「葦牙ジャーナル」65号(2006年8月) 巻頭言

8月・生と死と

 暑い8月がやってきた。8月は人びとの体験と記憶に、多様で複雑な姿態をみせて沈着している。
 長崎で73年に生れ、育ったという鹿児島大学助教授西村明氏が「国のための死」をめぐってのインタビューに応えている記事(7月10日付『朝日』夕刊)を、私は印象深く読んだ。

 氏は「宗教学の博士論文の執筆」過程で、「長崎での原爆死者慰霊の変遷を調べるうちに、靖国神社」をめぐる遺族たちの心情と「向き合うことになった」という。氏はここで、原爆や戦争で亡くなった死者たちの「死に意味を与えたい」という思いに駆られた遺族が、「国のための死」という意義=価値づけを求めることになるプロセスを、当時の長崎医大生たちの遺族の運動を例に挙げて述べている。学生たちには「急いで軍医を養成する必要」から「夏休み返上で授業が行われていた」。その頭上に原爆は炸裂した。「約9百人の学生のうち535人が死亡」する惨事であった。この惨情は、林京子『祭りの場』にも描かれている。

 「息子の死」を哀惜する遺族の情は、その死に意味を与えたい、「国のための死」であることをひろく認知させたいという運動に集約される。遺族による靖国合祀要求の主動機がここにある、と氏は指摘する。息子たちの生を断ち切った戦争を起し、主導した国や為政者たちの責任を問う、というよりは、息子たちの死に意味と権威をもたらすものとして国や為政者を位置づける。そこに至る情意はどうあれ、「息子の死」は為政者たちの恣意に委ねられる。

 氏はこうした成り行きの主因に「死者たちが『どのような思いを抱いて、どのように生きていたのか、なぜ死ななくてはいけなかったのか……そうした個々の死者への想像力を、戦後社会』が欠落させていた」と指摘している。死のためにしか生はない、といううら哀しい観念がかつてのこの国の戦争を支えていた。
 この8月は、人びとが生きる意味を自らの裡に、確かに据え直す機会にしたいものである。
(上原 真)