企業が隠し持っていた銀の斧。最初、それはただの岩の固まりのように見えた。あるいは、美事な彫刻だと言うべきか。
言葉を話し、高い知能を持った存在。
それを見つけたのは五年前、企業から脱走したときだった。
液体で満たされた特殊ガラスの円筒に閉じこめられた、石の斧。
これが企業の何に役に立つのだろうか?
とにかく、そこが出口でないことだけは確かだった。どうすればいいのかわからず、困惑した。あれが見た目とは違う、特殊な武器ならば打開策になり得るかも知れない。これだけ厳重に、石の斧が守られているはずがない。だが、エヴァイロンメンタル・インターフェースの手術を行っていないので、物理的に破壊する以外に思いつかない。
取り出すパスワードもわからなければ、破壊しようにも金属の骨と人工筋肉でできた右腕も、この強化ガラスはびくともしなかった。
しかし、以外にもこの斧の方から彼に話しかけてきたのだ。
『待ちかねたぞ』
はじめそれは企業の重鎮の陰謀か何かか、罠にはめられたかと思った。だが、よく見ると石斧が光を放っていた。そう思ったのも束の間、斧が強い光を放ち始めた。銀の斧に変わっていくのがわかった。
『我が名はシャスティフォル。月の女神の名において、汝の名を答えよ』
それから何が起こったのかはよく覚えていない。
とにかく、銀の斧は手に入れたはずで、斧の導きにより、外に出たはずなのに、手にはなにも持っていなかった。
T−REX。それが彼の今の名前だった。
人類がこのシールドに封じ込められる以前の時代に生息していたと言われる、巨大な肉食恐竜の名前だ。恐竜の一種で最強最大の肉食恐竜に冠せられた名称から取られたあだ名だ。ティラノサウルス、T−REX。
彼にその名を付けた男は、もうこの世にはいない。
だが、物騒な性格で、凶悪な接近戦武器を使用することや、単体で動くことが多いのも、ティラノサウルスが群をつくらないのに当てはまっている。このあだ名の由来の一つだと考えられている。
ここ三年で指名手配リストの上位に名が挙げられるようになった。
本人はやりたいことをやって、欲しいものを手に入れているだけだが、その方法が世間の一般常識からかけ離れているのも事実だ。
そして、逃げ出してきた企業からも、もちろん目を付けられている。いい加減学習してもよさそうだが、あれだけ凶悪な男の所に飽きもせずに雇われ傭兵が殺されにくる。
この世界の賞金稼ぎたちは、互いに賞金首であり、お互いを狩ることで、恩赦と報酬を受け取るのである。
レックスは一年ぶりにD層へと戻ってきていた。
探している<エキドナ>の手がかりもなく、頼みの情報屋もつてがなく、一流のデッカーは近頃ますます情報料を引き上げてくる。
久方ぶりに紫藤の方から連絡があったことは、確かに渡りに船ではあるが、それはそれで警戒するに十分であった。
だが、手掛かりがないのも確かだった。ここは一度紫藤に会ってみることにした。
行きつけの薄汚い、横に長く狭い酒場。レックスは店の一番奥、一番大きなテーブルを一人で陣取っていた。
上流階級の、あるいは登録市民たちの住むB層ならもう少しましな場所もあるが、地下に掘り進んで作られたこのD層にはそんな洒落た店があるはずもない。それにここなら彼もたいていはくつろげた。
一瞬、なにか不思議な感覚にとらわれた。レックスは動けなくなってしまう。何が起こっているのかわからないが、これから何かが起こる、そんな予感に激しく捕らわれる。
そして、体内の危険信号が鳴り響く。金縛りが解けた。
『お客様のようだ』
彼の体の中にいるものが、忠告を与えた。
火の点いていない煙草をくわえ、銃の手入れをしていたレックスは、サングラスを下にずらし、上目遣いに正面に立った風変わりな男を見た。
顔をガスマスクで覆い、ゆったりとした長衣をまとっている。手には長い杖を握っていて、頭には微かに白髪が混じりはじめている。歳は四十くらいだろうか。杖のてっぺんには過剰なまでの装飾が施されている。かなりの値打ちものだろう。しかし、着ているものはそんなに高そうではない。というか、なにかのコスプレだろうか?
