| ピーナッツに関するコラムのページ |
主にくだらない事が書かれております。時々ちょっと愚痴っぽかったりもします。 |
| 「ヴィンス・ガラルディの発掘音源CD遂に発売される!」 |
| 1999年にリリースされた『Charlie Brown's Holiday Hits』以来4年振りの登場となったヴィンス・ガラルディの発掘音源集『The Charlie Brown Suite And Other Favorites』。前者が9曲の初CD化音源を含みつつもトータルタイム37分と煮え切らない物であったのに対し、今回は既発表曲でありながらも全て別音源、トータルタイムも52分と大いに期待を煽るものがあった。しかもプロデュースは子息のデヴィッド・ガラルディである。入手したこのCDについて私なりにまとめてみたいと思う。 1)ジャケット・デザイン 妙なデザインであるが、これはガラルディの『A Boy Named Charlie Brown』の1stプレス時のデザインのパロディになっている。ここからして非常にマニアを意識している事が伺える。今の所国内発売の予定は無いが、もし日本盤が出るとしたら、この様な解る人にしか解らないアイディアは恐らく破棄される事であろう。 今回のCD→ オリジナル→![]() 2)収録曲 まず冒頭、「Linus and Lucy」と「The Charlie Brown Theme」の未発表テイク(前者は「Linus and Lucy with the Band」と表記)で始まる。前者はTVスペシャル『A Charlie Brown Thanksgiving』で使用された物、後者はアルバム『Oh,Good Grief !』に収録されている「Oh,Good Grief !」の同一テイクである(つまり、クレジット間違い)。 そして今回の目玉となっているのが1968年にサンフランシスコのMr.D'sで収録されたという「The Charlie Brown Suite(チャーリー・ブラウン組曲)」のワールドプレミアのライブレコーディングの収録である。これはガラルディ・トリオと管弦楽との競演用にお馴染みの曲がアレンジされているもので、7曲で構成されている。ここでもクレジット違いがあり、2曲目の「Happines is」は「Great Pumpkin waltz」、4曲目の「The Charlie Brown Theme」は上記同様である。オーケストレーションは楽曲にダイナミズムを与える為のものではなく、優雅さ、美しさ、を強調している。時として冗長な感じであり、全てが成功とは言い難い。 最後に「Cast Your Fate to the Wind」のライブでこのCDは締めくくられる。「チャーリーブラウン組曲」のアンコールのように構成されているが、日付データが無いので別のライブ音源かもしれない。イントロが始まったところで拍手が出るのは流石ヒット曲である。 3)音質 TVスペシャル『A Charlie Brown Thanksgiving』からは既に「Thanksgiving Theme」が『Charlie Brown's Holiday Hits』に収録されているが、サウンドトラックから起こしたモノラルの醜い音質であった。それに比べるとこちら収録の「Linus and Lucy with the Band」は流石に遺族の保管していたテープをマスターに使用しているだけあってなかなかの音質。しかもアニメでは1分45秒でフェイドアウトしていたものが4分10秒のフルサイズで聴けるのもうれしいことである。 「The Charlie Brown Theme(実は「Oh,Good Grief !」)」はアルバム『Oh,Good Grief !』と特別に音質の差は感じられなかったが、Eハープシコードが少し抑え目になり若干自然な音場になっている。 その他のライブ音源についてはライブ故推して知るべしである。オーケストラならではのノイズも多く、時々テープのドロップアウトもあり、レベルの高いところでは音割れして平板な音質になってしまうなど些か残念である。しかし元々が商品化用に収録されたものではないのは解っていたし、想定範囲内の音質といって良いと思う。 4)クレジットなど アーティスト・クレジットはかなり大雑把でいい加減である。