| 著者名 | 新田次郎(にった じろう) |
| 著者略歴 | 明治45年(1912)長野県生れ。本名藤原寛人。無線電信講習所(現電気通信大学)卒業後、気象庁勤務。昭和41年(1966)同退職。昭和55年(1980)没。 |
| 出版社 | 文藝春秋 |
| 初版 | 1981年1月 |
| 定価(税別) | 476円(1997/04 第12刷) |
| ISBNコード | 4-16-711223-X |
| Cコード | 0193 |
| 判型/頁 | 文庫/349頁 |
| 初刊行 | 1977年8月 文藝春秋より単行本刊 |

本書は、日露戦争直後、北アルプスの劔岳登頂を命ぜられた測量官・柴崎芳太郎をモデルにした小説である。当時、劔岳は前人未踏、弘法大師が草鞋3千足を使っても登れず、登ってはならない山と恐れられていた。その劔岳の踏破を草創期の山岳会が狙っていた。これを知った陸地測量部のトップ層が初登頂は譲れないと、命令したのだった。
陸地測量部は30年間にわたって測量を続け、ほぼ日本の地図を作り上げていた。最後に残ったのが劔岳周辺。日本の山は、修験者など宗教上登頂された以外の山はほとんど陸地測量部員によって初登頂されている。絶対に山岳会に先を越されてはならない、上司がすべて陸軍将校の陸地測量部員にとって初登頂は至上命令だったのだ。
しかし、死を賭して初登頂を成功させたが、幹部は冷淡だった。山頂にあった鉄劔や錫杖などから千年以上も前に踏破されていたことが明らかとなり、上層部はまったく興味を失ってしまった。さらに柴崎にとって不幸だったのは、三等三角点設置の器材が上げられず、四等三角点が限界だったことだ。四等は暫定的なもの、公式報告書に劔岳登頂のことはまったく触れられおらず、今もって登頂月日、登頂者など一切不明なのである。
至上命令の劔岳登頂は柴崎にとっては任務のごく一部。それどころか、劔岳山頂に三角点を設置しなくても測量はできる。作業可能な4月から10月までの短期間に立山を中心とした20km四方に30箇所ほど三等三角点を設置し測量を行わねばならない。これだけでも至難のことなのに、劔岳初登頂のみに注力する山岳会とも競争しなければならないのだ。
柴崎も劔岳に登りたかった。上司に命じられたからでも、山岳会との功名争いからでもなく、「より正確な地図を作るために」。この崇高な目的があったからこそ、引くべきは引き、挑戦すべきは果敢に挑戦し、任務をまっとうできたのだと思う。まさに、プロジェクトのそしてリーダーのあるべき姿といえるだろう。
柴崎芳太郎は剛毅一徹の人、安易に他人と妥協して生きて行けるような人ではなかったようだ。だからこそ成しえた功績なのだろうが、その性格から出世には縁遠かった。しかし、「よりよい地図作り」に捧げた生涯を決して後悔することはなかったのではなかろうか。
本書にはもうひとりすばらしい人物が登場する。山案内人の宇治長次郎だ。山をよく知り、山歩きの勘はするどいが自慢らしいことは一切口にしない。誠実で従順すぎるほど従順、常に自分の身を犠牲にしてお客に尽くす。
早月尾根からの登頂を断念した測量隊、今度は別山尾根から頂を目指した時のことだ。なんとか頂上山塊の前まで来たところで彼らは完全に行き詰る。荒々しい岩の絶壁に囲まれた頂上山塊はどこからとりついてよいか見当もつかない。2日がかりの挑戦の末、ようやく長次郎が「登路を発見しました」と目を輝かせながら柴崎に報告する。その難所を過ぎると頂上まで遮る物は何もなかったと云う。「それで頂上まで行ってきたのか」と柴崎、「そんな僭越なことをするもんですか。難所を通り抜けた所で引き返してきました。真っ先に登るのは旦那でなければいけません」と長次郎。
柴崎は長次郎と共に登路探索をしてきたもうひとりの山案内人鶴次郎に訊ねる。「きみも、そのつるつる岩で爪先立ちの横歩きをやったかね」。「とんでもない。あんなところを歩けるのは天狗様と長次郎さんぐらいです。見ているだけで目がくらみそうになりました」と鶴次郎。
三角点を設置するには標石や観測機器など多くの資材を担ぎ上げねばならない。「帰るぞ、長次郎。他に登山路を探してみよう」と柴崎。長次郎は顔を上げなかった。涙をこらえているようであった。私も読んでいて目頭が熱くなった。
それから2ヵ月後、たった1日の梅雨の中休みに、劔岳東面の大雪渓(現在長次郎谷と呼ばれている)から山頂を極めた。しかし、三等三角点設置のための材料はとても背負い上げられない。やむなく四等三角点、それでも長さ10尺(3m)、切り口1寸5分(4.5cm)の丸太を担ぎ上げなければならない。問題は頂上直下の60mの岩壁だ。力を合わせて引っ張り上げようということで岩壁まできたが、それはあまりに困難なことだった。誰かが背負って岩壁を登る方がよいのだがあまりに危険な作業、柴崎には「お前がやれ」とは云えなかった。「旦那、それは私が背負い上げましょう」と長次郎が云ってくれた。柴崎はほっとした。
一流の技術、ゆるぎない信念と使命感、部下への思い遣りあふれたマネジメントなどリーダーの資質十分な柴崎と、確かな技をもった律儀な職人 長次郎の組み合わせによって三角点設置のための劔岳登頂は、はじめて成しえた業績と云えるだろう。