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今年も年内は休まず営業します
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二月:わりと仕事してた。 三月:わりと仕事してた。 四月:わりと仕事してた。 五月:わりと仕事してた。バイクで軽く事故った。 六月:翌月からロングバケーションに突入するために暗躍。 七月:一年半続いていたレギュラーワークを自主的にリセット。ロングバケーション突入。熱海へ3日ほど旅。インドへ1カ月ほど旅。 八月:インドから帰国した翌日にバイクで北海道へ。2週間ほど旅。 九月:意外と仕事に復帰。 十月:意外と仕事が続く。 十一月:ヒマ。レンタルビデオばっか見てた。 十二月:意外と仕事してたが、月半ばで早くも仕事納め。 今年も年内は休まず営業します
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[馬連]6-9 [馬単]9>6 [三連複]6-9-12 ![]() 今年も年内は休まず営業します
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年俸査定に実績を加味するのも、上がりやすく下がりやすい人件費の性質も、まあ理解しよう。選手生命だって長いわけじゃないんだから、稼げるうちに稼がないといけないし、税金だって前年度の収入で持っていかれるんだから、急に半減とか言われても困るだろう。だから、守られてはいる。ケガで1年ぐらい試合に出てなくても、前年度の実績からの減俸で給料は出る。ゼロにはならない。まあ、野球選手はともかく、同じことは日本の会社員にも言えるわけで、その給与体系というのは、不公平というか過保護というか、その妥当性を問いたいのだ。 おれなんか、仕事しなけりゃ仕事しないぶん収入ないからね。当たり前だけど。仕事したぶんの収入しかない。そもそも会社員の給料が会社から出るもの、みたいな認識がおかしいと思う。給料の出どころは会社ではなく、各社員が生みだした利益(売り上げ)であるはずだ。個々人の生み出した利益の総体を全体の利益としてまとめた上で再分配して、誰もが一定額の収入が保障される組織なんて、社会主義社会ではないか。経済にはうといので、保障額をゼロにしろとか乱暴なことは言わないが、歩合制とか出来高制みたいなの取り入れて、少ない保障額から上積みしていく、とかいう給与体系にできないものか。給料に増減がないと、ニンゲンなんて仕事しないでしょ。大企業なんか無駄に高い給料出してるんだから、見えない不良債権化してる社員がいっぱいいそうな気がするのだが。 しかし、おれなどがあまりにずさんな環境で労働しているのも事実なわけで、請求しそびれたギャラとか返ってこない立替金とかを考えると……、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。まあ、会社員の給料には、毎日会社に通うためのガマン料なんかも含まれるのかもしれないが、ガマン料もらっても毎日会社行くのがイヤなら無職を選べ、と。で、選んでしまったおれは日本ハムの高卒ルーキー、ダルビッシュよりも年収低いわけですが……。おれも不良債権になりたい。 今年も年内は休まず営業します
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![]() 1986〜87年広島に在籍。打率218.本塁打38で87'のホームラン王。 今年も年内は休まず営業します
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一方、16bitやら12bitやらといったオーディオのビット数は 、アナログ信号をデジタル変換するとき、信号を何段階の数値で表現するかを示す値です。この値が高いほど、元の信号に忠実な音質を再現できますが、データ量はその分増大します。この信号を近い値に置き換える作業を量子化といいます。例えば量子化ビット数が8ビットの場合は、得られた信号を0〜255の256段階の数値で表現しますが、これが16ビットになると0〜65535の65536段階で表現するため、8ビットの場合よりも細かい違いを表現できるわけです。