"般闍迦"
21

 オヤっさんの声は冷静を取り戻し、それどころか楽しささえも覗わせるような声だった。
 それにつられて、俺の口元も軽く緩む。
『お前の方はどうだ?』
 あれからオヤッさんと電話で二度話していた。彼女が洞門組組長の娘と知った後だ。
 オヤッさんのいる病院に洞門の組長が現れたと聞き、詳細に耳を疑ったが、俺は頷きを繰返してた。
 ――流石に組長までは引き込まなかったって訳か。
 こっちにしてみればありがたい事だった。
 俺はここ数日、ずっと義哉を見ていた。頭がキレるのは認める。組員からの信望も厚い。タイプとしては、俺と似ているかもしれない。俺に信望なんてのは皆無だが、考え方や行動にそう思った。
 更に高く見積もれば、ある程度の予測はつけやすい。
 とことん引かない、いゃ、退く事を知らない直情型のヤクザには使えない手も、引き際を知っているヤクザになら有効な手はある。すでに俺とオヤッさんの間では、計画は煮詰められていた。
「そうですね…特に変わった事はありませんが…あ、でも弟の正義が神戸に戻ってきてません。まだ仕掛けるつもりでいるかもしれませんね」
『…こっちでケリつける気なのかもな。多分…、俺が動けば動くだろうよ』
 電話の向こうでオヤッさんがいつも使っているライターの音が鳴った。目上の者に火を点けるライターは"キィン"と鳴る高音。今聞こえたのは、愛用している自分用のジッポの音だ。タバコを吸わない俺にはどうでもいい事だが、変なところにこだわりがあるらしい。火が点けばいいだろうに…と、いつも思う。
「傷の具合はどうです?」
 弾かれてからすでに三日が過ぎていた。
『なんとか動ける』
 響くような、思ったとおりの返事だった。
「動けるだけじゃダメなんですけどね?」
 いつものように軽口を言うと、同じようにオヤッさんも返してくる。そのどうでもいいやり取りに、俺はオヤッさんの精神状態が戻っているのだと再確認した。
 この前のあの状態は、お世辞にも普通とは言えなかった。そのおかげでオヤッさんの俺に対する気持ちなんてのも聞けたのだから、良くもあり悪くもありだ。
 俺も言うつもりのなかった本音を滑らせてしまった。一字一句間違えないで思い出せるやりとりが、俺の顔を赤く染める。電話でよかったと本気で思った。
『明良…元気か』
 少しだけ電話から気をそらした間に、オヤッさんが言った。
「えぇ、落ち込んでる様子は見せませんけどね。ただ本当のところは解りません… 体調は…まぁ、妊婦ですから悪阻が辛いようですね。食事は三食取られてますが、食べた分の半分以上は戻してるような状態です」
 俺はさっき見た情景を思い出して、そう言った。
 空腹でも吐く、満腹でも吐く。
 その状態が妊婦として普通なのか?と、考えたのもついさっきのコト。ただ、かなり辛そうなのだけば解る。精神的に落ち込んでるわけではなさそうだが、兎に角声をかけずにいられないのだ。