「Linus and Lucy with the Band」と「The Charlie Brown Theme」の2曲は"Vince Guaraldi (p)" としか書かれていないが、前者が『A Charlie Brown Thanksgiving』のセッションのものならば 、 "Mike Clark (d), Seward McCain (b), Chuck Bennett (trb), Tom Harrell (tp)" であるし、後者もアルバム『Oh,Good Grief !』と同一音源なのだから 、 "Carl Burnett (d), Stanley Gilbert (b), Eddie Duran (g)" であることはすぐに判る。 ライナーノーツについてもCD収録曲やセッションについての解説が全く無く、単なる思い出話に終始し資料的には価値が無い。まあ、クレジット間違いなど初歩的なミスが多い現状を考えると書きたくても書けなかったのであろう。デヴィッド氏はあくまで子息であり、研究家では無かったという事である。 5)総括 今回収録された「Linus and Lucy with the Band」は私がこの曲を好きになるきっかけになったテイクであり、今でもこれが最高だと思っている。これが良質な音で聴ける―この事は本当に単純に楽しむ事が出来た。これがCDになったという事実だけでも心から感謝の意を表明したいと思っている。 ただ、全体を総括するならば、子息でありミュージシャンでもあるデヴィッド・ガラルディ氏にはもっといい仕事をしていただきたい、と言わざるを得ない。生前のヴィンス・ガラルディと縁があったかどうかも判らないBluebirdからCDを発売、資料性に乏しいライナーを付け、クレジット違いまで起こす。こういう海賊盤まがいの事を遺族がやってはいかんでしょう。しかも他社から既発の音源を未発表と称しては、クレームになってもおかしくない(アメリカではもうなってたりして)。 デヴィッド氏にはとにかく次作に期待である。今回収録の楽曲は1968年から1973年に録音されたもので構成されているが、70年代に作曲された物は無い。1968年にガラルディはFantasyを離れてWarner Bros.からレコードを出し始めた。そして、この年にリリースした『Oh,Good Grief !』を最後に今の私達には彼の吹き込んだレコードを聴く術が無く、僅かにTVスペシャル用に作曲したものが『Charlie Brown's Holiday Hits』で3曲聴けるのみである。是非ともガラルディの「失われた70年代」の発掘に力を注いでもらいたいものである。 |
| (2003年8月27日) |
| 追記) 10月22日に国内盤が発売されたが、ジャケットデザインはそのままであった。 |
| (追記:2003年11月12日)BACK |
| 「何かがおかしいカートゥーンネットワーク」 |
| カートゥーンネットワーク(以下CN)が「チャーリーブラウンとスヌーピー」の放送を再開してほぼ2ヶ月、毎日タイマーをセットして視聴している。放送作品はもうぼちぼち一巡してしまったようであるが、放送されていない作品が幾つかあるのにお気づきであろうか。しかしこれは予め予想していた事である。何故なら前兆は4月24日に放送された「あなたが選ぶSNOOPYベストエピソード」の人気投票の時に既にあったからである。 現在CNで放送しているのは嘗てNHK-BSで放送されたものの再放送である。ピーナッツのTVアニメは2003年現在で66作品あるが、NHKではこのうち51話が放送されていた。しかし今回の投票用ノミネートされたのは36作品しか無かったのである。 削られた15タイトルのタイトルを調べてみると、一つの基準が見えてくる。以下にそのタイトルと内容をならべてみよう(順不同)。 1. A Charlie Brown Christmas (クリスマス) 2. It's the Easter Beagle, Charlie Brown (イースター) 3. A Charlie Brown Thanksgiving (感謝祭) 4. It's Arbor Day, Charlie Brown (植樹祭) 5. Happy New Year, Charlie Brown (年末年始) 6. Be My Valentine, Charlie Brown (バレンタイン) 7. It's the Great Pumpkin, Charlie Brown (ハロウィン) 8. It's Christmastime Again, Charlie Brown (クリスマス) 9. Why, Charlie Brown, Why ? (白血病) 10〜15.