【大人になって始める初めての楽器】

思いっきり「レイト・スターター」のために

     ☆☆☆☆☆☆ はじめに ☆☆☆☆☆☆ 

ようこそ、「プレーヤー」の世界に(^_^) 

 
楽器を演奏すること・・・それは、多くの人にとって「別の世界の出来事」でありましょう。しかし、ある人にとっては「憧れ」であるかも知れません。「あんなふうに楽器が弾けたらいいなあ」とか、「ああやって吹ける人は楽しいだろうなあ」 などと思ったことのある人も、きっと多いはずです。でも、演奏している人を見ると、とっても大変そうにみえますよね。「あんなこと出来るはずないから、私には関係ない世界なんだろうなあ」と感じて、楽器を触ることから離れてしまっている人も多いのではないでしょうか。

 世界的にカラオケが大ブームです。このことは、世の中に、歌を歌うことを気持ちがよいことだと感じている人がいかに多いか、という事の証明のような気がします。人間は 祭やお祝いなどで、大昔から「音」や「リズム」に親しんで来ました。大昔の人が、誰でも手軽に伴奏付きで歌を歌える、今のカラオケボックスを見たら、 うらやましがるでしょうか(^_^)

 楽器を演奏することは、かなり「とっつきにくいこと」に感じられるものです。何故か、ということを考えてみました。少々突飛かもしれませんが、

<音楽は料理である> 

と、考えてみて下さい。

 料理は、作る人と食べる人がいますね。「作る喜び」と「食べる楽しみ」が存在していると思います。「自分で作って自分で食べて楽しむ」という人もいるでしょうし、「人に作ってあげることが楽しみ」という人もいるでしょう。「美味しいものを食べるのは大好きだけど、自分で作るのはまっぴら」という人がいる一方で、 「こんなに美味しいものを作れたらいいなあ」と感じる人もいるでしょうね。料理に対して「美味しい」「不味い」という感想を持つ人は、多いと思います。同じ店でも、材料やその日の板前さんの機嫌によって、味が変わったりもしますよね。私は和食が好きですが、料理には「中華」も「フランス」も「ドイツ」も「イタリア」もありますよねえ。味も材料もいろいろで、調理法も様々です。作る側が違うだけではなくて、個人的に「食べる方」も好みがありますよね(^_^)

 ここまで考えて、<音楽は料理である> と言った意味がわかっていただけたでしょうか。

「音楽は料理である」と言ったことには、とっても「現象的」な意味と、「人のかかわりかた」の、2つの意味があります。

 音楽は、材料である「曲」を、凄腕の板前である「演奏家」が「楽器」などの器具を使って、「作曲家のレシピ」に従って調理するわけです。包丁が切れなくては、美味しい刺身にはなりませんし、板前の腕がどんなに素晴らしくても、材料が悪く ては 美味しいものはできないでしょう。また、同じ材料を使っても、板前が代われば、出来上がった料理は、全く違ったものにもなってしまうかもしれません。

 また、自分で演奏するだけで満足することもあるでしょうし、出来ばえが素晴らしければ、人に食べてもらいたくなるかもしれません。人の演奏を聴いて「不味いなあ」と思うこともあるかもしれませんが、本当に良くできた料理を食べたら、素直に材料に感動して「なんて素晴らしい曲なんだろう」って、思えるかもしれませんよね・・・・・・(^_^)

 楽器を演奏することが「とっつきにくい」のは、料理と違って「売り物になるかならないかが現実的にシビアである」ということが最大の原因のような気がしています。料理はとても日常的なものですので、毎日付き合っていますよね。けれども音楽は(稀には、音楽がないと息もできない、という人もいるかもしれませんが)なければないですましてしまう人が多いと思います。ですから取り上げられる音楽は、「誰でも出来る」ものではなく、「特殊な才能を持った人が、才能などない人に聴かせる」ものであるかのように思われいるのではないでしょうか。外を歩けば、レストランや飲み屋はいくらでもありますが、音楽を専門とする人に出会うことは、滅多にあることではありません。繁華街にあれば、ある程度の内容の店であれば繁盛するでしょうが、「お、私にもできそうだな」と思われるような演奏は、残念ながら売り物にはなりません。

 しかし、音楽には色々な楽しみ方があるはずです。

 音楽を聴く楽しみと、音楽を演奏する楽しみは、かなり質の違ったものである、と思います。ですから、「人に聴かせる」演奏をすることだけが、「演奏する楽しみ」だとは思いません。自分で演奏することによって得ることのできる楽しみは、演奏の質に係わらず存在していると思うのです。音楽というものは、とても素晴らしいものです。演奏する喜びを、一部の「売り物になる」演奏家だけのものにしてしまうことは、とても勿体ないと思います。 あなたも、演奏する喜びを一緒に味わいませんか(^_^)

【大人になって始める初めての楽器】

思いっきり「レイト・スターター」のために

【1】 楽器ができる、ってこんなに素晴らしい(^_^) 

 イギリスのアマチュア達の楽しみかたから・・・・・ ロンドンから車で40分ほど北西に走った所に、LITTLE BENSLOWHILLSという「アマチュア・アンサンブルのための研修施設」あります。そこでは、年中無休で、「アマチュアのためのアンサンブル講座」が開かれています。日本でいうところの「財団法人」のようなものが運営しているようですが、研修施設として、練習のできる部屋、レッスンのできる部屋、食堂、宿泊施設、などから成り立っています。そもそもは、地域の音楽環境を充実させるためのものだったようですが、現在は、そこにはいろいろなコースがあって、年間のスケジュール表を見て、自分の参加したいものについて電話などで予約をいれる、という形態になっています。参加するために必要な資格などというものはなく、(一部のプログラムに "For Advanced" なんて書いてありますが、実際は「自分がそう "advancd" であると思えばよい」訳で、試験やオーディションがある訳ではありません。)参加したい人は(予約で一杯でない限り)断られることはありません。参加の仕方も気に入った仲間同志でもよいし、メンバーを集めることから依頼することもできます。

 そこでは、現役のプロ(決してそれしか仕事がないようなプロではなく、現役で演奏活動を続けている人がほとんどのようです)たちの指導を受け、合奏のレッスンを経験することができます。イギリス国内から来ている参加者が多いのは当然ですが、中には、アメリカやカナダ、香港などの人達もいるそうです。

 昨年その施設を見学に行って来た人が、とても楽しい報告をしてくれました。「お世辞にも上手とは言えない人達が、本当に楽しんでカルテットをやってて、教える先生たちも、本当に熱心に教えてる。弾いてる人達は、『俺たちが一番熱心なアマチュアだ』とか、『世界一幸せなアマチュアだ』などと、本気で思っているようだった、いや、ひょっとしたら、『世界一上手なアマチュアだ』とでも思っていたかもしれない。」と笑いながら話してくれました。

 そんな施設があって、安く利用できるということは、イギリスの文化度を物語っているのでしょうね。

 ロンドンの町中を歩くと、小さい小さいホールがたくさんあり、「ティータイムコンサート」などが、ちょくちょくある。町中の教会などでもただみたいな値段のコンサートが、しょっちゅうある。そんなところで演奏している人が、実はメジャーオケの団員だったりすることがよくある。そんなことと、共通点があるのかもしれません。しかし私は、その話を聞いて「イギリスのアマチュアは恵まれて いるんだなあ」と感じるよりも「イギリスのアマチュアは、本当にアマチュアだなあ」という感じを、より強く持ちました。

 イギリス人のアマチュアに聞くと、堂々と答えてくれます。「私はばよりんを弾きます。」さて、その人が実際にばよりんを弾いているのを聴くと、日本だったら隣の家から物が飛んできそうなばよりん、だったりすることもよくあります(^_^;)自分が「下手だから恥ずかしい」とか、「もうすこし上手になってから、皆と合奏しよう」とか、余計なことは考えないみたいですね。とにかく、アマチュアなんだから、ばよりんを弾けば "an amatuer violinist" であり、でしかない訳です。

 イギリスには、そんな人達が集まったアマオケが、たくさんあるそうです。そこでは、何も難しいことは言いません。集まった人達が、とにかく「やりたい曲」を「やりたいように」楽むのだそうです。彼らは、自分たちのやっていることを、愛情と、若干の恥ずかしさと、そして恐らく自負を込めて、"funny noise" と呼んで います。そして、にこにこしながら、思いっきり演奏します。

 一方で、年に4回も5回も演奏会をやる、プロみたいなアマオケもあります。そこに参加するには、かなりの技量と経験がいるようです。そこでは、厳しい練習と水準の高い演奏会があります。彼らは、例えば「ジャクリーヌ・デュプレ基金の為のチャリティーコンサート」などと銘打って、有料の演奏会をしたりしています。地方の都市を歩いていても、街角にコンサートのポスターが張ってあったりします。どこのプロだろう、と思っていると、アマチュアだった、っていう感じですね。

 楽器を使って音をだす、ということは、とても楽しいことのようですね。子供は色々なものを叩いたりして、音を出してみます。単調な音だと、すぐ飽きてしまうかもしれませんが、いろんな音がすると、結構長いこと遊んでいます。周りの大人が一緒になって音を出すと、子供なりに合わせようとするでしょう。大人になっていくと、そんな純粋な楽しみ方が、だんだんできなくなります。音の配列や大きさにこだわるようになり、好き嫌いがでてきます。小さい頃からやっていればともかく、大人になってから、「自分の好きな音がいきなり出る訳がないのに、楽器なんかやってられっか。」なんて思う人が多いのでしょうね。どうしても、手を出すのに、臆病になりがちです。

 でも、ちょっと待ってください。自分で音を出す楽しみ、人と合わせる楽しみ、は、そんなに面倒臭いものではありません。「完全に正しく音が出ないと」とか、 「完全に合ってないと」などということは、全然必要ないのです。子供が純粋に楽しんでいるように、大人だって楽しむことが出来るのですよ。

