奏法研究01


【奏法研究】

 雑誌の創刊が滞っていることもあり、サイトでヴァイオリンの奏法についてしばらく書き綴ってみたいと思います。内容は、基本的には新雑誌に連載する予定だった原稿がベースになっていますが、ヴァイオリン教育の現状や歴史、基本的な発想法などは省き、実践的なこととどうしても知っておいていただきたい体の使い方などに絞ったものにしていくつもりです。月に一度ほどの更新で進めていくつもりですが、新雑誌が立ち上がるときには、この原稿をベースに、さらに写真や参考図などで細かい説明を加えたいと思います(申し訳ありませんが、写真や参照図は作成が間に合っておらず、写真が必要なトレーニング法などは具体的にかかれていない部分があります。徐々に埋めていきますが、特に興味がある部分がある方はその旨をお書きください)。

 内容についてのご質問やご意見がございましたら、是非掲示板にお書きください。

【1】運動と頭の関係

 人間の運動は、脳が指令を出すものと反射運動に大別される。ヴァイオリンに限らず、体を使う作業はすべて、頭を使う運動と反射運動の組み合わせでできている。反射運動は、痛みに反応するような「本来的な」ものと、繰り返し同じ運動をすることで覚える「後づけの」ものにわかれる。ヴァイオリンのトレーニングには、脳から出された指令に基づく運動を、「後づけの」反射運動にまで高めてしまうものが多い。そのために、「ヴァイオリンは体で覚えるもの」という錯覚がはびこってきた。最近は、運動生理学などの分野で科学的な検証が行われてきたので、「つべこべ言わずにたくさん練習すればいいの」というような、非科学的な要求をする指導者は減ってきているはずである。

 運動の問題は非常に多岐にわたるが、ここで取り上げるのはそのごく一部である。

● 頭の働きを知ること

 体を動かす作業を伴う行動を自分のモノにするときに陥りやすいワナが、運動が何か独立したものであるかのような錯覚を持つことである。例えば、ある運動を覚える必要があるときに、とにかく「似た」運動を闇雲にやらせ、次第に体が覚えていくことを期待する指導である。こうした指導法を採る指導者は、訓練の結果が悪いと「練習不足」「才能不足」「運動能力の欠如」を理由とすることが常である。指導を受ける側が伸びないのは本人の問題であり指導法の問題ではない、と考える。こうした指導者の「無謬主義」は、長い間日本の教育界にはびこってきた。結果として、どのような分野にしろ、無益な(場合によっては有害な)指導を受けて討ち死にしてしまった生徒を山のように産んできたのである。

 体の運動の基本が脳からの指令と反射であることを知る指導者は、決してこのような指導法を採ることはない。体そのものを鍛えること(例えば筋力をつけたり柔軟性をつけたりすること)と、脳が指令を出す運動を鍛えることが別の作業であることを知っているからである。

 人間の「意図的な」運動は、運動を起こそうとする本人の意識によって大きく左右される。一例をあげてみる。

事例:腕を振る運動を考えてみる。ボウイングをする軌跡を描いて腕を動かしてみよう。手に何かを持ったイメージで手先を運動させる意識で動かす場合と、腕を肩から動かす意識で運動させる場合を比べてみると、各関節や筋肉の状態がまったく異なることがわかる。

 この運動を例に取り上げたのは、ヴァイオリンの演奏に直結する動きを含んでいるからである。ロシアンタイプのボウイングを教える場合、腕の全体運動を意識することと、弓を運ぶ手の運動を意識することでは、得られる結果が全く異なる。「手のひらを顔に近づけるように」という指示と「腕を後ろから振るように」という指示は、結果が異なる。こうした違いは、たくさんのケースで起こりうる。

 もちろん、意識さえすれば正しい運動ができるようになるわけではない。大切なことは、意識が運動にどのような変化をもたらすかということを知ることである。いくつかの例をあげる。

・事例:ある部分の運動を意識すると、その直前(体の中心側)を硬くして支点にしようとする。

  これは、ある程度ヴァイオリンを弾いている人ならすべてが実感していることだろう。例えば、指を運動させようとすると、手首や手の甲を固めて硬くなった部分を支点にしようとする。肘から先の運弓運動をしようとすると、肩や上腕を固めようとする。手首を運動しようとすると肘を固めてしまう。こういった運動は、いずれも意識している部分の動きを簡単にするために無意識に起こる。

 こうした「意識と実際の運動との関連性」を学ぶことで、運動を正しく理解し、脳の指令に基づく運動を効率よく学ぶことが可能になることが多い。

● 運動の理解に頭を利用すること

 ある運動を覚えるために、正しい方法だけを示すとしよう。学ぶものが仮にそれを理解できたとすると、正しい運動が定着する可能性は高い。しかし、正しい運動を体が直ちに理解できないことは少なくない。こうした場合、その時に行われている「正しくない」運動を理解することから始めると、正しい運動の理解に役立つことがある。

