力が通じているはずもなく、階段を目指すが、そこに立ちふさがる影がある。
「ダールス!!」
 ヴァイオレットはダールスの放った氷の刃をかわして後方に飛び退いた。ダールスはこんな魔術は使えなかったはずだ。
 そして、互いの精神が繋がっているはずのダールスとヴァイオレットにはあり得ないことだった。
「あなたの側にいるのは、総帥じゃないわ!!」
「黙れ」
 ダールスは新たな呪文を唱え、ヴァイオレットを捕らえようとする。
 ダールスの背後に煙が立ち、アレインの幻が姿を現す。
「ダールス、なにをやってんの? さっさと始末しろ」
「わかっております、閣下」
 ダールスは呪文に意識を集中している。
「何者なの!?」
 ヴァイオレットは柱の影に飛び込み、焦った。ダールスとの力の差はないはずだった。だが、今はあちらの方が魔術の腕は上だ。肉体的には、ダールスとヴァイオレットには男女の差は無いとも言える。しかし、つまりは互角。魔術の分だけあちらが有利だ。
「まさか、魔族?」
 ヴァイオレットはぞっとした。
 リーディーナ大陸とウラノウス大陸は、決して遠いとは言えない。だが、マナの希薄なこの大陸は、魔族にとっては有利とは言えないはずだ。それを逆手にとったというのか?
「ダールス、マスターがコロニーにいらっしゃっているわ! 馬鹿なまねは止めなさい!」
「ヴァイオレット、貴様こそ魔法生物のくせに女の有様が板に付いてきたな!」
 ヴァイオレットとダールスは言葉の応酬の間にも、魔術を完成させようとする。
 だが、そのヴァイオレットの前に女の人影が現れる。
 チャイナ服に身を包んだ肉感的な美女。だが、その身体のあらゆる場所に暗器を隠し持った、暗殺者。
「まき!?」
 ヴァイオレットは、まきが投じてきたくないをかわして床に転がった。さらなる追撃。鎖の先についた鋭く尖った分銅が飛んでくる。ヴァイオレットはそれを瞬間移動でかわした。
「本当に二人いるとはね」
 半信半疑だったまきは、長い髪を片手で肩越しに流した。
「まき、そいつを足止めしろ」
 ダールスは、手駒が間に合ったので、呪文を中断させてきびすを返した。
「……呪文、を唱えさせなければいいのよね」
 まきは、チャイナドレスのスリットから太ももを除かせ、ガーターベルトに挟んだくないを構える。
 暗器使いがわざわざ武器を見せるなんて、他に罠を仕掛けているとしか思えない。いやな心理戦だ。
 だが、まきも同様だ。どうせ長距離は瞬間移動できないと、紫藤は、いやダールスは言っていた。その理由を説明されたが、まきには理解できなかったし、しようとも思わなかった。
 瞬間移動。その力が本物ならば、この息苦しい閉ざされた世界から抜け出すことが出来る。それはまきにとっても、魅力的な話だった。
 上の階ではまだどたばたやっている様子だ。
 エキドナを庇っていた、レーザーライフルの男はどうしただろうか? 長距離射撃においては一流の腕前だろうが、近接戦になればそれなりに勝算はあった。少なくとも、白兵戦が得意なタイプではなかったはずだ。だが、まきは逃がしてしまった。しかし、エキドナとは引き離すことに成功した。
 まだ、あの男がどこからか狙っているかも知れない。
 物陰から、ヴァイオレットが飛び出してくる。手に持っているのは、スローナイフ。これが得意の武器であるとは聞いていたが、使うのを見るのは初めてだ。もちろん、横にかわしながら応戦する。
 捉えた。
 が。
「!?」
 まきが投げたくないは、ヴァイオレットに命中するその寸前に、くるりと向きを変えて跳ね返ってきた。


