スカルの身体には全身にひびが走り、光が漏れていた。ところどころから、崩れ落ちていくのが見えた。
ウィリアムが、聖なる槍ロイ・ペリオースを投げるのが見えた。
セフィロスを貫通した一撃は、さらにイリーナの胸を穿ち、聖竜の巨躯すらも引き裂いた。
瞬時にして、崩壊の風が世界を飲み込んでいった。
アレインは世界が壊れていくのを目の当たりにして、呆然とした。
聖地があった場所から、イリーナがいたところを中心にして、世界が崩れ始めていた。彼女の槍に貫かれたその傷口から、血ではなく光の粒子が零れだし、光の粒子は物質どころか次元隔壁すら蝕んで広がっていった。
イリーナの姿は瞬く間に粒子になって崩れ去り、その粒子は聖竜もセフィロスも飲み込み、スカルを飲み込み、聖地を飲み込んだ。
けれど、その粒子も箱船には作用できないのか、今や箱船は黄昏色の海にすっぽりと沈んでいた。
誰もがどうすることもできずに、呆然としている。なにが起こっているのか、わからない。
「アレイン様」
セリネスティーナはアレナディオの膝の上から降りると、するすると長い裾に足を取られることなくその傍らに立つ。
そして、何もない黄昏の空間に指を差す。
「虚数空間の中に、まだファルガイスが残っています。急いで救出しなければ、混沌に呑み込まれます」
アレインは呆然とセリネスティーナを振り返る。セリネスティーナは微笑んだ。アレインはあんぐりと開けっ放しの口を急いで閉じると、急いでその位置を確認する。
黄昏色の空間に、黒い点を見つけた。
アレインは闇が無くならないうちに、照準を合わせ転移の呪文を闇めがけてかけた。
「おい、大丈夫なのかよ?」
アレナディオは魔法が使えないためか、こういう不可思議なものに免疫がない。というか、カタリーナもグランゼもまだ呆然としていて、立ち直れない。
「……これはいったいなんなんだ?」
「混沌です」
誰に問うともしれないグランゼの質問に、アレインではなくセリネスティーナが答えた。
珍しく気の小さいアレナディオを後目に、アレインは呼び寄せた黒い球体を覗き込む。
虚数空間は混沌に呑み込まれなかったようだ。だが、空間を維持する時間に制限があるはずだ。
アレナディオは、アレインの背中に隠れて、闇を覗き込む。
闇の中から、光り輝く聖剣ファルガイスが現れる。オーガイストの異空間にいたため、原始の海に呑み込まれるのを免れる事ができたのだ。
ファルガイスの剣は、しかしすぐに光に分解すると、今度はアーダルベルトに再構成した。
「アーダルベルト!」
アレナディオはアレインを押しのけ、光の状態のアーダルベルトを抱きとめた。
しかし、何かおかしい。
アーダルベルトは、二歳児半に戻っていた。あうあうと、アレナディオの顔に手を差し伸べ手足をじたばたさせている。
それを見て、アレインは青ざめる。
「……ファルガイス、ファルガイス!!」
アレインはアレナディオから、赤ん坊を奪い取った。
「ファルガイス!! お願いだ、教えてくれ!! いつまで赤ん坊のふりをしているんだ!? スカルが死んじゃったよ、どうしたらいいんだよ!?」
ファルガイスの記憶を持っていたアーダルベルトは、ただのアーダルベルトになってしまった。アレインはそんな悪い予感に捕らわれ、アーダルベルトを揺すぶり、アーダルベルトはいやいやをして、泣き喚いた。
「おい、止めろ、無理だ!!」
アレナディオは驚いて、アレインの手からアーダルベルトを取り上げて、抱きかかえる。
これは、どういうことなのか。
アレインは愕然とした。スカルもイリーナも失ってしまった。残っていたファルガイスは、けれど……。
太陽剣ファルガイスはスカルを主人と認め、その絆を印のようなものとしてスカルに残したまま転生したのだろうか。だから、ファルガイスとしての記憶を持ていられたのだ。だとすると、スカルがいなくなったため、絆が失われてしまった。
