「葦牙ジャーナル」72号(2007年10月) 巻頭言
8月15日に繰り返される思い
2007年8月15日、私は京都駅の待合室で列車待ちをしていた。正午の時報とともにテレビで千鳥ヶ淵での戦没者慰霊式典の中継が始まった。君が代斉唱のあたりで私は不快感に堪えきれず、冷房で快適なこの場所を離れた。
私の心の葛藤は大抵はこの不快な行事が引き金になって始まる。私は1945年のこの日の消えかかった記憶を呼びおこし、綴り合わせてあの日を再現しようと試み、あの戦争が私にもたらしたものを考える。
私の家族はその一カ月前の空襲によって肉親をなくしたばかりか全財産を失って貧窮のどん底に突き落とされていた。もう米軍機の執拗な攻撃はないと安堵し、埋めていた数個の茶碗を掘り起こした。
なぜ食器などといぶかる人も多い。奇妙で尋常ではない衝動にかられての行動だったともいえる。いずれにしてもそれしか埋めるものがなかったのだ。
60数年前の記憶を綴り合わせながら私は、指導者たちが民の悲惨に謝罪もせず、何の補償もしなかったことにひとりで憤激する。広島、長崎、沖縄等の例を除けば、戦争の惨禍を記録するモニュメントすらないではないか。執念深いと言われるかもしれないが、憤激を反芻し持続しなければ、戦争の惨禍は消し去られてしまう。
千鳥ヶ淵は戦死者慰霊の場であることはよく承知している。だから私は戦死者だけの慰霊に抵抗しているのだ。
しかしそのこととは別に、私は「戦没者」には殺戮された民も含まれると理解していた。この理解が通常とは違うことを辞書を引いてはじめて知った。ごく最近のことだ。
この拡大解釈は間違っておらず、解釈として定着すべきだと思う。民の殺戮は「巻き添え」ではなく意図されたものだったことは多くの人が身をもって体験しているし、今も世界中で多くの民がそれを強いられているからだ。
8月15日をただの「終戦記念日」に終わらせてはならす、すべての戦争犠牲者に思いをよせ、恒久平和を願う日にしなければならない。
そうでもしなければ、戦争体験は風化して歴史から抹殺されてしまう。自国の戦争の惨禍を直視することなしには、民の国境を越えた連帯はありえない。洋上で無償提供される油がアフガニスタンやイラクの民の殺戮に使用されていることに無関心になるのも当然といえよう。
(佐々木建)