「the Charlie Brown and Snoopy Show」6作 判る人なら、「え、これを放送してないの?」と驚かれるような内容である。名作として評価の定まっている物も多く含まれているし、年中行事のエピソードが極端に排除されている。これにはどんな理由があるのだろうか。 考えられる可能性は契約の問題。ピーナッツのアニメはシリーズではなく基本はあくまで単発のスペシャル番組である。そのためアメリカではエピソードごとに放送権が散らばり日本のように帯番組としては放送できないようである。そういった事情が今回の放送にもあるのかもしれない。 そうではなくもし意図的に、単にオフシーズンの物を放送しないという方向で削除されているとすればそれは愚かな話である。CNはサーカスやマジックショウばかりではなく是非これらを含めた完全放送をしてもらいたいものである。 |
| (2003年7月12日) |
| 追記) 10月31日に" It's the Great Pumpkin, Charlie Brown"が放送されたところを見ると、年中行事に関わるものはローテーション放送しないという意図だったようである。 しかし、"Why, Charlie Brown, Why ?"はどうするのだろうか。 |
| (追記:2003年11月12日)BACK |
| 月刊SNOOPY通巻ナンバーの謎、解明か? |
| 月刊SNOOPYが全部で119号発売されたというのは一応奥付により明らかであるが、ピーナッツに無関係な企画の別冊も含めての119号である。1979年度は通巻番号に5つ飛びがあり、それが何であるのかこれまで解明できないでいた。しかし、この度ヒントになりそうなものを入手したのでここで仮説を立ててみたい。 入手したものとは、すばる書房刊「月刊絵本・1979年7月号」。因みに1979年7月といえば月刊SNOOPYが休刊する1ヶ月前である。 この本の出版案内を見ると、月刊SNOOPYの別冊として、以下の4冊が紹介されている。 別冊・星占い手帳 No.1 射手座・山羊座大研究 別冊・星占い手帳 No.2 水瓶座・魚座大研究 別冊・星占い手帳 No.3 牡羊座大研究 別冊・星占い手帳 No.4 牡牛座大研究 そして、飛んでいる番号と発売されたと思しき時期は以下の通り。 109号(1〜2月号?)…12〜1月発売? 111号(3月号?)…2月発売? 114号(5月号?)…4月発売? 115号(6月号?)…5月発売? 117号(8月号?)…7月発売? この両者を照合してみると、 通巻109号(1月号別冊・12月発売)星占い手帳 No.1 射手座・山羊座大研究 通巻111号(3月号別冊・2月発売)星占い手帳 No.2 水瓶座・魚座大研究 通巻114号(5月号別冊・4月発売)星占い手帳 No.3 牡羊座大研究 通巻115号(6月号別冊・5月発売)星占い手帳 No.4 牡牛座大研究 となる。特集内容と発売日のズレがちょっと厳しいが、必ずしも通巻番号順に発売されていたとは限らないので1ヶ月づつ繰り上げるべきかもしれない。 また、出版案内には「1979年6月現在」と明記されているので、残り1冊は恐らく、 通巻117号(8月号別冊・7月発売)星占い手帳 No.5 双子座・蟹座大研究 となっていた(若しくはなる予定だった)に違いない。 しかしここでまた素朴な疑問が生まれてしまった。118号と119号の奥付のミスである。 1979年7月号…第9巻第10号(通巻118号) 1979年8月号…第9巻第12号(通巻119号) 「第9巻第10号」というのは「創刊して9年目の年に10冊目に出した本」というような意味で、ご覧のように号数の増え方に矛盾が生じている。通巻119号が定説になっているので「第12号」というのが誤植だと思うのだが、結局定説の根拠がこの奥付だとしたら休刊号が通巻120号だという可能性、及び「星占い手帳No.6」が刊行されているという可能性も全く否定は出来ないのである。 |
| (2003年6月5日)BACK |
| こんな生き方探してみよう |
