今こそ性教育を
ここでは、ぼくの『性教育に対する考え』を紹介します。
本文章は、ぼくの学級通信などで掲載した内容に加筆修正をしたものです。
- はじめに
- なぜ、学校で性教育をするの?
- 大人も一緒に学習しよう
- 科学教育の側面
- 自立教育の側面
- 人権教育の側面(その1)
- 人権教育の側面(その2)
- 共生教育の側面
- “性産業”と“性教育”
- 自己肯定と自己否定〜その1〜自分が好きな子に
- 自己肯定と自己否定〜その2〜ジェンダーとの関係において
- 自己肯定と自己否定〜その3〜つくられていくジェンダー
- 自己肯定と自己否定〜その4〜『金八先生』の“直”から考える
- 性のグラデーション〜その1〜生物学的性【sex】
- 性のグラデーション〜その2〜社会的性【gender】
- 性のグラデーション〜その3〜性自認【gender identity】
- 性のグラデーション〜その4〜性的指向【sex orientation】
【CONTENTS|次の項目】
性教育は@科学教育A人権教育B自立教育C共生教育の4つの側面をもっています。私たちの世代は、学校での性教育が不十分でした。しかし、変な情報も、さほど多くなく、なんとか大人まで成長してきました。しかし、今の子どもたちを取り巻く状況は全く違います。前述した4つの側面をもった性教育をきちんとおこなっていかなければ、人権を脅かす恐ろしい社会をつくりだす担い手に育ってしまいそうです。
一緒に考えていきましょう。
【CONTENTS|次の項目】
今の大人が小学生の頃は、一部の意識的な教師を除いては、性教育をほとんどおこなっていませんでした。私自身、自分の小学校生活を振り返ってみても、思い浮かびません。唯一、あったのだろうと思えるのは、女子だけ、会議室に集められ、月経に関する指導を受けたらしいというものです。興味津々だった私たち男子は、廊下の欄間から覗き込んで叱られました。
それでも、私たちは大人になりました。そういう大人から見れば、「性教育なんて必要な
い」「自然に覚えるもんだ」という意見が出てくることは予想できます。
ここで、よく考えておくべきことがあります。それは、自然に覚えたのかどうかということす。やはり、その時々の『テキスト』があって、それで学習をしていたのです。
もちろん、『テキスト』と言っても、いろいろです。いわゆるエロ本というものだった人もいるし、先輩の講義という形だった人もいるでしょう。若い世代の人たちには、AV(アダルトビデオ)かもしれません。これらのテキストは、性を商品として、あるいはおもしろ半分に扱ったものがほとんどです。また、多くの場合、女性の性は抑圧され、男性の性は暴力的に描かれていることが多いのです。人間的なすばらしい文化を包含しているとは言えません。
こうして考えてみると、現代の社会の中に、学校以外のテキストに信頼できるものがどれくらいあるでしょう。限りなく0に近いと思います。そして、その誤った情報だらけのテキスト(もう、テキストなんて呼べない!)は、十年、二十年前とは比べものにならないくらい数多く出回っているのです。
子どもたちが高校生くらい(都会では小学生でも)にもなれば、ちょっとでかければ、エロ本、AVなどのテキストを手に入れることができてしまいます。
もし、正しい性の知識や感覚を身につけていなかったら、そういうものを手に取り、「それが性なんだ」と認識してしまうでしょう。
私たちが、学校でしようとしているのは、そういう誤った情報に出あっても、対抗できる力を養うことです。こちらが本当の性なんだということを学び取らせることです。
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私たち(現在の大人)は、性教育をきちんと受けてきていないという前提に立って考えます。
もう一度、『性って何だろう』という根本から考え、より人間らしい性を獲得するために学ぶ必要があります。大人(親)が、商品化された性に手を染めている間は、子どもたちもそうならざるを得ません。
性教育のテーマは山ほどあります。下半身の問題だけが性教育ではありません。一つずつ、みんなで語り合いましょう。
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子どもに自分のルーツを問われた時に、どのように答えたらよいでしょう。
「ぼくはどこから生まれたの?」…素朴な疑問なのですが、大人がよい答えをもっていないことがあります。「そんなこと聞くんじゃないよ」と言わないで、答えても「神様がさずけてくださったのよ」「コウノトリが運んできてくれたのよ」…というのは、科学的に考えるとおかしいことです。
女の子の「おしっこがどこから出るの?」の疑問についても「おしり」「おまた」では、かなり曖昧です。
名称は年齢に応じて教えてあげればよいのですが、間違いのない情報を与えることが重要です。性の学習においては、科学的なものの見方を学ぶ機会にもしたいからです。
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〜こころとからだの主人公に育てる〜