 大人は、自分の音を判断したり、他人の音と比較したりすることができます。ですから、子供の純粋な楽しみに、さらに「だんだん弾ける(吹ける)ようになることが実感できる」喜びももっているのですよ。少しでも上手になれば、どんどん面白くなっていくでしょう。私はしばしば、こんな言い方をします。「楽器はね、2倍上手になると、2の自乗倍、3倍上手になれば、3の自乗倍、楽しくなるよ(^_^)」

楽器に限らず、楽しんで何かをやっている人は、とってもまぶしくみえますよね。一生懸命に楽しんでいる、とっても素敵なことだとは思いませんか。楽器は、自分が楽しむだけでなく、一緒に演奏して楽しむことも出来ますし・・・・

 楽器を演奏することが出来るということは、言わば、一つの言葉をマスターしたのと同じ効果があると思います。ホームパーティーで、ちょっとした演奏が出来れば、下手な会話をするより、場が和むかもしれませんね。始めて会う人とも、一緒に音を出せば、それなりの親しさが湧いてきます。(宴会での芸にもなることがあります(^_^;))そんなことも、楽器を演奏することの楽しさかもしれません。 続く(^_^)

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【2】何を目標にして楽器を始めたらよいのでしょうか 

 楽器を持ってみたい、と思われたきっかけは、人により様々だと思います。

 超一流のプロの演奏を聴いて「わあ、いい音だなあ」と思って始めようという人もいるでしょうし、アマチュアのアンサンブルを聴いて「楽しそうだなあ」と触発された人もいるでしょう。ソロを聴いて「ああいうふうに楽器が演奏できればいいな」と感じた人もいれば、オーケストラを聴いて「あの中で演奏してみたい」と感じた人もあるでしょう。きっかけなど、どうでも良いと思うのですが、始めようと思った思い方によって、それぞれ目指すところが違ってくるのも、また当然だ、と思います。

 レイトスターターの人と話をすると、「どのくらい練習したら××が弾けますか」とか、「いつになったらオーケストラで弾けるようになるでしょうか。」といった質問がよく出てきます。練習の仕方、その人のそれまでの音楽体験などによって、勿論一様ではないのですが、やはり楽器を始められる皆さんにとっては、一番の関心事のようですね。

 話をわかりやすくするために、ここでは「何を目標にするか」を3つの部分に分けてお話を進めていこうかと思います。

(1) どんな演奏形態に参加できるのでしょうか 楽器の演奏形態は、色々あります。

 まず、単に人数で分けた分け方なら、一人で演奏する(ソロといいます・・以下同じ)二人(デュオ)三人(トリオ)四人(カルテット)五人(クインテット)六人(ゼクステット)七人(ゼプテット)八人(オクテット)・・・などと、分類されます。さらに、オーケストラやブラスバンドの編成は、10人位の小さいもの(室内オーケストラなどと呼ばれることもあります)から、100人を越える大編成のものまであります。

 演奏する楽器の組合せもいろいろです。

 同じ楽器の合奏(ピアノの連弾やばよりん・ヴィオラ・チェロなどのデュオ、トロンボーンアンサンブル、打楽器アンサンブル等、等、等・・・)同じ仲間の楽器による合奏(弦楽4重奏・5重奏・6・・・・、金管アンサンブル、木管5重奏、弦楽アンサンブル、打楽器アンサンブル等)旋律楽器と伴奏(いろいろな楽器とピアノ、ハープなどの組合せ等)多様な種類の楽器による合奏(吹奏楽、オーケストラ、等)さらには、最近では、電気を使った楽器との組合せ、邦楽の楽器との組合せ、などもあります。

 基本的には、「どんな形態であっても、それなりの参加の仕方がある。だから、恐れずにどんどん参加したらよい」というのが答えでしょうか。

 楽器の演奏は、その性質上、まずは一人である程度の音が出せること、が前提となるのは、仕方ないことです。演奏自体もともかく、何かを他の人と一緒にやろうと思っても、自分自身が、音を出すことができなくてはしょうがないですね。それはデュオであろうとも、オーケストラであろうとも、同じことです。

 演奏の形態による差は、二つの矛盾する側面を持っています。

1 一人(ないし少人数)で、鑑賞に耐える演奏をすることは難しい

2 合わせることは、一人で演奏することと違う難しさがある

 ということです。 しかし、これは

1’一人(ないし少人数)で演奏するときの楽しさ、充実感は大きい

2’沢山の人と合奏する楽しさも、別にある

 ということと、表裏一体の関係です。いわゆる「初心者のための」的なものにはどうも後ろの部分が抜けていることが多いように感じられるのですが、これを知らないと、なんのためにお金と時間を使って、楽器を始めようとするのかわかりませんよね。

 世の中の「初心者」たちは、1の難しさはよく知っているようです。とりあえずオーケストラに入った人も、例えば「クァルテット」となると、尻込みしてしまう人が多いようです。それでは勿体ないと思います。

 オーケストラで弾いていると、特に弦楽器の場合、「自分の音が聞こえない、フォルテで弾いているのに、かき消されちゃう」といったことがよくあります。しかし、人数の少ないアンサンブルなら、そのようなことはありません。みんなが、自分の音一緒に演奏している人の音、を聞きながら演奏することができます。また、100人ものオーケストラで、音程やリズムを合わせることは、実はほとんど不可能に近いことです。ですが、少人数であれば、「合った時の気持ち良さ」も、味わうことが出来ます。アンサンブルの時には、「じゃんけんのタイミングを合わせる」ような作業が、頻繁に行われています。目だけで合図することもありますし、楽器を動かして合わせることもあります。そんな経験をすると、「少人数のアンサンブルがたまらなく面白く」なるはずです。

 一方、オーケストラのような大きな編成のものにも、違った楽しさがあります。詳しくは、この連載の兄弟、【初めてのオケマニュアル改訂版】に譲りますが、たくさんの人と同時に音楽をすることは、とっても楽しいことですよ。それに、アマチュアにとって、「堂々とプロと一緒にできる可能性が高い」という利点もありますね。指揮者やソリストとして、素晴らしいプロと共演できることは、とても楽しく、また得るものも大きいと思います。

 オーケストラに入って、実際に演奏する時に、弦楽器と管楽器では、かなり立場が違ってしまいます。弦楽器は「一人で責任を負わされる」楽譜を担当することはめったにありませんが、管楽器は「原則として、自分の楽譜は自分しか吹かない」からです。ですから、大体の市民オーケストラが、「管楽器については、始めたばかりの人は御遠慮願っている」のが実情です。ある面で仕方のない部分もあるのですが、その代わり、晴れて入団のあかつきには、一人で譜面台を一つ独占できる訳ですね。楽器の選択については、章を改めて、詳しく述べたいと思います。

 さて、話が大分あちらこちらに行ってしまいましたが、「曲の選択や、メンバーの選択で、いろいろな可能性があるのだから、演奏形態にはとらわれずに、何でも挑戦してみるとよい。その結として、自分が本当に力を入れたい演奏形態が決まってくるでしょう。」

 ということは、覚えておいてくださいね。

【2】何を目標にして楽器を始めたらよいのでしょうか・・・その2

(2) どんな曲が演奏できるようになるのでしょうか

 これが、きっと大きな興味、というか、関心点でしょうね。勿論、全ての楽器について、また全ての人について、何の曲が演奏できるようになるだろう、ということを予想したりすることはできません。ここでは、レイトスターターの為に、一体どんなことを考えて楽器を始めるか、というこについての指針になるかもしれないお話をするつもりです。

 レイトスターターの人達が気にすることは、次の二つの面に集約されると言ってもよいでしょう。

1 運動能力(楽器と演奏するときに、指や手を早く、細かく動かすこと)

2 音感(自分の出した音を聞き、判断する能力)

 まず、1の運動能力について、です。 人間の能力は、「おぎゃー」と生まれた時は、ほぼ平等ではないか、と思います。「ほぼ」と言った意味は、「誰でも100mを10秒で走れるわけではない」と言えば分かっていただけるでしょうか。生まれた時から、全て条件を同じにして育っても、カール・ルイスは100mを10秒で走れますが、私には決して走れないでしょうね。しかし、訓練をしていれば、恐らく12秒位では走れると思います。誰でも、五嶋みどりのようにばよりんを弾ける訳ではないでしょうが、小さい頃から同じ様な環境にあれば、私と同じくらいばよりんを弾くことはできるでしょう。

 0才の時の子供は、恐らく「全ての」可能性を持っています。学者になるか、運転手になるか、野球の選手になるか、音楽家になるか・・成長は(悲しいことですが)可能性を削っていく作業でもあります。育つ環境、親の考え方などによって、出来上がってくる「大人」は、一つの可能性を残して、ほぼ全てのことを捨てて来た結果でもあります。

 アマチュアとして音楽を、しかも楽器を演奏して楽しむ為には、100mを10秒で走れる必要はありません。ですから、大多数の人間が持っている能力で、充分なはずです。

 小さい時から楽器に触れていると、楽器が体の一部のようになっています。ですから、人間が持っている能力のかなりの割合を発揮することができるのです。しかし大人には子供にはない武器(頭を使うこと)があります。そのことさえ理解していれば、かなりのレヴェルまで達することができるのではないでしょうか。

 私の専門であるばよりんを例にとって、少し具体的に話をしてみましょう。

 ある限られた人しか弾けない曲というのは、確かにあると思います。あくまで個人的な感じですが、たとえば、イザイのソナタ、プロコフィエフやバルトーク、ベルクのコンツェルト、などはそうだと思います。こういう曲は、みどりちゃんに任せておきましょう。また、ブラームス、シベリウス、チャイコフスキーなどのコンツェルトは、小さいときから始めて、楽器が体の一部になっていないと、かなり困難であると思います。一方、メンデルスゾーンのコンツェルトや普通のソナタ等は、合理的な練習をしさえすれば、決して特別な人にしか弾けない曲ではないと思います。(勿論、ここでいう「弾ける」とは、その音がほぼ正しく弾けるということであって、音楽的なことは問題にしていません。あくまで、運動能力に限った話です。)

 こんな分類が、乱暴極まりないことは、充分承知しているつもりですが、こんな風に考えてみると、結構弾けるようになるであろう曲は、いっぱいあるんですよ。それに、一人で弾くのではなく、みんなと合奏するのであれば、可能性は、もっともっと大きくなるでしょう。

