当麻の里(メイン)にもどる 塔が見える風景
| 麦の黄ばみかけている野中の一本の道の突き當りに當麻寺が見える。この景致はいかにも牧歌的で、人を千年の昔の情趣に引き入れて行かずにはいない。茂った樹の間に立っている天平の塔を眺めながら、ぼんやりと心を放して置くと、濃い靄のような傳奇的な気分がいつの間にかそれを包んでしまう。・・・ 和辻哲郎著「古都巡禮」より |
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| 東塔(左)と西塔・いずれも国宝 | 当麻寺奥納骨堂より両塔 |
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| 曼荼羅堂と西塔 |
| 東西両塔は金堂よりはるかに離れた東南と西南に山にせまって建っている。二つ塔があっても、薬師寺のように廻廊内にとりいれたものとはちがい、奈良時代後期の配置方式である。その一つの塔も同時に建ったものでなく様式からみて、東塔は奈良時代後期に、西塔はで平安時代に入ってから建ったものと見られるが、それにしても東西向塔がそろって残っているのはこの寺だけである。東塔は様式的に見ると唐招提寺金堂の後になるものであるが、初層のみをニ間とし、二層から二間にしているのは大胆で異例である。三層は鎌倉時代に改築され、そのため相輪は輪が薄くされて間隔をつめたうえ、輪の数も一つ減じて八つになっている。水煙は珍らしい魚骨のような意匠に衣現されている。 西塔の方は各層とも三間になっている。全体の様式から、平安時代のものとされるが、この塔では明治末期の修理の際に相輪の宝珠の中の心柱の先端から中世の修理の時に納めたものである舎利容器が発見された。こうして同じ三重塔でありながら、両方の塔の姿はかなり違って見える。元来塔は仏舎利をまつるためのものであるが同時に聖域を示す象徴として高く聳え、その存住を遠くから認識させる目的をもつ。その天両塔は高い丘上に位置して、遠望することができまことによく地の利を得ている。 |