・事例1:脱力することを理解するために利用できる「力が入った状態」

  無意識に入った力を抜くためには、力の入った部分にあえて力を入れてみることが有効である。無意識に力が入っている場合、どこの筋肉に力が入っているのかを理解することは難しい。その場合、力が無意識に入っている場所を運動を合理的に考えることで理解し、その部分にあえて力を加えてみる。その結果起こることを理解し、その後入れた力を抜いてみると、脱力できることがある。

・事例2:「なってしまう運動」を再現することで運動の選択を理解する

  肘や手首の選択的な運動ができない場合(肘から先だけで運弓する、手首のヴィブラートをかける、などの運動ができない)、その運動をやろうとして起きてしまう運動を再現してみる。肘から先の運弓に困難がある(肩から動いてしまう)場合、まず肘をロックして肩から運動してみる。その時に使われている筋肉を理解し、それを使わないように意識する。使わないことを覚えるためには、使ってはいけない筋肉を触って意識させたり、机や壁を利用して筋肉の意識をつけることも有効な手段。

 こうした方法は、感性や社会性を学ぶ時には当たり前のようにとられる方法である。

「頭で理解しないと体が動かない」という言葉は、大人になってから何らかの運動を覚えようとして苦労している人に対してよく投げかけられる、若干侮蔑を含んだ表現であることが多いが、頭を使うこと自体を否定してはならない。「体で覚えなくてはダメ」という表現がよく使われるが、ここには大きな誤解が含まれていることが多いのである。それは、頭を使う運動と反射運動に関連性がないと考えてしまうことである。

● 頭を使う運動と反射運動

 前述のような「誤解」が生じる原因の一つに、頭を使う運動と反射運動の関係がある。

 人間の頭脳はとても複雑、かつ優秀で、非常に難しい運動を難無くこなす。

・事例・・物をつかむときに適正な大きさに手を合わせること、距離をあわせること、重さによって適正な体の使い方を選択すること、など

 こうした「いちいち頭で計算しない」運動は、生育の過程で自然に身についていくのが普通だが、ヴァイオリンを弾く運動もとても高度なものなので、こうした動きをさまざまに要求される。というより、ヴァイオリンを弾くこと自体が、こうした「高度な反射運動」の総合と言っても差し支えない。

・事例・・移弦のときの右腕の位置、シフト、レガートスラーの移弦など、無数にある

 指導者は、ある運動が反射のレヴェルに達していない生徒を教える場合、自分自身が反射運動にまで高めることができた過程を理解しなくてはならない。そして、生徒がそれを自分の運動として取り込むための最良の方法を模索する必要がある。ヴァイオリンを学ぶものは、求める反射運動がどのようなものかを理解し、そこへたどり着くための方法論を持つことが必要となるのである。奏法の訓練の多くは、こうした運動である。頭を使った運動を反射まで高める、と論じた意味がここにある。

(注)頭を使う運動と反射運動の関係は、人間が記憶を積み上げていく過程と似ている。人間の記憶には短期記憶(いわばコンピューターのメモリーの上に置かれた記憶のようなもの)と長期記憶(ハードディスク上に置かれた記憶のようなもの)がある。すべての記憶は、まずある「事件」としてメモリーの上に置かれる。その記憶はすぐになくなってしまう性質のもので、覚えているためには事件をハードディスクの上に移す必要がある(データをセーブする前にパソコンがダウンしてしまうと、処理していたデータが消失してしまうのは、そのデータがハードディスクに移されていないからである)。短期記憶を繰り返すことは、記憶を長期記憶に変換するための有力な方法である。その際、ただしまいこむだけでは、記憶の膨大な集積であるハードディスクのどこにあるかを探し出すことができない。実際に使い物になる記憶にするためには、記憶を引き出すための目印(私はこれを「タグ」と呼んでいる)が必要になる。上手にタグをつけられた記憶は、必要なときに呼び出すことができ、有効な記憶となる。ちなみに、私がサイトや拙著で「短時間の音高の記憶」と書いているものは、このメモリー上の記憶が音程を覚える作業として使える機能である。

 反射運動もこれに近い構造をしている。頭を使った運動を繰り返し、それが何らかの結果をもたらすとき(この結果自体がタグになることが多い)、運動は反射の域まで高まる。

● 運動がコントロールできることの必要性

 運動がコントロールできることが問題とされる例としてよく挙げられるのは、ヴィブラートやトリルだろう。ヴィブラートはできる人にとっては「知らないうちに」できてしまうものだが、苦労する人も少なくない。問題は、苦労してヴィブラートが何とかかかるようになった人の中に、ヴィブラートを「かけられる」のではなく「かかってしまう」ようになることがあることである。こうした場合、ヴィブラートの大きさ、速さをコントロールすることができず、また、ヴィブラートが始まる・終わるタイミングを調整することもできない。そのためには、ヴィブラートをコントロールできる運動として習得できなくてはならない。同様のことは、トリルにも当てはまる。ヴィブラートほど顕著ではないが、ある種の痙攣運動でトリルを覚えてしまう例もある。この場合、速さや終始、音程などの調整ができないことがある。

