「葦牙ジャーナル」79号(2008年12月) 巻頭言
教えるとはともに希望を語ること
小原耕一
ときは1922年11月13日、ところは氷点下のモスクワ。折から開かれたコミンテルン第四回大会は病み上がりのレーニン最後の演壇となった。軽妙な語り口はいつもと変わらない。「新経済政策」への転換の意味を諸外国の代表たちに熱っぽく説明した。
話題を「世界革命の展望」に切り替えると、レーニンはなんと前大会決議の「欠陥」にふれはじめる。最大の欠陥は何か。それは決議が「一貫してロシア精神」で貫かれていることだった。「あまりにロシア的」で「外国人にはまったくわかりにくい」。いくら翻訳がみごとでも、これでは外国人には理解も実行もおぼつかない。学べ、学べ、学ぶことに成功するなら、世界革命の展望は「有望であるだけでなく、すばらしいものとなるだろう」。レーニンはそう希望を語って演説を終えた。
大勢の外国代議員のなかに、31歳のグラムシもいた。それから十数年後、ファシストの牢獄で彼はそのときの記憶をノートに記した。「イリイチは[おおよそ]次のように書いたか言った。我々はロシア語をヨーロッパの諸言語に翻訳するすべを知らなかった、と」。
それぞれ異なる国および民族の歴史と文化の「翻訳可能性」の問題提起としてグラムシはレーニンの言葉をとらえ返す。変革の道筋は何世紀にもわたる歴史と文化の蓄積の自主的批判的な洞察をとおしてはじめて探り当てることができる。その展望をその国独自の言葉と精神でいかに民衆に語り返すか。ヘゲモニーもそこから生まれよう。グラムシにとって学ぶとは、人類の知恵と経験をいかに「イタリア語に翻訳するか」であった。
ナチスの侵攻と暴虐への抵抗を学生たちによびかけて、フランスの詩人アラゴンはうたった。
教えるとは 希望を語ること 学ぶとは 誠実を胸にきざむこと ……
学問とは永い永い忍耐 だが今 なぜすべてのものが黙っているのか
(大島博光訳『フランスの起床ラッパ』から)
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