そして、僕は懐かしい我が家、レコーディングスタジオへと 帰還したー。前代未聞のコスト・バリューを誇るアルバム“Peace, Love, and Storytelling”のサイドストーリー。

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 その1 事の起こり

それでもおれはいい音で作品を残したい。自分が生きるために!

 これは、僕の敬愛する医師、ブラック・ジャックの言葉「それでもおれは人を治すんだ。自分が生きるために!」のパクリ。アルバム“Peace, Love, and Storytelling”制作のアイディアは、梅もまだ咲かぬ札幌の2月、狸小路2丁目のミュージック・ショップ「音楽処」でのインストア・ライブ終了後、レジカウンター後ろの従業員控え室で生まれた。糞のようなメロディーと詞にゴテゴテと醜悪な装飾を施したCDが粗製濫造される現状についての僕の憤りの弁をひとしきり受け流したあと、店長の石川さんは「でも、『大陸の花嫁にあこがれて』はちゃんとレコーディングし直して、もっと多くの人に聴いてもらいたいわねえ。」と言った。実は同じことを、何日か前に佐木伸誘にも勧められていたのだ。僕は俄然、やる気になった。終戦記念日に間に合うように 大陸〜』をシングルリリースし、新聞社や放送局の心ある人々にプロモーションしたい。そしてあわよくば、加藤登紀子か森山良子あたりがカバーしてくれないだろうか? 「ざわわ〜、ざわわ〜」と、「企画の虫」が騒ぎ出した。
 スタジオ・レコーディング。自分がもう一度そんなことをするとは、札幌に戻ってきた去年の4月には思いもかけないことだった。この10年でレコーディングメディアはデジタル・テープからコンピュータのハードディスクへと移り、ノウハウも様変わりしている。自分に、できるだろうか?
 僕はとりあえず盟友・村上明(今は風味堂と、桜塚やっくん!のゼネラル・マネージャーをしている)に相談してみたが、彼のリアクションは薄かった。スタジオの手配なら、昔なじみのエンジニア、中澤君に頼んでみたらどう?と言い残して彼はせわしない様子で電話を切り、熾烈なザ・芸能界へと戻っていった。中澤君はバースディがもっとも贅沢なレコーディングをしていた頃、サウンドシティという名門のスタジオでアシスタントをしていた。今は独立しているらしい。とりあえずメールで、コンセプトと予算を伝え、返事を待った。
 事態は思わぬ方向に転がった。僕のなけなしの予算で、あのサウンドシティが使えるらしい。もちろん「お友達価格」だけれど、それにしても安い。僕は、向こうがゼロを1個間違えているのではないかと思ったほどだ。すべてのことに理由はある! 理由って何よ! おまえにはまだ早い! わんわん! つまりこういうことだ。コンピュータベースのレコーディングが普及したせいで、アレンジャーもプロデューサーも自宅の小さなスタジオで作品を仕上げるのが当たり前になり、サウンドシティのような大きな商業スタジオは需要が激減、大幅なダンピングを迫られるようになった、と。願ってもないことだ。僕はそれでも清水の舞台から飛び降りる気持ちで、サウンドシティの中で最も広いAスタジオを2日間、ロックアウト(時間無制限のこと)した。あとはミュージシャンのブッキングだ。
 僕は蓄えを使い果たし、ミュージシャンにまっとうなギャラを支払うことはもはや不可能だった。だが、妥協はしたくない。となると、頼めるメンツは限られてくる。心意気でプレイしてくれる、ハートの熱いミュージシャンでなければダメだ。キーボードは片山敦夫か恩田直幸。ドラムは吉原誠以外、考えもしなかった。ベースは根岸孝旨か、札幌人脈から村松義之。そして問題はギターだ。「あの人」が引き受けてくれるだろうか? 以下、続く。