しかし、レックスはなにか得体の知れない息苦しさに見舞われ、我知らず動悸が早くなるのを感じた。
「○×▲☆◎」
ガスマスクは何か言ったが、レックスには何を言われたのかわからなかった。ガスマスクはそれに気が付き、咳払いをした。
シャスティフォルが、レックスの体内で動揺したのを感じた。だが、斧は何も言わない。
「……ああ、失礼。言語が違うのを忘れてた。いやあ、緊張していてね」
ふざけた男はガスマスクを揺らして笑い、居住まいを正した。
酒場の連中はレックスがいつ暴れはじめるのか気が気でない。客は逃げだし、店主は店と命が無事で済むのを祈り、カウンターに隠れてしまう。
「……君は相当な危険人物のようだね。しかし、安心し給え。私は君のような人間ともうまくやっていける人間だよ」
ガスマスクは店を見回し、大きな態度に切り替わった。
「……俺と組みたいのか?」
レックスは呆れた顔でガスマスクを見上げた。
「まあね。ただより安いものはないし。それが駄目なら、雇ってもいい」
いったい何様だ? レックスは半ば呆れた。
ガスマスクはもごもごと言った。ガスマスクに慣れているのか、声は鮮明だ。
「人を待っているところだ。死にたくなければさっさと失せろ」
レックスは口元を歪めて、手入れをしていた銃を組み立て始める。
「そうかね? 邪魔ならば今のうちに消しておいたほうが、君のためかもしれないよ?」
ガスマスクの男はそう言って、ブツブツ言いながらきびすを返し、酒場から出ていこうとした。
「今の忠告、有り難く聞いておくぜ」
レックスは手入れをしていた、五十口径オートマチックマシンピストルに弾薬のカセットを素早く装填すると、ガスマスクの男の背中を撃った。
今のは完全に喧嘩を売っている。
だが、弾はガスマスクの男に当たる前に進路が反れて、酒場の入り口近くに飾ってあった空の酒瓶を砕いた。
カウンターの奥に隠れていた店主が悲鳴を上げた。
呆気にとられたレックスを、ガスマスクの男は顔だけ振り向かせた。
「いいねえ。嫌いじゃないよ、そういう卑怯な手段は。でも、私の方が上手だね」
ガスマスクは振り向くと手にしていた杖でとんと地面を叩く。長衣の裾から青と赤の光が飛び出してきたかと思うと、杖の先端で手を繋いだように回転する。バリバリと電流が流れているのが見えた。
『まさかっ、いや、はやり……!!』
シャスティフォルが叫んだのを聞いた。だが、動揺のあまりか、飛び出してきて主人を守る気はないようだ。
杖の先端から稲妻が迸ると同時に、レックスは酒場のカウンターの上に飛び乗り、滑り込む。ガスマスクの脇をすり抜け、背後に回り込んでいる。シャスティフォルがレックスの合図に条件反射で飛び出し、その手に握られる。レックスは裏拳の要領で男の背中に斧を叩きつけた。
だが、今度は赤、青、金、銀の四つの宝珠がガスマスクの四方を囲み、銀の斧は見えない壁に阻まれる。その衝撃に、レックスの手から斧が吹き飛び、壁に突き立つ。
レックスは唖然とする暇もなく、酒場を逃げ出していた。シャスティフォルもそのまま突き刺さっている壁をすり抜けて、主人の後を追う。
「逃がしはしない。賞金三百万新円か。……オーディナス大陸では通貨に換算するといくらになるんだろう?」
ガスマスクの男、アレインはここでは貨幣が使われていないことを、オーディナス大陸には持って帰れないことを知っていた。だが、あえて言ってみる。この国で賞金稼ぎするのは、なかなか面白いかもしれない。
奇をてらっているな。
魔術は科学に通用しないこともあるが、科学が魔術より優れていることにもならない。
何なんだ、あいつは!?
新開発されたサイバーウェアでも組み込んでいるのだろうか? いや、サイバーウェアの機能ではなく、もっていた杖の機能か? だが、あまりにも奇妙に過ぎる。あの赤青黄色はホログラムか?
サイバーウェアは身体に埋め込み、人間の機能を向上させる。レックスの身体には右腕、両足などに人工筋肉や金属の骨格が取り付けられていた。さらに全身の骨はプラスティックコーティングされているし、内臓も改造されている。
A層では弾道を狂わせる重力制御装置や、電流を放出する武器が開発されたのだろうか? 人体に隠せる重力装置はともかく、電流を放出する武器くらいはあるかもしれない。
女のように華奢ではないが、強そうにも見えなかった。なにしろ殺気は感じなかった。殺しとけという助言は、もっともに思えた。あのガスマスク、ただのキチガイか? 今のが待ち合わせしている紫藤の罠とは考えにくかった。
……そういえば、紫藤もときどき得体が知れなかったのではないか? あの男女。
銃が駄目なら、接近戦しかない。彼の武器はあらゆる装甲を切り裂く。追ってきたとしても、その時は遠慮なくやらせてもらう。
レックスはその光景を想像して、隠れ家の扉を開いた。
「遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ。……それにしても君たちは、こんな不味いものをよく平気で食べられるね」
ガスマスクをとった、さっきのガスマスクの男が居間でレックスの食料を勝手に食べていた。男の持っている袋は、圧縮冷凍されたチキンの入ったものだ。小指サイズのチキンをレンジで復元して食べる食料を、この男はスナック菓子でも食べるように袋の中に手を突っ込んで、ぼりぼりと食べている。
……化け物か、こいつ?
