気が向けば日記 (2001年6月)




【6月28日】
 暗めの白熱電球をつけっぱなしの狭い病室。苦しい処置を終えた妻の脈拍が次第にゆっくりになって、息がゆっくりになって、うとうとし始める。何度かそれを繰り返すうち、うとうとする時間が長くなり、やがてねむりに落ちて行った・・・。
 俺は傍らでその様子をじっと見つめていた。そしてサマーベッドを静かに広げ、その上に毛布を敷いて平らにした。もう一度だけ妻が眠っていることを見届け、横になった。
 愛する人が眠りにつくのを見届けてから眠る。仕事に追われ、ほんの短い時間しか共に過ごせなくても、一つの大事な役目のように思えた。それが夫の役目。そんな平凡な日々が嬉しかった。
 この季節、病院の夜は今思えば意外と過ごしやすかった。それに比べて何と寝苦しい一人の夜。


【6月27日】
 仕事から夜遅く帰ると、深夜放送で東幹久が出てるのを見かける。いまだに人気あるのか?でも俺こいつ嫌い。
 もうずっと前のTV番組で、「自分はいじめっ子だった」と言ってた。そして、いじめてた相手をTVから指差して「○○、覚えてるか!」と言った。いじめた方には楽しい思い出でも、いじめられた方は幾つになっても嫌な思い出。・・・たとえ昔話に顔は笑ってても。
 だからこいつ嫌い。こいつ使う番組も嫌い。


【6月25日】
 沢庵と昆布の煮込みと納豆。メインディッシュはキャベツ3/4個、タマネギ1個、肉少々の野菜炒め。これが1食分。だってこれ以上待ってたら食えなくなるから今日中に食わないと・・・。誰かこんな食卓止めて〜。


【6月23日】
 笑顔っていいね。特にその笑顔が俺がいることからくるもので、俺だけが独占できるものだったら。その笑顔のおかげでまた頑張ろうと思える。
 でも笑顔は、周りにある余計なものや危険なもののせいで、ちょっとしたことから諦め顔や悲しい顔に変わってしまう。笑顔を守り続けることがこれほど大変とは思わなかった。良かれと思ってやってきた事も最後は無に帰してしまった。
 夫婦の数だけ守らないとならない大事な笑顔があるはず。他の人達はどうやって大事な人を守っているんだろう。なぜ俺は守れなかったのだろう。


【6月21日】
 3日ぶりに家に戻った。湿っぽい季節。ベッドにきのこが生えてたらどうしようかと思ったけど、なかった。
 けど洗濯物が山積みだあ。これ洗ったら結局家の中に干すのか?そしたらやっぱりきのこ生えるんじゃないか?


【6月18日】
 出張で山奥に来てる。宿は温泉街の日本旅館。
 他に客いるのかってくらいさびれた旅館だけど、飯食ってる間に布団は敷いてあるし、お茶は補充してあるし・・・。当たり前か。でも、長いことこんなことしてもらってない俺にとっては画期的。
 ついでに、こ汚い電話だけど0発信でネットにも接続できた。畳の上のテーブルで画面に向って、冷蔵庫の中にあったコーラとピーナッツつまんで、ちょっとだけ作家先生気分。きっとこんなとこでモノ書きするんだろうな。金あっていいなー。
 あーあ、でも明日からは激務。時間に追われてテストするんだろうなー。せめて今夜はゆっくり寝よう。


【6月16日】
 今日はメディオとMIネットのシンポジウム。初めて会った人、久しぶりに会った人、会ってたくさん話したかった人・・・。シンポジウム後の懇親会もその後も、結局終電まで時間はあったのに、まだ足りなかった気がする。
 家に帰って疲れた体を椅子に投げ出す。でも、もう一つ大事なものがカバンの中にしまったままだった。火葬の日、友達に撮ってもらった妻の写真。会場でそれを受けとったときは開けられなかった。
 久しぶりに見たあの日の顔。たくさんの花に囲まれて、胸の上には黄色いチューリップ乗ってる。俺は黒いネクタイをして傍らに立ってる。頬に手をあてたときの冷たくて柔らかい感触がよみがえって来て、・・・大泣きした。
 嬉しいこともあったけど、最後は悲しみで終わる1日。あー、何も考えずに早く眠れたら・・・。


【6月15日】
 新聞社の取材受けた。写真も撮ってもらった。また載せてもらえる。ありがたい。
 これまでどれだけの人の目にとまったのだろう。多いのか少ないのか。反響は?警鐘の効果は?これでよかったのか?間違ってるのか?
 今は続けよう。このまま止まらずに。やらないで後悔するより、やってみてから後悔する方がいい。