 運動がコントロールできないと、上記のように明らかな問題が生じることが少なくないが、それ以外にも練習や技術の習得の過程にも影響が出る。「なってしまう」タイプの運動は向上させることができないことがその例だが、運動を向上させるためには頭の指令が必要だからである。



【2】 ヴァイオリン演奏のために考えるべき体のこと

(1)総論

 ヴァイオリンの演奏法を論じるためにこれまで語られてきた体の問題は、体をどのように使うかという観点からのみ語られてきたきらいがある。むろん、能動的な行為であるヴァイオリンを弾くという作業を語るためには、意識的な運動(や柔軟性の確保)の観点を外すことはできない。最終的には、訓練された反射と意識的な運動の組み合わせで、求める音楽を得ることができるからである。一方で、個体差や成長過程は非常に軽んじられてきた。指導者が一通りの弾き方を生徒に指示し、それをこなせない生徒を「才能がない、適性がない」と切り捨ててきたのが実態である。

 1980年代以降、レイトスターターが増加したことで、こうしたヴァイオリン奏法の考え方が根本から変革を迫られることになった。従来の指導法では、ほとんどのレイトスターターがすぐに成長が止まってしまったり、「初心者くささ」から脱却できない状態が続いてしまったからである。一方で、レイトスターターと真剣に向き合う中で、従来のヴァイオリン奏法の考え方や体の使い方に対して疑問を呈する指導者も増えてきた。個体差が子ども以上にはっきりしている大人に対してヴァイオリンを指導するときに、その個体差を無視できないことに気づく指導者がでてきたことがその大きな要因だ。

 私は、大人の個体差を検証するうちに、体の使い方そのものの差を考えるようになった。ヴァイオリンの指導は、通常、それぞれの指導者が一通りの道筋で行う。弓の持ち方、基本的な腕の運動、左手の使い方などすべてのことを、指導者が正しいと信じる方法で教える。私自身、ある時期にボウイングの根本的な考え方を変えたこともあり、方法論が一つではないであろうことは推察がついていたが、実際に大人を教えていると、ある動きが絶対にできないケースにぶち当たって困惑した。その実例はさまざまであり、次項に具体例を挙げているが、個別にヴァイオリンをどうやって弾くかを考えねばならなかった。

 最初にぶつかった事例は、体の小ささであった。身長が150センチに大きく満たない女性がヴァイオリンを始めるためにどうしたらよいか、という問題である。

 演奏家として活躍している人たちの中にも、体が非常に小さい人がいる。そういった人たちを例にあげて「体が小さいことは、ある程度ハンディキャップにはなるが、ただちにヴァイオリンを弾くことが困難だとはいえない」と、本人の努力次第でできるものだ、と結論付ける指導者もいる。しかし、小さな頃から成長に応じて訓練してきた演奏家と、大人になって体の使い方が安定してしまった状態で体の大きさのハンディキャップを抱えることとは、本質的に全く異なることである。にもかかわらず、体の大きさで奏法を変えなければならないという当然のことが軽視されてきたのには、ヴァイオリンや奏法に体を合わせて弾くことが楽器を弾く技術を習得する道であるという考え方がその背景にある。

 こうした考え方は、残念ながらいまだに多くの指導者にはびこっている。ヴァイオリンを始める生徒に、楽器と弓と肩当をそのまま渡す先生が多いことがその証左であろう。楽器屋に行ってよく驚かされるのであるが、楽器と弓を丹念に選んで、最後に肩当てを生徒に試してみもしないで与える先生は実に多い。「私が選んだ楽器と肩当てなんだから、それに合うように体を使いなさい」という意思表示である。

 これは、実にナンセンスなことである。こうした指導者が、とりわけ、レイトスターターを教えることは決してできない。体に合った楽器の状態を作り、無理のない形で弾く習慣をつけることなくして、演奏技術は向上しないからである。特に、レイトスターターにとっては、この点を無視すると、致命的なことになることがほとんどである。上達しない、という結果を生むだけでなく、体を酷く痛めてしまうことも少なくないのだ。

 事実、ヴァイオリンを弾くことによって体を痛めてしまったケースのほとんどは(痛みが慢性的なものになったり体の一部を決定的に傷めてしまっていない限り)、奏法を変えることによって痛みから解放される。合わない顎当てをつけていて首を痛めてしまったりする単純なケースから、傍目にはなかなかわからないような体の使い方の無理まで、痛めてしまうケースは多岐にわたるが、原因をはっきり見極めることで解決できる可能性は高いのである。

 楽器を保持するという最も基本的なことであっても、学習者の体の状態を無視してはならない。もちろん、弓を持つことについても同様である(弓の持ち方については右手のところで詳述する)。身長180センチ、体重80キロでいかり肩の男性と、145センチでなで肩の女性に同じ持ち方、同じボウイングが合うはずはない。こうした当たり前のことを考慮することなしに、ヴァイオリンを指導することは厳しく戒められなければならない。