 レイトスターターにとって、目標にすることは、思いっきり大きくかまえても良い、と思います。すごいことをやっているように見えても、差は、実はちょっとのことなんです。

 大人になって始めて楽器をさわる人にとっては、全てが新しいことですね。ですから、すごく「臆病に」なりがちだ、と思います。ですけれど、前章で書いたように、こんな楽しいことを、「出来る人」達だけに独占させることはありませんよ。この後、楽器を始めていく時に考えること、練習をどうするか、大人になって始めることの有利さ、不利さ、など続きますので、ご覧になってくださいね。

 2の「音感」についても、若干述べてみたいと思います。

「小さい頃から始めた人は、音感があるから、いいよねえ」ということを、よく耳にします。音感、って一体なんでしょうか。まず、「絶対音感」と「相対音感」のことについて説明します。 こんなことについて書くと、いろいろな反論や批判がいただけそうですが(^_^;)、とにかく、大人になってから楽器を始める人の為に、分かりやすく書いてみようと思います。

 簡単に言えば、「絶対音感」とは、「何の音かわかる能力」で、「相対音感」とは、「はもる音とそうでない音を聞き分けることができる能力」です。

 音楽を楽しむ為に、「絶対音感」は、全く必要がありません。本当にこれを持っている人は、「あ、これは442ヘルツのAだ」とか、「これは、440のAだ」とかわかります。これを持っている人は、ごくごく少数です。私は、40年に近い人生で、3人しか出会っていません。私も「絶対音感」は全く持っていません。ただし、疑似的な「絶対音」は持っています。

 世の中の多くの人が「絶対音感を持っている」と感じる人が実はもっているものが、この「疑似絶対音」なのです。私の例でいえば、ばよりんの調弦の時のAとか、メンコンの出だしを歌ってみる、とかすると、「ほぼ近い音」を感じることはできます。しかし、これは「経験的な」音感です。これは、経験を繰り返すことによって、得ることができるものです。歌を歌うと、聞き慣れた高さで歌うことが多いでしょう。それと全く同じものです。もちろん、他のところで鳴った音を、自分の頭の中でそのような「擬似的な絶対音」と「比較して」音高を「当てる」こともできます。ですから、他の人から見ると、「この人は絶対音を持っている」と見えることがあります。こういった音感は経験値ですから、大人になってから始めも、決して身に付かない、という性格のものではありあません。

「はもる音とそうでない音を聞き分ける」とは、言い換えれば、「気持ちよい音」と「気持ちの悪い音」を判断する、ということです。料理を食べて、「美味しい」とか「美味しくない」とか判断するのと同じだと思います。の判断能力に、経験的に音の幅を判断する能力がプラスされたものが、「相対音感」です。二つの音が鳴った時に、「3度である」とか「5度である」とか判断するのは、経験によるものです。 カラオケで「あ、あそこ合ってない」と感じる人なら、誰でも持つことのできる能力です。

 この能力は、縦の方向に発揮された場合「和音を感じる」能力になり、横の方向に発揮されると「旋律を感じる」能力になります。こうしてみると、「小さい時から楽器をやっている人が持っている『音感』について、誤解をしている人がかなりいらっしゃったのではないでしょうか。

 私の知り合いの子どもで、ピアノの絶対音を持っている子供がいます。その子がばよりんを調弦すると、ハッキリ平均律に合わせます(^_^;)先日も、風邪をひいて耳の調子が悪く、「いつもと音が違う、低く聞こえる」といって、とても気持ち悪がっていました。これでは、絶対音感を持っていることが、自分の調子によって、悪い影響をおよぼしている、といえるでしょう。

 ここまで、「運動能力」と「音感」について述べてきましたが、実際にはこの「運動能力」と「音感」とを用いて、楽器を演奏する訳です。そして、いままで書いてきたように、「100mを10秒で走れなくても、440と442を聞き分けることができなくても」演奏できる曲は、沢山あるわけです。そして、体や考え方、感性が固まってしまった大人は、「自分に合った」楽器を選択できる、というプラスの面もあるのですよ(^_^)

 

【2】何を目標にして楽器を始めたらよいのでしょうか・・・その3

(3) 目標を作りましょう(^_^) 

 演奏形態・曲について、簡単に述べてきました。この章の最後に、楽器を始める為に「力になる」ことを、少しだけ書いてみようと思います。

 私が常々思っていることに、「始めることより継続することの方が大変だ」ということがあります。アマチュアのオーケストラを例にとって、話を進めてみましょう。

 一つのアマオケを新しく作ることは、とても大変なことです。メンバーを集め、練習の会場を確保し、指揮者やトレーナーを手配し、お金の計算をして・・・という膨大な作業が必要です。オーケストラというものがどういうものかよく分かっていればいるほど、その苦労を推し量ることは容易でしょうね。

 しかし、作ったオーケストラを「継続して活力のあるものにしておく」ことは、考えようによっては、もっと大変かもしれません。

 オーケストラを作る時には、理想をもって始めることが多いと思います。「地域への文化的な貢献」とか「音楽的な向上を常に目指す」とか・・・しかし、一旦オケができてしまうと、そこには様々な人達が関わってきます。始めにオーケストラを作った人達とは、少々違うことを考えている人も、多くなるでしょう。また、オケが年月を重ねていくと、「しきたり」「慣れ」が生じて、「同じことの繰り返し」に陥ってしまうことも少なくありません。また、多ければ100人もの集団ですから、いろいろな利害もからんでくるでしょう。そんな時に「初心を忘れず、緊張感を持ち続ける」ことは、とても大変なことです。「これでいいや」という現状肯定が、ともすれば「やる気のある」メンバーを挫けさせ、「何かをやろうとしている人」を排除してしまうことになりかねないのです。また、人の「やる気」にもいろいろあります。自分の方針で考えすぎると、他の人の「やる気」を削いでしまうこともあるのです。

 楽器を「始める」ことは、かなりの決断を要することでしょう。しかし、どうせやるなら、「継続すること」を考えて始めることも、必要だと思います。

 楽器を始めたら色々な困難にぶちあたります。大人、特にFCLAの会員のように、ある程度音楽が好きで、しかも「よく知っている」場合、自分の持っているイメージと実際に出る音がなかなか一致しないために「こんなはずではなかったのに・・」などと思ってしまうことが、ないとは限りません。しかし、始めからちゃんと音のでる人などいないのです。子どもの頃から始めた人は、小さい頃遊びにも行けず、物差しを持った「鬼のようなおかあさん」に怒られながら、涙を流して練習したのですよ。それを、「わかってしまう」分だけ、「頭が拒否する」ことは、大変勿体ないことです。

 端的に言えば、何か目標があって楽器を始めると、結構頑張れるかもしれません。(子どもの場合は、これも結構難しいんですが・・・私も「あしぶえの踊り」が吹きたくてフルートを始めたのは、「ああ、あれならまじめにやれば、1年で吹けるよ」とYAMA×Aから来た先生に言われたことが、きっかけでした。しかし、今考えると、楽器を売りたいんだから、ああ言うだろうなあ(^_^;)・・・もう2×年も前の話です)それも、とりあえず「簡単に手の届く」曲だけではなく、本当に自分の気に入っている曲がよいでしょう。それも、いろいろな曲を調べて(人にきいてみるだけでも良いと思いますが)様々な難易度の曲を、目標に持ってみると、とても励みになってよいと思います。もっとも、「私はばよりんの曲は、パガニーニとイザイしか好きじゃない」という方には、他の楽器をお勧めしますが・・・

 オーケストラに入りたい、アンサンブルをしたい、というのも、かなりの方が楽器を始める動機になっているようですね。これも、立派な動機と言えるでしょう。オーケストラに入ったり、アンサンブルを楽しむようになったら、恐らくその中で楽器を継続していきたい強力な「楽しさ」を覚えていくでしょうから(^_^) 弦楽器を始める人は、「弦楽4重奏」やアンサンブルを弾きたくて始める人も多いようです。管楽器の人は、オーケストラの曲の「ソロ」が吹きたい、と始める人も多いようです。いろいろな楽器で、それなりの「やりたいこと」を見つけて始めることが、継続することの力になると思います。

 人によって、音楽の楽しみ方は千差万別ですね。ですから、合奏していて楽しそうな人を見たら、「どんなに楽しいか」を聞いてみるといいかもしれません。それも、一人ではなく、沢山の人に話を聞くチャンスがあれば、いろいろな話が聞けるでしょう。合奏の楽しみ方でも、「皆の中で、こんな旋律が演奏できる」ということが楽しみの最大のことである人もいるでしょうし、「何人かで一緒に音を出していて、ハーモニーが合ったり、リズムが合ったりすることが最大の喜び」という人も、沢山いると思います。同じ楽器でも、受け持つパートによって、楽しさが違うことも多いですし、向き不向きもあるはずですね。その中から、自分に合った楽しみ方、目標を考えながら、楽器を演奏することが、「楽しみながら上達する」為に、必要なことだと思います。

【大人になって始める初めての楽器】

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【3】大人になってから、楽器を始める、ということ

「楽器を始めるのなら、小さいうちから」とか、「大人になってから始めてもできることは限られているから、つまらない」とか言う人がよくいます。その点に関しては、前の章でも、少し述べてきました。ここでは、実際に大人になってから楽器を始めることで考えられる「不利な点」「有利な点」を考えてみたいと思います。

(1) 大人になってから楽器を始めると、どんなことが不利なのでしょうか

 1) 肉体的なこと

 肉体的なことで、いちばんよく言われることは、「体が固くなってしまうので柔軟性がなくなっている。だから、楽器を弾いたり吹いたりするために必要なことができなくなることが多い」というものでしょうね。

 確かに、人間の体は、歳をとってくるに従って、柔軟性を失っていきます。それは仕方のないことでしょう。では、実際に「子供の頃のように柔軟ではない」体では、楽器ができないのでしょうか。そうは思いません。

