PHOENIX SAGA Chapter 05. 6/9


 イリーナたち一行は、馬に乗って三角州に向かっていた。
 数日間馬の背に揺られ、渡し守をしている神官に、向こう岸まで送って貰う。神官に馬を預け、三角州に広がっている森を、徒歩で探索する。
 こんな人の来ないような辺境に渡し守をしている神官を配置していると言うことは、やはり重要な秘密が三角州の森にはあるのだろう。
「まあ、きっと森の真ん中にあるんだよ」
 アレインは無責任なことを言った。森はそれでも巨大だ。道に迷わないか、そしてちゃんとたどり着けるかが心配だ。
 秋に色づく夜の森には、虫の鳴き声がもの寂しく響いている。
「スカル、木に登って探してきて。大きい泉らしいから、森が開けて木がないところが泉よ。急がないと満月が昇ってしまうわ」
 イリーナはスカルに言った。
 スカルは頷いて、高く跳躍する。泉があるらしい、森の開けた場所を探す。
「多分、向こうだよ」
 森の木々の上に頭を覗かせてきたスカルは、そちらのほうに二人を誘った。
 一同はしばらくその方向に歩いていった。
「何にもないじゃない」
 一向に月の明かりを反射させる泉を見つけられず、イリーナはスカルに文句を言った。
「しっかりしてよ」
 アレインもスカルに文句を言う。
「……おかしいな?」
 スカルは頭を掻いて、再び木の上に跳び上がる。
「……変だな。針路がずれてたみたいだ」
 スカルは神妙な顔で言った。
「……ってことは、やばいんじゃない?」
 アレインはイリーナを見た。
 イリーナもアレインが言いたいことをなんとなく理解する。
「とりあえず、先に調和神の神殿に行ってみましょう」
 イリーナは言った。
「どこにあるの?」
 アレインはイリーナに訊ねる。
「あれじゃないかしら?」
 イリーナはアレインの背後を指差す。森の木々の向こう側に見えている、建物を指差した。
「……どこ?」
 アレインはイリーナを振り返る。
「あれよ、あれ」
 イリーナは怪訝な顔をしている男二人を無視して、森の奥へと突き進んでいく。スカルとアレインは慌てて後を追った。
 森の間から、蜃気楼が浮かび上がるように闇が揺らめいた。
 四方を高い壁に囲まれた建物が見つかった。
「……あった」
 アレインは拍子抜けしたように言って、三人はその建物に向かっていった。
 建物は、誰か人が住んでいるようには見えなかった。
 高い外壁は正方形で、それぞれ四方に門がもうけられている。しかし、どの門も堅く閉ざされている。
「外壁、門と言うよりも結界みたいだね」
 アレインは門を見上げながら言った。
「まさしく、聖域ね。……どうやったら、なかに入れるのかしら?」
 イリーナは首を傾げた。
「知らないの?」
 アレインは呆れた表情で、イリーナを振り返る。
「知らないわよ」
 イリーナはアレインに答えると、門を調べはじめる。
 この神殿はおそらく調和神の恩寵を受けたものにしか見えないように隠されていたのだろう。ならばきっとイリーナに開けることが出来るだろうとアレインは思ったが、門が堅い口を開ける気配は全くなかった。
「スカル、外壁を飛び越えて門を内側から開けてきてよ」
 アレインはスカルに言った。
「…………」
 神殿に盗みにはいるようで気が進まなかったが、イリーナも頷いたのでスカルは仕方がなく跳躍した。
 が。
 壁の上の、何もないはずの場所ではじき飛ばされる。スカルの身体は白い衝撃の光を放って、後方に吹っ飛ばされた。
「スカル!? 大丈夫?」
 イリーナが地面に落ちたスカルに駆け寄った。
 受け身を取ったので、大事には至らなかった。スカルが盗賊としても身のこなしを身に着けていなかったら、ただではすまなかっただろう。
「敵よけの完璧な結界だな。ここには、いったい何があるのかな?」
 アレインは興味津々といった様子で、影を見上げた。
「呑気に言っている場合?」
 イリーナがスカルを助け起こしながら、アレインに説教しようとする。
 すると、門がひとりでに開きはじめる。
「……何か騒がしいと思ったら、新しい司教様ですか?」
 一人の老人が、門からひょっこりと顔を出した。
 その小柄で人なつっこい表情に、三人は一瞬唖然となった。

「神殿と言うよりも、祠みたいですね」
 イリーナは老人に言った。
「ここは、神殿と言うよりも調和神神殿の宝物庫と言ったところですね」
 同じようにアレインが老人に言う。
 同時に老人に声を掛けた二人は、顔を見合わせた。
