|
協力してくれた専門医により作成、東京高裁に提出したものの一部抜粋。後日東京高裁により選出された大学病院麻酔科医師による鑑定書とその内容はほぼ同じだった。 その趣旨は、「アナフィラキシー反応だとしても喘息発作だとしても、酸素投与・薬剤投与・輸液等の適切な対応を行ったとは言えない。行っていれば大脳機能を喪失しなかった可能性がある」 |
|
(1) 8時14分の時点(呼吸困難が悪化し顔面にチアノーゼが広がった時点)において 1-1. A子の呼吸困難は気管支喘息の発作の症状と矛盾するか? A子の呼吸困難は、この時点では喘息発作の症状と考えても矛盾しない。 1-2. 気管支喘息だとすれば、その程度はどのくらいか? 四肢チアノーゼからさらに増悪して、顔面チアノーゼがみられ、また自分自身の症状に必要とすることが明確な酸素マスクを外すような判断力の低下を伴った体動不穏が見られ、この段階で既に低酸素血症による大脳機能障害が起きていることが推測できる。この段階での喘息発作の状態は、日本アレルギー学会の喘息重症度分類(甲第18号証p430、表1)によっても重症と考えられる。また、臨床的には喘息重責発作といっても過言でない状態である。1-3. 前問の程度の気管支喘息に対しては、どのような治療が望まれるか? すでにチアノーゼが四肢、顔面にみられるような低酸素血症に陥っていることよりかなり積極的な治療が必要である。 被控訴人も認めているように(控訴答弁書10頁)、喘息の既往歴のある患者の妊娠中の管理では、当然喘息発作が起こる可能性があり(乙第16号証)、それに対処すべく万全の準備をおこなうことは、このような患者を治療する産科医としては当然の義務である。原因はなにであれ、重症の気管支痙攣が発症しているこの時点での治療としては、β刺激薬サルタノールの吸入以外の治療を行っていない本件の治療は、現在の医療レベルに比較して、あまりにも稚劣な治療しか行われていないと言える。 1-4. 1-3の治療が行われた場合に、A子の大脳機能の喪失を回避できたか? 積極的に低酸素血症を改善する治療にて十分な酸素化が行われたとしたら、A子の大 脳機能の喪失を回避できる可能性は大きかったと推測できる。 2-1. A子の呼吸困難はアナフィラキシー反応と矛盾するか? A子の呼吸困難をアナフィラキシー反応の1分症としての気管支痙攣と考えても全く矛盾はない。 2-2. アナフィラキシー反応だとすれば、短時間で重篤な状態に陥る蓋然性は高いか? アナフィラキシーとすれば、本件での異常反応の進行程度を考慮すれば、積極的な治療をしない限り数分以内に重篤な状態に陥ると推測できる。実際、リンデロン投与から心停止(8時25分ごろ)に至るまで18分間であった。これほど急激に循環虚脱に至るまでの経過をたどる急性の疾患としては、アナフィラキシーの可能性が高い。しかし、本件では、感度が低いとされているリンパ球刺激試験しか行っていないので、アナフィラキシーの確定診断を下すことは不能である。臨床的に考えれば、アナフィラキシーの可能性はかなり高いが、正確にはあくまでアナフィラキシー様反応である。 2-3. アナフィラキシー反応に対しては、どのような治療が望まれるか? アナフィラキシーの症状の発現およびショックの進行の時間経過は非常に短くかつ重篤になることが多いので、治療そのものは心肺蘇生(救急蘇生)に準ずる。 2-4. 2-3の治療が行われた場合に、A子の大脳機能の喪失を回避できたか? A子がアナフィラキシーと疑われた時から、胎児を犠牲にしたとしても、前述したごとくの救急蘇生に準じた治療を行えば、大きな可能性でA子は救命可能と思われる。 (2) 8時18分の時点(血圧が低下、意識が喪失した時点)において 1. 子宮血流量はどのくらいと推定されるか? 判決文31頁で一審裁判所が判断している事実は、「午後8時18分ころには、A子の橈骨動脈の触知が困難なり(収縮期血圧が70ないし80mmHg以下の状態)、自分でも話せなくなり、呼びかけにも応答せず、意識レベルも下がっていた」とされている。 標準的な麻酔教科書には(参考文献4)、妊婦での血圧低下の頻度の高い脊椎麻酔または硬膜外麻酔時には、母体の収縮期血圧が100mmHg以下に低下した時には、酸素を投与しながら、子宮の左方移動、急速な補液、頭部の10−20度の下降により対処し、もし、1−2分で血圧低下が改善しなければ、昇圧薬のエフェドリンを投与し、血圧低下を改善しなければならない。同時に可能ならば、胎児心拍数をモニターしながら対処すべきであると記載されている。 これらの生理学的事実とこの時点での母体の所見とを合わせ考えると、母体の収縮期 血圧70-80mmHg以下では、子宮血流量は、胎児の酸素化を障害するような危険なレベルまで低下していたと大きな蓋然性をもって推測できる。 2. 胎児には酸素化された血液が送られていたか(胎児は酸欠状態にあったか?) 