【6月13日】
 アパートの住人は20歳くらいから45歳くらいまで年齢が適当に散らばってる。でもみんな生活時間が一般の人とちょっと違うとこは似てる。深夜に帰ってきたり、朝まだ暗いうちに出かけたり、そんな変則的な仕事の人が多いらしい。
 深夜に隣がガタガタいっても、車のエンジン音が鳴り響いても、いつものこと。田んぼや畑、廃品屋や倉庫が点在してるから、近隣にはあまり気を遣わない。自治会に入れとも言われなかったから回覧版も回ってこない。
 情報誌には駅徒歩48分って書いてあった。1DKの部屋は結構今時風でも、女子大生や独身OLの住むとこじゃない。ここは労働者が気楽に眠るところ。


【6月11日】
 外で猫が「な゙ーっ」「あ゙ーう」って鳴いてる。うるさいけどヤツらも必死だからしょうがない。窓あけて「おーい、がんばれよー」って応援。公園では雄鳩が喉膨らまして雌鳩追いかけてるのを踏みそうになる。会社では合コンの話題で持ちきり。そういう季節なのかもしれないけど、人間まで目の色変えてるのがおかしい。
 でもあいつ結婚してるぞ。あいつは彼女いるんじゃねーか?まーいいか。そんなの承知の上で集まってるんだろうから・・・。
 自分の娘がそんなのの餌食にされるとしたら・・・。きっと門限とか厳しくて出かける先もいちいちチェックするうるさいオヤジになっただろうなー。よかった娘いなくて。


【6月10日】
 道端の目立たない花の方が好き。誰にも気付かれないまま咲いていつの間にか散ってく。でもきっと種を残して目的を果たしてるはず。
 ジョギングして疲れ果ててベンチに寝転がると、その下に小さい花が咲いてた。お見舞いに持っていく花は大抵こういう花だった。妻が押し花にしていたのもそう。だから俺たちにはこういう花の方が合ってる。
 今アパートの部屋にある花らしいものはたった一つ。それもゴミみたいなドライフラワー。納骨のときに供えたカスミソウを持ち帰ったもの。
 こんど行くときはまた小さい花を持っていこう。


【6月9日】
 タイヤ替えた。ってことは当分乗り続けるつもりらしい。もう10年以上だぞ、おい。
 えーい、ついでだから今年こそウインドウフィルム貼ってやる。暑い日はバッテリー怪しいし、少しは涼しくなるだろ。
 欲しい車がないのが悪いんだよな。いっそのことNSXでも買ってやろうか。そんな金ないのに止める人がいなくなると何考えてるやら・・・。


【6月8日】
 『Making of 2匹のカバ』
 なぜカバなのか。それはカミさんが自分をカバと称していたから。
 昔の手帳にこの物語の元がある。日付は事故から2ヶ月程経った1995年12月18日。リカバリー室のベッド脇で夜遅くに書いたんだっけ。結末は、お父さんカバも後を追うように・・・と、ちょっと違ってるけど、やっぱり悲しい物語。
 一緒に暮らし始めてから、カミさんが作ってくれた料理をバクバクしてるうちに、どんどん体重が増えた。それまで肉を食べなかったカミさんも、俺に付き合って肉を食べるようになって少しだけ体重が増えた。カミさんはそんな二人を人に話すとき、『トドとカバ』と言って笑っていた。
 だからカバ夫婦にした。たぶんカミさんもトド夫婦よりはそっちの方が気に入るだろうから。
 そのトドは今はアシカくらいに小さくなった。でも写真のカバはいつまでもカバのまま。


【6月7日】
 『2匹のカバ 続編』 (文:クーちゃん)
 真っ黒な雲が空を覆い尽くし、ゴロゴロと不気味な音をたてて光の槍が地面を突き刺します。大粒の雨は、容赦なくお父さんカバを叩きます。それでも、お父さんカバはお母さんカバを探し続けました。いつまでも、いつまでも・・・。
 やがて、優しいお日様がお父さんカバを照らしました。ふと、お父さんカバが空を見上げると、七色の虹の橋をお母さんカバと小さな仔カバが渡っている姿が見えました。本当に愛された者だけが渡れる虹の橋です。
 お父さんカバは祈りました。「お願い、消えないで!!」すると、神様が言いました。「助けてあげられなくて、ごめんさない。」「お詫びに、貴方に虹の橋をプレゼントしましょう。」すると、お母さんカバと仔カバを乗せた虹の橋が、お父さんカバの心の中に吸い込まれていきました。これで、もう決して離れ離れにはなりません。いつでも一緒です。
 そして、お父さんカバが周りを見渡すと、お父さんカバを励ましている沢山のカバ達がいました。お父さんカバは一人ではなかったのです。
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 きのう私が書いた2匹のカバの物語には終わりがなかったのに、夜の間に素敵な物語に変わっていた。今朝掲示板を見て泣いた。今日は1日中まぶたが腫れていて恥ずかしかったけど嬉しかった。クーちゃん、素敵な結末をありがとう。


