貴様の差し金か?
レックスは、そう問いただそうとしたが、名前を呼ぶに終わった。
「……!?」
その姿を見て、思わず呆気にとられて言葉が出ない。
紫藤、と思ったその男は、随分と年配に見えたし、雰囲気がまるで違った。紫藤といえば、肉感的な美女、あるいは隙のないサラリーマン、。
けれど、今レックスの目の前にいるのは、ダークスーツに身を固め、裏地が深紅の漆黒のマントに身を包んだ、年齢のよみにくい研ぎ澄まされた針のような男だった。
紫藤の父、いや兄か?
そういった感想が脳裏をよぎる。
「肋骨にひびが入っていますが、防護呪文のおかげで、総帥は無事です」
再び背後で冷静な女の声。
レックスは肩越しに振り返ると、レックスが壁に叩きつけたガスマスクの男の側に、女の紫藤が膝をついていた。
「紫藤、どういうつもりだ!?」
レックスはそちらに問う。
「私はずっとあなたとシャスティフォルを監視していたということよ。……準備が整うまでね」
紫藤は冷たくレックスを一瞥し、再びアレインに視線を戻す。体内のセフィロートの樹を発動させ、カイルランドのセフィラに集中し、治癒魔術をアレインに施す。
「……!」
レックスは、紫藤に無視されてさらに問いつめようとするが、それをアードが遮った。
「私が相手をしよう、T−REX」
アードがさらに冷淡に言葉を紡ぐ。
レックスはこっちが親玉かと、アードを振り返り、油断無く身構える。シャスティフォルが側にいることはわかっていたが、それでもその沈黙が何故か冷たく感じられた。
「相手だと? 何者だ、貴様?」
レックスは、更に油断無く男の出方を窺う。さっきのガスマスクは、総帥と呼ばれると言うことは、この男はその下につくのだろうか? さっきの柔な手応えからしても、この男の方がよほどらしいような気がする。
「私は、アード・スクルダ。紫藤の創造主であり、お前が殴り飛ばした星の王の参謀役といったところだ」
アードはそう答える。
「お前がこの落とし前をつけてくれるってわけか?」
レックスが右手を差し出すと、シャスティフォルは大人しくその手に握られる。
「いいや、説明は『ここ』を出てからだ。お前には選択肢はない。我々には貴様と月光戦斧が是が非でも必要だ。四肢をもいででも、貴様を連れて行く」
アードは物騒な視線を向けるが、その表情や物腰は平坦なものだ。
背後で、少年がよろめき立ち上がり、わからない言葉で何か言ったが、アードが何かを言って抑えたようだ。
「私は、アレインのようにはいかない。月光戦斧の力は、紫藤から報告を受けている。そして、貴様の戦闘能力もな」
アードの姿がかき消える。
レックスは背後を振り返り、左手首を返す。腕時計のセンサーが反応して、腰に吊した銃が、その左手にむけて射出される。視界に入る前に、背後に向かって銃を撃つ。黒いマントの裾が翻り、視界の端に吸い込まれるようにして消えた。
『上だ!』
シャスティフォルがその視界の広さで、レックスの死角をカバーする。レックスは威嚇のつもりで周囲を警戒しながら、やはり頭上を見上げずに撃つ。
視界の端に漆黒の姿が現れる。レックスはシャスティフォルをアードめがけて投じた。
アードは動じることなく、瞬間移動する。アードも魔法の発動体を所有している。シャスティフォルが崩れた電信柱に突き刺さる。
『右だ!!』
レックスはシャスティフォルの援護に、シャスティフォルめがけて銃弾を連射する。銃弾がシャスティフォルの表面に弾かれて跳弾していく。
「!!」
アードは身体を低くして走る。跳弾が走るその空間で、瞬間移動したらどうなるかわからない。だが、レックスの方は構わずアードに飛びかかっていく。アレインを吹き飛ばしたその拳が、続いてアードに襲いかかる。
「な、にっ!?」
ホログラム?