「そうなの?」
 イリーナは外壁の中を見回した。
 外壁の中は広く、その四隅に、それぞれ木と泉が湧きだしている。二本の木も、二つの泉も尋常ではない。
 黄金の樹と、宝石のなっている樹。そして、笑うようなせせらぎの音を立てて吹き出している輝く泉と、鏡のような水面に底が見えない泉。
 その中央には、お堂が建っている。
「私はこの度、調和神にお仕えする司教の位を仰せつかった、イリーナと申します」
 イリーナは挨拶がまだだったと、老人にお辞儀した。
「おお、あなた様が。儂はこの聖域を守る、グスターフです」
 老人は、白く太い眉の下の細い目をわずかに開いてイリーナに微笑みかけた。
「そのお二人は?」
 グスターフはスカルとアレインを差した。二人はどう見ても護衛の神官戦士には見えない。
「……この二人は」
 イリーナは説明に詰まる。護衛と言えば、二人に失礼になる。だが、仲間だというのは、何故かはばかわれた。
「三人、ではないのですね」
 グスターフは言った。
「……どうして、それを」
 イリーナは顔色を変える。
「何? どうしたの?」
 アレインは二人を見比べる。そして、スカルを見る。スカルは首を傾げた。
「さあ、こちらへ。命の水で身を清め、黄金樹の実をお召し上がりください。さすれば、司教としての役目を果たすために、魔法樹から魔導石をおとりになれます」
 グスターフは言った。
「命の水? 黄金樹? 魔法樹? 魔導石?」
 グスターフの言っていた単語をすべて反芻して、アレインが老人に詰め寄った。
「じゃあ、やはりこれ全部がそうなんですか?」
 アレインは泉に近寄っていく。
「殿方が婦女子の裸をじろじろと見るものではありません。お話は、こちらでどうぞ」
 グスターフはアレインとスカルをお堂に通した。そうして、イリーナに溢れ踊っている泉を指して、そこで水浴びをするように言った。
「凄い、何これ? 凄いでかい魔導石……」
 アレインはお堂の中に、調和神像ではなく、巨大な魔導石が浮かんでいるのを見て呆気にとられた。
「それで、庭にあった命の泉、黄金樹、魔法樹、もう一つは何ですか?」
 アレインはせっかちにグスターフを振り返った。
「もう一つは転移の泉です」
 グスターフはゆっくりと答えた。
「なんのおもてなしも出来ずに申し訳ありません。なにぶん一人暮らしなもので」
 グスターフはスカルに言った。
「いえ、お構いなく。……こんなところで、お一人でお住まいになっていらっしゃるのですか? それとも毎月どなたかが会いにいらっしゃるのですか?」
 スカルは気遣わしそうに、老人に尋ねた。
「はい。この場所を守る者が新たに現れるまで、儂はここを守り続けるのです」
 グスターフは優しい言葉を掛けられ、微笑んだ。
「何の生活用品もないみたいですけど」
 アレインは、お堂にそれ以上の部屋が見当たらないことに気付いた。
「ここは、空間的に閉じているのです。満月の晩にだけ、月の光を浴びているときだけ、結界が一部解けるのです」
 老人は言った。
「ですから、何の心配もいらないのですよ」
 グスターフはスカルに微笑んだ。
「しかし、ここは一体? 何のために?」
 スカルは訊ねた。
「ここにあるのは、人類の宝です」
 グスターフは言った。
「黄金樹も魔法樹も、世界太古の植物、世界樹の子孫と言われているし、命の泉も、転移の泉も今では伝説でしかないからね」
 アレインは言った。
「あなたは、魔術師ですね」
 グスターフはアレインに言った。
「あなたは……」
 グスターフはスカルを見る。
 スカルは何か、心の中を見透かされているようで、いたたまれなくなった。
 自分のやって来たことに、自分の持っている力に、後ろめたいものを感じているのだ。
「……ほう、この猫は。レグルスですね」
 老人はスカルの肩にのっかっている仔猫を抱き上げた。レグルスは嬉しそうに一声啼く
「……その剣は?」
 老人は、仔猫を抱えてスカルの腰の剣の事を訊ねた。
 確かに、真紅で、白い翼の柄を持ったこの剣は目立つ。だが、見る者が見ればそれが何か気付くだろう。
「太陽剣ファルガイスです」
 はぐらかされたようなスカルは、しかし腰に吊したファルガイスを外した。
「ですが、炎の魔人に折られてしまったのです」
 スカルはグスターフに剣を差し出そうとしたが、逆に断られた。
「その剣は、あなたを選んだのです。むやみに、他の者に触らせてはいけません」
 グスターフは言った。
 言われてスカルは恐縮する。アレインは、何も言わなかった。