【6月6日】
 『2匹のカバ』
 ある沼にカバの夫婦が住んでいました。それは仲の良い夫婦で、いつも連れ立って、沼を泳ぎまわったり泥遊びをしたりしていました。
 やがて2匹には仔どもができました。でも、お母さんカバには元々病気があって、無事に生まれるかが心配で悩んでいました。それを不憫に思った沼の神様のはからいで、動物園の獣医の先生と飼育係のお姉さんが手伝ってくれることになりました。
 仔どもはお母さんカバのおなかの中ですくすくと育ちます。もうすぐ生まれると楽しみにしていたある日、不幸なことに仔どもは亡くなってしまいました。そしてお母さんカバもそれ以来目を覚ますことはありませんでした。その時だけは、忙しい神様も獣医の先生も助けてはくれなかったのです。
 お母さんカバは餌を食べることはできますが、お父さんカバの呼びかけには答えてくれません。せめて沼に連れ帰りたい頼んでみるのですが、先生は許してくれません。だからお父さんカバは、動物園の檻の中で、飼育係のお姉さんが運んでくれる餌を食べさせながら、お母さんカバとずっと一緒に過ごしました。
 何年かの月日が過ぎました。お母さんカバはとうとう力尽き、神様に召されて旅立って行きました。お父さんカバはまた一匹になってしまったのです。
 お父さんカバは沼に帰りましたが、お母さんカバがいなくなったことが信じられません。ふざけて沼のどこかに隠れているんじゃないかと思い、沼のあちこちを探し回るのでした。いつまでも、いつまでも・・・。


【6月5日】
 ウエストがだいぶスッキリしてきた。油っこいのを控えてる効果が出てきたか?まだたるんでるけど、ちょっと前より5cmは減ってる。それはともかく、ちょっと前にいったいいくつあったかなんて恥ずかしくて言えない。


【6月3日】
 心のなごむHPを目指すはずがどんどん遠ざかって行くのが気にかかる。あの病院で言われたことや受けた扱いを思い出すと、書き残さなければと思うことは切りがない。
 当時の手帳を開く気にはなかなかなれないが、久しぶりに見ても嫌な記録はそこらじゅうに書かれている。赤い字で。逆に良い事があった時の青い字はほとんどない。ほとんどは淡々と黒い字で書かれた日記のようなもの。
 やはり残さなければならないと思う。正直、早く開放されたい、妻も開放してあげたいと思っているかもしれない。でもきれい事ばかりでは済まない。


【6月2日】
 最近ソフトドリンクのCMで『愛の賛歌』が流れてる。オリジナルとはだいぶテンポは違うけど、聴くとやっぱり気になる。なぜかというと、あまり音楽を聴く方ではなかったカミさんが、普段唯一口ずさんでいたのがこの曲だから。
 きっと若い頃からあの歌詞みたいな恋愛がしたかったんだと思う。それと比べて現実はどうだったのか。結婚生活は途中で終わってしまって、もう彼女はこの世にはいない。やっぱり後悔してるんだろうか。
 でもいい事だけ考えると、結婚して子供が出来て、苦しかったけどあと2日で産まれるというとこまでこぎつけた。その後のことを何も覚えていないとすれば、これまでで一番いいところで記憶は止まってるんじゃないか?
 最後の5年間の悪いこと苦しいことを数えるときりがない。2人一緒には過ごせたけど、彼女の記憶に残っていない方がいいかもしれない。


【6月1日】
 友達んちでいらなくなった食器とオーブンレンジを貰ってきた。狭くはなったが、これで生活レベルは相当なとこまで上がるはず。
 使いこなせるかだけが問題だが、それには料理しないといけない。そうすると、作りすぎる→もったいないから食べる→太る→消費するのに苦労、の相変わらずの悪循環は明白。行き過ぎた体重は戻ってきたものの、減らしながら維持するのはやっぱり大変。八分目で止めりゃいい話なんだけど、結局たくさん食べてたくさん消費する方を選んでる。
 誰かこの変な循環止めて・・・。



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