レックスの拳が、漆黒の影をかき消した。
「この時を待っていた」
ばさりとマントが翻り、アードがレックスの頭上に舞い降りてくる。
『レックス! 意識を集中させろ!!』
シャスティフォルはアード目掛けて飛んだが、アードは呪文を完成させていた。この瞬間を狙った、渾身の呪文だ。
月光戦斧シャスティフォルは、月美神の創造物である。月の女神は信者に、幻惑の力を授ける。心を惑わし、五感を騙すのだ。
だが、シャスティフォルは主人に対するそうした影響から、主人の精神を防御する。だから、レックスには催眠術の類は通用しないのだ。それは、呪文も同様だ。だが、精力絶倫のレックスには誘眠や、肉体を衰弱させるような呪文とて通用しにくい。
ほとんどの呪文は、レックスには通用しないのだ。
盲点は、こうしてシャスティフォルが主人から離れているその瞬間のみ。
レックスはアードの漆黒のマントに包み込まれ、ぶつりと意識を失った。
レックスは我に返ると、がばっと起き上がった。白い。意識が回復していないのか、夢なのかと、一瞬錯覚してさらに混乱しそうになる。とにかく、真っ白な部屋だった。
『起きたか、レックス』
シャスティフォルの声がしたが、自分が寝かされているその場所を見回した。
「あれ? 起きちゃったじゃない」
聞き覚えのある男の声がして、レックスはそちらを振り返る。
紫藤とアード、そしてもう一人の貧相な体つきの男。総帥と呼ばれていたガスマスクの男だ。
その男と目があったとき、レックスはやはり違和感を感じ、息苦しさを感じた。発作にも似たその息苦しさが眩暈まで引き起こして、身体が傾いだ。
何かを言われた気がした。なんだったか、暗くなっていくその視界の先には、やはりあの男が自分を哀れむように、見つめている気がした。
そして、憎しみ、怒り。奪われたものの悲しみ。
信頼していたものから受けた、裏切り。
『レックス!!』
シャスティフォルの叫びで、沈み掛けた意識が戻る。危ういところで地面に手をつく。一瞬の出来事のようだった。レックスは地面に手をついて、三人を見上げた。
「………」
だが、ガスマスクの男は、一瞬の既視感で見たような初老ではなく、少なくとも中年男でしかなかった。
今のは一体、なんだったのだ……?
この連中は怪しげだ。なにか、催眠術でも掛けられたのだろうか?
とりあえず、レックスは自分が無事であり、拘束もされていないことに、警戒しつつも立ち上がった。
「よくも、私を殴ったな」
ガスマスクを脱いだ男がレックスを睨み付けてきた。だが、その細い身体では迫力もあったものではない。
レックスは脱力した。
「お前がからかいすぎるのだ」
アードは冷たく言い放ってアレインを咎める。
からかわれたのか。
レックスはこめかみに青筋を立てる。
「レックス。この方は私のマスターであるアード様が属する<円卓の騎士団>の総帥であらせられる、アレイン・スターロード閣下です」
紫藤がレックスにそう言って、アレインを紹介する。アレインはえへんと言わんばかりに薄っぺらい胸を張った。
「……なんなんだ、いったい?」
他に言いようがあっただろうか?
レックスの腹の底から響くような押し殺した声に、紫藤は我知らず身震いした。
「んー、つまり、入団試験みたいなものだよ。君とシャスティフォルの連携はたいしたものだ。うむ、合格」
アレインはやはり偉そうに頷く。
「何が、入団だ!? ふざけるな!!」
レックスは勢いよく立ち上がった。シャスティフォルを探すと、床から浮かび上がってきて、宙に浮いた。
『レックス、とにかく話を聞いてみてはどうか?』
どのみち、入り口の見あたらないこの部屋からは逃げられない。
「……俺を雇えるほどの報酬が払えるのか?」
レックスは意地悪く端正な顔を歪め、アレインを睥睨する。
「生身の肉体」
アレインはこともなげに、予想外の答えをレックスに返した。レックスは一瞬呆気にとられ、そしてそんな自分に怒りながら、アレインを怒鳴り返す。
「クローンなら、お断りだ」
「なんで?」
「本物の俺ではないからだ」
レックスは苛立ちながら答えた。
「なら、君のなにが本物なの?」
「!!」
レックスは歯がみした。
アレインは、勝ち誇ったように笑みを浮かべたので、レックスはもう一度殴ってやろうかと拳を握りしめた。
「お前に本物の肉体を返すには、とあるお方と聖杯の力が必要だ。お前の肉体は半分以上がサイバーウェアで構成されている。現存する運命神の神官たちでは、力不足だ。とにかく、お前をこのコロニーから連れ出すには、一度その身体から仮の生身の肉体に転生して貰わなければならない」
アードが冷静に意味不明のことを、さも当たり前のように答えた。
レックスは話を途中で遮ろうとしたが、途中の下りで絶句した。我が耳を疑う。
「なに?」
転生? 正気か、こいつら? なにかの宗教か?
