「葦牙ジャーナル」76号(2008年6月) 巻頭言
面相雑感
近ごろ、乗りものの中などで、それとなく意識してひとの顔つきを観察することにしている。
かつて会田雄次氏は『アーロン収容所』で、日本兵とインド兵を見比べて、インド兵の体格や顔立ちが「まことにりっぱ」であり、「とくにみっともないとか、とくに人好きのしない顔立ちというものはない」と、彼らの面相をたかく評価していた。
それにひきかえ日本兵のなかには、総じて「どうみても神様もひどいことをすると思われる」、「人に好感を与えるところが」少ない「狡猾そうな、あるいは卑屈そうで油断がならない、残忍そうな」顔つきのものが多く眼につくとして、「私たちが」彼らをことさら軽蔑するのは、その姿のよさへの反撥からだと書いていた。
私がひとの顔つきにことさら関心をもつようになったのも、そんな会田氏の言を思い返していたからかも知れない。日本人の顔つきを、猿に見立てた外国人の印象ばなしは広く知られている。
顔つき・面相の話題は、類型化の難を免れ難いが、どうやら日本人は自身の面相にさほど自信がもてないような傾きがありそうだとは、肖像画を挙げてみても大略見当がつくような気がする。西洋人、とりわけ歴史的に名の知れた人の肖像画は、枚挙に暇もないほどであるが、日本の天皇や将軍らの肖像は、たとえあったとしても扉の奥深くに秘蔵されていたりして、人の眼からできるだけ遠ざけられていたりする。
秘匿することで、実見の際の面相の貧弱さが露見するのを避けようとしたのかも知れない。古代ギリシアやルネサンス期の彫刻にみられる肉体・面相の雄渾さ豊満な美しさ、それを人々の前に押し出そうとするような積極的な志向とは無縁である。
メディアの発達で、かつてはあまり人目にふれることのなかった政治家や財界人などの面相が衆目に曝されるようになってきた。会田氏のいう「日本兵」の面相を想起させられる顔も少なくない。昨今、表情の変化に乏しい面相がとりわけ多くなった。「人好きのする立派な顔立ち」は、我々の遺伝子にはないものなのだろうか。
(上原 真)
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