| 朝日新聞社から「スヌーピー こんな生き方探してみよう」が発売になった。が、敢えて文句を付けたい。 この本の元になった連載は、後書きによればユナイテッドメディア、朝日新聞、電通、と5人以上のスタッフによる話し合いによって出来たものだそうなのだが、その話し合いで出て来た方向性というものが「人生を楽しく快適に送るためのヒント」という既に手垢の付きまくったものなのが思いっきり情けない。 文章の内容も大いに不満。「ヴァレンタイン」のページでは凄く偽善的なものを感じるし、「ほこり」のページではピッグペンをネタに人種はおろか障害者への偏見にまで話を広げるのもどんなものか。 いずれにせよ、もうこういうコンセプトで本を出すのやめてほしいなあ・・・。 アメリカでも「ピーナツによる福音書」とかあるけれど、そういう企画本の何十倍もちゃんと原作がコミックとして読まれている土壌があるわけでしょう。しかし日本は企画本ばかりが溢れてて漫画が置き去りにされてしまっているのである。単純にこの漫画の面白さを世間に知らしめるような編集の本を誰か出版してくれないものだろうか。 買ってしまう自分も情けないけれど・・・。 |
| (2001年7月28日)BACK |
最近、坂本九の「明日があるさ」のカヴァーが人気である。ドラマにもなってしまった。 このフレーズ、大体自分もしくは他人を励ましたりする時に使用するものだ。だからよく誤解をされる。こういうフレーズを嫌う人もいるだろう(有名どころでは浜崎あゆみとか)。だけど、歌の方はともかく、この言葉自体は別に『明日になればいい事がある』と無責任な事を言っているわけではないのである。 これに似た言葉で好きな言葉がある。映画「A Boy Named Charlie Brown」のラスト近く、ライナスがチャーリーブラウンに言う「The world didn't come to an end.」というセリフである。 勿論、この英語のセリフにジンときた訳ではなく、和訳シナリオ(字幕公開版と同じ)版の翻訳された「世界の終りじゃないよ」というヤツにではあるが・・・。 どういうシーンかというと、チャーリーブラウンがスペリング・コンテストの本選にまで進みながら決勝で破れて部屋で一人で落ち込んでいるところである。彼は自分が破れた事もそうだが皆をがっかりさせた事も気にしている。片やライナスはCB不在で臨んだ野球の試合に勝ってきた所だ。 「世界の終りじゃないよ」・・・。何と中途半端な励ましの言葉だろう。だけど、これはライナスの精一杯だったんじゃないかと思う。なにせチャーリーブラウンは何をやってもダメな男である。それはみんなが知っている。ライナスには偽善的な気持ちや哀れみで彼を励ます事は出来なかったのだ。 私はライナスの意図を凡そ次の様に解釈している。 「チャーリーブラウン、君は何をやってもダメだ。今までも色々失敗してきたし、これからも失敗し続けるだろう。辛い思いも沢山するだろう。だけどそれでも、世界の終りが来るわけじゃない。生きているんだから、全てを失った訳じゃないんだから。」 ライナスはこの言葉を残して部屋を出て行ってしまう。しかし、チャーリーブラウンはこれで外へ出て行く決心をするのである。こういう映画の脚本はシュルツ氏の物ではないかもしれないが非常に好きなシーンである。 私がこの言葉に触れた映画「A Boy Named Charlie Brown」を観たのは小学生であった。何しろ語彙が少ない餓鬼であった。もし、誰か友達を励ますとしたらどんな言葉をつかっただろう。「元気だせよ」かそれこそ「明日があるさ」か・・・。 |
(2001年4月20日)BACK |
| 小田急美術館で開催されている「スヌーピーとチャーリーブラウンの世界〜チャールズMシュルツ原画展〜」に行ってきた。その感想などを。 全体的な感想で言えば、やはり原画には迫力がある、という事に尽きる。特に連載当初のパティやバイオレットの滑らかな描線に引きこまれた。太い所では2ミリくらいあり、これは相当ペン先をつぶした事であろう。こうしてみると50年代の作品は印刷で随分潰されてしまっていたのだという事が解る。世間ではよく80年代以降の筆致が芸術的で云々と言われるが(私は格別そうは思わないが)、この若若しく力強い画にも成功の鍵があったのではないだろうか。 あと、今回特に確認をしておきたかったのが晩年に使用するようになったスクリーントーンの処理の仕方である。驚いたことに氏は所謂トーン削りというものを一切していなかったのだ。明らかに削った方が早いであろう細かい処理もちゃんとカットしているのである。 その他、ちょっとネガティブな感想を3点。 ●作品年表は何故「1950年10月4日・スヌーピー初登場」から始まっているのか。 ●同じく作品年表で「ルーシーがライナスの毛布を凧にして飛ばしてしまい、苦情が殺到した」とあるのはちょっと事実と違うのでは。 ●CBとライナスの会話もの「君はゼロに関してはヒトカドだね」だけ何故、谷川俊太郎訳ではなく福田マリ子訳になっていたのか。 これらはまあ些細な事で、この事によって何らこの素晴らしい展覧会の魅力が削がれるわけではない。それにしても、紙こそ変色しているがインクはしっかりしており、「漫画原稿は50年以上保管がきく」という事がはっきりした。見に行ける機会のある方は是非ご覧になられることをお勧めする。 余談であるが、「クレイジーキャット」の原画が見られたのには驚いた。昔12CHでアニメをやっていたのが懐かしい。 |
(2001年1月5日)BACK |
| 谷啓・イン・TVジェネレーション |
| 2000年末、あの三宅裕司の「テレビ探偵団」の特番が放送された。それに因んで谷啓である(?)。 同番組でかつて谷啓を特集した時は、氏が歌った主題歌特集など貴重な映像てんこ盛りであった。勿論クレージーキャッツ以来、氏本人のファンである私としてはそれでも充分であるが、やはりCBの吹替えをしていたことについても言及して欲しかったものだ。 実は「テレビ探偵団」放送終了後、「TVジェネレーション」という同じような企画番組が(しかも同じ局)あり、ここで谷啓がゲスト出演した際、遂にCBの事が取り上げられたのである。この時のエアチェックテープは長い間紛失状態にあったが、この年末の大掃除で発掘されたのでここでその「テープ起こし」をやってみたい。 (放送日不明、司会・山田邦子、松村邦洋、あと1人) ―チャーリーブラウンの声ですか。 「相手の女の子のルーシーが、うつみ美土里さんで」 ―あのロンパールームの。 ―向こう版のチャーリーブラウンの声も谷啓さんに似た声だったんですか?。 「いやそれは僕はよく知りませんでしたけど。演出の人にですね、とにかく僕はその頃他のそういう声出している時って妙に高っちい声だったんですけど、ああいう声を一切出さずに、控えめに、淡々、というかねえ・・・。」 (ここで画面はアニメに切り替わる。「S46〜51・NHK恋しているねチャーリーブラウン」のテロップが出て、同作の冒頭部分を数秒流す。かわって「君はスポーツマン・チャーリーブラウン」のテロップが出て、同作中盤のフットボールシーンが流れる。) ―ホントだあ。(うつみ美土里だ、の意) このあと別の話題に移ってしまい、CBについてはこれだけである。短いコメントであるがこれだけでも貴重な情報である。オリジナルがどういう物かも知らずに吹替えているのは驚きだが、演出の人はそれなりにキャラを理解して演技指導していたのがよく解る。また、NHKでの放送期間もこれではっきりした。 気になるのが「君はスポーツマン・チャーリーブラウン」というテロップ。私のなかでは12ch初放送だったのだが、どうもNHK版を見落としていたらしい。この件について突っ込める方がいらっしゃいましたら是非ご一報ください。 |
(2000年12月30日)BACK |
| プーチーという女の子について。 プーチーというマイナーキャラについて詳しく知りたいという人は恐らくいないだろう。なのに何故書くのかというと、勿論自己満足であるが、別ページの「ピーナツブックス全巻レビュー」でプーチーについての記述の誤りが見つかったので、その訂正と補足も兼ねてのことです。 彼女は、1972年12月から翌年1月までのいわゆる『プーチー篇』と呼ばれる(まんま)4週間のサンデー版シリーズに登場したキャラである。しかし、この登場の仕方が変わっていて、実際に登場したのは最後の1週のみでそれまでは名前だけが会話に出てくるだけだったのだ。(77年に再び話題にのぼる) 第1週(72.12.17)・・・切手が1枚しか無いスヌーピーが誰にグリーティング・カードを出そうかライナスにリストを読んでもらいながら考えるという話。ここでのプーチーはリストの中の1人でしかなく、ライナスの「プーチーには出したくないって事は僕にも解ってる。」というセリフも、これだけでは深い意味がある様に思えなかった。 第2週(72.12.24)・・・チャーリーブラウンがスヌーピー宛のプーチーのカードを見つける。カードには近日中に遊びに来ると書いてあった。