 階段を上るダールスは、窓の外からの銃撃に肩を打たれて窓の下にかがみ込んだ。
 誰もがエキドナの存在を追っていた。
 彼女のDNAに希望を抱く者たち。永遠の命を望み、完璧なる人間を夢見る。その力の根源に迫り、未知なる力を開花させることを望む。
 五年ほど行方不明だったエキドナが、突如として現れ、シャイアテックの管理下におかれた。そこで様々な実験が執り行われたが、何者かによって奪取された。モノフィラメントウィップの使い手である女賞金稼ぎだ。
 そうして、この半年ばかり、裏世界ではエキドナの壮絶な争奪戦が繰り広げられてきた。
 現在は、レーザーライフルを得意とする暗殺者、HIKARIと共にあるとされていた。
 そうして、紫藤は、ダールスはまきを使って、彼女をここまで追いつめてきた。だが、HIKARIは思った以上に厄介だった。
「死なせてはならない。彼女のあの肉体は完璧ではない。死ねば魂は解放されて、失われてしまう。捕らえるのだ、捕らえて封じ込めるのだ」
 総帥の声がダールスの耳を打つ。


 帰っておいで、……帰っておいで……。

 ああ、お父さんの声がする。
「もうすぐ、お父さんが迎えに来るわ……」
 葵はそんな父の声を覚えてもいないのに、耳鳴りのように、貝殻の波の音のように歌うその言葉に眩暈を覚えた。
 D層。朽ちた街、大都市の底辺。いたるところに廃墟のビル。見捨てられた地区。逃げても逃げても、誰かしらが追ってくる。
「!?」
 葵はびくりと跳ね上がった。崩れかけた壁につよく背中を打つ。
 ところどころ割れてひびの入った鏡に、彼女の姿が映っている。
 この間染めたばかりなのに、またしても髪の毛は黒から黄金に、瞳は黒から青に変わっていた。
 まったくの別人のように見えるし、これが本来の姿なのに、まったくもって違和感があった。
 何故なのかわからない。
 一時期、目の方はカラーコンタクトを入れることで誤魔化していたのだが、身体に合わなかった。いっそのこと、手術をして角膜を取り替えることまで考えたが、そんな金はなかったし、もぐりのサイバードック相手では、勘付かれて逆に売られる危険性もあった。
 あの辛い日々を思い出すとどうしようもなかった。いまだに悪夢を見る。半年もの間、葵は訳のわからない実験に付き合わされた。痛みもあった、屈辱もあった、地獄の日々ではなかったか?
 だが、半年後に、葵は結城悠に助けられた。もっとも、その後すぐに追っ手の襲撃で離ればなれになってしまい、葵は一人で逃げ隠れしなければならなかった。そうして、今はHIKARIに庇われていた。
 そして、紫藤が迎えに来た。

「あんたの兄貴が、あんたに催眠術をかけてるところ」

 彼女にそう告げたあの少女は、今も元気でいるだろうか? 少女も、その特殊な能力故に、葵のように企業に狙われていた。もし捕まっていたら、それでも自分よりもまだましなのかもしれない。
 葵は完璧ではないのだそうだ。欠陥品だった。どうにか、その欠陥を埋めなければならないのだという。そのために様々な薬品を投与された。
 人の心配をしている場合ではない。
 兄が、追ってきている。いや、本物ではない。しかも、得体が知れない。
「レックス……」
 涙がにじんできた。
 離ればなれになって、もう一年が経っている。紫藤がその気になれば、葵を見つけ出してレックスを連れてきてくれるに決まっていた。
 だが、レックスは来てくれない。兄が一人で現れた。彼女を捕らえるために。きっと彼女の情報がレックスに伝わらないように、手を回しているに違いない。
 葵はふらふらと歩き出した。本人は走っているつもりでも、身体がいうことをきかない。
「……どうして、助けにきて、くれないの?」
 階段の入り口で躓きそうになり、思わずそう愚痴る。
 這い上がるようにして階段を上っていく。

 帰っておいで、帰っておいで……。

 いったいどこに、帰るの? 帰るところが、あるの?