スカルは、本当に死んだのか。
「……アレイン先生」
ヒルダが気遣わしげに、アレインの傍らに立つ。
「これは、これはいったいなんなんですの!? 先生、教えてください!!」
我に返ったカタリーナは、しかし混乱から立ち直れずに叫んだ。
だが、アレインは呆然としていて、答えられない。
かわりにセリネスティーナが答える。
「これは、神々の黄昏です。原始の海、世界の成り立ち、最初の姿です」
アレインは顔を上げた。ようやくアレインもすべてを悟っていた。ヴィーダルが教えてくれなかった記録が、夢を通じてか頭の中に残っていた。
神々の黄昏。
そして、天地開闢。
新たな世界を創造するための、長大な儀式。そのための十公家。
六つの聖具と闘神。
継承呪文と継承武器。
アースガルド帝国を陰から操る、ラグナロクと、その手足となっていた<雷>ヴェルトマー公爵家当主ゴットハルト。
アースガルドの五百年目の、再生。
その結果、大儀式の舞台が整うのである。
六つの聖具。
聖櫃アークィリオン。
聖なる歴史の存続を。魔導帝国を未来永劫存続させるための、生け贄たる女神の柩。
聖杯サングリアル。
生命の樹の一滴を。生け贄である女神を蘇らせる杯。
聖槍ロイ・ペリオース。
世界を滅ぼす一撃を。次元隔壁をも崩壊させ、世界を原始の海に帰す、槍。
ノルティングの箱船。
選ばれし民に栄光を。世界が原始の海に返ろうとも、なかにいる王を守る、船。
赤十字の盾ガインハッド。
聖地を支える城壁を。どのような帝国を造り出すかその計画書、帝国の地図、盾。
聖剣エイティスフォーン。
世界に君臨する力を。原始の海に返された世界を、その強大なエネルギーをもちいて地図の通りに創り出す、王者の剣。
どうして、女神はイリーナなのだろうか?
彼女は自分がこの国のために死ぬことを、はじめから知っていた。
そして、ジャング・ホルスは、イリーナを知っていた。この国で、女神であった彼女を知っていたに違いない。
何故この国に召喚されたのか、訊ねてもイリーナは答えなかった。
召喚されたのではない。彼女は、女神は、聖櫃の中に封じられていたのだから。十公家の血により創造された女神の肉体に、イリーナの魂が宿ったということなのか。その際に、女神の肉体に不死鳥が太陽剣の魂を預けた。
それならば、アーダルベルトには父親がいないことになる。強いて言うならば、アーサーもゴッドハルトも、エルダもモルドレインも、アーダルベルトの父親だったということなのか。
だから、アーダルベルトは継承呪文が唱えられた。
こんなこと、答えられるはずがない。
そんなこと、酷すぎる。
「なんで、世界は再生しないんだ!? ウィルはなにをしたんだ!?」
「儀式が正規の手順で行われなかったのではないでしょうか?」
セリナがアレインにわめきに、首をかしげながら答える。
アレインは茫然となった。セリナの儚い姿は、たおやかな姿は、今この場では酷く滑稽に思えた。
そのための箱船だ。きっと、箱船に乗った新たな皇帝は、この混沌の外に出て、聖櫃に溶けてしまった女神の遺体を吸い込ませるに違いない。そして、赤十字の盾と聖剣を使って新たな帝国を建築するのだ。
ロイ・ペリオースで女神を殺すのは、別の人間の役目なのだ。おそらくは、決闘の敗者が、その汚名を着せられ、さらに女神と共に原始に還る。
オーガイストはそのことを知っていたに違いない。だから、あの場所ですぐに世界を滅ぼそうとしたのだ。スカルの肉体を手に入れたオーガイストには、勝算があったに違いない。ファルガイスを閉じこめた虚数空間があれば、自身を混沌から守れたに違いない。
「……どうして、これも、スターロードの決めたことなのか?」
アレインは床に手を突いた。
オーガイストが、いや、スカルの肉体が神の肉体ではないことも、スターロードが決めたことなのだろうか?