CBは再会が楽しみだが、スヌーピーはまだ彼女の事を許していない、という話。ここではプーチーがかつて近所に住んでいたらしいという事と、その頃彼女とスヌーピーとの間に何か嫌な事があったらしい、という事だけがわかる。 第3週(72.12.31)・・・チャーリーブラウンがスヌーピーにプーチーが来ていることを知らせるが、スヌーピーは嫌悪感むきだしで子犬時代にされた仕打ちを述懐する、という話。ここで彼が何をされたかが明確になる。彼は彼女の投げた小枝を取りに行ったのに戻ってきたら彼女はイングリッシュシープドッグを連れて立ち去ってしまっていた。彼は未だにその時の裏切りが忘れられないのだ。尚、この回で特筆すべき点は、72年のスタイルでスヌーピーの子犬時代が描かれている所で、はっきり言ってアニメ「スヌーピー誕生」のそれよりも数倍可愛い。 第4週(73.1.7)・・・遂にプーチーが画面に登場。スヌーピーに会いたくて仕方が無く、ワクワクして裏庭に出た彼女が見たものは、無邪気だった子犬ではなくジョークールだった、という話。スヌーピーのあまりの変貌振りに彼女は「故郷へは帰れない」と残して去って行った。 プーチーはフリーダとタピオカプディングを足して2で割ったようなルックスの子。実際に登場してからは急展開であっという間に終るが、色々と考えさせられる事がある。まず、CBの事をはじめてフルネームで呼んだのは彼女だ、という設定。彼は連載第1話で既にシャーミーにフルネームで呼ばれているので、プーチーはそれより以前に存在していた事になるのである。そしてCBの「彼(スヌーピー)も君がこの辺にいた頃とは随分変わったよ」という発言。『スヌーピーは1日にしてならず』、である。つまり連載初期の非・スーパービーグル時代も、無かった事にはされていなかったのだ。きっとCBも「昔は只の犬だったのに・・・。」と嘆く事もあるのだろうなあ、などと想像させてくれるので楽しい。 嵐のように去ったプーチーだったが、4年後に復活する。 番外(77.5.22)・・・スヌーピーがウッドストックに『本当にあった話』としてプーチーの名前に因んだ笑い話をする、という話。彼女はテニスがうまかったらしいという事が解る。 以上、プーチー全集でした。これ以外にプーチーの名前を見たという方がいらっしゃいましたら、ご一報頂ければ幸いです。 |
(2000年11月23日)BACK |
| CDNOWで注文していた「IT'S THE PIED
PIPER,CB」と「A CHARLIE BROWN THANKSGIVING」の輸入DVDが到着した。前者は2000年の最新の作品、後者は表題作と「THIS
IS AMERICA,CB :THE MAYFLOWER VOYAGERS」の感謝祭つながりの2話が収録されているものである(3つとも日本未DVD化作品)。 余談だが、「パイド・パイパー」といって最初に思い浮かぶのが、かつて青山にあった「パイド・パイパー・ハウス」というレコード屋である。私が今の職業に就こうと思ったきっかけが学生時代に読んだここの社長が書いた本だった。結局全然違う仕事をしているが・・・。 で、そういう個人的な思い出のキーワードを含むこの「IT'S THE PIED PIPER,CB」なのであるが、ものすごい問題作であった。これが毎週観られる連続番組のうちの1話ならば「まあ、1つくらいこういうのも有りか」と思えるが、3年ぶりに、しかも50周年の年に発表された作品とはちょっと思えない内容である。詳しくはレビューとして後日。 そして「THIS IS AMERICA,CB」であるが、何故NHK-BSで完全放送しなかったのか少し解ったような気がした。 ところで、アメリカ版DVDを購入して最初にぶつかるのがリージョンコードというやつであるが、ウチではパソコンにアメリカ用のソフトDVDプレイヤーを入れてある(って、これ違法ではないよね?)。字幕も出るのでヒヤリングが苦手でも頑張れば何とかなるし。 |
(2000年11月17日)BACK |