 イリーナが戻ってくる。お堂に入ってきた。髪は濡れていて、目は泣いた後のように赤く潤んでいる。
 どこか思い詰めたように青ざめているイリーナを見て、スカルは何かあったのかと心配になった。
「グスターフ様。あなたは、あなた様は前代において教皇の位にあったグスターフ様ではありませんか?」
 イリーナはグスターフの足下に崩れるようにして、跪いた。ターラはイリーナが神殿に来てから司教になった。ここに来て、イリーナのことを話していても不思議はない。そして、なにより神の神託で聞き及んでいたかもしれないのだ。
「前代の教皇?」
 アレインはグスターフを見る。
「面を上げなさい、イリーナ」
 グスターフはイリーナの濡れた髪を撫でた。
「立ちなさい。司教叙勲の儀式はまだ終わってはいません」
 グスターフは三人を外に誘った。
 南西にある命の泉の反対側、南東には黄金の樹が金の葉っぱを繁らせ、黄金の林檎をたわわに実らせていた。
「この聖域は、代々調和神の教皇を勤めたものが守っているのです。さあ、お食べなさい。世界樹の末裔である、黄金樹の実は命の果実。神の時代の植物。それがこの世界にまだ残っている。神の恩寵であると思いませんか?」
 イリーナは前教皇のてずからもいでくれた金の林檎を、ありがたく皮ごとかじった。
 アレインは物欲しそうにそれを見ている。確かに彼は食事の味付けなどにはうるさいが、知的好奇心が抑えられないのだろう。だが、グスターフはアレインのためにはもいでくれなかった。
「あの命の泉やこの黄金の林檎は、死者を蘇らせることが出来るのですか?」
 イリーナは青ざめた表情で、おそるおそるグスターフに訊ねた。
「さあ、できないでしょうね。黄金の林檎は、あなたの身体を内側から清めてくれます。命の泉は外側から清めてくれるものです。黄金の林檎は病を癒してくれるでしょう。しかし、死んだ者は生き返らすことはできないのです。そもそも死者は食べることが出来ませんからね」
 グスターフは優しい表情で、イリーナに言った。
「司教は、次期教皇候補。この聖域を守る役目を担うことを知らされるために、この聖域を訪れ、身体と心を清めるのですね」
 アレインは一人頷く。
 だが、イリーナは下を向いて突然すすり泣きはじめた。
「教皇様、グスターフ様。……私は、私……」
 イリーナは泣きはじめた。しゃっくりをあげて、子供のように泣きじゃくる。
 アレインとスカルは訳が分からず顔を見合わせた。
 グスターフは腰が曲がって、イリーナよりも小さくなっていたが、そっとその背中をさすってやる。
「どうしたのですか?」
 グスターフは優しく訊ねた。
「……私は、罪を犯しました。……私は、死者を蘇らせ、死を冒涜しました」
 ガイルのことを言っているのだと、スカルとアレインにはすぐにわかった。
「私は、死を冒涜したのです。私は、彼の人生を汚しました。たった一度しかない人生を、他人の一度しかない人生を冒涜しました。彼は戦士です。これから先、何人もの命を奪い、他人の人生に関わっていくでしょう。私は、そういう人たちの人生まで汚したことになります! 彼はこれから先、死というものを軽んじて生きていくのではないでしょうか? だとして、それが命取りとならないでしょうか? 彼は罪を犯さないでしょうか? 私は、正しかったのでしょうか……?」
 イリーナは泣き叫んで、地面に突っ伏した。
「イリーナ。人間は、何度でもやり直しがきくものです。あなたも、これから先何度人生をやり直すかわかりません。あなたが生き返らせた御仁も、これから人生をやり直すのです。あなたは、彼が生まれ変わったのを手助けしたに過ぎません」
 グスターフはイリーナの側に跪いた。仔猫が心配そうに、イリーナの手を舐める。
「それに、今のはガイルを侮辱しているように思えるな」
 アレインは余計なことを付け加える。
「やっちゃったことを、いちいち後悔しても仕方がないじゃない。それがその時一番良かったことなんだよ。君はこれからも正しいと思った人を生き返らせればいいじゃない」
 アレインは苛立っているようだ。
「第一、生き返らせた人間の人生にいちいち責任を持たなくちゃいけないんじゃ、いつまでも親離れできない子供みたいじゃない。人間、誰しも親元を離れなくちゃいけないんだよ。そうしたら自分の責任で生きて行くしかない。ガイルがどんなことをしようと、それはガイルの責任で行われるもので、君が責任を感じる必要はないよ」
 アレインはイリーナを見下ろした。