性に関わることだけでなく、子どもたちは少しずつ自分のことを自分で決めて、自分で行動していくようになっていきます。けれども、それは学習によってできるようになっていくものです。自分でものごとを決める経験をしていなければ、いつまでも親の言うとおり、周囲の人の言うとおりにしか行動できません。
からだのことで考えてみると、低学年までにからだの概観を知り、大切にする方法を大まかに理解することが大事です。それはからだに対して自立する基礎となります。
例えばお風呂で自分のからだをきれいにすることなどは、この時期にできるようにすべきことです。その際におしっこの出るところ、うんちの出るところなどを正しく理解し、きれいにする方法、汚さないように工夫することなどを学んでおくことが必要条件です。
中学年になると、女の子では初経を迎える子が出てきます。月経のメカニズムや経血がどこから出てくるのかという具体的な知識がなかったら、自分で対応することができません。
高学年になれば、異性を好きになったり…という感情も出てくるでしょう。そういう時に、自立的で正しい行動をとる力が必要です。
その力を育むのが、自立教育の側面です。
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〜人を愛する心を育む〜
私は、数年前から『21世紀は誰もが大切にされ、かつ、みんなが手をつないでいく時代にしなければならない』と考えていました。
ここの前段は、性教育の人権教育の面から迫れると思っています。
人を大切にするということは、人を愛する気持ちにつながっていると考えます。(飛躍的な論理ですが、紙面の関係上、お許しを)恋愛物語によく出てくるパターンに「愛する人が幸せになれるのなら自分は身をひく」というのがあります。これも愛し方の1つ。愛する人が嫌な思い、辛い思いをしないように思いやる、それが相手のことを大切にしたことになる。というものです。これは、相手のことをうんと想い、他人の気持ちを理解しようとするトレーニングの成果であったり、そのトレーニングの過程であったりするわけです。
子どもたちにとって、愛する対象は親や家族から、やがては同性の友だち、異性へとうつっていくでしょう。その年齢期に応じた人の愛し方ができるように、育てたいと考えます。
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〜性の肯定・否定〜
性教育では、『人の命の誕生』『人はどう生きていくか』『人はいかに死んでいくのか』などのテーマを扱います。
人の生き方・死に方を学ぶといったらよいでしょうか。
そこでは、特に生命の尊さ、生きることの意味や大切さを考えます。そういう意味から考えると、戦争は性教育の対極にあるといっても過言ではありません。戦争はどんな理由があるにしろ、物の破壊だけでなく、人の命を奪うことを目的とした行動です。言い換えれば生命の否定です。
60年程前の戦争で、日本は「お国のために死ぬことが美しい」という考えを国民に植え付けました。今はそのように考える人は少ないでしょうが、世界的に考えてみると、テロやそれに対する報復攻撃…これらのものは、相変わらず「生きることを否定」しています。
人権教育の面からみると、すべての国で性教育が充実することを願ってやみません。
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〜マイノリティを知ろう〜
マイノリティというのは少数派という意味で、対義語にはマジョリティ(多数派)というものがあります。
ようやく最近は、人は1人ひとり違っていて、それでいいということが社会的に認められてきたような気がします。(国語でも「みんなちがってみんないい」なんて詩が採り上げられるようになりました。)
今までは、マジョリティが支配する社会でした。
例えば同性愛者や障害(この言葉自体も問題なのだけど)をもった人などは、マイノリティですから、過ごしにくい世の中でした。時には人権侵害ともとられることが平然と行われていました。しかし、人々がたくさんの人といっぱい関わって生きてきた成果として、誰とでも共生していくことが大切であるということに気づいてきたのです。
性教育の中でも多様な性を認め、学習をしていきます。同性愛者、性同一性障害(男でも女でもない性をもつ人)の人も、エイズ感染者・患者も…数が少ないからと抹消されていってはいけません。まず、そういうマイノリティの存在を知り、その人たちの人間性を理解し、共に生きていく意識をもつことが大事です。
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“性産業”と“性教育”は対極にあります。
“性教育”が貧困な社会では“性産業”が盛んで、“性教育”が豊かな社会では“性産業”が衰退します。性を商品化することを否とする性教育が根付けば、性を売り物にする産業は排除されていくのが自然でしょう。日本の社会はどうでしょう。
