「葦牙ジャーナル」64号(2006年6月) 巻頭言

歴史のなかの芸術家―モソロフとラウホアイゼン

 『ロシア未来派』と題された5枚組のCDの最初の一枚を「なにげなく」聴き始めて、強固な意志で護衛された感性が鮮やかに閃き続けるピアノ作品に、わたしは文字通りわれとわが耳を疑った―作曲者モソロフの名は、不覚にもわたしにとってははじめてのものだったからである。

 ファシズムへの傾斜を強めて消えていく「イタリア未来派」とは異なり、「ロシア未来派」は、ロシア・アヴァンギャルドの旗手たちの悲劇と運命をともにする。モソロフは、1937年末に逮捕されて8年間の収容所送りを宣告され、「転向」して1973年まで生き延びるものの、若き日に輝き出た、ショスタコーヴィッチにも劣らなかったであろう才能は、ついに開花せずに終わる。

 ミヒャエル・ラウホアイゼン―ハンス・ホッターの戦前の『冬の旅』の伴奏者として、かすかに記憶の底にはあったものの、CDにして66枚、一千曲を越えるドイツ歌曲のSP録音を残す名ピアニストであったことついては、わたしはまったく無知であった。
 解説によると、ナチス・ドイツのベルリン放送局の歌曲・室内楽部門の部長の役職にあった彼は、当時の代表的なドイツの歌い手たち(ユダヤ系および政治的に「好ましくない」歌い手は排除される)とともに、ドイツ歌曲を録音する大プロジェクトを遂行する(メンデルスゾーンのようなユダヤ人作曲家や、ユダヤ人詩人ハイネの詩による作品は排除されたがゆえに、たとえばシューマンの『詩人の恋』は含まれていない)。
 しかし、戦後、一貫してナチスの党員であったカラヤンでさえも文化産業の「寵児」となり、かつて彼とともに録音した歌い手たちが、バイロイトやウィーンで圧倒的な支持を得る一方で、稀代の名伴奏者は、二度とふたたび音楽の表舞台に立つことはなく、1984年に世を去る。

 もとより、芸術家は、与えられた歴史的瞬間のなかでしか生きることはできない。たしかに、スターリニズムが天賦の才を窒息させたモソロフと、ファシズムが「パトロン」であったラウホアイゼンとでは、道筋は逆である。とはいえ、ともに数十年にわたって不遇の日々を過ごさざるを得なかった二人の天才は、どのような思いでそれぞれの死を迎えたのであろうか。   (照井 日出喜)