 大丈夫ですか――。
 ――平気よ。

 そう言って彼女は笑う。
 べそをかいていた彼女は、そのままの弱いだけの女じゃなかった。てっきりオヤッさんに可愛いがられるだけの女なんだろうと思ってた彼女への見方が変わった瞬間だった。
 見た目だけのバカ女にオヤッさん程の男が惚れるとも思えなかったが、彼女の何処が?というのが俺の本音の部分。オヤッさんの大事な物ならもちろん無条件で守る気でいた。けれど、それ以上でも、それ以下でもなかった。
 ただ、痛々しくも笑った彼女。はっきりと言い切った言葉に伸ばしてしまった自分の手が、不思議な感覚だったのだ。
『話…出来るか』
 らしくない言い方だった。
 それに応えたいのは山々だが、今は残念な答えを口にするしかない。
「今は居ません。ほんの三十分程前に、見かねた義哉が病院へ連れて行きました」
『まさか堕ろしにじゃねぇだろうな!』
「いえ…、それはないと思います」
 唸るように「本当だろうな?」と念を押すオヤッさんに、「明良さんならそんな事になる前に病院から逃げるでしょう」と俺は自信満々で呟いてた。
「戻ってきたらこちらから連絡します。せいぜい砂糖菓子みたいな科白でも吐いて、元気づけてあげることですね。オヤッさん得意でしょ?」
『得意じゃねぇ!』
 いつまでもブツブツと文句を言うオヤッさんに、俺は口を挟んだ。
「ところで、例のアレ…手に入りましたか?」
『ん、ああ、なんとかな… 随分と無茶させた。いつになく溢されたし、その分上乗せしてやったってのに、いつまでも手を引っ込めやしねぇ』
「モノがモノですからね、そりゃあ苦労するでしょう。こっちも明日中に手に入る予定です」
『準備万端だな』
 俺はオヤッさんの声に相槌を打って、頭の中では対義哉へのシミュレーションを描いていた。
 その中に俺は居ない。オヤッさんが"動ける"というならそうなのだから、少なくとも登場の場面から俺が弾除けに立つ予定はない。
 俺は裏方を固めるつもりだった。
 と、言うより、そうしなければならない理由ができた。
 俺が此処に潜入した時点では、オヤッさんと彼女の関係なんて頭になかった。そんなに長く此処に居る事も考えてなかったし、その先を考える必要もなかったのだ。
 けれど今は違う。少なくとも、オヤッさんと彼女と兄達を繋ぐ線があり、洞門組とも線が繋がる。
 そうなれば、いつか俺が阪下の…いゃ、東海林組の若いモンだとバレる日がくるだろう。
 その時が、笑い話で済む頃ならいいが、今はマズイ。
 ソレならソレで…と、やりようはあるが、その時間と手間が惜しいのが現実だった。
 
 ――洞門組。
 構成員は300人。準構成員まで入れると、かなりの人数に膨れる。だがそれは洞門和義が束ねる洞門組で、俺が居る此処は義哉個人の事務所だった。
 組長の実子である義哉は、和義と盃を交していない。義哉の兄弟分の男…俺と身体の関係がある男は盃を交した和義の子だが、義哉は和義の兄弟分から盃を貰っていた。ゆくゆくは洞門を束ねると誰もが認めているものの、そうなるには段階を踏んで十年以上の年月がかかるに違いない。
 現在の洞門の若頭が和義の跡を取り、時期を見て盃を直し、そして義哉がその次の…という具合だろう。
 誰が構成員であるか、準構成員であるかははっきりつかめていない。けれど、オヤッさんが此処に来る以上、すべてが敵だと考えればいい。
 オヤッさんは「俺個人の問題だ」と、俺以外の組員を巻き込む気はなく、もちろん、その上の阪下もだ。そして義哉の方も、大事にしたように思えるが、実際のところ組自体の動きはない。
 だが、こちらの動きひとつで、いつでも臨戦態勢を構えるはずだ。理由はどうにでもするだろう。
 けれどそれは、あくまでも洞門義哉が束ねる三次団体の洞門組という事だ。
 多分それ以上事が大きくなる事はないはず――。
 洞門の名前を出した時に匂わせた西と東のケンカと言うのも、今ならハッタリだったと考えられる。
 彼女の父親でもある洞門和義はまったくこの一件を関知してなかった。そればかりか、彼女が浚われた原因は自分にあると思っていたぐらいだ。
 義哉も父親を巻き込んでまでとは考えていないのだ。こっちにしてみればラッキーとしか言いようがない。
「多少、事を荒げても、洞門和義が出てくることはないでしょうね」
『そう思うか?』
「自分に自信があって、プライドが高い男ですからね…、自分の仕掛けた喧嘩で親に泣きつく真似できないでしょう? それが出来る男なら初めからやるはずです」
『俺も同意見だがな… そう踏んだからヤバイ手も使える。流石に前に出るだけしかねぇチンピラ相手じゃ危ねえし。つっても、洞門の本体が関知してないのを知ってからだってのが、格好悪いが…』
 ククッと微かに聞こえた笑いに、「そうですね」と返した。
『明日そっちに向う。予定どおりなら午後には着く…』
「解りました。明良さんが戻り次第、のち程連絡させてもらいますんで」
『ああ、最悪明良との最後だからな… 頼むわ』
「それはちょっと困るんで、そうならないように準備しておきます」
 じゃあなと括ったオヤッさんの声。俺は携帯の画面を見つめ、切れたのを確認してから静かに閉じた。
 携帯を切って踵を返した瞬間――。
「ッ!?」
 飛び込んできたのは厳しい目をした女だった。




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