 楽器を始めて持って、音を出す時、「正しい持ち方」「正しい音の出し方」はなかなかできるものではありません。なれない為に「疲れて腕が下がってしまいやすい」タイプの楽器もあるでしょうし、楽器そのものの保持に、結構力が必要な為に、なかなか「正しく持てない」楽器もあるでしょう。ばよりんやびよらのように、ただ持つだけのことが「人間工学的に無理がある」楽器すらあります。

 これらの楽器をもって「音を出す」ことを、少しでも「簡単に理解」し「簡単に実行する」ことができるように、ある一つの「持ち方」「音の出し方」を決めて練習してもらうこと、そのためには、柔軟な体が「おおいに必要」だ、と思います。しかし、そのような作業は、必要にして不可欠なものではないのではないでしょうか。

 どんな楽器でも、「正しい」とされている「持ち方」「音の出し方」というものが載っている「教則本」がありますね。それを読むと、「これこれ、こういう持ち方が出来ない人には、この楽器は無理です。」と書いてあるように感じます。それが、まさに唯一の正しい持ち方であるかのように書いてあるのですから。私の分かる分野である、ばよりんの教則本でも、「ばよりんの正しい持ち方」「弓の正しい持ち方や正しい運弓」などが、写真や図入りで説明してあるものがほとんどです。

 確かに、写真や絵を使って説明することは、文章だけで説明するより親切ですし、よくわかるでしょう。問題は、「本当にそれしかないのか」ということなのです。

 超がつく一流の演奏家でも、弾き方はそれぞれ千差万別です。「ピアノを弾く時には、指が真っ直ぐにならないように、鍵盤に落とすように、自然な形を維持できるようにしましょう。」なんて、私も言われたことがありますが、そんなことをいったら、ホロビッツやミケランジェリはどうなっちゃうんだろう、「どうしてあんな指の恰好で、あんなに良い音がするのだろう」と不思議に思ったことがあります。ばよりんでも、特に弓の持ち方は「一人として同じ演奏家はいない」と言っても、言い過ぎではないかもしれません。

 それでは、何故、教則本の著者は、「正しい持ち方」を書いているか、といえば、「そうしないと説明ができないから」であり、「最大公約数的な部分を知ってもらう」ためではないでしょうか。決して「同じ持ち方でないと、良い音は出ない」ということではない、と思います。

 ある「決まった形」を作る為には、「柔軟性」がどうしても必要です。人にはそれぞれ差があるのですから、ある人には易しいことでも、別の人には、大変なことであるかもしれません。逆説めいて聞こえるかもしれまんが、「いろいろな形がありうる」のであれば、「型にはめる」ことより、柔軟である必要はないのです。ですから、「こういう恰好ができないから、この楽器は弾けない」というように短絡してしまうのは、あまりよいことだとは思いません。これは、楽器だけではなくて、日常のことでも言えると思います。特に、現在の日本の教育では、「型にはめて」「効率よく(といっても、生徒にとっても効率では決してありません)」「大量に」教えることが、「良いこと」とされていますから、「この子は学校の数学ができないから理系はだめ」とか、すぐ言われてしまいますよね。そういうものに慣らされてしまっている現在の我々は、すぐに「ああ、これはこの形にならないから、ダメだ」と思ってしまいがちです。(大体、小中学校、高校の音楽の試験なんて、すごいものですよね。神×川のア・テ×トなんか、問題を初めて見た時「どうやったらこんな馬鹿なことを考えることができるのか」と真剣に悩みました)

 基本的に、楽器をやる為には「少しでも良い音」がすればよいのであって、何も「ある決まった形」にこだわることはない、と思います。

 とは言っても、実際に「体が柔らかい」ことを要求されることがない、訳ではありません。その「柔らかさ」は「力を抜くこと」に近いものがある、と思います。余分な力が入っていると、弦楽器で言えば、「弓をきちんと運べない」とか、 「指がある程度以上のスピードで回らない」などといった現象がおこります。管楽器でも、「ブレスがうまくいかない」とか、「指が回らない」といったことが、起こってくるでしょうね。これが、実はかなりやっかいなことだとされていることなのです。

 日本人は、「箸」で食事をします。箸を持つことは、結構難しいことですね。 (実を言うと、私も「正しい箸の持ち方」はできていません。)箸を持つ時に、肩や肘、手首に力が入っていると、箸の先のコントロールがうまくいきません。実際に、ある重量のあるものを保持しているのですから、全く力が入っていない、ということは考えられないのですが、力が必要なのは、指の先の、ほんの一部分だけです。これを、小さいときから繰り返して練習することで、覚えていく訳ですね。箸を持ち始める時に、「これはどこどこに力が入って、物理的にこうなるから使えるのだ」などと考える人はいないでしょう。子供の内に、親から教えられて、自然に持てるようになる訳ですね。これは、鉛筆を持つことでも同じだと思います。まだ、体ができていないうちから、繰り返して練習することで、脱力を覚え、必要な筋肉が付いていく訳です。

 人間の生活には、多かれ少なかれ、このような側面があると思います。海の近くに住んでいる子供は、小さいうちから自然に泳ぐことを覚えます。雪の多い所に住んでいる子供は、小さい頃からスキーを覚えるでしょう。大人になってからスキーを始めた人は、「ボーゲンだと抵抗が大きいからスピードがでない」という事を知って、始める訳ですね。他にも、このようなことは、幾らでもある、と思います。

 小さい頃から楽器をやっていると、自然に「脱力」を覚えます。ですから、何も考えたり苦労したりしないで、「弓がまっすぐ使え」たり、「腹式呼吸が普通に出来」たりするように見えるかもしれません。確かに「自分で苦しんで」覚える訳ではありませんから、そういう意味では「苦労がない」のかもしれませんが、だからといって、「大人になってからではできない」ということでは、決してありません。人間は、前述したように、日常生活の中で、「脱力」を覚えてきているはずだからです。それが、「楽器を演奏する為に必要な」脱力になることを、覚えればよいのです。

 また、必要な筋肉などを付けることも、大人になってからでは全く出来ない、という性格のものではないでしょう。確かに、成長途上で筋肉を付けるより、苦労はあるかもしれません。しかし、それも練習の工夫で、なんとかなるものではないでしょうか。

 子どもは、頻繁にレッスンに通い、毎日「鬼母」にがみがみ言われて、自然にそういった「脱力」や「筋肉」を身につけていきます。それが「自然に」できない、ということが、敢えて言えば「大人になってから始める」ことの不利、ではないでしょうか。

(2) 有利な点、不利を克服することなど

 それでは、有利な点はなんでしょうか。また、不利な点は克服できるものなのでしょうか。 音感や筋肉などについては、(1)で詳しく書きました。早くから(子どもの頃から)始めたのではないわけですから、もちろん不利な点がたくさんあります。全く同じことができなくても、いろいろな工夫でそれなりのことができるということを言ってきましたね。
 ここでは、まず、積極的に「大人になってから始めた」ということや、「大人が練習する」ということの有利さを書いてみたいと思います。

 これは、一点にしぼれます。「頭を使える」ということです。

 まわりの子どもたち、ないし自分のことを考えてみてください。

 たとえば、小学校の時に「割合」がよく理解できなかった子どもがいる、とします。「割合」が理解できないと、実は、それ以降のいわゆる「文章題」は解けません。もちろん、「やり方」として「覚えて」しまって、答案を書くことができる子どもはいますが、理解してできているわけではありませんね。こういう子どもは、遅くとも高校で「物理」がでてくると、まったく破綻します。(実は、高校生の半分以上は「割合」を正確に理解していないのではないか、と思っているのですが・・)さて、それではこの子どもたちは一生「割合」の感覚がつかめないままでしょうか。そうではありませんね。年を重ねて、実生活のなかでの経験が増えてくると、子どもがした理解とはもちろん違いますが、「論理的に」ないし「経験的に」納得します。もちろん、「私は割合がわからないのだ」と思いこんでそのまま避けていてはいつまでたってもわからないままでしょう。しかし、何かのはずみで(例えば、自分の子どもの勉強を見るはめになって)やってみると、昔はわからなかったものが「理解」できることがあるものです。(経験のある方もいらっしゃると思います。)もちろん、その人の数学は、実は「割合」の段階で止まっていたのですが、(方程式は解けても、導くことが困難だったはずです。)その時になって「他の経験などを利用することで」理解できたわけです。

 数学と音楽を一緒にするつもりはもちろんありませんが、「子どもの時はできなかったのに大人になったらわかるようになった」という例としてあげてみました。(最近のアメリカの研究では、脳の中で、音楽と数学をつかさどる部分はとても近いのではないか、ということが言われています。もちろん、ここで言いたいこととは関係ありません(^ ^;))

 5歳から楽器を始めて25歳まで一応続けていた人がいるとします。練習の仕方や環境によって、もちろん進度は異なるでしょう。しかし、楽器を弾くために費やしてきた時間ははんぱなものではないはずです。それと同じ時間をかけないと楽器ができないのならば、大人になってから楽器を始めることは無駄になってしまうでしょう。しかし、大人になってから始めた方が、「短くてすむ」ことがたくさんあります。それは、すべて、「頭を使う」ということによります。

 ヴァイオリンを例にとってみます。

 ヴァイオリンという楽器は、右手も左手も普段の生活からは離れた形を強いられる楽器です。ですから、楽器をしっかり持って右手をちゃんと動かすまでがたいへんな作業です。子どもたちは、見よう見まねで、ないしは「矯正されながら」持ち方を覚えていきます。それでは、大人ならどうすればよいでしょうか。

 まず、自分の体の個性を知って、それに合った持ち方を知ることができます。

 もちろん、物理的に不合理な持ち方はありえませんが、自分の体の状態を理解して、それに合った方法をレッスンで身につけていくことは可能です。(ですから、ご自分の奏法しか見たことのない、知らない先生は、大人を教えることは困難だ、と思います。)まず、楽器や弓を持つためにどのような筋肉が使われているのか、何が足りないのか、を理解すれば、それなりのトレーニング方法が見つかるでしょう。足りない物がわかれば、それを鍛えるために回り道をして、他のものを鍛える練習を短縮することもできます。そうすれば、かなり短期間に成を得ることができると思います。

