「葦牙ジャーナル」60号(2005年10月) 巻頭言

みだりに悲観もせず、楽観もせず

 
 郵政民営化法案の参院での否決に始まった今回の解散・総選挙は、小泉自民党の圧勝という最悪の結果に終った。
 解散が噂された頃にこの結果を予測した者は誰もいなかったろう。むしろその時点では自民党の敗北が予想され、民主党は政権交代のチャンスと色めきたったほどだった。
 それが予想外の展開をたどったのは、小泉純一郎のマスコミを通じてのパフォーマンスが有権者、特に、これまで政治に無関心だった都市若年層、に広く受けいれられたからといっていい。結果として、自民党は衰退が続いた都市部でも民主党を圧倒し、単独過半数を大幅に上回った。

 これは、小泉政権の構造改革により一番不安定な立場においやられた弱者が、その小泉政権を支持するという一種のパラドックスである。が、犠牲を強いられる弱者の怨念を「既得権にしがみつく公務員」に向けさせることで、また、弱者の期待に応えられる強いリーダーを演出することにより、小泉純一郎はこのパラドックスを可能にした。
 社会の閉塞感といい、知的・道徳的無秩序といい、何やらヒットラーが登場した時代に似てきたとはいえないだろうか。小泉純一郎といえば、とかく戯画化の対象になりやすい浅薄な政治家というイメージが強いが、なかなかどうして決して侮ってはいけない危険な政治家である。

 こうなったについては民主党の責任が一番大きいが、国民に責任を負う共産党も「善戦・健闘といえる」などと自賛している場合ではないだろう。毎日新聞の調査(9月12日)によれば、今回当選した議員の84パーセントが改憲に賛成だという。
 民主党の前原新代表は集団自衛権も認める改憲論者である。こんな時こそ、広津和郎の「どんな事でもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く」散文精神、
もしくは「必要なのは、最悪の恐怖を前にして絶望せず、ばかばかしい言動にも熱狂しないような、節度のある、忍耐強い人間をつくることである」としたアントニオ・グラムシが好んだロマン・ロランの言葉、「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」、を胸に刻んで闘いを続けることが求められている。
(牧 梶郎)