當麻寺中之坊の絵天井です。どの絵も貴重なものばかりです。98年夏撮影
詳しい説明は、當麻寺中之坊のホームページにもあります。
http://www.taimadera-nakanobo.or.jp/
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「昭和の画壇オリンピック」
中之坊の絵天井は、従来肩を並べることのなかったかつての帝展、院展など画家の作品が、党派を超越して一堂に会し、しかも当時の日本画壇を代表するそうそうたる顔ぶれが揃っていることから、こう賞されています。
中之坊54世法印であった實照大僧正は、若い頃から絵画が好きだったこともあり、多くの画家たちと親交がありました。當麻寺には花、庭園、塔、仏像と画材に事欠かないことから、数多く画家たちが常に訪れていましたが、實照法印は、横山大観、下村観山、前田青邨、安田靭彦らはもちろん、まだ名の知られていない若い画家たちなども分け隔てなく接待し、本当に多くの画家たちに親しまれていたそうです。
昭和の初め、中之坊書院が国宝指定を受けることが決まり、保存の都合上、かわりに松室院を客殿として改築することになり、その時、中之坊で世話になった若い画家たちが、お礼とお祝いを兼ねて板絵を格天井にはめ込むことを提案されたのでした。
日本美術院の重鎮であった前田青邨画伯は、それを聞きつけ「同じ天井絵にするのなら、日本美術の粋を結集しよう」と考え、多くの画家たちに声をかけ、また自ら第1号として『飛鴨』を奉納されました。以後、山村耕花、中庭煖華、小島一谿、西山翠嶂らの呼びかけで次々と寄進の申込みが続出し、当初、一間の予定が三間にまで膨れ上がったのでした。
實照法印の死後、現法印の實秀貫主が、関西日本画壇の重鎮・中村貞以画伯のお世話で板絵の回りに
金箔を張り、絢爛豪華な絵天井が完成したのです。昭和4年の前田青邨画伯の寄進からおよそ半世紀後の昭和51年のことでした。
中之坊の天井絵は全て人と人のふれあいの中から生まれた、血の通った作品の一つ一つです。画材が多種にわたるところも、他にない特徴です。
中之坊ホームページより