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      中将姫(ちゅうじょうひめ)の伝説

当麻寺駅を降りるとすぐ目に飛び込んでくるのは「中将餅よもぎ入り」という看板。その名のいわれとなっている中将姫の伝説は當麻寺を知る上で欠かせないものである。ストーリーとしては前半は天平時代の白雪姫物語のようでもあり様々な解釈があるようだが、何はともあれ當麻曼荼羅やお練りの行事を知る上で大変重要で、なおかつ興味深い内容となっている。

時は天平時代(750年ごろ・聖武天皇のころ)、中将姫は奈良(今の帯解あたり)に住んでいた藤原豊成という人の娘である。7歳の時実母が死に、継母に育てられた。13歳のとき中将の内侍になりそれから中将姫と呼ばれた。継母との折り合いが悪く、継母は姫に対して悪い噂をたて豊成の留守中に家来に命じて中将姫を山で殺すように命じたが家来はそれができず山中にかくまった。3年後に狩りに来た父親(豊成)に発見され奈良に連れ戻されるがその後発心し當麻寺を訪れる。当時の當麻寺は女人禁制であったが中将姫の3日間一心にお経を唱えたところ修行をしていた石に姫の足跡がつくという奇跡が起き、入山を許された。翌年姫は中将法如尼(ほうにょに)という名をもらい尼になる。その時、剃髪下のが中之坊の本堂で別名「中将姫剃髪堂」と呼ばれている。26歳の時「仏がこの世にあるならば目の前に現れ給え」という三七日間(21日間)の願を立て念仏していた。最後の晩、老尼が現れ蓮の茎を集めその蓮茎の糸から曼荼羅を織ることを命じた。中将法如尼は近江・大和・河内から百駄の蓮茎を集め老尼の手伝いもありその糸を石光寺の染井につけ染め上げ、桜の木にかけて干した。すると織姫が現れその夜3時間で1丈5尺(4.5メートル)の曼荼羅を織り上げた。織姫は自分は西方極楽の教主阿弥陀如来であることを伝え中将法如尼に礼拝の仕方を教え13年後に迎えに来ることを約束した。13年後の3月14日雲間から光明がさし阿弥陀如来や多くの仏菩薩が現れ中将法如尼は西方浄土に旅立った。

なお當麻寺中之坊に伝わるところでは中将姫は十七歳の六月十五に剃髪して七日後、二十二日の夜から二十三日の明け方にかけて曼荼羅を織り上げたことになっているとのことです。このところについてはいろいろな説があるそうです。

毎年5月14日に行われる「お練り」は中将姫が極楽浄土につれて行かれる様を再現している。

    中将姫像(曼荼羅堂前にある)