平均律は化学調味料

食べることシリーズ第2弾。

これは、結構前から言っていることなんですけど、平均律って化学調味料のようなものだと思っています。

化学調味料は、もともと人間が感じる「うまみ成分」を化学的に取り出して作ったものですね。その味は「そのうまみ成分の組成は持っているけど、自然界の複雑なうまみとは全く異なる」ものです。鯛とヒラメの味の差を、多くの日本人は理解しますが、その「差」の部分の発想は化学調味料にはありません。そして、化学調味料を使って料理を作ると、「どれも同じような味」になります。

ポテトチップスやカップラーメンに「何とか味」というのがよくありますよね。もう何年も食べていないので、最近のモノは昔に比べると良くなっているのかもしれませんが、食べてみて感じたのは「何とか」の部分をえげつなく強調している味でした。ベースにはしっかり化学調味料の味がある。確かに、化学調味料で「同じように感じてしまう」味の差を強調するには、実際のものよりももっと「強烈な」味付けにする必要があるのでしょう。

さて、音楽に帰ってみます。

純正な和音と正しい和声進行、ピタゴラスの美しい旋律に織りなされた音楽は、その自然な「アップダウン」が楽しめます。だから、ffffなんていらない。だけど、平均律で音楽を創ると、あまりにも平板で「なにをやってるんだかわからない」音楽になります。これを「聴衆に」覚えさせるにはどうするかというと、「強烈な」味付けをする必要があるんです。言いたいこと、わかりますよね?

モーツァルトの頃は、fが三つ、なんていうのは、「特殊な場合」だけのものでした。それが「平均律」が幅を利かすようになると、当たり前になってくる。その点、僕がブラームスが好きなのは、あの時代のものにしては「抑制が利いている」んからだとおもう。ブラームスは楽器の響きを、和声の響きをよく理解していたのだろうと思います。化学調味料にあまりたよるひつようがなかったんですね。ただし、それまでの作曲家とは「違った」見え方がしたのは事実のようです。ですから、ブラームスは楽器、特に弦楽器の響きを知らないと考える演奏家がいるのも事実です。交響曲の第一番の出だしを思い出してください。f幾つだと思います?