 8時間で4曲

 稲葉政裕。彼の名前は知らなくても、年末恒例のTBS「クリスマスの約束」で小田和正をサポートしている、柔和な髭面のギタリスト、と言えば思い当たる人も多いだろう。彼は、1989年、僕が東京に出て来て初めてバックバンドを従えたとき、その中心になってくれた人物だ。当時彼も福岡から出て来たばかりで、髭はまだなかった。僕がエルビス・コステロをはじめとするパンク・ニューウェーブ以降の音楽に傾倒していたのに対して、稲葉さんはブルースをはじめとするアメリカの音楽に強かった。それは単に知識だけではなく、リハーサルの合間にリクエストすると、スティービー・レイ・ボーンやデュアン・オールマンそのもののサウンドを出して僕や村上を楽しませてくれた。そして、とにかくすべてに不満でしかめ面ばかりしていた僕に「まっちゃんはニコニコしながら歌って、それを見ている人もニコニコしてしまうようなサウンドが合ってるよ。」と言ってくれたのも稲葉さんだ。理屈じゃなく、音楽は楽しむことが基本。それがなければ何も伝わらない。そう教えてくれたのが稲葉さんだった。バースディスーツのレコーディングでは、One To OneとTime is merry-go-roundで稲葉さんのプレイが聴ける。
 ソロデビュー前夜、稲葉さんは翌都立家政の家に僕を招いてくれ、いろいろなレコードを聴かせてくれた。でも、当時の僕にはちょっと馴染まない音楽が多かったのも事実だ。23才の僕にはマイケル・フランクスやジノ・バネリはわからなかった。ジャズのイディオムを多分に含む音楽の良さがわからなかったのだ。グルーヴという言葉の、本当の意味も。
 ところが札幌に帰ってきて、偶然マイケル・フランクスの「アート・オブ・ティー」を聴き直して、彼の音楽が僕が思っていたような「おしゃれなBGMとしてのAOR」ではなく、とてつもない精神の荒廃と怒りの果てにたどり着いた静寂だということが、自然にわかったのだ。それがわかるまで、20年もかかってしまったけれど、今なら僕には歌うべき言葉があるし、それを音楽として表現するすべも身についた。僕はもしかしたら、今なら稲葉さんと対等に向き合えるかも知れない、そう思った。
 僕は稲葉さんのHPにアクセスしてメールを送った。そして何回かのやりとりの後、2007年4月15日のスケジュールが奇跡的に空いていて、その日の夕方5時までならレコーディングに参加してもらえることがわかった。電話の向こうの稲葉さんの声は20年前と同じように優しかった。
 こうして、稲葉政裕、吉原誠、村松義之、恩田直幸という布陣でレコーディングに臨むことが決まった。問題は2007年4月15日の一日だけで何曲リズム(基本的な4つの楽器のこと)が録れるかだ。「大陸の花嫁にあこがれて」をリードトラックにすることは決まっていて、これは恩田さんにアレンジを振って「生ピアノを生かしてノラ・ジョーンズみたいに」とオーダーを出したから、スムーズに行くと思う。あと何曲録れる? 常識的には、リズムは1日2曲が限度。僕もそれ以上はやったことがない。ミュージシャンの体力と集中力が続かないからだ。でも僕は、このメンバーなら何とかなる、と思った。譜面でややこしい指定をいっぱいするのではなくて、最低限の進行とイメージだけを伝えて、あとは思うようにプレイしてもらう、スタジオ・セッションというか、ライブ・レコーディングのような形式で行くつもりだった。稲葉さんにどうしても弾いてもらいたいイメージがあって「若葉の頃」をセレクトした。ぶっちゃけ、ニール・ヤング&クレイジーホースにジミ・ヘンドリックスがゲストで入ったようなギターサウンドにしたかった。これは表のコンセプト。裏のコンセプトは吉田拓郎と青山徹。「落陽」で聴ける、あの熱くも切ないギターサウンド。後で知ったことだが、稲葉さんは拓郎のバックもやっていて、「落陽」のあのフレーズもステージで何度もプレイしていた。歌い手がギタリストを選ぶときに考えることなんて、大体似ているのだ。
 もう1曲は、「2曲だけ歌って下さい」と頼まれて出かけたときに「大陸の花嫁にあこがれて」とセットで歌っている「YEAH, BABY, YEAH!」を。ライブのMCでも言っているのだけれど、これは希望についての歌だ。アルバム(になるかどうかはまだわからないのだが)の1曲目にふさわしいのは、この曲を置いてないだろう、と思った。吉原誠、よっちゃんの叩き出すビートに乗せてこの歌を歌いたいと、ずっと思っていた。
 朝8時に集まって、夕方5時、稲葉さんが帰るまでに3曲。これが限界だろう、と思った。だが、稲葉さんが帰った後で、ピアノトリオでもう1曲、と欲張って、「ダンスフロア」を書いた。結果、この曲のレコーディングがいちばんいい感じになったのだから、音楽は面白い。ともあれ、賽は投げられた。あとは、当たって砕けろ、だ。


