Since June 16, 2000
STUDIO KAMADAJapanese to English by Excite
サイトマップ | ホーム
潰瘍性大腸炎(UC)メモ

 潰瘍性大腸炎(UC)は、大腸に慢性的に炎症が生じ、潰瘍ができる原因不明の病気です。これは難治性疾患、いわゆる難病です。この病気は人によって症状の程度が違い、入退院を繰り返す人も多いのですが、幸い私の場合は軽いほうで、今のところ入院は1回だけです。発病は1996年(平成8年)の6月で、その年の7月から2ヶ月間入院しました。現在は薬と食事制限で緩解状態を維持しています。以下の文章は、同じ病気でも症状が重い人には当てはまらないということにご注意ください。なお、食事中の方はご遠慮ください。


 以下は、入院中につけていたメモの一部と、退院後に書いたものからの抜粋です。メモは便の状態を毎回記録していたところに付け足して書いてあったものなので、不完全です。

1996年6月
 月刊電脳倶楽部98号のマスターアップの次の朝、下血で便器が真っ赤になった。家族が外出していたので1人で病院へ。
 薬で下血は止まったが、入院が必要との診断。
 当時私が勤めていた会社の社長に相談し、社長の意向もあって7月10日以降の入院を希望したが、「そんなことを言ってられる状態じゃない」とドクターストップ。普段は穏やかな先生が怒った。この先生の判断が、この後の私の病気の負担をどれだけ軽くしてくれたか、はかり知れない。

1996年7月1日
 朝から入院。
 いきなり絶食を言い渡される。予想していなかった事態に戸惑う。大部屋だったので、他の患者さんの食事中は、「全然気にしていませんよ」というそぶりをして過ごす。
 腕に点滴を装着。
 心電図、腹部胸部レントゲンなど。
 ICUにつれてゆかれ、よくわからないままベッドに寝かされてIVHカテーテルの挿入を試みられる。首からのIVHカテーテル挿入は血管に到達せず失敗に終わる。
 サラゾピリンを1日6錠。薬は他にもいろいろ。

7月2日
 腹部エコーとコロノファイバー。

7月6日
 ICUにて、首からのIVHカテーテル挿入に再び失敗。「ベッドに仰向けに寝て首だけ横に向けて首筋に力を入れる」という無理な体勢を長時間強いられたために肋間神経痛を起こしてしまった。身体を動かそうとするたびに激痛が襲うため、全身の身動きが取れないままICUで数日過ごすハメに。
 結局、IVHカテーテルは右足の太ももの付け根(鼠径部)から入れた。
 IVHカテーテルについて、「若い人は動きやすいように首から、寝たきりのお年寄りは鼠径部から入れる」という話を聞いてショックを受けた。
 IVHカテーテルについてちゃんとした説明を受けないまま挿入されてしまったが、どうやら「長期間に渡って絶食する場合は腕からの点滴では栄養補給に限界がある」ということらしい。

7月11日
 「身に降りかかるキノコは振り払わねばならない」
 (何だかよくわからないけれど、メモに書いてあったので引用。自分の心境をギャグにして気を紛らわそうとしていたらしい)

7月13日
 入院時から37〜38度台の熱が続いていたが、この日39.4度まで上がる。患部の炎症によるもので、やむをえず抗生物質を投与。

7月15日
 熱は36度台まで下がった。

7月16日
 明日の検査に備えて下剤の水薬を大量に飲まされる。絶食していて内臓はからっぽなのに、普通に食事をしている人と同じ量の下剤を飲まされたような気がする。気分が悪くなって途中でギブアップ。

7月17日
 コロノファイバーと注腸検査。
 サラゾピリンの投与が1日3錠になる。

7月22日
 流動食開始。丸3週間ぶりの食事。といってもドロドロだから食べた感じはしないけど。

7月26日
 三分粥にレベルアップ。

7月27日
 姉夫妻が見舞いにきてくれた。

7月28日
 サラゾピリンを1日2錠にしてみる。

1996年8月2日
 下血があり、サラゾピリンを1日3錠に戻す。

8月6日
 下剤の水薬を1600cc弱。
 コロノファイバー。

8月7日
 下血あり。昨日の検査の影響か?

8月13日
 下血が止まらず、サラゾピリンを1日4錠にする。

8月15日
 下血が止まった。

8月20日
 注腸検査。

8月22日
 全粥にレベルアップ。
 病室のエアコンが壊れた。

8月23日
 日中、病室のエアコンが直らず、汗たらたら。夕食後に直った。

8月28日
 退院日が決定。
 IVHを外した。カテーテルを入れるところを見ていなかったので、自分の身体からずるずると長い管(70cmくらい?)が出てきたときは驚いた。

1996年9月2日
 お世話になった先生や看護婦さんにお礼を言って、午後退院。


 上には書いてありませんが、家族の他にも多くのかたに見舞いにきていただきました。

 私が潰瘍性大腸炎という病気が難治性疾患であることを知ったのは、8月の後半、病状が安定してからです。私がショックを受けることを察して、先生はあえて言わないでおいてくれたようです。先生の細かい心遣いに感激しました。


月刊電脳倶楽部101号(1996年10月号)の電脳天気より

 仕事で上京していて超多忙であるにもかかわらず見舞いにきてくれた中村ちゃぷにさんに感謝。ちょうど検査のあった日で、病室にいなかった私を検査から戻るまで待っていてくれました。感動的に嬉しかったです。