「どこへいく?」
 影が、背後に迫っていた。
 葵は崩れかけた屋上を見回し、そして背後を振り返る。階段の入り口の闇から、人影が湧いて出る。
「……あなたは、誰?」
 葵は後ずさりながら、不安を押し殺して訊ねる。
 その声は、帰っておいで、と呼びかけてくる声に似ていたが、葵はその声が別人であることが不思議とわかっていた。
「誰でもいい。少なくとも、あなたが何者なのか、私が真実を知っていることが肝心なのだ」
 痩せた中年の男は、ゆらりと蜃気楼のように揺れると壮年の男に変わった。
「人間じゃ、ないのね」
 葵はぼうっと呟く。
「それはあなたも同じでしょうに」
 その男は苦笑を浮かべる。
「さあ、闇へと誘おう。私が先導して差し上げる」
 男の影がぐるりとひっくり返ると、葵めがけて襲いかかってくる。地面を這い進む影が、葵の目の前で波のように広がり持ち上がった。
「!?」
 葵は漆黒に包み込まれ、悲鳴を上げる間もない。
 しかし、男はその手応えの無さに顔をしかめ、新たな人影に我が目を疑う。
 その人影は、崩れかけた屋上を囲う細い欄干の上に立ち、漆黒のマントを翻した。その両手には葵を抱きかかえている。
 得体の知れないのは男のようであるのに、その漆黒の人物の美しい顔立ちは、実年齢に見合わず皺も薄く、くたびれているようでいて、感情を見せない故に、瞳は鋭さを失い静謐を漂わせている。
 紫藤に、似ているような気がして、葵は一瞬ぞっとした。
「貴様が、……アード・スクルダか」
 影を操る男は、漆黒の魔術師を見上げた。その男こそが、ダールスの創造主であり、ダールスの基礎となった本体だ。
「魔族がこのコロニー内をうろついているとはな。だが、その数もたいしたことはなさそうだ」
 アードは、目の前の魔族の力量を推し量らんと目を細めた。
「貴様も魔術を使うようだが、この閉ざされた世界ではままならぬぞ?」
「……なるほど、貴様がフリーメーソンを乗っ取ったのだな? ただのオカルト集団ではあっても、素養のない人間たちに儀式をさせ、生け贄を捧げさせることで、黒魔術を行っている訳か」
 アードは、冷静に分析する。そういうアードはもちろん、魔術の触媒を身につけている。
「星の王もこの世界においでか?」
「銀斧の勇者を迎えに来ている」
 アードは素直に頷いた。
「だが、やつはサイボーグだ。外の世界では生きてはいけぬ身体よ。どうするつもりだ?」
 魔族は目を細めた。
「貴様には思いも寄らぬ手段を使う」
 アードはきびすを返そうとする。
「逃がすか!!」
 魔族はかっと牙を剥き、攻撃呪文を放った。
 だが、アードは葵を抱えたままビルを飛び降りる。もちろん、勝算あってのことだ。
 魔族は宙を飛び、柵に飛び乗るが、見下ろした地面にはアードの影は無かった。
 舌打ちする魔族を、光の矢が突き刺さってくる。遠距離射撃。科学の結晶たるレーザーライフルの威力は、闇で出来た魔族にも桁違いであった。
「しくじ、ったか、ダールス!?」
 魔族の身体が千切れるようにして、ちりぢりに舞う。


 敵を追ってきたHIKARIは、廃ビルを彷徨い続け、葵を探し続けた。
 そして、見つけたその光景に呆然とする。
 天井の崩れた瓦礫の隙間から差し込む光に照らされた、一輪の花を見つけるように。
 失墜の世界に陥った彼女は、静かに眠るように横たわっていた。
 HIKARIはよろよろとその側に歩み寄り、膝を折り、彼女の傍らに両手をついた。
 もう何も語らなかった。もうなにも見なかった。もうなにも聞かなかった。
 震える手で、恐る恐る彼女の頬に触れる。
 もう、どうすることもできなかった。
 彼に出来ることは、彼女のその遺体ですら利用しようとするであろう、メガ・コーポの魔の手から、彼女を守るために、すべてを燃やすことだけだった。
 ただ、救いなのは、彼女が穏やかな表情を浮かべていることだった。けれどもそれは、この苦しみから逃れられる、ただそのことだけだったのかもしれない。


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