 君が人生の時

 とにかく、レコーディングは楽しかった。メンバーを決め、選曲した段階でほとんどのアレンジは終わったも同然だった。後は音楽の神様に身を任せ、グルーヴを感じて演奏するだけだった。稲葉さんが5時に帰っていき(稲葉さんはジミヘンのTシャツを着てきてくれた。そんな心意気がうれしかった)、いささかぐったりしたメンバーを叱咤激励して「ダンスフロア」のリズムを録り終えると時計は10時を回っていた。翌日は恩田さんと2人でキーボードとアコギ、そして歌入れ。本当は初日のリズム録りで歌った仮歌をそのままOKテイクにしたかったくらいなのだが(エンジニアの中澤君はそれでもいいと言ってくれた)さすがに少しは丁寧に歌いたいところもあったので、若干歌い直した。基本、歌は部分的なパンチインはせず、ツルッと歌った。バースディスーツ後期からはほとんどこの方式。歌は直さないままの素に勝るものはない。僕の場合は。
 さて、こうして2日間で4曲分のリズムとダビング、歌入れを済ませたのだが、問題はミックスダウンをどうするかだった。現在、レコーディングはPCベースで行われ、ミックスダウンもPCの中だけで完結させようと思えばできるし、その方が予算はかからない。でも、これだけ良い演奏が録れてしまうと、最高の音に仕上げたいという欲が出てくる。僕は考えた末、予算はすでに尽きていたが、あと2日、スタジオをおさえて、ちゃんとしたコンソールを使ってミックスすることにした。またまたエンジニア中澤君には泣いてもらわなければならなかった。彼は1週間ほどあちこちを探し回り、NEVEというコンソール(ミキサー卓)がある、千葉のMCJというスタジオを破格でブッキングしてくれた。こうして僕は、京都RAGのライブを終えると東京に取って返し、5月14、15の両日、ミックスダウンに立ち会った。
 通常、ミックスダウンはだいたいの方向性が出るまではエンジニアだけで行い、アーティストはそれまでブラブラしていていいことになっている。2日目、東京メトロ東西線・原木中山駅についたのは午後2時。中澤君と約束した時間まではまだ3時間ある。僕は雨の駅前通りを散歩し、目に付いたトンカツ屋に入った。ちょっと考えて、僕はビールのジョッキを注文した。バースディ時代には考えられなかったことだ。ボイルド・ソーセージをつまみに僕は霜のついたジョッキのビールをごくごくと飲んだ。こんなにうまいビールは10数年ぶりだと思う。かまやしない。このプロジェクトのプロデューサーは僕なのだ。何の遠慮が要るものか。自分の作り出した音楽と、自分の選んだスタッフを信じよう。今回のミックスダウンだけは、あらゆるしがらみから解き放たれ、音楽が求めるままの仕上がりにすればいい。僕はミックスフライを注文し、ビールをもう一杯飲んだ。浜田省吾の「君が人生の時」という古いアルバムのタイトルが浮かんだ。このアルバムを聴いたことはない。ただ、このタイトルだけが、ずっと頭の中に残っていた。「君が人生の時」。そう、今こそが、僕の人生の時なのだ。
 


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