売春の場であることが分かっているソープランドがいまだに多数存在します。携帯電話では出会い系サイト、エッチサイトからの誘いが無秩序に入ります。最近は静かになりましたが、援助交際の問題もあります。子どもたちが街に繰り出せば、簡単に手に取れる場所に危ない誘いがあります。
・・・こんな社会をつくっているのは大人です。
「子どもたちに豊かな人間性を!」と願うはずなのですが、現実は儲け主義にはしっている大人です。こんな大人にならないように、子どもたちには豊かな性教育をあたえてやりたいものです。
本当に教育が必要なのは、今の大人なのですが…
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〜自分が好きな子に〜
親子の関係って近すぎることが、よくないことにつながることがあります。
例えば生活習慣を身につけさせようと思うと、ついつい口うるさく言ってしまうのです。そして、「なんでできへんの」「あんたはダメや」なんて言うこともあります。親も人間ですから、時には感情をむきだしにすることが必要ですが、こう言ってしまった時には、フォローが必要です。それっきりになれば子どもは「ぼくはダメなんだもん」「どうせ私なんかできないもん」と自分を否定的にみてしまうようになります。
逆に何かできるようになったり、いいなぁと思ったことがあったら、「あなたはすばらしいわね」と心から賞賛してあげましょう。その言葉や本当に喜ぶ親の態度から、「私ってなかなかやるじゃん」「ぼくってすごいんだな」と自分を肯定的にとらえるようになるでしょう。
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自己肯定と自己否定というテーマと性教育との関連を強くする1つのキーワードがあります。
それは『ジェンダー』です。
ジェンダーというのは、社会的につくられた性別のことです。(生物学的な性別はセックス)簡単に言うと、「男は強い・女は弱い」「男は仕事・女は家事」などの「こういうのが男なんだ」「こういうのが女なんだ」というものです。しかし、そこには男女差別につながることが多く含まれていて問題視されるようになりました。
日本でも1999年に『男女共同参画社会基本法』が成立し、にわかにそれに伴った改革がなされてきています。身近なところでは「保母」から「保育士」と呼び名が変わったり、学校で“男女混合名簿”になったり…という具体的な方策がとられてきています。
けれども、ここで一番大切なことは、なぜそういうことをするのかということです。
『ジェンダー』の問題を考えるときの基本に、「すべての人間は平等である」というのがあります。その人がその人らしく文化的に生きる権利は誰にでもあるというわけです。
具体的に考えてみましょう。
ジェンダーの中に『男は強くないといけない』というものがあります。それで、泣いている男の子に対して「男のくせにメソメソするな!」と言うことが出てくるのですが、これは『ちょっと待った!』です。
そう言われたって、涙もろい男の子はいるのです。そういう子は、何回も言われ続けていくことで、『ぼくは男らしくないんだ』『ぼくはダメな男だ』と自己否定していくようになります。
さらに「いつまで泣いているんだ!女の腐ったような!」なんてことを言おうものなら、自分の性だけでなく、女性についても否定的にみてしまうようになります。
映画を観ていて…。とても感動的な映画だと涙が出ることがあります。ところが、映画館で涙ポロポロという男性に対して、「頼りない」、涙を流していない女性に対して「キツい女だ」と見てしまう場合があります。
そうではないのでしょう。
小泉総理大臣の「涙は女の武器」「泣かれたら〜」という発言も問題です。
男だって泣きたいときは泣けばいいし、女だって涙が出なければ無理して出す必要はないのです。涙は武器でも何でもない、その本人の感情の現れ方の一つなのです。ですから、言ってみれば“自分の心に正直であれ”ということです。逆から考えてみると、周りの声によって、自分の心に正直でいられなくなることがあるわけです。自分の本当の姿を偽らざるを得ないことに対する自責の念に駆られる人も出てきます。
【CONTENTS|次の項目】
ジェンダーに関わっての話題になってきていました。
このジェンダー。どのようにしてつくられていくのでしょうか。
キャラクターの面から考えてみましょう。デパートや専門店でもそうですが、衣料品コーナーを見ると、『女の子用』『男の子用』と場所が分けられていることが多いです。そして、小さい子の洋服だとキャラクターがプリントされているものがたくさんあります。そのキャラクターを見てみると、仮面ライダーとかドンキーコングとか「強い」キャラクターは男の子の服に、ハム太郎とかセーラームーン(かなり古い(・_・?))とか「かわいい」キャラクターは女の子の服についています。ですから、当然、強いキャラクターは男の子のもの、かわいいキャラクターは女の子のもの。と位置付いていきます。
さて、キャラクターグッズの面からチェックをしてみると、ジェンダー意識が見えてきます。また、ジェンダー意識が再生産される仕組みも見えてきます。
キティちゃんのプリントされたピンクのシャツを男の子が着ているところを見て、どう思いますか?