| 一見同じように見えるキャラクターたちの姿だが、微妙に身長差があるのはご存知だろうか。ルーシーはライナスより背が高くCBはルーシーより背が高い。シュローダーはCBよりは背が低いがルーシーよりは高いようだ。 実はチャーリーブラウンは主要登場人物の中では年長の部類で、彼より背が高いパティ、バイオレット、シャーミーが殆ど消えてしまった現在、一番背が高いキャラは彼なのである。『何をやってもダメな男』の割にはちょっと奇異な感じがするこの設定はピーナッツ連載の歴史に大いに関係がある。 連載当初、登場人物は、CB、スヌーピー、パティ、シャーミー、バイオレットの5人だけだった。この少ないメンバーの中においてCBの役割はちゃっかり者でトラブルメーカー的な困ったちゃん。だから彼は他のキャラより少し幼く、身長も一番低かった。 ここにシュローダーやルーシー、ライナスが加わっていく訳だが、シュローダーとライナスは赤ん坊だったし、ルーシーもCBより若かった(ガミガミ屋だから小さくしたのかも?)。サリーはCBの妹だから当然小さいし、その後のフリーダや#5など新キャラは大体ライナスかサリーを介して登場するので必然的に若くなる。ロイもCBにとってはライナスくらいの存在なので背もそのくらいで、その友人のペパミント・パティと彼女の人脈もCBよりは小さくなるわけだ。 CBとしては自分より下の代が賑やかになる一方で、初期キャラがどんどん舞台から遠ざかっていってしまうので、いつのまにか年長で背も高くなってしまった、と言う感じだろう。 また、アニメの方はどうだろうか。原作者の手を離れ、複数の人手で制作されるアニメは誰が描いても同一になるように明確な設定資料というものがある。 別冊SNOOPY「がんばれスヌーピー」特集号においてキャラクター・スケール(身長対比表)が掲載されているので、それを基に背の高い順に名前を並べてみよう。 パティ〜バイオレット〜シャーミー〜CB〜シュローダー〜ルーシー〜フリーダ〜ライナス〜ロイ〜P・パティ〜#5〜ピッグ・ペン〜#4〜サリー〜#3〜スヌーピー これは60年代に作られた表のようだが70年代まで引き続き使用されていたようだ。面白いのが#5の妹たちの設定で、サリーより高いか低いかで見分けられる様になっていた。 実際のアニメでは生かされなかったようだが。 |
(2000年11月13日)BACK |
| ピーナツ・ギャングたちは当然子供である。しかし、スヌーピーはどうだろう。結婚しかけること2回、元ビーグル長官という履歴もあり、お抱えの秘書がいて、小説の投稿もしている。そんな彼の事をいつまでも子犬扱いしていていいものだろうか。 この問題について、アニメや歌など「声を付ける」という過程でどう解釈されたかを検証してみたい。 ここに2件の事例がある。 1つはアニメ「SNOOPY・・・THE MUSICAL」。ご存知のように通常のアニメ版ではスヌーピーは喋らないのだが、ブロードウェイ・ミュージカルのアニメ化である本作ではそう言う訳にはいかない。原作と同様、独白という形式でありながらもセリフを喋らなければならないのだ。さて、どうなったか。 他のキャラは子供の吹替えだ。ミュージカル・ナンバーも子供たちが歌っている。しかし、スヌーピーは大人が吹き替えていた!。 もう1つはLP「スヌーピーのフラッシュビーグル」収録の「スヌーピーのビッグ・デビュー」という曲。この曲のみスヌーピーの一人称の歌詞になっているが、ここでも歌っているのは大人である。他のピーナツ・ギャング主体の曲はちゃんと子供が歌っているのに、だ。 「チャーリーブラウンは6歳にも60歳にも見える」というのは谷川氏の言葉だ。紙に書かれた漫画は後は読者の想像力に委ねられる。スヌーピーを大人の声で読もうが子供の声で読もうが、どうイメージしても構わないわけだが、スヌーピーは大人なのだというのは少なくともアニメ制作のプロデューサー、ディレクター、そしてそれに全く無関係ではないシュルツ氏が、これがベターであるという結論に達した結果、という事になるのではなかろうか。 |
(2000年11月10日)BACK |
| セルジオ・カステリット=野沢那智 |
| イタリア映画「絹の叫び」がDVD化された。これは絹フェチの女と精神科医とのちょっとやらしい映画なのだが、このDVDには主演の男の方セルジオ・カステリットの声を野沢那智が吹替えている日本語トラックも収録されている。 これがどういう事かというと、カステリットといえば「かぼちゃ大王」(これもちょっとやらしい)の主演男優でもある。つまり、カボチャ大王〜ライナス〜野沢那智〜カステリット、という連想が自然と出てくるわけである(自然か?) だから・・・つまり何が言いたいのかというと、キャスティングした人が私と同じ連想をしたのではないか、とそれだけの事なのである。 ・・・絶対してないと思うが・・・。 |
(2000年10月20日)BACK |