因みに、音楽CDは16ビット、DVDは24ビットまでサポートしています。 AD変換(アナログ-デジタル変換)のときの横軸のデジタル化がサンプルレート、縦軸のデジタル化がビット数、と考えれば理解しやすいと思います。この「デジタル変換」というのは人間が普段目や耳で知覚している映像や音声が、カメラやマイクなどの機器を通じて、テープやディスクに記録されること、と考えれば、イメージできると思います。 最後ににビットレートというのは、1秒間に転送できるデータ量のことで、単位はbps(bits per second)、つまり、ビット毎秒です。DVDの映像作品を例にすれば、こうなります。 ビデオ用語辞典(写真工業出版社)、 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 IT用語辞典 e-Words 今年も年内は休まず営業します
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大杉栄は大正時代のアナーキスト。無政府主義者である。伊藤野枝はその妻、というか愛人。大杉は無政府主義者だけあって、恋愛も自由恋愛主義。妻の堀保子と結婚生活を続けながらも、以前から神近市子という愛人がいて、そこに伊藤野枝が加わってきた、という四角関係。既に野枝は故郷福岡で親の決めた相手と一度結婚していたが、間もなく家を捨てて出奔。上野高等女学校時代の恩師の辻潤と同棲。二児を設けていた。つまり、二度、家を捨てているのだ。 映画の中で大杉は、3人の女性と付き合うにあたって、3つの条件を出している。1つ、互いに経済的に自立する。1つ、互いに別居する(大杉は誰とも同居しない)、1つ、互いの自由を尊重する(これには性の自由も含む)。ある意味、都合のいい条件だ。実際、自由恋愛論とかを言い出した頃には、見限る同志も多かったようだ。当時、大杉は政府に睨まれ、集会を開けば即中止、本を出版すれば即発禁という感じで文無しの困窮。経済的には東京日日新聞の女流記者であった神近に依存しており、いわばヒモ状態(全然、自分の出した条件に反している)。だが、経済的に支援しているにも関わらず、大杉は野枝に傾いていた。いびつな四角関係に耐えかねた神近は、ついに大杉を刺し瀕死の重傷を負わせる事件にまで発展する。その後、神近は殺人未遂で入獄、大杉は妻の保子と離別し、野枝との共同生活を始める。大杉31歳、野枝21歳。当時、野枝は平塚雷鳥主宰の『青鞜』に参加しており、途中から編集・発行を受け継いでいたが、大杉のさらなる困窮のあおりを受け廃刊。因みに、神近も以前『青鞜』に参加していた。 野枝は大杉との間に5人の子供を設ける。名前の付け方もアナーキーで、長女は魔子(のち真子に改名)。次女はエマ(のち幸子に改名)、三女はエマ(のち笑子に改名)、四女はルイズ(のち留意子に改名)、長男はネストル。どういう意図で名付けたのかわからない。特に二女と三女。あとで改名するのに同じ名前付けてるし。 そんな無茶苦茶な2人の末路は1923年9月1日の関東大震災の日。東京府に戒厳令が出されたどさくさで憲兵大尉・甘粕正彦に拉致され、憲兵隊構内で夫婦共々虐殺されてしまったのだ。3回の結婚をし、7人の子供を設けた野枝の生涯はわずか28年であった……。 事実の羅列だけでもおもしろそうなネタだと思うのだが、意外と取り上げられていない。この吉田喜重の映画の他、『美は乱調にあり』というタイトルで瀬戸内寂聴が野枝の伝記として小説化、『美しきものの伝説』というタイトルで文学座が同時代の周辺人物の群像劇として舞台化している。因みに映画は、3時間近くあり長い。大正と昭和が交錯する構成になっているが、ほとんどが動きのないダイアローグ。個人的には、細川俊之の大杉栄はイメージ通り、というかイメージ以上にいい感じなのだが、岡田茉莉子の伊藤野枝がイメージと違うんだよなあ。まあ、吉田喜重の妻という背景があってこそのキャスティングなのだろうが。 今年も年内は休まず営業します
