| 1995年10月 | 被害 |
| 1996年2月 | 証拠保全 |
| 1997年8月 | 東京地裁に提訴 |
| 1999年4月 | 一審敗訴 |
| 1999年5月 | 東京高裁に控訴 |
| 2001年11月21日 | 判決 |
控訴審経過 11/30更新
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書籍やインターネットなどで情報が集めやすくなったとはいえ、医療過誤裁判の難しさは変わりありません。私の場合被告は国であり、一層厳しい戦いとなります。 妻は投薬の直後にいつもと違う呼吸困難を訴え、「苦しい、死んじゃいそう」とまで言っています。そしてそのわずか数分後、顔面がどす黒くなり、意識を失うほどの悪化をたどりました。 被告産科医師3人はそれを目の当たりにしながら、「いつもの喘息症状と変わらず意識があった」という理由で、適切な投薬や呼吸補助を行いませんでした。妻が体中の酸素を使い果たし意識を失った後も、必要な救命薬を用いませんでした。胎児を助けるためだと言うのです。 結果的に胎児は死亡し母体の救命も手遅れになりました。 薬物アレルギーへの危機感が全くなく、どんどん悪化するアレルギー症状を目の前にしながら、救命のABCと呼ばれる医学的常識を何一つ満足に行えなかったのに、正しい判断・処置となぜ呼べるのでしょう。彼らの言うことが正しいならば、喘息などの合併症を持つ数多くの患者は病院に行くことさえできなくなってしまいます。 一審は敗訴しました。判決は、第三者による鑑定を必要としないとしながら、被告(国)側の言い分を一方的に採用したものでした。十分な審理も適切な判断も行われていない不当な判決としか思えませんでした。悲しいことに、医療過誤裁判、国相手の裁判にはよくあるものなのかもしれません。 私は一審敗訴の後、すぐに控訴しました。控訴審に入り、麻酔科医師による鑑定を申請しましたが、採用されたのは、被控訴人(国)側の申請した産婦人科医師による鑑定も行うという二人の医師による鑑定。救命措置の正しさを産婦人科医師が鑑定できるのでしょうか?そして100万円を超える鑑定費用は私が支払うことに・・・・。国が国を裁く裁判です。一市民の思い通りには進みません。 医療や裁判というものは、私達の常識の範囲で判断のできないほど難しいものではないはずです。誰もが納得できる判決が下されない理由を除かない限り、今後も医療過誤は後を絶たないことでしょう。 |