「いい喫茶店があるのよ」と言われて親戚のお姉さんに連れて行ってもらったのは、
今から20年近く前になります。函館公園の大樹の緑を借景にして、そのお店は静
かに佇んでいました。谷地頭へ向かう道路に面して4−5台の駐車場、サングラス
と髭の紳士の絵に「想苑」「SOEN」と書かれた看板が何か強烈な哲学を語りかけ
ています。
階段を少し上がると横に細長い平屋の建物。真ん中が玄関とレジ、左側の部屋に
はゆったりとしたソファセットが8卓ほどとおびただしい枚数のレコード、 右側の部
屋には大きなグランドピアノといくつかの椅子そしてトイレがありました。
クラシックが流れる木目調の店内は静謐で崇高な空気に満ち、それを時々乱すの
は木々の間から差し込むゆれ動く光のみ。 看板で見当をつけた通りの、ピンと張
りつめた店主の哲学的な強い意志を店内に感じつつも、この居心地の良さはいっ
たい何なのだろう。
当時高校生だった私は、 それまで喫茶店にはほとんど入ったことはありませんで
したが、「想苑」の魔法のような雰囲気にすっかり引き込まれ、ただ言葉もなく向か
いの木々の緑と、髭の紳士の看板を、時を忘れて眺めていたものでした。
母の郷里である函館には親戚も多く、夏休みには度々滞在する大好きな街です。
その上頭の中から 「想苑」の存在が離れなくなってしまった私は、以前にも増して
熱心に函館通いをするようになりました。
お金はないけれど時間はたくさんあった学生時代、「ホントにあなたはモノ好きね」
と皆に揶揄されながらも、座席しかない(寝台ではない)<急行八甲田>で上野か
ら青森まで12時間、さらに青函連絡船で4時間かけて函館入りすることを常として
いました。
すぐに飛行機に乗ってしまう現在では考えられないことですが、長時間座りっぱなし
のまるで拷問のような旅程に耐え、 やっと函館が見えてきた時の感動はそれはそ
れは素晴らしく充実感いっぱいだったものです。
函館が近づいてくると、 船は函館山を回り込むようにして港に向かいます。 まず、
何となく寂しい断崖の一番はじに船見町の火葬場の煙突が見えてきます。外人墓
地を過ぎたあたりから山麓の緑の合間に人家がポツポツと見えはじめ、やがて元
町の洋館や教会、マンション、とりわけ旧函館区公会堂の大きな西洋館は大変良
く目立ち、 函館に降り立つ旅人を大歓迎してくれているかのよう。そして汽笛が何
回か鳴らされ、船は函館港に着岸します。
ご存知のように青函航路は廃止されてから久しく、 このような体験は二度とできま
せん。 しかしあの多感な時期に何度も通った情景は、今でも少しも褪せることなく
脳裏に浮かびます。
北海道は梅雨がないと言われますが、函館などの南部では梅雨のような長雨と肌
寒さが続くことがよくあります。この時期、関東ではすでに猛暑と熱帯夜に悩まされ
裸同然の暮らしをしていますので、世の中に涼しい場所があるなんて想像すらでき
ない状況になっています。
夏休みに入ってすぐ函館に行くと失敗するのはこの点で、もうとにかく寒い。町には
冷たい風が吹き、細かい雨が降り、何とストーブをつけている時もあるほど。
しかし、この霧がたちこめる裏寂しい港町の風情がたまらなく好きでもあります。
霧(あちらではガスという)の中、 まず亀田川の河川敷を歩き、 中島廉売をブラブ
ラしながら親戚の家に向かいます。
子供の頃、 亀田川は気持ちの良い緑の土手がずっと続いていて、アイスクリーム
を食べながらしばし座り込んで時を過ごすのに絶好な場所でした。 いつの日か護
岸が施され雰囲気が一変した時には大変なショックでした。手付かずの自然が溢
れるイメージの北海道ですが、 いずこも変わらぬ土建屋行政のもと、川や港が必
要以上にコンクリートで埋め尽くされている様子が顕著になり心が痛みます。
また東京資本の進出も盛んで、ニギニギしい店が増えていることも気になります。
便利な生活は住民にとっては欠かせないものでしょう。ただ、歴史が刻んできた落
ち着いた町並みは、壊したら決して元には戻らないかけがえのない財産だというこ
とを少し立ち止まって考えてみたいものです。
などと思いながら、次の日は朝っぱらから 「想苑詣で」。 早くからお店の前で待ち、
店主がパンを買い出しに行ったり、庭を掃いたりする様子を今か今かの気分で待
ち焦がれながら開店と同時に入店します。いつ訪れても哲学的緊張感が漂う店内
ですが、 朝一番の崇高さはまた格別なもの。 何度か訪れるうち、「私の息子は東
京の音大に行ってるの」 などという店主の個人的な話を聞く機会もあり、 また自ら
ピアノを弾いてくれ、感動にむせんだこともありました。
あれから長い時が流れました。観光客から道を聞かれるほど函館市民と同化して
いた私ですが、 就職してからは函館通いもままならなくなりかなりの月日が経とう
としています。
いつ訪れてもその雰囲気は全く変わることなく、 まさに<想う苑>そのもので私を
暖かく迎えてくれた 「想苑」はすでに無く、 店主のおばさんは痴呆になってしまった
と聞きます。
今思うと、 あの時あれだけ函館にこだわり続けたことが、<洋館好き><喫茶店
好き>という現在の私の二大要素を形づくっているに違いないと考えますし、特に
「想苑」に出会えたことは私の喫茶店崇拝の原風景になっています。 そしてどこか
かにあるかも知れない第二の 「想苑」を見つけるために、 今も日々喫茶店を巡り
歩いているような気がするのです。 終わり
P.S. 想苑は2003年末よりおばさんの娘さん夫婦によって営業が再開されている
そうです。
(Thank you for 神馬さん)
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