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「他に知らないから」という消極的理由によって、小さな村が点在するという惨状は、縦割り行政というか縄張り争いというか島国根性というか、まあ、都合の良い言葉で説明するつもりはないんですが、なぜ「もっと最良の相手はいないのか」という発想にならないのでしょう? 情報の共有と言いましたが、状況に応じて適材適所に人を使い分けるための情報というのは、それこそ人材バンクのようなシステムに行き着くしかないでしょう。各自の得意分野や特殊能力のプロフィールをデータベース化して、「タウンページを見て電話したんですが」みたいなノリで、ブッキングされる、とか……。 と、ここまで書いて、これじゃあまるで出会い系サイトじゃないか、と思いました。「どこかにもっと最良の相手がいる」という幻想に対する解答が、出会い系サイトだとすれば、幻想は幻想なのでしょうか? しかし、出会い系サイトなどというのは、恐らく極東の島国の局所的な現象であって、結局、ある一定の枠内での出来事だとすれば、どうしても、その枠の外部に思いを馳せずにはいられません。となると、当然出会い系サイトは世界中を網羅することが求められます。結婚50年間幸せに暮らしてきた静岡のみかん農家のおばあちゃん(87)が、急にウクライナの炭坑夫(21)と駆け落ちしたりするのは、もしかしたら論理的帰結として起こりうる事実である、という認識が万人に行き渡ったとき、出会い系サイトは、真の出会い系サイトとなるはずです。 えーと、何の話でしたっけ? しかし、これは仕事相手に限らず、友人、愛人、文通相手、バンドのメンバー募集に至るまで、広く一般論としても言えるわけで、ニンゲンは常に供に行動する相手を探しているが、現実としてひどく限定的な中から、その相手を選択せねばならない。地球上の全人口を考えれば、もしかしたらベストチョイスを引き当てているのは確率論的には少ないかもしれないのだ。今あなたの隣りにいる人が最良の選択かどうかという疑問・不安が、出会い系サイトから毎日送られてくる「迷惑メール」の送信者なのだ。ある意味。 いや、だから出会い系サイトはどうでもよくて、いや、どうでもいいってこともないが、とにかく、狭い村の外部への意識が、たとえ妄想だとしても、妄想すらない人々が多いのではないか、と日頃思うわけです。ある意味。 今年も年内は休まず営業します
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明日はトレーニング行こう。 今年も年内は休まず営業します
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おれがコアなラジオっ子だった中高生の頃、深夜1時から3時までは、だいたいニッポン放送のオールナイトニッポンを聞いていたものだ。それでもなお眠れないときには、チューニングをTBSの「歌うヘッドライト」に変えたり文化放送の「走れ歌謡曲」(もちろん「歌うヘッドライト」の亜流)に変えたりすると、退屈なトークとたるい演歌の波状攻撃で、いつの間にか眠ってしまっていた。時にはFENの英語を流しておくこともあったし、ノイズの交じった中国語を流しておくこともあった(因みに、FENは「Far Easten Network」の略で極東駐留米軍向けのラジオ局である)。まだかろうじて深夜が特殊な時間であった頃の話だ。 だが、おれも大人になった。いまや深夜は特殊な時間ではなくなった。夜が終わって朝が来ても、新しい1日が始まるとは限らない。学校へ出かけるわけでも仕事へ出かけるわけでもない。朝までに無理に睡眠をとる必要はない。眠れなければ昼間眠ればいいだけの話だ。何者かに身柄を拘束されている昼間の時間があってこそ、自分だけの深夜の時間が特殊性を持つ。つまり、自由になれた気がした15の夜には、何かしらドキドキする可能性を秘めていたはずなのだ。だが、何の抑圧もない状態では、深夜であろうと昼間であろうと時間は均質化してしまう。抑圧がないと自由を感じられない。目の前の自由を持て余してしまう。己の精神と肉体を何者かへ駆り立てる衝動も対象もない。それを無気力と呼ぶなら無気力かもしれない。 今夏にふらふら旅に出て以来、時間的には比較的余裕があったはずだが、その間おれは何か成し遂げたのか?と。おれは問いたい。小一時間問いつめたい。「自由の刑」ってこういうことかしら?サルトル先生。読んだことないけど。そして「歌うヘッドライト」は何だったのか? 今年も年内は休まず営業します
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