 また、練習しているときに「自己検証ができる」ということも、たいへん大きな利点です。「なぜこのように楽器を保持しているのか」「なぜこのように弓を動かしているのか」ということを「理屈で」理解していれば、練習しているときに自分で検証しながらできるわけです。これは大人にしかできないことです。子どもは、でてきた音や体の「しっくり度合い・気持ち悪さ」などで、感覚的に判断しているはずです。物理的なことを考えながら、最短距離の練習をすることができると思うのです。

 また、「比較する」こともできますね。積極的にまわりのプレーヤーの状態を知って、いろいろな「くらべっこ」をすることもできます。

 自分の経験を理解の助けにすることも可能です。料理の経験がある人なら、包丁を使うときに肘や肩に力が入っていないことを理解できます。運転している人なら、ハンドルを持つときに余計な力が入ってしまっては、運動性能が落ちてしまうことを理解できます。これらのことは、「何が必要で何が余分なのか」ということを理解するのに、大変役に立つでしょう。

 もうひとつ、「イメージトレーニング」ができることです。 子どもも「無意識に」イメージトレーニングをしていることがあります。自分の練習している曲をくちずさみながら、ステージで格好よく弾いている姿を思いうかべる、なんていうことは、とてもよいイメージトレーニングです。しかし、大人は、これを「意図して」することができます。そしてその「イメージ」は、実際にでてくる「音」だけではなく、楽器の持ち方や体の状態でもとることができるはずです。

 大人を教える良い先生につくことができれば、いろいろなことを示唆してくださるでしょう。そして、自分の経験と照らし合わせながら、自分に合った理解を深め、練習を効率よくおこなうことができるはずです。(後章参照)

(3) 物理的な事情(1)・・・・まわりの理解

 子どもの頃に始める場合、周囲の理解がある場合が多いと思われます。練習をする時間や場所について苦労することは、あまり多くないでしょう。むしろ練習を「やれ、やれ」と言われる場合の方が多いかもしれませんね(^ ^;)

 大人になってから始めると、いろいろな事情によってさまざまな利点・欠点が出てきます。特に家庭を持っている場合、家族の理解を得ることも重要なことです。

 楽器を演奏するということは、時間もくいますし、経済的にもかなりの出費がある場合が多いです。特に、一人で演奏するだけでなく、アンサンブルやオーケストラに入って演奏するようになると、なにかといって時間を取られますし、アフターオーケストラなどで出費がかさむこともあります。もちろん楽器の維持やレッスンに付いた場合のレッスン料なども結構ばかになりません。

 大人になってから楽器を初めて始めると、まずまわりの好奇の視線が飛んでくることが多いようです(^ ^;)何人かのレイトスターターの人から言われましたが、 「この年になって何やってんの?」とか、「どうせ上手くなりっこないのに、よくやるねぇ」などと言われたこともあるそうです(ほっとけよな、と言いたいですね(^ ^;))好奇の視線だけなら本人が気にしなければすむことですが、時間や経済については、理解が得られないとできないことが多いでしょう。

 楽器を練習するために、または、オーケストラの練習が夜あるので、楽器を会社に持っていきたいのだが、「まぢめに仕事してないように思われる」ので持っていけない、とか、露骨に「上司に怒られた」という人もいました。朝、コインロッカーに愛器をあずけて、仕事が終わってから取り出して練習に行く、なんていう経験をしている人も多いでしょう。

 せっかく楽器をやろうと思ったのに、それがストレスの元になってはしかたありませんよね。

 家族に理解してもらうことも大切ですね。理解を得るために、みなさんいろいろ苦労をなさっているようです。「子どもに始めるから、同時に」なんていうことでパートナーを説得した、とおっしゃった方や、「パートナーを演奏会に連れていって好きにさせてから、一緒に始めた」てな例もありました(^ ^)

 ここで「どうしたらよいか」ということを書くことはできませんが、まわりの理解を得られると、とても気持ちよくスムースに楽器と遊べますよ、ということだけ、強調しておきましょう。

(3) 物理的な事情(2)・・・練習の時間と場所

 練習する場所、練習する時間をどうするか、ということも大きな問題です。

 大人になってから始める人の多くは仕事を持っています。仕事をしながら新しいことを始めるわけですから、いろいろな困難が伴うことも多いですね。特に、練習する時間を確保すること、練習する場所を見つけること、に困難がともなうことがよくあります。楽器を練習すると言うことは、当然、音を出すわけですから、どこでもできる、というわけではありません。また、ここにそれらの問題についての根本的な解決策を書くこともできませんが、いくつか役に立ちそうなことを書いてみます。

 まず、時間の問題です。

 仕事をしながらだと、多くの人は日中の時間帯に練習することができません。当然、土日や夜に練習することになります。日本の住宅事情から言って、夜遅くまで自宅で音を出せる恵まれた環境にすんでいる人は、ごく少数でしょう。ですから、なんとか時間を作る努力をしなくてはなりませんね。

 もちろん、仕事の状態によって個人的な差がありますから、どれだけの時間を練習に当てることができるかはそれぞれです。しかし、少ない時間の中で効率よく練習することと、「音を出さない」練習を組み合わせることで、少しだけ練習の効果を高めることができるかもしれません。

 よい音を聞くこと、イメージすることが、(特に楽器の経験がない人にとっては)とてもよい訓練になります。通勤の時間でも、歩きながらでも、頭の中で音を鳴らす練習をすることは、実際に楽器を使って音を出すことにまけないくらい、音感を養うことができると思います。

 また、楽器にもよりますが、体の訓練などができることもあります。例えば、ヴァイオリンを例にとってみれば、手の形を「ヴァイオリンを弾くのにふさわしい」形に近づけるための訓練は可能です。指が開かないという悩みは、ヴァイオリンを始めた人のほとんどが経験することですが、輪ゴムなどを使って指の形を柔軟にすることは可能です。(電車やバスの中でこれをやっていると、少々奇妙な目でみられることもあるようですが(^ ^;))私が学生の頃、四六時中マウスピースをくわえている人がいましたが、やはり効果のあることなのかもしれません。

 そういった工夫で、少しではありますが、時間を節約することができるかもしれませんね。

 しかし、少ない時間で練習して上達するには、根本的には、「効率のよい練習をする」ことにつきるかもしれません。どうしても練習していて「楽しい」ことをやりたくなってしまいがちですが、ある程度までは「効率」を考えながら練習した方が、結局のところ短い時間で楽しめるようになるでしょう。何が必要か、どのような練習が効率的か、ということを、先生やまわりのヴェテランとよく相談して練習することが、時間を上手に使う一番の方法でしょうね。

 つぎに、練習場所の問題です。

 いなかの一軒家ならともかく、都市のアパートなどに住んでいたら、自分の家で音を出すとには、大きな苦労が伴います。これは、レイトスターターだけでなく、楽器を趣味にしている人すべての苦労だと言ってもよいかもしれません。

 お金と時間があれば、家や会社のそばで、練習用のスタジオを見つけて練習することができるかもしれません。東京などでは、結構たくさんのスタジオがあり、以外に安い料金で借りることができるところもあります。しかし、練習のたびにスタジオを借りていたのでは、とてもではありませんがお金がもちませんね(; ;) 公園や河原などで練習している人もいますが、天候に左右されますし、湿気の強い日本では、特に弦楽器などは外で練習するのはあまりお勧めできることではありません。

 一つの方法は、自宅やマンションであれば、「防音室」を持ち込んでしまうことです。決して安いものではありませんが、3畳くらいの小さいものから、比較的大きなものまで、部屋の中に持ち込めてしまうタイプの防音室があります。大きな楽器メーカーなら作っていますから、カタログを見てみてください。

 もう一つは、「物理的に音を小さくする」というものです。いろいろな楽器に音を小さくするための器具があります。 これは、そのための器具を楽器にとりつけて、音を小さくするものです。(音質を変化させる「ミュート」とは別のものです。)弦楽器や金管楽器にはこれらの器具があります。ただし使い方によっては、練習にならなかったりする恐れもありますから、先生やまわりのヴェテランに相談してみてください。

【4】 レッスンについてみよう(^ ^)

(1) レッスンでは何がおこなわれるのか

 大人になるまで、いわゆる「正規の」教育や受験産業などしか経験のない人にとっては、「レッスン」というものが想像がつかないかもしれませんね。ここでは、一体「レッスン」というものはどのようなものか。ということを書いてみようと思います。

 楽器のスキルや音楽を学ぶためには、いろいろな手段が考えられます。個人的に教えている人のところへ行って、その楽器について、また音楽についてのいわば「大先輩」である先生のところで学ぶ、ということも一つの手段です。また、「×××音楽教室」などと銘打った教室に通うことも一つの方法でしょう。ここでは問題にしませんが、「レッスンヴィデオ」などと銘打ったものもあるようです。レッスンについて、少し説明してみましょう。

● 楽器を演奏するための技術などを習得する

 どなたも一番始めに思うことは、「楽器を演奏する技術を手に入れる」ということではないでしょうか。レッスンでも当然このことが大きなテーマです。特に、始めて楽器を手にしたとき、持ち方(構え方)、指の動かし方、息の使い方・・・などなど、わからないことだらけですね。

 まず楽器を持つ。

 どんな楽器でも、「合理的な」楽器の持ち方があります。ここで「合理的」という意味は、「良い音がして」「運動性能が優れている」ということが基本になります。と同時に、これが結構やっかいです。

 プロやベテランのアマチュアが演奏しているのを見ると、だいたいどのように持っているか、ということは見えますね。それをまねしてみます。どうもうまくいきません。

 楽器による差はもちろんあります。私が自分でレッスンについた経験のある楽器で言えば、フルートは比較的わかりやすかったです。ヴァイオリンはとてもそうはいきません。(だからフルートがやさしい、といっているのではありませんよ。人の格好を見て、持ち方を理解しやすい、という事実だけを比較しています。)

 合理的な持ち方をしようと思うと、いろいろな条件を満たしていなければなりません。力が入っていては運動性能が落ちますし、音もよくでません。また楽器を保持することで疲れてしまいます。こういういろいろなことを考えながら、先生は「持ち方」を教えてくれるでしょう。