「……あら?」
黙っていたセリネスティーナは小首を傾げて、右に左に歩き始めた。
「……どうした?」
アレナディオはアーダルベルトをあやしながら訊ねる。
「ええ、ちょっと」
セリネスティーナは何もない空間に両手を差し伸べ、引き戸を開くようにして空間に両手の指を引っかけ、横に引いた。
空間が開いて、ウォルスとジェクトが転がり落ちてきた。
「お前ら!? ……そういえば、忘れてたぜ」
アレナディオが床に倒れた二人を見下ろして、そうは言っても安堵した。
だが、<天の車>はどうなったのだろうか?
「助かったあ」
ウォルスは床に座り込み、涙声で天井を仰ぐ。
「閣下は!? スカル様は!?」
ジェクトはアレナディオの足下に這い蹲ったまま、勢い急いて訊ねる。
「………」
アレナディオは答える言葉を失う。
ジェクトは床にはいつくばっているアレインと、呆然と自分を見ているアレナディオを見比べ、ぎりっと奥歯を噛みしめる。
「……そんな、そんなこと……、そんなはずはない!!」
ジェクトは両手の拳で床を叩き付ける。
「うるせえ」
そんなことは、アレナディオだって信じられない。だが、アレインだってアレナディオだって見たのだ。
スカルの身体が、砕けて崩れ落ちていくのを。
「閣下は、死んでいない!!」
「黙れ!!」
アレナディオは思わずジェクトを蹴飛ばしていた。八つ当たり以外のなにものでもない。
「落ち着いてください、アレナディオ様。あなたも……」
セリネスティーナはアレナディオの腕に縋り、ジェクトも窘める。
「イリーナ様も、スカル様も。まだ、希望はあります」
セリネスティーナの言葉に、一同が美しく儚い少女に注目する。茫然自失となっていたアレインも顔を上げた。
「……幸いというか、不幸というか。スカル様の魂は、亡くなる寸前に解放されたようです」
「……それって!? それって、……スカルは生き返るのか!?」
アレナディオはアーダルベルト抱きしめていた。カタリーナとヒルダも顔を見合わせ、ウォルスもジェクトに抱きつく。
「まだ、わかりません。グランバーレルがなにかしたようですが、私には確証がありません。グランバーレルもどこにいってしまったのか、今は感じられません」
セリネスティーナは申し訳なさそうに首を振る。
「不幸って、不幸っていうのは、どういう意味だ?」
アレインはけれど、冷静に彼女の言ったもう片方の言葉に気が付いていた。
「はい。混沌に飲み込まれる前に、スカル様の魂がさらわれ、そのためオーガイストも寸前で解放されたのです」
セリネスティーナは真っ直ぐに黄昏色の混沌の世界を見つめる。
「スカル様の肉体を混沌から汲み上げることが出来れば、あるいは復活できるかもしれません」
それは一縷の望みであった。だが、どうすればいいのだ!? 聖櫃だって、混沌に溶けてしまった。
「上昇してください。帝国周囲はイリーナ様によって、封じられていますから出られません。今ならまだ、上空には昇れます」
セリネスティーナは天井を見上げた。
「アレイン様。イリーナ様のもとへ、参りましょう」
アレインは呆気にとられる。
イリーナは、目の前で死んだはずだ。
いや、あの女神は聖櫃から再生されたわけで、確かに本物のイリーナは存在しているのか?
原始の海の中心部。
聖地のあったその場所に、闇が生まれつつあった。
終幕