 また、体の使い方そのものについても、個体差を無視してはならない。同じような運動に見えても、全く異なる筋肉を使っている可能性もある。人間が運動するためにふさわしい筋肉を使うことなく、外見だけ「似通った」トレーニングをしてしまうことは少なくない。特に大人は、見かけを真似することができるために、指導者と違うことをやっていても発見できないケースが多い。具体的な事例は後述するが、指導者は、求める運動で使われる筋肉や腱を正しく認識し、生徒の体の使い方を検証することを怠ってはならない。

(2)  体の阻害要因

 ヴァイオリンを弾くための運動を覚えていく途上で、体の状態が運動の習得の阻害要因となってしまうことがある。特にレイトスターターに顕著だが、ベテランのアマチュアであっても、また専門家を志望している生徒にもこうした症状を呈しているケースが少なくない。ヴァイオリン演奏の基礎技術を論じる前に、この問題を考えてみる。

1) 関節そのものが柔軟性を失っているケース

 関節が柔軟性を失っているケースは、主にレイトスターターに顕著であるが、ベテランのアマチュアでも、正しい体の使い方をせずにヴァイオリンを弾きつづけてしまってきた場合、比較的重度の症状を見ることがある。

A) 腕を回すことができない、体の柔らかさと関節の滑らかさ

 最も多いのは、腕を回すことができなくなっているケースである。この症状を持つ生徒に初めて出会ったとき、私は驚愕した。しかし何十人ものヴァイオリンを志す人たちに実験してもらったところ、非常に多くの人がこの状態であることがわかった。ほとんどがレイトスターターだが、ベテランのアマチュアにも少なくなく、演奏家志望の生徒にもその症状が認められたケースがあった。

 関節の運動は、図の関節内で滑らかに円運動(楕円運動)をすることが基本である。しかし、この運動自体ができなくなっていたり、滑らかさを失っているケースがある。典型的な重度の事例では、腕がある位置で(またはどの方向でも)止まってしまい落下しない。完全に固定しないまでも、「がくがく」と音を立てながら不自然に落下することもある。こうした関節の運動のストレスは、右手、左手を問わず、腕の運動に障害となるだけでなく、他の部分を痛める危険性も少なくない。こうした症状は、本人が自覚していないことがほとんどである。その理由は、腕を持ち上げるときに肩ごと持ち上げることができるので、直接的に「腕が上がらない」という状態を生むことが稀だからである。

 この症状を、一般に言われている「体が固いか、柔らかいか」という観点でとらえては誤りである。体の柔らかさと関節の滑らかさは、多くの場合一致しない。私は人並みはずれて体が固いが、関節が滑らかに動くことには障害がない。一方で、柔軟性が充分にあっても、関節が固着してしまう事例も珍しくない。体の固さ、柔らかさとされているものは、基本的には関節の可動域の大きさによる。関節の運動が大きければ、結果として大きな変形を得ることができる。

 これに対して、個々人が持っている可動域の中で関節がストレスなく動くかどうかが、ここで問題にしている関節の滑らかさである。

 ヴァイオリンを演奏するために必要な体の柔らかさは、実はそれほど大きなものではない。体操やバレエに比べると、「大きく動く」ことは決定的なファクターではない。これに対して、各関節が滑らかに動くかどうかは、ヴァイオリンの演奏に直結する問題である。ただし、指の運動方向だけは、通常の柔らかさより多くの可動域を必要とする。

B) 肘の運動が滑らかに行えない

 肘は、肩の関節と異なり、運動するために代替手段がないために回らない状態を起こしてしまうとすぐに気がつく。完全に回らない状態に出会ったことはないが、(腕が回らない症状ほど頻繁ではないが)肘の運動が滑らかではないケースにもよく出会う。肘を持ってまわしてみるとすぐにわかるが、異常な音がしたり、かくかくと滑らかなではない動きになってしまうことがある。これは、ほとんどの場合、柔軟運動で滑らかさを取り戻すことができる。手元の資料によれば、肘の関節が滑らかではなかった生徒の割合は2割ほどだが(母数54)1人を除いて肘の関節運動の問題点はほぼ解消された。

 肩、肘の関節が滑らかに動かなかったり、運動の方向に制限があると、右手、左手ともに障害となる。肘の関節が滑らかでない場合に肩に過剰な負担がかかってしまうこともある。各関節相互の関係も確認する必要がある。

C) 手首が滑らかに回らない

 手首も、肘と同様、通常の生活で必ず使うと共に代替手段がないので、回らない状態に気がつかないことはあり得ないが、やはり可動方向に制限があるケースに出会うことがある。