 そして音を出す。

 管楽器の場合、口の中が大問題です。外からは見えませんしね。口の形、くちびるの使い方、舌。さらに呼吸法。そういったもろもろを、先生はわかりやすく、効率よく、教えてくれるでしょう。弦楽器の場合は、弓の使い方が問題です。細かく書き始めると大変なのでここでは触れませんが、手の形、大きさ、腕の長さ、関節の固さ・・・などによって、なるべく音を出すために合理的な持ち方、手の使い方を作っていこうとするはずです。

 そして、いわゆる「技術」

 実際に指や口を使っていろいろな音を出す、さまざまな曲に対応できるような「奏法」をマスターしていく。そういう「奏法」をみせてもらえる場でもありますね。同じ音を出すのでも、いろいろな出し方がある場合もあります。なめらかな音がほしいところ、はっきりした音がほしいところ、強い音、弱い音。いろいろな音を出すためには、いろいろな技術を使います。それらをレッスンの場で「知り」「理解し」て、練習します。

 これらのことを、実際にやらせてみたり、お手本を示したり、場合によっては「理屈」を説明しながら、生徒が理解し技術を習得できるようにする場所がレッスンです。

● 練習法を伝える・考える

 楽器の演奏をするための技術を身につけるためには、レッスンの時間だけでなく、レッスンとレッスンとの間の時間をどう使うか、ということが大問題です。そのあいだ、アドヴァイスを与えてくれる人がいないところで練習をしなくてはなりません。そのためにどうしたらよいか、ということを一緒に考え、また練習法のヒントを与えてくれる場所がレッスンです。

 先生は、いろいろな練習曲を与えてくれるはずです。また、曲以外にも、ただ長い音を出す(ロングトーン)ことや、音階(スケール)などの課題をだされるでしょう。それを自分でこなさなくてはなりません。

 レッスンとレッスンの間、もし間違った練習をしてしまっては、せっかくの時間が無駄になるばかりでなく、悪い癖がついてしまうこともあります。ですから、そういう回り道を少なくするために、先生は「なぜこの練習をするのか」「何を考えて練習しなくてはならないか」ということをおっしゃるでしょう。そのことをよく理解して、練習の時間が効率よく使えるようにしたいですね。ですから、レッスンで課題を与えられたら、たんにそれを繰り返し練習するだけではなく、頭を使って「何のために」「なぜ」その練習をしているのか忘れないようにすべきです。そうすると、レッスンが有効に使えます。

 また、その人にあった練習法を一緒に考える場でもあります。

 ほとんどの先生は、ご自分にとっていちばんしっくりくる練習法を持っています。しかし、その練習法がすべての人にあてはまるかどうかはわかりません。特に大人になってから楽器を始めた場合、体に無理な負担がかかって痛めてしまうこともあるかもしれません。ですから、先生にとっても新しい生徒がくると、「この生徒の場合はどのような練習がよいか」ということを「実験」してみる場でもあるのです。場合によっては「ああやってごらん」「こうやってごらん」と、いろいろな方法を試されるかもしれません。そうしたら、その場でその意味を理解して、自分に一番合った練習法を見つけていく、そして、その練習が合理的であるかどうかを判断してもらう。レッスンとはそういう場でもあります。

● 先生は一番わかってもらえる「耳」です

 レッスンの意味で、どんなに強調しても強調ししすぎでないものがこれです。

 特に大人になってから楽器を始めた場合、自分の出している音を正確に判断することができるようになるまでにある程度の時間がかかる場合が多いでしょう。そんなときに、でている音からいろいろなことを判断してもらえる、ということが、レッスンの最大の効用です。

 音の間違い、音程やリズムなどのように、比較的はやい時期に判断できるようになる可能性が高い要素もあります。これにももちろん個人差がありますが、人によっては「音程とリズムならすぐにでも判断できる」という人も少なくないかもしれません。しかし、レッスンで先生に判断してもらえる要素は、こういったものだけではありません。音質から「右手に余計な力が入っている」とか、「手首が固い」「息のスピードが遅い」「唇の形がおかしい」などということなどもわかります。

 音楽を聴くことには慣れていても、自分の出した音がどおなっているか、ということを判断することは、別の次元の問題が生じることも多く、そういったことはなかなか判断できません。先生は、レッスンで生徒が弾いている音を聞いて判断し、それを生徒に伝えることができます。いわば、「医者」のような役割を果たすことができるのです。知識や経験がないと「誤診」してしまうこともあるかもしれませんね。自己判断ができるようになるまで、先生の医者としての役割は、とても重要なものです。そして、何か問題が発見されれば、それに合った処方箋を書いて、生徒に示すことができるわけです。

 そして、レッスンが進んでくると、その耳がいつのまにか生徒の側にもついてくるのです。

● 音楽的なこと

 これは、その生徒の音楽的経験値、理解度、先生の状態、によって全く異なる部分です。ですから、あくまで「理想的な」もの、と考えてください。

 楽譜に書いてある音を再現することが、楽器を演奏する作業です。楽譜を見てすべての人が同じように感じるのであれば、演奏は一通りになるはずですね。しかし現実には、テンポにしても強弱にしてもフレーズ(音のつながり、旋律の感じ方)にしても千差万別です。なぜこういうことが起きるのかというと、「考え方・感じ方の差」とでも言ってしまうしかありません。楽譜に書いてあることの意味をどうとらえるか、というだけで、大論争がおきます(^ ^;)しかし、この「論争」には、ある前提があります。その前提が「音楽的な常識」です。もちろん、一般に信じられているものがすべて「音楽的な常識」ではありません。「常識とは何か」ということですら、論争になります(^ ^;)これを言い出すとここでは収拾がつかなくなりますから、「演奏する場合に知っておかなくてはならない音楽上の約束などがある」というくらいに理解してください。レッスンでは、そういった「必要なもの」を提示され、自分のものにしていく作業が行われます。

 その上で「表現」ということがテーマになります。ある音楽をどのように感じるか、また、感じていることと実際にでている音が本当に一致しているのか、といったことを確認することができます。また、「いろいろな感じ方を知ることができる」ことも、レッスンの重要なポイントです。ある表現が先生の感じ方と違う場合、先生は、何通りもの表現を見せてくれるかもしれません。そしてその中に、自分が「思いもつかなかった」すばらしいものがあるかもしれません。そのような表現を知り、自分の表現を作っていく作業をするために、レッスンはとても役に立つでしょう。また、「あの人のように演奏したいのだけどどうしてよいかわからない」という場合でも、その方法を見せてくれるかもしれません。そのような経験をレッスンの場で積んで、次第に自分の表現を獲得していくことができるようになるでしょう。

(2) レッスンは必要か

 結論から書くと、「効率よく上達するためには、個人レッスンはどうしても 必要」だと思います。

 楽器を演奏する、ということは、あくまで個人的な作業です。合奏などをすることも、個人の作業の積み重ねでしかありえません。ですから、個人的な練習、上達が、どうしても必要になると思います。また、大人から始める人には、 「オーケストラにまざりたい」「アンサンブルをしたい」「あの曲が弾きたい」などといったような「目標」「希望」があることが多いのではないでしょうか。また、年齢や練習時間といった「時間の制約」もありますね。そうすると、なるべく効率よく上達することが必要になりそうです。ですから、レッスンはどうしても必要だ、と思います。(これだけではあんまりですから、少し詳しく書いてみたいと思います。)

● テキストやヴィデオを使って独習は不可能か。

 楽器を演奏すると言うことは、非常に個人差の大きなものです。私はばよりんを弾いていますが、いままでついた先生は、全員、全く違うボウイングをしていらっしゃいました。楽器の技術を学ぶ、ということは、「よい音をだすための武器を手に入れる」ということだと思います。その武器は、体格や体の柔軟性によっても、全く異なります。ですから、目的のためにもっとも適した武器を、生徒と先生が共同作業で見つけていくこと、が、技術の習得には欠かせないと考えます。先生は、それまでの経験によって、いろいろな可能性を提示することができるでしょう。それを、自分に最も合うものとして、生徒が受けとめるのが、特に大人になって始める(すなわち、自分で考えることができる)人には理想ではないでしょうか。先生と呼ばれている人は、おおかた小さい頃から楽器を練習してきているでしょう。ですから、自分のたどってきた道筋があります。そして、それに加えて、いろいろな奏法や教え方を学んできたはずです。ですから、「こう弾くべき」という、自分の道筋を示すだけでなく、その欠点や他の奏法などに対して、いろいろな見解をもっているでしょう。ですから、それを利用しない手はないと思うのです。つけ加えれば、こういうことを理解している先生につくことが必要条件です。

 テキストやヴィデオは、反応してくれませんし、修正しながら教えることはできません。またまったくの独習は、かなりのロスが生じるとも思います。また、見かけ通りではない場合があります。見た形だけをまねしても、はたして「合理的な」筋肉を使い、「理にかなった」ことをしているかどうかは、よくわからないことが多いです。レッスンの時に、先生が生徒に体をさわらせることがよくあります。(さわる、ではありませんよ)それは、楽器を演奏しているときに先生の使っている筋肉を「実感」させるためです。そんなことは、ヴェデオではできませんね。当たり前の話ですが、人は、過去の遺産を学ぶことで時間を節約し、進歩することができました。それは、楽器を覚えることについても、全く同じだと思います。

 FCLAのような情報の多いところには、利点と欠点が同居しています。もちろん、多くの情報を得ることができることはよいことですが、その情報によって混乱を来してしまっては意味がありません。ですから、情報を十分に活用するためにも、基本的なところで信頼できる場所が必要だと思います。いろいろな楽器や先生のレッスン日誌がかかれていますよね。これは、実は、習っている側ではなくて、教えている側こそが読んだ方がよいのかもしれません。実際、とても興味深い話がたくさん出てきます(^ ^)

● 集団の中で上達することは可能か

 「個人レッスンなんかしなくても、アンサンブルをしながらだって十分上達できるのではないか。」と思われる方もいらっしゃるかもわかりません。これについても、「かなり困難でしょう」といわざるをえません。

