「葦牙ジャーナル」68号(2007年2月) 巻頭言


「あいまいな日本の私」と「美しい国、日本」の私

 安倍首相は「美しい国、日本」をつくっていくために「改正教育基本法」と「防衛省昇格法」の成立は「戦後レジーム」から脱却する大きな第一歩になった、といった。

 B29戦略爆撃機の焼夷弾爆撃で、一夜あけた焼け野原に佇んだ私は、当時中学(旧制)二年だった。
 敗戦まもない教室で、「アンシャン・レジーム」という語が「1789年のフランス革命前の絶対君主政およびこれに対応する封建的な社会体制」を定義することを知る。安倍が使う「戦後レジーム」という言葉は、そのときの新鮮な感動を甦らせたのだ。
 主権が天皇から国民に移るという「法的革命」以前の旧体制と、戦後体制を峻別するのにこの「アンシャン・レジーム」ほど明瞭な言語はないと私には思えたのだった。だが、戦後も「あいまいな日本の私」と大江健三郎もいっていたように、戦争責任を曖昧にし象徴天皇制を温存し沖縄に犠牲を強いる構造を抱擁し(抱きしめ)たあいまいな(両義性)体制だった。

 それにしても、この体制から脱却する安倍政権の第一歩が、思想、信仰、道徳などは個人的な事柄としてその自由を保証してきた従来の教育基本法の立場を棄てて、公権力が「私」の内部に侵入し、個々それぞれの生き方を国家的なものに合一・統治する力の行使を「法的に保証」という「改正」であり、米新戦略に呼応して文民統制から脱却し制服組台頭への道を開く「昇格法」だったとは、国民をなめるにもほどがあるとしかいいようがない。

 もとより安倍の「美しい」という言葉は、こうして、戦後の国民主権体制に対抗し戦後民主主義を敵視する「法的反革命」的な「私」を偽装する日本語以外の何ものでもないのである。 (山根 献)