D) 指の運動方向に大きな制約がある

 指が柔軟に動くことは、右手、左手ともに重要である。ヴァイオリンの演奏には、日常生活とは全く異なる指の運動が要求される。子どもの頃からヴァイオリンを練習していると、必要な運動ができる柔軟性を獲得できる可能性が高いが、正しくないトレーニングを重ねてしまい、柔軟性を獲得できないケースもある。レイトスターターにとっては、状況はさらに厳しい。初めからヴァイオリンを弾くために必要な指の柔軟性を持っている人はほとんどいないといっても過言ではない。特に柔軟性を失っているかどうかを慎重にチェックして、必要ならば、早めに適切なトレーニングを課すことが望ましい。

 ヴァイオリンを演奏する場合、指の運動方向にはかなりの程度の柔軟さが要求される。ヴァイオリンを弾いていない人の手と比べると明らかだが、小さい頃から訓練された手は明らかに異なる可動域を持っている。このためのトレーニングとしては、各指をもって柔軟性をつけるために動かしたり、指を絡めたりすることなど、楽器を持たずにできるトレーニングがある。

2) 無意識に関節を固定してしまうケース

 無意識に関節を固定する習慣をつけているケースも、かなり慎重な練習が必要になる。こういった体の使い方は、簡単に直るものではない。意識して入れた力を抜くことは易しいが、無意識に入ってしまった力を抜くことは非常に困難だからである。体のある部分に力を入れたり運動したりするときに他の部分に力が入ってしまうことは、多くの人に経験があることだろう。そうしたケースと異なり、無意識に関節を固めてしまう場合、本人は気づいていないことがほとんどである。日常的にそのような体の使い方をしていた場合、力が入ってしまう部分をはっきりと認識することが最初のステップになる。その後、無意識に力が入ってしまう部分に意図的に力を加え、さらにその力を抜く、という訓練が必要になる。

3) 脱力ができないケース

 脱力ができないケースは、上記の無意識に関節を固定してしまうケースとよく似た症状を呈する。本人が力を入れていないつもりで力が入っているケースは、まさに脱力ができないことと等しい。これとは別に、なんらかの運動に伴って不必要な力が入ってしまう状態も、脱力ができないケースと分類される。

 この問題を解決することは、前項の無意識な関節の固定と同様、かなり難しい。重要なことは、日常のトレーニングであり、できるだけ長い時間、脱力を意識して生活できるようにすることに尽きるだろう。

4) 個別の運動を選択できないケース

 左手の小指と薬指が分離して動かせないケースに当たることは多いが、これに限らず、運動を選択できない症状は多い。比較的多い症状は、腱の横方向の結合の強さによる指の分離の困難である。この状態を脱するためには、いくつかのトレーニング法があるが、腱を伸ばしてしまうことも解決策の一つである。

 また、指の腱の運動をつかさどる筋肉がバラバラに動きにくいケースもある。これはより本質的で、この症状の指をばらすための練習は、指の運動自体でトレーニングする以外の方法を見い出していない。

5) 関節の運動によって柔軟性を失ってしまうケース

 関節の運動をすることで、他の部分の柔軟性を失ってしまう症状も多い。これも、いくつかの典型的なケースがある。直接的には、関節を運動させる筋肉がある場所の内側(体の中心側)が硬直してしまう場合が多い。

 これらは関節の運動のために本来必要なもの以外の筋肉を使ってしまうために起こる。上記の例は右手の肘から先の運動に起こることだが、これ以外にもあらゆる関節に起こりうる。こうした症状は、運動の種類によっても起こり方が異なる。上記の例だと、ゆっくりの往復運動なら起こらない人でも、運動を速くすることで症状を見る場合がある。さらに、こうした余計な筋肉を動かしてしまう原因も多岐にわたるので、特定することが難しい。

(3)  ヴァイオリンを弾くために必要な柔軟性

 ヴァイオリンを弾くために必要な柔軟性は、最低限の力を加えた状態での柔軟性である。まず、その前提として必要な、基本的な柔軟性について論じる。この柔軟性は、関節や筋肉が独立して運動するための前提でもある。

@ 肩、肘の運動と柔軟性

 肩の運動と柔軟性については、いくつかの点を考える必要がある。一つは腕の回転であり、もう一つは肩自体の運動である。腕が回りにくい状態の人が腕を回すトレーニングをすると、肩が「ガクガク」と動いてしまうことがよくある。これは、腕を上げるために肩を持ち上げる習慣がついていたために起こることであるが、この状態が酷いと特に右手の運動の障害になる。腕の運動が肩を無理に動かさないでできるようにするトレーニングが必要となる。日常生活でも、腕を使うときに肩を無理に使わない習慣をつける必要がある。特に「頭を洗う」「包丁を使う」「目線より高いものを取る」「キャップを開けたりプルトップを引いたりする」などの動作で肩を使っている人が多い。こうした運動で肩を使わずにすませられることが第一である。

 肘に関しては、肘の運動ができるだけ他の部分に負担をかけずにできなくてはならない。特に、肘の運動をするために上腕や肩を硬直させてしまう例が多い。

A 親指と親指の付け根の柔軟性

 親指(とその付け根)の柔軟性(と独立性)は、右手、左手ともに、ヴァイオリン演奏をスムースにするための非常に大きな要因である。ヴァイオリンを演奏する場合、右手と左手の親指の柔軟性は、大きさ、方向が異なる(右手親指は、ボウイングシステムによっても若干異なる)が、基本的には