仮面ライダーのプリントされた青いシューズを履いている女の子を見て、どう思いますか?
そこで「いいんじゃない」と思えれば、ずいぶんジェンダーフリーの考え方を身につけられたということです。我が息子が、「リカちゃん人形がほしい」と言った時は、どうでしょう?そこで、親が子どもに対して親のジェンダー意識を教え込むことになります。「男がリカちゃん人形で遊ぶなんてダメだ」と対応した親の子どもはきっとそういう意識になっていきます。「ほしい」と言った気持ちは心の奥のどこかにいきます。
【CONTENTS|次の項目】
『金八先生』というテレビ番組があります。
私が注目している(可愛いからではない…それもあるけど)のは、上戸彩さん扮する“直”です。直は、“性同一性障害”【※身体の性別(sex)と心の性別(gender)との間に食い違いが生じ、それ故に何らかの“障害”を感じている状態】に悩む子です。
sexは「女」。でも、性自認【gender identity:自分がどう思っているか】は「男」なのです。その直は、周りのみんなとはあまりにも違う自分を認識し、本当の自分を隠して生きています。
しかし、彼女は悩みながらも「自分が好きである」という気もちをもち続けているように思います。だから、その自分のスタイル(生き方・考え方)を押し進めています。直がみんなに「私は・・・男だ!」とカミングアウトする場面もあるようです。直をめぐるいろいろが大きく展開されていきます。
性同一性障害のことをお話しました。
このことを考えていくときに、“性にはいろいろあるんだ”という大前提が必要です。例えば、「男性が好きな男性、女性が好きな女性という同性愛の人もOK」ということです。金子みすずさんふうに言えば『みんな違ってみんないい』ということです。
このいろいろを考えていく視点が4つあると考えています。
【CONTENTS|次の項目】
1つは、『生物学的性=sex』です。
生まれたときに必ず男か女か判断され、戸籍に登録するようになっています。しかし、実際のところ、「どっちかな?」と判断できない場合もあります。それは、染色体の結びつき方のパターンが多様であって、2つに分けることができない事実から生まれてくる問題です。従来は、それでもどちらかの性にして、その子をその性で育てるようにしてきました。
戸籍登録のために、生まれたばかりの段階で判断し、男女どちらかに決められます。しかし、昨今の研究によって、半陰陽【intersexual:先天的に生物学上定義される男性的特徴と女性的特徴を合わせ持つ人々】の人々の存在が認知されるようになってきています。
これまでは、半陰陽の子が生まれると、どちらかの性に判定し養育上の性に合わせて内外性器を切除、または形成することが奨励されてきました。最近は本人の意思と育てられた性とが一致しないケースが注目され、論議が生まれています。
さて、前にもお話したように、染色体の結びつき方にはいろいろなパターンがあるようです。結び方の違いによって、いろいろな結果が出ます。グラデーションという言葉がありますが、徐々に変化するという意味で、パソコンなどの色のパレット(表示させると、実に一千万色以上。人間の目では判別できないレベル)をイメージするとよいでしょうか。色の組み合わせによって多様な色が生み出されます。赤と青とは判別できます。しかし、赤のすぐ隣にあるけれども赤ではない色があったり、赤と青の混じった色があったりします。生物学的性【sex】もこのようなグラデーションなのではないかと思うのです。
次は、2つ目の視点『社会的性=gender』について。
【CONTENTS|次の項目】
社会的性【gender】とは、前お話したように、社会的・文化的な性のことを指します。
女の人がスカートをはく習慣ができました。それで、「スカートをはいているのは女の人だ」という概念ができました。同様にして、「髪を短く刈っているのが男で髪を長くしているのが女」「化粧してアクセサリーを身につけるのが女」…などの概念ができました。
しかし、お気づきのように、この概念というのは社会によってつくられたものなので、時代によって変わっていきます。ですから、今あるgenderが数年後には反対になっているかもしれません。もっと長期的な見方をしたら、genderは多様で、流動的であるということになるでしょう。社会的性【gender】もまたグラデーションなのです。
次は、3つ目の視点『性自認=gender idetity』について。
【CONTENTS|次の項目】
性自認【gender identity】とは、「自分は男性である」「自分は女性である」という自己認識のことです。
多くの人々(それをマジョリティ【多数派】と言う)は、sexが女性であれば、性自認【gender
identity】も女性です。sexが男性であれば、性自認【gender identity】も男性です。
性自認は、脳に自発的な判断をしていく力がないとハッキリしないことです。生まれてしばらくの間は、自分がどちらの性かという認識はできません。やがて、そういう認識ができるようになります。そこで、少数(マジョリティに対してマイノリティと言う)ですが、「sexと一致しない性を自認する」という人がいます。
