【家族の肖像】米国留学曼荼羅−25

私が最初に入った寮は夏休みということもあって、それほど学生が住んでいなかった。
そしてこの寮が私のアメリカ生活の出発点であった。

ジムはネイティブ アメリカンであった。
身長190cm体重200kgはあろうかと言う巨漢であり、ベッドに寝るとスプリングが完全なまでに圧縮されてしまっていた。そして寝る時はいつも決まってパンツ一丁であり、しかもパンツがヨレヨレなのでケツが丸出しであった。その寝姿は"海岸で寝そべるアザラシ"と何ら変わりは無かった。ネイティブ アメリカンには様々な社会保障が行われており、大学の授業料もとてつも無く安かった。彼は将来小学校の教員になることを目指しており、時々リコーダー(縦笛)の練習をしていた。これがまた笑える光景で、まるで爪楊枝を吹いているようであった。

ジムがルーム メイトになったのは偶然であった。当時英語学校に通うことになっていた私を含む数人の日本人は、寮の責任者に対してルーム メイトの指定をしていた。英語を習いに来たのに日本人がルーム メイトでは具合が悪いので"日本人以外"を希望したのだ。確かに他の日本人はアメリカ人がルーム メイトになったが、私だけネイティブ アメリカンであった。別に私は英語が話せればどうでも良かった。ネイティブ アメリカンには独自の言語があり、話す英語にはアクセントがあった。

ジムは酒を飲むとケンカを始めてしまうらしく、時々顔面を腫らして部屋に戻って来た。彼は巨漢に似合わず心優しい男であり、ケンカを自ら売るようなマネをするとは思えなかった。恐らく酒場で人種にからんだ問題で激昂したのでは無いかと私は思っていた。あまりに痛そうに唸っているジムを私が見兼ねて寮の地下にある冷蔵庫から氷を持って来て冷やしてやると、彼はいたく感激して涙を流しながらそのデッケー手で握手を求めて来た。
「ジムわかった。どうでもいいけど手の骨が折れそうだ」
私は苦痛に顔を歪ませて懇願した。

そこに3ヶ月いた後、次の寮に移った。
この寮が悪名高い寮である。最初のルーム メイトは以前に書いたコカと言うナイジェリア人であった。このルーム メイトに懲りた私はキースをルーム メイトとして他のウィングに移った。

このウィングに居住している学生はすべて大学生であり、私だけが英語学校の学生であった。ディーノ&ニーノ ブラザース(実際の兄弟)はイタリア系移民の末裔であり、東部から来ていた。彼らはイタリア野郎の末裔らしく女好きで、しかも美女と常にいちゃいちゃしていた。このディーノが飼っていたのがニシキヘビである。このニシキヘビはまだ子供で、体長は1.5mくらいしか無かった。ディーノはニシキヘビのために寮の部屋を改造し、強烈な電球を取り付けてニシキヘビの体温が下がらないように気を遣っていた。

その反対側に住んでいたのがアレックスだ。
こいつは医学部のインターンだか大学院生であり、週末の夜になると女漁りに出かけていた。彼はこのウィングのドクターであった。ウィングの誰かが風邪や病気になると抗生物質やわけのわからない薬を持ってきてくれた。ただ彼の欠点はナンパを終えて帰って来ると、女の子のパンツの中に突っ込んだ手の匂いを他人に嗅がせる趣味を持っていたことであった。

その隣がダグラスだ。
ダグラスは身長160cmくらいとアメリカ人にしてはかなり小柄な白人であった。彼は水道修理を得意としており、共同シャワー ルームの水回りが壊れた時にはダグラスを呼んだ方が早かった。この男がくだらない事が大好きであった。他人がウンコしてる所にバケツで水をかけまくる事が彼の極上の喜びであり、1日1回は必ず被害者が出た。 ダグラスはまた、"テニス ボール射出機"を製作して寮に隣接する駐車場で飛ばして遊んでいた。これはテニス ボールの缶を6つくらい連結し、中にオイル ライターのオイルを入れ、テニス ボールを突っ込んで点火して飛ばすものであった。これがまた40mくらい垂直に飛ぶものであった。

ダグラスの隣はR.Aのパトリックだ。
パトリックはそのウィングで一番の年長であり、R.Aの特権として2人部屋を1人で使用していた。彼はディーノが飼っていたニシキヘビのことを黙認し、ディーノ&ニーノが廊下でホッケーをやっていても何も言わなかった。彼は話のわかる男であった。実は私がシェービング クリームを頭からぶっかけたのはパトリックの前任者のクソ真面目な野郎であり、このウィングは手に負えないとパトリックが後任に任命されたのでは無いかと私達は想像した。

その隣がネイサンだ。
彼はこのウィング唯一の黒人であり、大学がある地元の出身者であった。彼は小柄であったがそのチ●コは巨大であり、人間のものとは思えなかった。ウィングで一番の巨根の持ち主だった。私はシャワーを浴びているところにネイサンが入って来るといつもガックリ来ていた。"固さじゃ負けねぇぜ!"と言ってはみたものの、それもどうだか怪しかった。

ネイサンの対面にはアラビア人留学生が2人して住んでいた。
彼らは何だか知らないが排他的な態度の学生達で、早朝からアラビア音楽をデッケー音量で流してウィングの学生達の怒りを買った。元々彼らは考え方がかなり異なるのでウィングの学生達は相手にしてなかった。しかし迷惑がかかるとなれば別である。だが宗教が絡んでいるので、寮長に言ったところでかなりモメそうだった。現に彼らはR.Aのパトリックの言うことには耳を貸さなかった。

彼らが日の出前の決まった時間にシャワーを浴びることを発見したのは私だった。どうやら彼らは他人に裸を見られるのが嫌いらしかった。彼らはこの時以外はほとんど部屋にこもってるか、出かけていた。何かやるならこの時しかない。これを聞いたウィングのアメリカ人学生は、"アメリカ人の偉大さを見せつけてやる"と息巻いた。そして計画が練られた。

早朝、いつものように彼らは人目を避けるようにシャワーを浴びていた。私達は徹夜をして待機していた。
「よおし、やるなら今だ!」
合図とともに刺客が送りこまれた。悲鳴にも似た声が上がった後、その2人はシャワー ルームから飛び出してきた。私達は大笑いしながらそれを見ていた。送り込まれた刺客は全裸のネイサンだった。その後、アラビア音楽は流れなくなった。

そして最後が私とキースが暮らす部屋であり、その対面にはスティーブとアンディが住んでいた。
この2部屋がこのウィングの"諸悪の根源"であり、特にスティーブと私はマークされていた。私がマークされたのはシェービング クリームの一件からであった。最初はこの2つの部屋を仕切るドアが廊下に取り付けてあった。つまり2部屋は他の部屋と隔離されていたのだ。そしたらある時、廊下の仕切りドアが外された。これなら廊下から私達の行動を監視することができるようになるからだ。

…続く…

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