 もちろん、アンサンブルの能力というものが、楽器を演奏することと無関係に存在するわけではありません。しかし、一緒に音を出す、という作業は、単に一人で音を出す作業とは違った意味があります。「一人で練習しているときは弾けてたのに、オーケストラにきて弾いてみたら全く弾けない(; ;) なんで?練習法がわるいのかしら。」なんていう質問を、非常によく受けます。それは、「当たり前」なんです。

 他の人と一緒に演奏するためには、普段一人で音を出しているときと違った神経が盛んに働いています。「他の人の音を聞く」「他の人のテンポを感じる」「指揮者を見る」 「他の人の演奏している姿を見る」「呼吸を感じる」「自分の音と他の人の音を比較する」「自分のテンポとまわりのそれを比べる」「修正する」等々・・・意識していなくても、自然に五感に感じる部分は働いているのです。ということは・・・自分が演奏することに使われている神経は、一人で音を出すときよりはるかに少なくなってしまいます。

 どんな楽器でも、正しく音程やリズムをとらえることには大変な神経が必要です。(これは、子どもの頃から楽器になじんでいる人でもいっしょです)他の人といっしょだと、どうしても自分の音を出す作業がおろそかになります。

 また、自分の「身丈にあった」演奏ができない可能性がある、ということも問題です。まだ技術のない部分を「そろえるために」見よう見まねでやってみて、基本的な部分が壊れてしまう危険性すらあります。

 オーケストラやアンサンブルをしながら上達する部分というのは、とても限られた部分です。または、「普段弾く時間がないから、せめてオーケストラの時だけはひいとかないと・・・」ということもあるかもしれません。しかし、それ以外にいろいろな影響もあるでしょうし、個人的な技量がその場で上がるということは、あまり期待しない方がいいでしょう。

 以前ならっていた先生に、「曲を弾くことや合奏をすることは、技術の消費。レッスンや個人練習は技術の蓄積」といわれました。もちろん、それだけで言えるほど単純ではありませんが、ある側面をあらわした言葉だと思います。 ただ、ここまで述べてきたことは、あくまで「普通の人」についてです。

 中には、レッスンもいらない、個人練習もいらない、とにかく弾いていれば弾けるようになっていく、という人もいるにはいます。現に、私のまわりにもそのような恵まれた人がいます。何が違うのかよくわかりませんが、おそらく 「集中力」や「運動・反射」能力が他の人より圧倒的に優れているのでしょうね。

(3) 先生の選び方

 楽器の先生を見つけることは、東京や大阪などの都会では、現在ではさほど難しいことではないかもしれません。町には音楽教室の看板があふれ、電話帳を見ると、結構な数のそういった教室の案内が載っています。それでは、さあ楽器を始めよう、レッスンについてみよう、と思ったときに、はたしてどうやって先生をきめたらよいのでしょうか。一番の近道、贅沢な方法と言えば、演奏が気に入った人のところへ押し掛けて「弟子にしてください」とお願いすることでしょう(^ ^;)ただ、多くの場合、演奏家がレッスンを見てくれることには、いろいろな条件・制約があります。楽器を始めたばかりの人、特に大人になってから楽器を始める人をみない先生も少なくありません。

 それぞれの先生には、考え方・経験などがあり、それはまったく異なるものです。また演奏だけでなく「教えること」という要素もあります。ですから、どんな先生を選ぶか、によって、レッスンの効率や得られるものが全く違ってきてしまいます。簡単に言ってしまえば、「個人の個体差をよく理解しそれに応じた教え方ができ」「何を目標にしているか・何ができるかということを生徒と分かち合い理解し合う」「よい耳を持った」先生が理想だと思います。ただ、そういう先生に巡り会うことはとても「幸運」なことです。また、ある先生がいったいどういう人なのか、ということを知ることも、結構たいへんなことです。しかし、せっかくのレッスンを無駄にしないためにも、なるべく自分に合ったよい先生をみつけたいものです。

 というわけで、先生を選ぶときにどう考えたらよいか、ということを、思いつくままに書いてみようと思います。

1)先生に希望を伝えてみよう。大人としてレッスンをしてもらえるかどうかを判断することが必要。

 まず大切なことは、レッスンを始める前に先生に希望をはっきり伝えることです。それには、いくつかの意味があります。

 まず、受け手を大人として扱ってくれるだろうか、ということを判断することが必要だ、と思うからです。

 多くの楽器の教師は、子どもの頃から楽器をやって来た人です。また、生徒の多くは、子どもや学生です。そう行った人達を教えることと大人を教えるとには、いろいろな違いがあります。

 まず、身体機能の問題です。

 子どもの頃から楽器を始めると、体が成長に伴って楽器を演奏するのに適したように変化しながら成長します。大人になって初めて楽器を持つ人には、そういったアドヴァンテージがありません。子どもから始めた人は、そうではない人とかなり異なる筋肉や体形をしています。繰り返しの運動をすることによって、形ができてくるのでしょう。ですから、正しい形(といっても、正しい形は決して一つではありません)で訓練を続けていれば、まったく何もやらないよりも有利な体になります。大人になってから楽器を始める場合、この有利さがないだけでなく、「体が出来てしまっている」ために、体が固い、邪魔な筋肉などがついている、といったこともあります。ですから、それを理解して訓練しなければ、効率が悪いだけではなく、体をいためたりすることもあるでしょう。

 子どもの場合は、先生のたどった道筋をたどれば、ある程度の所までは進めると思います。ですが、体が出来てしまった大人を教えるには、先生の方が自分と違うからだを持った生徒に対して適切なアドヴァイスができるかどうか、ということが、重要な要素となるでしょう。 また、体の状態が子どもと違うことをどのように理解しているか、ということも重要です。「どうせ大人になって体ができてからやっても上手にはならないから、適当に」などと考えてしまっていては、その先生がいくら立派な技術や理論を持っていても役に立ちません。

 次に、「頭と体」の問題です。

 大人になってから楽器を始める人にとっての大きな武器は、「頭を使うことを知っている」ことです。フォームや練習法を教わるだけではなく、その目的を良く理解することが出来れば、自分で考えて矯正したり練習方法を工夫したりすることが出来るわけです。ですから、それを理解している先生のレッスンでなければ、やはり効率の悪いものになるでしょう。説明できるものは説明して、よく納得してもらった上でレッスンを続けなければ、価値が半減します。

 生徒に対して説明できる言葉を持っているかどうか、ということは、とても重要な点です。何も考えないでただ楽器を演奏してきた先生では、その体験を言葉にして伝えることは出来ないでしょう。ですが、御自分も苦労され、いろいろな奏法を学び、その長短、適正を理解している先生なら、その人にあった説明をしてくれるはずです。特に、楽器を初めて始める場合は、何も判らないわけですから、先生の言葉が絶対的になりがちです。ですから、あまりふさわしくない教え方をされていても気がつかない場合が多いと思います。お話をしてみて、希望を伝え、先生がご自分を説明する言葉をもっているか、ということを判断することが必ずプラスになると思います。

 そして、何を目標にしているかということを理解してもらえるか、という問題もあります。

 子どもの場合、ごく一部の人を除いて始めは「どうなるかわからない」(プロになるのか、なれるのか、アマチュアとしてたのしめればよいのか、それなりのものになるのか)状態で始めるでしょう。これには両面があります。「わからない」ということは、プロになれる可能性もあるわけで、先生の方もその子どもが最ものびることを想定し期待して教えるでしょう。ですから、初めはその先生が最大限に教えられることを教えようとするに違いありません。しかし、子どもが成長するにつれ、他のことに興味が移ったり練習をきちんとせずに伸びなくなってくると、先生は教え方の進度をゆるめたり、少しづつ軌道修正することもあるかもしれません。子どもの場合は、このような変化があっても「あたりまえ」のことで、先生も対応に慣れていらっしゃる場合が多いと思います。

 これにたいして大人の場合はどうでしょうか。ほとんどの先生が「大人から始めたのだから、どうせアマチュア。しかも、弾ける曲には限界があるし、耳も育っていないから、ちゃんと弾けるようにはなりっこない。」と考えているような気がします。すると、「それなりの」教え方になってしまう危険性があります。

 確かに、子どもの頃から始めないとできないこともたくさんあるでしょう。しかし、「頭を使って効率よく練習する」ことでカバーできることもたくさんあるはずです。その可能性を切って捨ててしまっては、せっかく楽器をはじめることの楽しさが半減してしまうような気がします。

 一方で、できることとできないこと、困難なこと、が区別が付かなければなりません。残念ながら、ごくごく例外的な人を除いて、大人になってから初めて楽器をさわった人には、やはり限界があると思います。もちろん個人差は大きいですが、ちゃんと練習すればだれでもイザイのソナタやブラームスのコンチェルトが弾けるようになる、とは思いません。そのことを理解し、なおかつできるところまで行けるような目標をたてることができるか、ということは、理屈を理解することができる大人にとっては重要な要素だと思います。

 もちろん、要求としては「そんなに厳しい練習はしたくない。それなりに楽しむことができればよいので、限界が早く来ても良いから楽しみながら練習をしたい。」という場合もあるでしょう。それでも、そのことを理解し、適切な教材を用いてその人の要求を満たしながらレッスンを進めることは、先生の方には、ある程度の理解力がないとうまくいかないでしょう。

 最後に、「耳」の問題です。

 楽器を教えることを、「奏法を教えること」と理解されている先生についてしまうと、大人になってから始めた場合、大きな誤解の上にレッスンが重ねられる危険性があります。それは、「耳があるかないか」ということです。 子どもの場合、練習を重ねることによって、意識しないうちに耳が訓練されることが多いと思います。勿論、楽器の演奏技術だけではなく、聴音などを併用することも多いでしょう。それで、しだいに「それなりの」音感がついてくることが普通です。しかし、大人の場合は、頭で理解できるために、音感がなくても「あたかも音感があるかのような」錯覚を先生がすることがあります。