「もう一つの報酬は、このコロニーから君を外の世界に連れて行ってあげるってこと」
アレインが驚きを隠せないレックスに、再び勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ふざけたことをぬかすな。……そんなことが現実に出来るはずがない」
レックスは怒るのにも疲れて、手を振り項垂れた。正直落胆している自分にも驚いている。そんなことが、現実に起こるはずがない。
いや、しかし。
レックスは唐突に気付いた。
彼らは神出鬼没だった。そして、実際に目の前から消えて、別の場所に現れて見せたのだ。
瞬間移動。
すべてのコロニーが求めて止まない、シールドを越える力。
レックスは全身の毛が総毛立つのを感じた。
『レックス、行こう。私はそのために、お前を選んだのだ』
銀の斧、シャスティフォルが言った。
「君の方が話がわかりそうだね?」
アレインは銀の斧を見つめる。美しい銀色の姿、けれど大きく物騒な形状をしている。
『その通り。不死鳥と共に封印されたファルガイスにかわりに、月の女神に遣わされた。私を探しに来たということは、未だにファルガイスは解放されていないのか?』
「いや、そういうわけではないのだけれどね、とにかく一緒に来てくれないか? 我々には君たちが必要なんだ。世界の果てにある闇が、この世界を飲み込む前に」
アレインは先ほどまでのふざけた態度とはうってかわって、シャスティフォルに真摯な口調で話した。
「……俺を無視して話を進めるとは、いい度胸だな。俺が犯罪者だと、わかってて言ってるのか?」
レックスは太く長い両腕を組む。
「そう? でも、女を泣かすなんて、可愛いもんだよ」
アレインは、なんでもお見通しといった様子で、レックスを揶揄する。レックスはもちろんその程度と言われては気にくわない。
「犯すの間違いでしょ」
紫藤が、いつもの口調に戻って、わざとらしくレックスから視線をそらせる。
「人殺しなど、我々の世界では日常茶飯事だ。守ることの方が、何十倍も難しい」
アードが淡々とした口調で告げる。
「とにかく、本当だよ。君を外の世界に連れて行ってあげる。仮にだけど新しい身体に君の魂をそっくり移し替えてね」
アレインは肩をすくめる。
魂?
レックスは、非科学的な単語に顔をしかめた。今時、占い師でもそんなことは言わない。
「空は、本当に青いのか?」
レックスはアレインの水色の瞳を見つめた。
「自分で確かめれば?」
アレインは勿体ぶって、目を細めた。意地の悪い表情に、レックスは顔をしかめた。
「アレイン、いくらなんでもあの態度はないのではないか?」
アードに意見されて、アレインは不機嫌面をする。
「ああいう、自己陶酔傾向の男は嫌いなんだよ」
アレインは憤慨していた。
アードは、スカルとは性格の随分違うレックスに手を焼かされるのだろうと嘆息する。
馬が合わないらしいと、ヴァイオレットも黙り込む。そういう意味では、彼女の方がレックスとは付き合いが長いのだ。
ダールスは、アレインを崇拝していたが……。なぜ、こんなことになってしまったのだろうか?
そもそもが、ヴァイオレットがまきに殺されたのが、きっかけであるから、彼女の落ち度でもあるのか。あのあと、ヴァイオレットは<天の車>にある予備に覚醒したが、一心二体であるダールスとの絆は薄れてしまった。
アードにしてもアレインの苛立ちの方向を、間違って認識していた。このことはわかっていたと言わんばかりだ。
レックスは黒髪に青い瞳も鋭い二枚目だが、その容貌はともすれば、スカル・クロスボーンズや、フィン・マクヴァルと、兄弟のように似ている。
不死鳥のピラミッドの預言による、青き三連星の最後の一人は、レックスのことだろうか。
だが、イリーナを守ると預言されている彼らは、三人揃うはずなのだ。それなのに、フィンもスカルも、今はいない。あの預言は実現されないのか、それとも最後だけが例外なのか。
スカルのかわりに現れたレックスのことが、アレインは気に入らないのだろう。アードはそう解釈していたのだ。
だが、アレインの苛立ちはそこにはない。
T−REX。あの男を、アレインは知っていた。
アースガルド帝国、忌まわしい聖地での決闘。アレインが、スカルと戦ったとき。
女神は、スカルをレックスへと変貌させたのだ。スカルが誰に変身したのか、記憶の彼方に消えていたが、改めてその正体がここにあらわれたことにぞっとした。
アレインは鳥肌がたった腕を慌ててこする。
あれから十二年の月日が経ったというのに、久方ぶりに女神という存在の得体の無さに、怖気が来た。