・親指が手の平側に入るかどうか

・親指だけが独立して動くかどうか

が問題となる。このとき、考慮する必要がある点は親指の向きである。

 右手から考えてみる。弓を持つときに「親指を入れる」という意識を持たせることは、多くの指導者がとる道筋であるが、親指が弓のふさわしい位置に入る方法は二通りある。一つは、親指が折れ曲がった状態で内側に入る方法である。もう一つは、親指が付け根ごと湾曲して内側に入る方法である。

 最初の方法は、指が単独で内側に入っている。この場合、親指が弓に当たっている部分は、指の腹ではなく側面であろう。二番目の方法では、親指の腹が弓に当たるはずである。この二つは、本質的に異なる。最初の方法では、親指の付け根の柔軟性が発揮されるのは手の平に平行の方向であり、二番目の方法では手の平に鉛直方向である。

 手の平に平行な方向の柔軟性は、弓の運動方向の柔軟性には富んでいるが、弓に重み(圧力)を加えたときに圧力の方向に柔軟性を発揮できない。手の平に鉛直方向の柔軟性は、その逆となる。

 もう一点、問題点がある。それは親指の第一関節である。第一関節が力によって方向を固定している場合、柔軟性は極度に失われる。この状態で鉛直方向に圧力が加わった場合、親指の付け根(または手首)を酷く痛めてしまうケースがある。

 弓の進行方向と鉛直方向の両方に対して柔軟であるように、親指を斜めに当ててみるとどうだろうか。試してみるとわかるが、斜めの方向に親指を固定すると、両方の柔軟性を得ることはできず、むしろ両方とも柔軟性を失ってしまう。

 親指が力を発揮すべき方向は、弓の進行方向に対して鉛直方向がより大きい。重みをかけている他の指の力を柔らかく受け止めるためには、親指は鉛直方向に柔軟でなければならない。第二番目の親指の入り方を正しく行えば、弓の進行方向に必要なわずかな柔軟性は充分に確保される。

 では、第二の方法を正しく行うためには、どのようにすればよいのか。見かけ上あまり差がないが、全く異なる二通りの方法を確かめていただきたい。

親指の力で付け根を内側に入れるようにすると、親指はやはり柔軟性を失ってしまう。これに対し、親指を付け根ごと内側に折り込むようにすると、親指の柔軟性は失われない。このような運動ができるのは、手の平が指の方向の骨でできているのではなく、ブロック状の骨でできているからである。この柔軟性を確保できると、ボウイングは非常に滑らかな、雑音の少ないものになる。

 ただし、小指を離すタイプのボウイングスタイルの場合、事情は若干異なる。親指の腹がボウに当たる必要性が減じるからである。弓の進行方向の柔軟性がより大きな意味を持つ。

 親指の柔軟性を確保するためのトレーニング方法は至って簡単である。親指の付け根を反対の手で内側に曲げればよい。このときに、付け根を内側に織り込むような意識を強く持つことが肝心である。この意識を持ってトレーニングすると、親指を内側に入れる時に自然に付け根から曲げるようになってくる。

この柔軟性が(大人になってからでも)確保できることは、多くのレイトスターターによって証明されている。レイトスターターの多くは、左手にこの柔軟性を若干持っている。特に、ヴィブラートやポジション移動のトレーニングをしっかりとこなしたレイトスターターを調べてみると、左手と右手の親指の柔軟性が全く異なることに気づく。左手は練習を繰り返すうちにある程度の柔軟性を確保することが多いのに対して、右手は正しい持ち方をせずに、親指の付け根が硬いままである場合が多いからである。

 親指の分離、柔軟性は、左手でも大きな意味を持つ。直接的にはヴィブラートやシフティングの問題であるさらに基本的なことは、指が独立して運動するために、親指の付け根が他の指の運動と分離している必要がある(左手の項で詳述する)。

B 手の甲の柔軟性

 意外に注目されていないのが、手の甲の柔軟性の問題である。手の甲の柔軟性が欠落している状態は、主に右手で大きな問題を引き起こす可能性が強い。手の甲の柔軟性は、ただ手を上げた状態では失われないことが多いが、稀に、手を持ち上げただけで手の甲に柔軟性を失ってしまう場合がある。この症状が顕著な場合、手を持ち上げただけで指にも手の甲に無意識に力を入れてしまう状態であることがほとんどである。

 多くの場合、指に力を入れた場合(具体的には弓を持ったときに)手の甲が「締め付けられたように」硬くなってしまう。これは、腱結合が強い場合、また、手首に力をいれてしまいがちな人に起こりやすい。手の甲が柔軟性を失ってしまうと、指の付け根の柔軟性を同時になくしてしまう。これは右手だけでなく左手にも大きな障害となる。一例を挙げると、シフティングの方法にも大きな制限が加えられてしまう。