「身体は男なんだけど自分は女だと思っている」
「身体は女だけど自分は男だと思っている」
いや、
「自分は女なんだけど身体が男」
「自分は男なんだけど身体が女(前述『金八先生』の“直”はこのタイプでしょう)」
という人です。自分がそうでないとなかなか理解できないでしょうが、もう少し、掘りさげて考えてみたいと思います。
sexと一致しない性を自認した場合、どうなるか・・・
本人が問題だと感じ、思い悩むことが多くなります。
このような悩みをもつ“sex♂、gender identity♀”という人から話を聞いたことがあります。
「例えば、自分は人間だと思って生まれてきたのに、身体中にウロコがついていて、魚のような肌だったら、夏場に肌が顕わになるような服を着て歩けますか? 私は、女だと思っているのに、周りの人たちから男と見られてしまうのは、とても辛いのです。」
これは話の一端ですが、sexがgender identityと一致しないから悩むわけで、一致するようにしたいと願う気持ちも理解できます。
gender identityは脳の認知ですから、それを変えることは難しいです。
今の医療をもってすれば、sexの方を転換することは可能です。しかし、これは人体を人為的に操作するわけで、問題もないわけではありません。
いわゆる“性転換手術”は、医学的には可能になりました。しかし、大手術になりますから、金銭的な問題もないわけではありません。もちろん、悩んでいる人たちにお金では解決できない問題であるわけですが。
また、手術をおこなったとしても、現在の日本の法律では、戸籍の訂正は認められません。よって、自分のgender identityがsexに一致しても、そのsexで登録できないということです。
いろいろな証明が必要な時に、やはり、違った性で自分を証明することになるのです。
さて、手術にもいろいろなケースがあります。
男性から女性にという場合、ペニスを取り、乳房をつくるというオーソドックスな部分や、頬骨や喉仏を削るという細かな部分もあります。それらをどこまで行うかというのは、本人の意思に任せられます。一口に“性転換手術”と言っても、大変なことです。
ところで、性同一性障害をもった人の中には、手術によってgender identityとsexを一致させる人もいますが、そこまで望まない人もいます。“トランスベスタイト”といういわゆる“女装者”“男装者”です。この人たちは、そういう服装をすることで、自分のgender identityを保ってい
ます。
都立高校の教師、宮崎留美子さんがそのトランスベスタイトの方です。彼女はsexが男だけど、女装をしています。ただ、なかなか認められない部分があるので、女装をしているのは週末だけと言ってみえました。
こうしてみると、この【性自認=gender identity】の表し方というのも実に多様で、これもまたグラデーションです。
次は、4つ目の視点に『性的指向=sex orientation』ついて。
【CONTENTS|前の項目】
これは、どんな性を指向するかというものです。
簡単に言えば、「男性を好きになるか」「女性を好きになるか」という好みのことです。
多数派(マジョリティ)の場合、sexが男、genderが男、gender identityが男であれば、sex orientationは女になります。「男性が女性を好きになる」「女性が男性が好きになる」というパターンです。
しかし、このsex orientationにも、少数派(マイノリティ)がいて、「男性が好きになる男性」「女性を好きになる女性」もいます。以前は、あまり理解されなくて、「おかま」なんて差別用語が生まれました。
いわゆる同性愛者の問題は、エイズが社会的問題になった時も、少数派だったこともあり、真っ先に標的にされました。
しかし、【性的指向=sex orientation】もいろいろあって、どのタイプも認められるべきものです。誰を好きになっても、それは、本人の意思の問題だと考えたいのです。
同性愛者どうしの場合、お互いを認めることは容易です。しかし、どちらかが異性愛者の場合、それは難しくなります。ある男性が好きになった女性は女性を好きになるレズビアンだったために、自分の恋敵が女性になるということもあるわけです。また、その女性は、たまたま好きになった人が女性だったというケースもあります。男性のアプローチいかんによっては、女性より男性を選ぶようになるかもしれません。
やっぱり、【性的指向=sex orientation】もグラデーションです。
最後に・・・。
ここのところ、ずうっとお話してきたのは、セクシャルマイノリティ(性に関する少数派)についてです。こういうマイノリティが生きやすい世の中になれば、誰もが「自分が好き」になれると思うのです。
そんな社会をつくっていきましょう。 〜完〜
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