「葦牙ジャーナル」66号(2006年8月) 巻頭言

わが「団塊の世代」の罪

 団塊とはマッスすなわち、「大衆」という意味と同じである。「マッセズ」とはその昔アメリカの左翼文芸雑誌の名前であったが。
 戦後ベビーブーム世代と呼ばれたわれわれは、まもなく社会の「第一線」から撤退する。
団塊世代がたどった日本社会の変遷と現在の到達点をみると、われわれは何をしてきたのかという、日暮れて慚愧の念に耐えない。

 小学校の頃は、教室は60人近く詰め込まれ、今の30人学級の倍くらいいた。軍隊帰りの教師がビンタを食らわせるということも当たり前であった。中学では、良い教師と生徒たちから思われていた人たちが,、学テ反対、安保反対で、学校からいなくなったりした。高校時代にはベトナム戦争が憂鬱な膜のように心の中に張ったが、クラスの全体の雰囲気は大学受験路線であった。少数の左翼の若者にとっては勉強よりも間近な革命への挺身という命題があった。

 「学生運動」については懐かしく振り返る人が多い。しかし1968年のパリ五月革命のように、神田カルチェラタンは労働者運動や社会運動には連結しなかった。
 「奴は敵だ、敵を殺せ」という傲岸なスローガンが「トロツキスト」やその支持者の「知識人」から発せられ、やがて自壊した。「革新時代」の高揚が一時あったものの70年の安保改定や沖縄返還あたりから、「左翼運動」の活気は薄れていった。

 団塊世代は青春時代に社会的喧噪を楽しみ、その後社会人となってからは君臨する年上世代と、後から登場する「新人類」の間で、独自の有効な社会政治方法を作り出せず、社会的イニシャチブをとることがなかった。

 日本は55年体制崩壊から一挙に新自由主義的体制に社会転換しつつある。
今、コミュニケーション機能を重視しない新型政治の二番手である新世代の安倍政権が登場した。

 しかし、団塊世代も真に社会的コミュニケーションを重視したのであろうか。
団塊世代はパンに挟まれたしなびたレタスのように、むなしく社会から退場し「高齢化社会」のお荷物扱いされようとしているのである。   (石塚秀雄)