 腱結合を緩めるトレーニングは、参考資料(「正しいピアノ奏法」御木本澄子著、音楽の友社)で提唱されている方法がある。

C 他の指の柔軟性

 親指以外の指の柔軟性は、右手と左手で求められるものが全く異なる。右手は主に弓を持った状態で指の柔軟性を失わないことが必要だが、左手は指の向きにかかわる問題が大きい。

 指の付け根が柔軟性を失わないで指を動かすことができるためには、まず、指の付け根の柔軟性を確保することが必要である。右手の場合、指の柔軟性を一本ずつチェックした後、複数の指が揃った状態で、さらに指に力を加えた状態で指の柔軟性が確保されるかどうかを確認する。

 左手は、右手よりも複雑な問題をはらんでいる。音程を正しく取るために、指の方向をかなり柔軟なものにする必要があるからである。多くの場合、指が開く方向ばかり気になるが、指先が縮む方向にも柔軟性を確保する必要がある。

手を合わせて圧するようにする運動は指を広げるのに効果がある。各指の間を順に意識してやると、特に効果が高いが、やりすぎて腱を痛めないように注意することが必要である。

(イ) 強さや運動と柔軟性のバランス

@ 脱力と柔軟性の関係

 脱力という言葉は非常に安易に使われている。レッスンで「脱力して」という言葉を頻繁に口にする指導者も多いし、脱力こそがヴァイオリンの演奏の前提であるように感じている生徒も多いはずだ。しかし、脱力が何を意味するかということを正確に理解している人は少ないのではないだろうか。

 脱力とは、文字通り「力を抜く」ことである。力を加える場所は筋肉であるが、ヴァイオリンを演奏しているときは、実は完全に脱力している(弛緩している)筋肉はほとんどない。形を保持するため、あるいは力(重み)を伝えるために必要最小限の力が入った状態を必要とすることがほとんどである。演奏上要求される「脱力」とは、実は必要最小限の力が入った状態で柔軟性が確保されている状態か、無意識に必要な力を加えつつ意識的な力を加えない、または他の部分を動かすときに力が連動して入らないということである。つまり、ヴァイオリンを弾いているときに「どこどこを脱力して(つまり、完全に弛緩させよということ)」という指示をすることには大きな無理がある場合がほとんどである。

 では何故「脱力」が求められるのだろうか。それは、無意識に余計な力が入ってしまうことを避けるための準備であり、体の一部を意図して独立して使うために必要な作業を覚えるために必要なことだからである。特に、次項の「究極の脱力」は、体のパーツを独立させて使うために最も重要な「脱力」であり、無意識にできるようになっていない人には、相当の訓練を必要とする。

A 柔軟性を確保した力の入れ方の前提となる「究極の脱力」システム

 「究極の脱力」システムは、言い方を替えれば「運動する部分を選択する」ことに他ならない。まず、ストリング誌の連載を参考資料として示す。

 脱力は「体の中心の外から順に考える」ものと「体の中心に近い方を脱力する」ということが必要です。前者は比較的やさしく、後者はなかなか大変です。実は、楽器を弾くときに必要な脱力は後者である場合が多いのです。

 以下の写真群を見てください。1〜5までは、最初に腕をピンと上げた状態で、指 →手首 → 肘 → 肩の順に脱力しています。体の中心から離れたところから順に脱力しているのです。脱力を理解するためには大変わかりやすい方法で、肩の固着や肘の関節の柔軟性を失っていない限り、多くの人ができるようになるものです。

(写真1:腕を上げ手をまっすぐに伸ばしています。写真の田中さんはヴァイオリン暦2年目ですが、体の使い方と脱力を矯正中です。あまり力を入れすぎないようにしてください。

写真2:指を脱力します。演劇のためのトレーニングなどでは指も各関節ごとに順に脱力します。これは大変難しいことです。

写真3:手首を脱力します。

写真4:肘を脱力します。肘の向きによっては写真のようには落ちません。

写真5:肩を脱力します。

 これに対して、「体の中心から離れた関節や筋肉を使いながらその内側を脱力する」ということは大変に難しいことです。これが難しいことは、以下のような実験をしてみるとわかります。

(写真6:肘を90度に固定します。できるだけ他の関節はフリーにする感覚でいます。

写真7:肘を曲げたまま、誰かに腕を持ち上げてもらいます。

写真8:腕を離します。肘が90度に固定されたまま肩がフリーになっているかを確認します。これは「肘を固定してその内側である肩を脱力する」ことができるかどうかのチェックです。

