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【家族の肖像】米国留学曼荼羅−26 |
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R.Aに目をつけられようが何しようが私達には関係無かった。スティーブは傍若無人に暴れ回り、それを止める人間はどこにも存在しなかった。この男を止めるより相手にする方が数倍面白い話であり、現に私とキースは常に相手をしていた。 スティーブはただの乱暴者かと言うとそうでも無く、初めて見る日本人を面白がって発音の特訓をしてくれた。彼は"わかった振り"や"中途半端な発音"を絶対に許さない男であった。私達の部屋に入って来ると"負け造、Rallyって言ってみろ!"と、私ができるまでしつこく言わせ続け、言えるようになると"今度はLarryって言ってみろ!"とこれまた発音ができるまで開放してくれなかった。この間数ヶ月は日本語をほとんど話さない生活が続き、ついには夢に出て来る人間達まで英語を喋り出した。しかも私の理解できない英語である。 スティーブは異常に弁が立つ男であった。大学のスピーチのクラスではぶっちぎりのAを獲得していた。私がスピーチのテストがあるので話し方を教えてくれと言ったら延々20分間も話し続けた。ジョークを交え、まるで見て来たかのように雄弁に話し続けた。事実彼はその雄弁さとユーモア、そして外見で映画の端役(フットボール選手の役)で出演したこともあった。 キースはキースで相変わらず日本のアイドル歌手の歌が大好きであった。しかし好きな音楽のジャンルはバラバラで、ある時はチャイコフスキーにはまっていた。聞いていた曲は"1812"で、これには大砲の音を真似たドラの音が入っていた。しかしキースはこれに飽き足らず、本物の大砲の音が入っているバージョンを買って来た。これがまた強烈な音であった。キースは寝る時にヘッドホンをしてこの曲を聞いていたのだが、大砲の音が鳴るとキースは寝ながらベッドからジャンプしてしていた。キースの上のベッドで寝ていた私は、このおかげで♂♂に追いかけられる夢を見てベッドの上段から床に転げ落ちたことがある。 その後、キースとアパートに住み出した。 大学に入ってバラ色かと言うとそうでも無く、レポートや小テストで毎日追われまくった。この頃、スティーブはシカゴに戻って地元の大学に通い始めた。そして大学に慣れ始めた2年後くらいから私はギャンブルと車で遊ぶようになった。 ある時、Fの借家で若い連中とブラック ジャックをやっていた。貧乏人(私を含む)がいたのでレートは決めていないもののせいぜい$30くらいが上限であった。現金だと面倒なので、チップを代用してゲームをやっていた。 「負け造さん、親引きますか?」 「いいぜ、続行しよう」 そしてゲームが再開され、Wの張る順番になった。 「よぉし、調子が出て来たぞ。それじゃあ$600!」 もう、すでにこの状態では親を降りるわけにはいかなかった。親を降りたら絶対に負けを取り戻せない。 「負け造さん、バーストですね。ははは」 (やっべー、$4000も負けてるぜ…) 「さてと、そろそろ潮時だな…」 私はFの家から帰る車の中でタバコをふかしながら思っていた。 |
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