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1995年10月9日、出産のため入院していた妻は1本の注射によってアレルギー症状を起こし呼吸困難に陥りました。出産を間近にしておなかの中の子供たちは死に、妻はそれ以来意識を回復することなく2000年12月、天に召されました。 日本を代表する医療施設である東京大学医学部付属病院。 現場で全てを見ていた医師達は急激に悪化した喘息様発作に手の施しようがなかったと言います。本当にそうだったのでしょうか。誰にでも起こり得る薬物アレルギーに備えることもなく、呼吸困難の訴えを軽視し、苦悶しながら意識を失っていく患者を前に何もできなかったのではないか。そんな疑問が拭えないまま、その後もミスは繰り返されました。 私はできる限りの時間をベッドの上の妻とともに過ごしました。そこで目にしたのは、医師や看護婦達の想像もつかない仕事ぶりでした。巨大な権威を誇る巨大な病院の中で、妻を少しでも安心して過ごさせようと精一杯戦いましたが、最後まで彼らに私の願いは通じませんでした。妻のいなくなった今も医療過誤裁判という戦いは続きます。 17歳の年齢差、周囲の大反対、結婚、米国での不妊治療、三つ子の妊娠。・・・そして全てを失ったあの夜。それ以来私は、付き添いの許されないその病院で、周囲の冷たい視線にさらされながらも毎晩寝泊りし、妻のそばを離れませんでした。気が付くと5年の月日が過ぎていました。 優しかった妻は、今もこうして戦うしかない私をどう見ているでしょうか。 このページは、最も大事なものすべてを失った私が、死んでいくしかなかった家族と、今も何も変わらないものたちに送るメッセージです。 |
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そして、上告断念。・・・裁判は終わった。 でも、全てが終わった訳ではありません。 事故防止に最善を尽くして、過ちを犯したら認める。そんな、だれもが安心して行ける、本来の病院の姿に変わるまで、声を挙げつづけます。 |
【思い】 6/25更新
【リンク】 6/05更新
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森功医師っていつ見てもすごいと思う。現実も理想もしっかり受け止めて発言してる。言ってる事がわかりやすい。というか、ほかの多くの医師の言う事が分かりづらすぎるのが問題なんだけど。 「我々のやっていることは傷害行為。それが医療行為になるにはそれなりの手続きが要る。日本の医療はできていない」そんな言葉を聞いていると医者になりたいなと思う。だれか格安で家庭教師してくれないかなぁ。 |
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