 スカルは、そっと遠くを見た。彼は、ずっと組織のために自らの意志を押し殺して任務を遂行してきた。そこには、彼の心は存在していなかった。
 自分が正しいと思ったこと。それは、ただの自己欺瞞に過ぎなかったのかも知れない。スカルがイリーナをすぐにリマインに連れて帰れば、ガイルは死なずにすんだかも知れないし、そうではないかもしれない。
「そう考える人間がいて、然り。世の中には、いろんな人間がいて成り立っています。それに、イリーナ。あなたは忘れています。調和神は、すべてのものを慈しみ守ってくれます。あなたが迷うことも、嘆くことも、調和神は見守って下さっているのです。正義が全てではありません。ですが、あなたは今のまま自分の正しいと思ったことをしていきなさい。それが、あなたの調和の教えなのですから」
 グスターフは優しくイリーナに言い聞かせ、好々爺の笑みを浮かべる。
「一つ、よろしいでしょうか? 調和神の教えとは、自分が正しいと思ったなら、どんな悪いことでもしていいというこということなのですか?」
 アレインは極端な質問をグスターフに投げかけた。
「そうです。それが、必要ならば。調和神に信者が少ないのも、そういった境界が曖昧で、判断が難しく、人々のよりどころとしては、心許ないのでしょう。人は弱いものです。自分で決めるよりも、誰かからか指示されて生きる方が容易い。調和神神殿にはどこにも行く宛のない人々が集まってきます。調和神の司祭たちは、神の教えではなく、自分の心を信じ、自らを律しています。調和神は、それを見守って下さるのです」
 グスターフは言った。
「やはり、難しい宗教ですね。イリーナはどうして、調和神教にしたの?」
 アレインは、何気なくイリーナに訊ねた。
 だが、イリーナからは返事が返ってこなかった。しゃっくりだけが、響いている。
「さ、もう立ちなさい。今度は魔法樹の実を差し上げましょう」
 グスターフはイリーナの手を取って、立ち上がらせた。イリーナは反対の手にレグルスを抱えて立ち上がり、しゃっくりを上げながら、今度は北西の宝石のなっている樹に行く。
 無視されたアレインは、しかしイリーナが泣きじゃくっているので、それ以上は追求しようとはしなかった。
「さあ、この樹の枝の実を一つ選びなさい。それをあなたにあげましょう」
 グスターフは宝石のなっている樹を指した。
「これは?」
 イリーナは涙を拭って、煌めく樹を見上げた。
「魔法樹。魔導石の原料となる実のなる樹だよ。普通の宝石で作る魔導石は、使い捨ての魔力石だけど、この木の実でできているものは、マナを吸収して何度でも使えるんだ。ちゃんと魔法で加工すれば、大きくも出来るんだよ。賢者の学院なんかにある巨大な魔導石は、この実を魔法で成長させたものなんだ。あのお堂にあった巨大な魔導石もそうですよね?」
 グスターフの代わりに、アレインがイリーナに説明した。
「あれは、人からの預かりものでしてな。この結界もその方のご厚意なのです」
 グスターフはそう言って、はじめて曖昧な表情で誤魔化すように笑った。
「リマインの賢者の学院にも、こんな大きなのはなかったな」
 だがアレインは聞いていない。感動して、樹を見上げた。
 イリーナはアレインの蘊蓄を訊きながら、青い木の実を選ぼうとした。
「あっちの赤い奴の方が、大きいよ」
 アレインはイリーナに言う。
 イリーナは一生懸命に言っているアレインに、思わず笑い出す。そして、笑いが止まらなくなってしまう。
「何笑ってんの?」
 アレインはお腹を抱えて笑い出しているイリーナに怪訝な顔をする。見るとスカルもイリーナほどでもないものの、笑っていた。
「アレイン殿。あなたにも一つ差し上げましょう。その赤いのを持って行きなさい」
 グスターフはにこやかに言った。
「有り難う御座います!」
 アレインは跳び上がって喜んで、イリーナを無視して先に赤い実を採った。
 イリーナは笑いをおさめて、青い実に手を伸ばしたが、届かない。
「これ?」
 スカルが代わりに手を伸ばして、青い実をもいでくれた。
 その横顔を見て、イリーナは昔懐かしい人物を思い出した。だが、すぐにその重なった姿を心の奥に押しやった。
「有り難う」
 スカルに手渡された青い実を掌で転がせて、イリーナは小さく礼を言った。
 スカルに手渡された青い宝石は、その瞳の色を思わせた。


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