写真9:肘を90度に固定したまま肩がフリーになってここまで落ちればよいのですが、多くの方は写真8の状態のまま固まってしまうと思います。

写真10:次に、手首を写真の方向に曲げて固定します。他の関節はできるだけフリーにしておきます。

写真11:写真のように肘を曲げるように腕を持ち上げてもらいます。その後、離したときに

写真12:このように落下すれば「手首を固定してその内側である肘が脱力している」ことになりますが

写真13:ほとんどの方はこの写真の田中さんのように「肘が固まってしまう」はずです。

 写真の例は、「肘を固定して肩を脱力する」「手首を固定して肘を脱力する」の二例です(他の組み合わせは写真にして理解することが大変難しく、説明のための何らかの方法を考えているところですが、後述の「究極の脱力」と共に、クリニックなどでは順にご紹介するつもりです)。もちろん、指を固定して手首を脱力する(難易度高し)こともできます。さらに、これが各関節や筋肉の運動の段階まで達したとき、ヴァイオリンの演奏に必要な「究極の脱力」ができるようになります(例えば、指を運動しながら手首の柔軟性を失わない程度にある方向に保持し、肘を運動させながら肩をフリーにするなどといった「組み合わせ」)。

 実は、この脱力の問題は書くべきかどうかずっと悩んでいた事項です。私の生徒さんたちにも最近まで詳しく話をしてきませんでした。というのは、この脱力法を身につけるのは非常に困難で、私自身が「こうすれば確実にできるようになる」というトレーニング法を開発できていないからです。「これができないとヴァイオリンは弾けないのだ」と思われてしまうことが怖かったこともありました。私が「レイトスターターの運動能力を向上させるのにはかなり明確な限界があり、チャイコフスキーのコンチェルトなどのヴァイオリン弾きにとって過酷な曲を弾きこなすのはかなり困難である」と言ってきた(拙著「今から始めて上手くなる・楽器とオーケストラ入門」(アート・ユニオン)参照)大きな理由もこの脱力の困難さにあり、右手にせよ左手にせよ、この脱力を小さい頃から「無意識に」できるようになっていないと一定以上の運動ができない可能性が強いからです。私が、「最初に弓をしっかり持たずに柔軟性を失わないように気をつけながら、腕の重みをかけて弓を運動することを覚えていただきたい」と主張しているのも、この脱力を「意図して」こなすことが非常に困難だからなのです。

 最近になって「宗旨替え」して、この脱力の話を生徒さんにも積極的にするようになりました。その理由は、「何でも弾ける」ように見える演奏家志望の方でもこの脱力を忘れているときに運動能力が落ちることがはっきりしたこと、この脱力をベースにしてできない原因を探っていくと「正解」ではないが非常に近い答が求められることが多いこと、です。現在は、生徒さんたちにいろいろと工夫した「脱力トレーニング」を実験してもらっていますが、何らかの成果がでてくるのではないかとも期待しています。

 さて、この「究極の脱力」がヴァイオリンの演奏に直結していることはもうお分かりでしょう。「弓を持つ」という指の運動をしながら手首や肘を運動させながら柔軟性を失わないことは、まさにこの脱力です。左手にとっても、指を動かしながら使わない筋肉(指より体の内側にあります)を弛緩させておくことと関節を固めないことがこの脱力にあたります。もちろん、この脱力ができないとヴァイオリンが弾けないということではなく(実験をしてみましたが、アマチュアオーケストラのトップを務めているようなキャリアの方でも半数以上はできていません)「何でも弾ける」という状態にはならない、ということです。しかしできるようになれば(あるいは若干でも向上すれば)自分の運動能力をフルに使えるようになる(向上させる)ことも間違いなく、さまざまな問題が解決する可能性が高いのです。


 「究極の脱力」などと呼ぶとなにやら難しいことのように思えるかもしれないが、実はこの能力は、成長の過程で自然に育っていることが多い。典型的なのは、箸や鉛筆、刃物などを使うことである(近年ならば、パソコンを使う、ゲームをするなどにも当てはまる)。こういった「手先の作業」をするときに、上手に使いこなせる人は、手首から肩までに力が入っていないはずだ(もちろん、ある適度の高さに保つ必要がある場合、その高さを維持するために必要な最小限の力は自然に入っている)。これに対して、「上手に使えないなぁ」と感じる人をよく観察してみると、運動している手先部分以外に力が入ったり、余計な運動をしていることがわかるだろう。

 こうした体の使い方がヴァイオリンを弾くときにできるかどうかは、日常生活でどのような体の使い方をしているかで決定的に異なる。箸や鉛筆の使い方、料理、車の運転、ちょっとした手作業など、身近なことでチェックすることができる。また、酷い肩こりや首の疲れを訴えるレイトスターターがパソコンを主に使う職業である場合、パソコンの使い方をチェックしてみることも有効である。手首をつけた状態で手首から肩までを弛緩させて使えるかどうかを確認してみるとよくわかる。指を動かすだけでなく、腕を保持するために力を使っていると、手首から肩までを脱力することができず、疲労度は大きくなる。この疲労度の増大は、単に腕をある高さに保持するために力を使うことで起こるだけでなく、力が入った状態で指を動かすことのストレスにもよる。

 この後、重さを伝えつつ柔軟性を確保すること、運動しながら柔軟性を確保することを論じる予定だが、参考図、写真がないと難しいので、右手の問題を先に取り上げる可能性もある。

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