顔面、四肢にチアノーゼがみられる程、母体が低酸素血症になっている状態では、胎児は重篤な低酸素血症になっていることが大きな蓋然性をもって推測できる。 3. どのような治療が望まれたか? 被控訴人は、ボスミンは妊娠中には、子宮動脈を収縮し、子宮動脈血流量ひいては胎盤血流量が減少し、胎児に悪影響が出るため、胎児の生存が期待できないことを確認するまでその投与は避けるべき薬剤であると主張している(N研修医証言調書55頁から58頁)。 しかし、この時点では、母体の低酸素血症と収縮期血圧の低下から推測すれば、胎児は非常に危険な状態であることは容易に推測できる。被控訴人の主張のように「胎児に悪影響をあたえるボスミンはこの段階で投与すべきでない」ならば、積極的に母体の酸素化をおこない、たとえボスミンを投与しなくても子宮動脈血流量に影響を与えないエフェドリン(α,β1,β2-receptor作動薬である昇圧薬)のような昇圧薬を使用し、胎盤血流を確保すべきである。 母体の血圧低下に対して、胎児の血流を確保し、低酸素血症を防ぐためには、ボスミン以外の子宮血流量に影響を与えない昇圧薬を投与して血圧を維持する必要がある。しかし、本件の治療では、なんら昇圧薬を使用していなく、血圧低下を放置していた事実がある。この事実は、被控訴人の「胎児の血流を考慮するために、ボスミンを使用しなかったと」、すなわちボスミンを投与すれば子宮動脈を収縮され、その結果胎児を低酸素血症にするため、ボスミンを投しなかったとの主張に反すると考えられる。 この時点で、産科医ならば、胎児の状態を把握、推測することは十分可能であるが、なぜ胎児心拍数モニターをすぐに装着し、母体の状態とともに、胎児の状態を客観的に把握するよう努力しなかったか理解に苦しむ。 N研修医は、「50から60程度の血圧が保たれていれば、もちろん脳血流量がなくなるわけではありませんので、その時点でボスミンを投与することは、この場合に限っては胎児のことを考えてまだその段階でないと、注射を打つ段階ではないと判断しました」と証言(N研修医証言調書262項)しているように、母体の血圧が50から60mmHgですら、胎児は危険なレベルの低酸素血症に陥っていないと診断していた。このような理解であるため、胎児の酸素化の状態を客観的に判断できる胎児心拍数モニターを使用して、胎児の状態を把握するよう努めなかったことも理解できる。 この時点で、すなわち、意識レベルが低下するほどの低酸素血症と血圧低下(収縮期血圧70−80mmHg)が母体に起こっていたにも拘わらず、N研修医は胎児に影響がないと判断している。それゆえ、胎児の酸素化を改善する母体の血圧低下の改善のためエフェドリンの投与すら行わず、ボスミンは胎児に対し危険とし、血圧低下をそのまま放置している本件での血圧低下に関する治療は、一般的な医療水準からして、治療といえる内容のものではない。 4. ボスミンの使用はA子の呼吸困難及び循環不全を改善させるか? 午後8時20分以前の、A子の収縮期血圧が70-80mmHgに低下した時点で、ボスミンを投与すれば呼吸困難と循環不全を改善できた可能性は大きいと推測できる。また、胎児の血流確保のためボスミンの使用を控えたと被控訴人は主張しているが、それであるならば、ボスミン以外のエフェドリンを投与すべきであり、エフェドリンの投与でも呼吸困難と循環不全を改善できた可能性は大きいと推測できる。 5. 子宮血流量の減少を恐れてボスミンの投与を控えることは胎児の救命につながるか? いかにボスミンの投与を控えても、母体の低酸素血症と70-80mmHgへの収縮期血圧の低下を考えると、本件のごとく単に母体へのフェイスマスクを用いて酸素を投与しているのみでは、一般的に、胎児を救命することは困難であったと考えられる。 6. ブドウ糖の点滴速度を速めることは、A子の血圧を上昇させるか? アナフィラキシーの一義的な病態は、末梢血管拡張と毛細血管透過性亢進による循環血漿の血管外組織への漏出がおこるための有効循環血液量の減少である。この循環血液量の低下は、総血液量の20〜40%にも及び、症例により数リットルの補液が必要になることもある。十分な補液を行わなければ、昇圧薬のみを使用しても、血圧の維持が困難なことが多い。 7. 3の治療が行われた場合に、A子の大脳機能の喪失を回避できたか? 本件での、8時12分から救急部の医師の治療開始までの8時20分までの治療内容は、現在の医療水準からして納得のできるものではない。この間の8分間の低酸素状態が、8時20分で起こった循環虚脱に近い循環抑制・呼吸停止の原因であることは、大きな蓋然性をもって推測できる。 もし、この間に適切な処置がなされていたならば、たとえ胎児は死亡したとしても、母体の大脳機能廃絶の状態は避けることができたと考えられる。 平成11年11月29日 医師 ○○○○ |
| ※時間は病院側主張の診療記録変更後のもの |