レックスは構わず男の足下に手榴弾を放り投げて、扉の外に飛び出した。
隠れ家の一つが潰れたからといって、どうということはない。訳の分からないサイボーグを相手にするよりはましだ。これからは、今まで以上に警戒を怠らないようにしなければ。どこかにしばらく隠れているのがいいかもしれない。女の所にでも転がり込むか?
薄汚い大通りをぶらつきながら、レックスは考えた。空を見上げると、いくつもの電線とパイプライン、もっと上のB層のほうでは、宙を飛び回るスマートカーが、埃のような大きさで飛び交っているのが見えた。
そして、その上。
フィールドの半透明の天井。緑色の空が、くすんで見える。
レックスが手に入れた最強の武器も、レックスを外の世界に連れて行くことはできなかった。
レックスは回想から我に返り、正面に向き直った。
そういえば、あれからシャスティフォルは何一つ話さない。
「おい、どうした?」
レックスは話しかけてみる。
『……レックス、お前を外の世界に連れて行ってやれるかもしれんぞ』
シャスティフォルが厳かに言った。
「なに?」
冗談を言っている場合かと、レックスは舌打ちした。
「お前、なんであの時やつには通用しなかったんだ?」
レックスは未だにそのことが信じられなかった。見えない壁に阻まれた。つまり、シャスティフォルも透過できないということでもある。
それはいったい、どういうことなのだろうか?
『私も万能ではない。あれは魔術による物理障壁だ。物質でない以上、透過することは出来ない』
シャスティフォルは大真面目に言ったが、またはじまったと、レックスは舌打ちする。こんな時に、いったいなにをぼけているのだろうか。それとも、シャスティフォルなりに主人をリラックスさせようとわざとなのか?
どうにかして、紫藤と連絡を取らなければならない。あの新型のサイボーグをどうにかしなければ。
「!?」
レックスは立ち止まった。人通りの多い大通りの道の真ん中に、ガスマスクの男が立っていた。無傷だ。それとも別人か? サイボーグのクローン。量産機か? いや、あれだけのものを量産するなんていくら何でも無理だ。それに量産されているなら、まとめてかかってくるはずだ。
それとも、幽霊? 馬鹿な、そんな非現実的なものが、存在するはずがない。
そうした自身の思考すらまともではないことに気付かず、普段は冷酷冷血のレックスも、さすがに肝を冷やしていた。
大通りを歩く人々は、誰一人その奇妙な男の存在を、気に掛けてもいない。それがこのD層の街だ。
手近な店に駆け込み、裏口から逃げる。
が、そこにも先回りされていた。
大通りから、今度は人気のない裏通りに、ガスマスクの男は立ちふさがっている。
「思ったより頭の回転はよくないな。そんな手が、通用すると思っているのかね?」
ガスマスクは期待はずれだと、不機嫌そうに言った。ガスマスクの奥では、嘲笑うかのように瞳が光っている。
銃も、手榴弾も、シャスティフォルすら通用しない。
だが、レックスが持っている武器の中で、一番通用しそうなものは、これしかない。
レックスが右手を腰の辺りに差し出すと、こぼれ落ちるようにしてレックスの身体の中から銀の斧が転がり込む。
「地上に降りた月」
ガスマスクは呟いた。
決まりだな。企業の犬め、目にものを見せてやる。
レックスは目を細め、銀の戦斧をガスマスクの男めがけて投げた。
再び男の目の前に四つの星が現れ、物理障壁を展開する。レックスは左手を前に突き出す。腰に吊してある銃が飛び出し、左手に飛び込んでいく。
レックスは跳ね返されたシャスティフォルを見向きもせず、地面に伏せながら、赤い光めがけて銃を連射した。
「おうっと!!」
ガスマスクは感心した様子で声を上げると、何事かを唱える。四つの光は男に吸い込まれるように収縮すると、ガスマスクの男共々姿を消す。
どこに?
レックスは舌打ちした。物理障壁とやらを形成する、あの四つの光も破壊することは出来ないようだ。
しかし、追い払ったか。
「シャスティフォル!!」
レックスは戻ってきた相棒を身体の中にしまい、その場をずらかった。