 私が出会ったレイトスターターの中で、「全く音の高低がわからないのに、練習を重ねてそれなりの音程で楽器を弾くことができる」人がいました。歌を歌ってみると、音の高低が全くわからない。二つの音を弾いてみて、「どっちが高い?」ときいてみると、判断がつかないのです。楽器を初めて、もう1年以上になろうか、としているのに、そういう状態でした。それでも、楽譜を読めてそこそこ指は回ります。音程がいまいち悪いのは、技術的な問題だと先生は考えていたのでしょう。そういう指摘がなされたことはない、と言っていました。その人のレッスンは、まず、音の高低を理解することから始まりました。初めはとても苦労していましたが、程なくして、簡単な旋律なら歌えるようになりました。

 これは極端なケースだとは思うのですが、音感をきたえることをしないできた人は多いはずです。その場合、音感を持つことをまず考えないと、いつまでたってもちゃんとした音程の演奏はできないでしょう。楽器を教えるということは、単に演奏技術を教えることではないわけで、「耳を鍛える」ことを重視できるかどうか、ということは、結構大きな問題だと思います。(大人になってからでも音感を養うことができるかどうか、ということは、別の問題です。この点については、前に詳しく書きました。)

 もし、「私は音感がないのですが」と感じられていて、それを先生に伝えても何も反応がないようだと、後になって結構しんどい思いをすることになるかもしれません。

2)自分に合ったスタイルを見つけよう。レッスンの形態について

 レッスンにつくに当たって、先生に自分の希望をはっきり言ってみることが大切だ、と私が思っていることは、前回書きましたが、先生の考えていることを判断する材料の一つに、レッスンの形態があります。レッスンの形態がどうなっているか、ということも、どうしても確認しておきたい事柄です。

 どうしても確認する必要があるのは、次の2点です。

1) レッスンが、必ず先生自身で、1対1でおこなわれるか。

2) 時間に若干なりとも柔軟性があるか。

 まず、第1点です。(この話の前提として、「レッスンについて効率よく上達したい」「自分の表現がしたい」という要求があるものと考えて下さい。「なんとなく、グループで楽しみながらレッスンを続けたい」という可能性を否定するものでもありませんし、その場合は、これから書くことは少々的外れになると思います。)

 私は、いわゆる「マニュアルを持った」音楽教室に通ったことはありません。しかし、自分自身の経験から言っても、先生ご自身が全てのレッスンをするとは限らないことがあります。いわゆる、「代稽古」ですね。私が以前いたところでは、高校生以上で比較的進度の高い生徒が、小さい生徒を代稽古する習慣がありました。私もよくやらされましたが、そのころは、全く不思議には思いませんでした。教える側にとっては、大変勉強になりますし、自分も教えることが好きだったのでしょう。勿論、レッスン代は先生のところに入りますが、自分としては、修行の一環だと思っていました。しかし、この年になって考えてみると、ものすごく申し訳ないことをしていた、と反省しています。教わる方にとっては、とんでもないことですよね。私が、その先生のところをやめることになったきっかけの一つに、このことがありました。確かに、進んでいるわけですから、教えることはたくさんあります。しかし、学習途上の、しかも教える経験のない生徒についた方はたまったものではないでしょう。

 もちろん、先生がいる前でする代稽古は、この限りではありません。問題が生じたときに先生もいらっしゃるわけですからね。

 先生が、「教える側」の生徒を鍛えるためにこのようなレッスンを組むことは時々あります。教える側の生徒にとって、これほどすばらしい体験はありませんから。

 また、特に忙しい演奏家についた場合には、演奏旅行などで空いてしまう間レッスンを代行する人が必要である場合ももちろんあると思います。しかし、基本的には、自分の要求を知ってくれている先生が直接教えることが前提であるはずです。

 また、ある教室では、「グレードが同じ先生なら代行しても不自然ではない」といったことをおっしゃるかたもいらっしゃいました。これも、とても不思議な話だと思います。

 レッスンという作業は、あくまで一対一のものであるはずです。もちろん、アンサンブルの練習とか、人と一緒にやることで得ることもたくさんありますが、楽器を演奏すると言うことが、個人の作業の上に成り立つ以上、複数の生徒を同時に教えたり、意味なく先生が変わることは、よいことだとは思いません。(勿論、いろいろな先生につくメリットとは別の問題です。)

 ピアノやエレクトーンをグループでレッスンしているところがあるそうですが、そこでなされることは、「一緒に演奏する」という楽しみを得ること以外は、「ヴィデオを見たり」「マニュアルを読んだり」する作業と決定的に異なるはずの個人レッスンを、堕落したものにしているとしか思えません。(くりかえしになりますが、そういうレッスンを要求している人を否定しているのではありません。ここで話題にしているのは、「大人になってから始めたけれども、できるだけ上達して楽しみたい」と考えている人たちに対してのレッスンの形態の話です。)

 また、時間が完全に固定されているものも考えものです。特に、一回30分やそこらの時間しかなく、それがかたまってしまっているのも、教える側からみると不思議です。生徒の進行状況や、必要なことによって、レッスンに時間がかかることもあるでしょう。それをフォローできないようでは、効果がかなり減ってしまうのではないでしょうか。「こんどはちょっと時間を長くとりましょうね」という柔軟性があるかどうか、ということは、先生の側の姿勢を示すバロメーターになると思います。私の知り合いで、いわゆる「教室」で教えている先生がいますが、教室では規定の時間以上は教えられないので、不足したら、家まで来てもらって追加のレッスンをしている、と言っている人がいます。こういう姿勢が、教える側の「当然の」ことだと思っていましたが、現実にはそうでもないようです。

 生徒によってかかる時間が違う、ということもあるはずです。同じことを何回かいっしょにやらないと覚えてくれないこともあるでしょう。特に大人であれば、一度説明しただけで、自分で工夫してこなしてくる人もいると思います。そういういろいろな生徒を、「一回何分」という区切った形でレッスンができるか、という問題があるはずですね。

 時間が足りないときには、追加でレッスンをしていただけますか、ということを先生に尋ねても、けっしてばちは当たらないと思います。

(4)目標をもつこと〜レッスンに終わりはくるか

 大人になってから楽器を始めようとするには、とっても勇気がいるようですね。それは、ある意味では当然でしょう。知らない世界に飛び込むことは、とても勇気のいることです。そんなに勇気のいることなのに、「さあ、楽器を始めるぞ」と決断するのですから、それなりに思い入れがあると思います。その思い入れは、各人各様でしょう。さて、それをどう実現していくか、また、目標を持つと言うことはどういうことだろうか、が、今回のテーマです。

 より優れた人から得ることができることに終わりはありません。ヴェテランがレッスンに行くと「え、××さんでもレッスンにいくのですか。」と聞いてくる人がいますね。どんなに上手になっても、教わること、新しい発見をすることは尽きません。また、自分のだしている音を判断してもらうのに、第3者の存在は欠くことのできないものです。

 と書いてしまうと、「レッスンには終わりはない」という結論で終わってしまいますね(^ ^;)少しだけ、補足してみようと思います。

 レッスンは、次第に質が変化していくものです。この変化がなければ、いつまでたっても同じことの繰り返しになってしまいます。初めのうちは技術的なことだけで手一杯でしょう。やるものも、基本的なエチュードだったり、ごく簡単な曲だったりします。次第にスキルが上がってくると、曲も難しくなり、音楽的な表現について、レッスンで取り扱われることが増えるはずです。はじめは、「正しい音を正しいリズムで演奏する」ということだけで大変ですが、しだいに、「その曲にふさわしい音質」やら「その場にふさわしい表現」などが問題にされてくるようになるでしょう。「好み」の問題もでてくるかも知れません。速さ、曲想などは、人によって感じ方が違うこともよくあります。そうした問題も、レッスンの中で扱われるようになってきます。

 音楽的な問題、特に解釈などでも、求める演奏が技術的にどのようなことをすればよいのか、という限りでは、技術の問題ですね。その限りでは、技術的なことに限っても、なかなかレッスンに終わりが来ることはないでしょう。しかし、いろいろな曲を演奏するようになると、「それっぽい音」を出すためにイメージや音楽的な知識(時代背景や作曲者の意図など)を知らなくてはならないことも増えてきます。そうすると、必然的にレッスンの内容も、単に技術だけを問題にすることはなくなってくるでしょう。つまり、レッスンの内容が発展している間は、レッスンに終わりが来ることはないわけです。そして、あるレッスンがいつまで続くものなのか、ということは、「生徒に先生がどれだけのものを与える、ないし見せることができるか。」ということにかかってくると思います。

 優れた先生ならば、生徒の進度に応じていろいろな要求を出してくるはずです。それは、新しい技術を伴うものであったり、新しい知識を必要とするものであったりするかもしれません。そういうレッスンが続いている限り、教わる側は、「レッスンで得るものがなくなった」とは思わないはずですね。

 私は、「引き出し」という言葉をよく使います。先生はレッスンの時に、自分が持っている「引き出し」を開けて、その中からいろいろなものを生徒に見せて(与えて)くれるわけです。この「引き出し」から出されてくるもので、いつまでその先生にレッスンをついたらよいのか、ということの答えが得られるような気がします。先生ご自身も、「他の先生について新しいことを学んだほうがよい」と感じることがあれば、そうおっしゃるでしょう。そして、多くの場合、新しい先生を紹介してもらうことができると思います。特に、大人になってからのレッスンの場合、自分が得るもの、進歩している状態を、ある程度頭を使って判断することができるようになってくるはずです。その判断ができれば、あるレッスンが時間と費用をかけて続ける必要があるかどうかを判断できるでしょう。

 また、自分のやりたいことがどこまでできるようになったか、ということも、レッスンを続けるかどうかの判断基準になるかもしれません。アマチュアとして楽しむために、アンサンブルやオーケストラで楽しむためにはじめた楽器が、ある程度そういった楽しみができるようになったら、自分にとってのレッスンの意味を問い直してみるのも意味があるでしょうね。一緒に演奏する仲間ができて、その中で十分楽しめるようになったら、レッスンに通う熱意も薄れてくるかもしれません。

 この項の終わりに一言だけ。

 よい先生に巡り会えたら、どん欲に先生からいろいろなものを得る努力をおしまないことです。レッスンを続ければ続けるほど、楽しく、また自信もついてくるはずです。