大仏次郎(おさらぎじろう)邸<鎌倉市雪の下>
猫が大好きだった大仏氏。猫の置物がたくさん飾られています。
*写真と本文とは関係ありません。

『 神奈川県民最大の弱点 』

会社帰りの新橋駅。横須賀線地下ホームを見回しながらいつも思う。
千葉方面に帰る女性はみんなおシャレでカワイイのに、久里浜 (神奈川) 方面に並
んでいる女性はなぜ顔がイマイチなんだろう。顔がイマイチなだけでなく、流行を全く
無視した、現代を生きているとは思えない時代錯誤的な格好の女性も多い。20年位
前に流行ったどこから出してきたの? というような古典的なワンピースなどいまだに
着ている。流行は繰り返すと言うけれど、化石みたいで怖いではないか。

風光明媚で気候温暖。そして都会的なイメージが魅力の神奈川県。しかしその明る
く洗練されたイメージとは裏腹に、一つだけ重大かつ致命的な弱点がある。
それは綺麗な女性が少ないと思われること。
例えば、三浦半島には <目が細く、鼻が低く、口が大きい> まさに 三重苦とでも言
うべき ”三浦半島顔” という独特の顔のパターンがあることに気付く。
俗に”日本3大ブス”として有名なのは仙台、水戸、名古屋の女性ですが、客観的に
見て神奈川はその上をいく。しかも神奈川女性は "ブス且つダサい"のではないか?

・・・・・実はこの問題に薄々気付いたのは 学生時代に遡る。
小中高と神奈川を出たことがなかった私だが、何を思ったか都内の学校に進学する
ことになった。しかし東京とは名ばかりのひどい辺境の地で、
<ホントに何も無くてひたすら砂塵が舞う駅前> と <茫漠と広がるキャベツ畑>に
脳天をブチ割られたようなショックを受けた。 ああ、花の女子大生活はどこへいった
のか!?と日々悲観に暮れていたものだった。
そんな不運の中でただ一つ「さすがは東京だなあ」 と感心したのは、同窓生がびっく
りするような美人ばかりだったこと。 美人とは言えない人でも、身のこなしがスマート
なので洗練されて見えるのである。 もちろん東京出身者ばかりではなく地方出身者
も大勢いたが、なぜか神奈川県民がいちばん田舎臭いのは不思議だった。

数年前横浜市内に勤めていた時も、まわりを過ぎ行く通勤女性がみな”山出しの娘”
みたいだったのには閉口した。工業地帯の真ん中で煙や排気ガスが充満し、おシャ
レのし甲斐などない汚い町ではあったけれど、それでも一応横浜市だっていうのに!
東京の洋服屋の店員から聞いた話では、 「横浜って 意外と今っぽい服が売れない
んですよね。 今だにハマトラ(*)が好きみたいで。 だから東京と横浜では品揃えが
全然違いますよ。」・・・ハ、ハマトラって何十年前の流行だっけ?
そういえば会社の札幌出身の男性はこんなことも言っていた。「横浜に来たら、女が
ブスばっかりでガッカリしたよ。」
このような各方面からの情報を統合すると <神奈川女性ブス&ダサい論>が真実
味を帯びてきたでしょう?

美人のパターンは2種類ある。1つは元々美人顔なタイプで、東北北部や北海道など
北日本の人に多いように思う。 特に札幌人は色白な上に美人顔なのでウットリする
ほど綺麗だ。渡辺淳一が自作で不倫の相手にやたら札幌の女性を選ぶのも分かる
気がする。秋田は美女で有名だけど男性も美男子。しかも小顔なので、全身のバラ
ンスが抜群である。 熊本も美女が多いらしいが確かめた事がないから分からない。
そしてもう1つは、 元は悪いが努力により洗練されていくタイプである。 これは東京、
神戸、福岡 およびその周辺など、 人が多くて競争の激しい大都市に多い。
これにあてはめれば、神奈川県は当然後者のハズ。もともと美人ではないが磨かれ
て光るタイプだ。 しかし観察する限り、土台が悪い上に磨かれてもいない。最悪な事
態ではないか! なぜ神奈川はこんなことになっているのだろうか?

それはよく分からないけれど、ほとんど全ての地方出身者が「いつかは東京でヒト花
咲かせよう!」 としのぎを削り、東京人に田舎者呼ばわりされまいと 隙無く身の回り
を固めているのに対し、東京にコンプレックスを持たず、東京より魅力的な神奈川が
大好きな神奈川県民は、東京に憧れもしなければ切磋琢磨することもない。
また、個々の独立心が強い県民性で、他人にどう見られようと 自分の好きなように
生きている人が多いというのもあるのだろうか。
でも、一番大きな要因はカッコイイ男性が少ないことかも。これは単純、しかし、根が
深〜い問題ですなあ。

今回は自分のことはすっかり棚に上げて述べさせて頂きました。大変失礼しました。

*ヨコハマ・トラッドの略。 横浜元町商店街のフクゾーの服、ミハマの靴、キタムラの
バッグがハマトラ3種の神器。20年位前、横浜山手のお嬢様学校”フェリス女学院”
の生徒から火がつき全国的に大流行となった。
2003年2月17日


『 砲台への道 』

横須賀市北部にある 母校 田浦小学校の広報紙 (PTA会報) は、「しろんだ」という
面白い名称でした。 「しろんだ」というのは”城の台”が縮まったもので、 学校の東側
にある 東京湾一望の見晴らしのいい山の尾根(現:田浦町一丁目月見台)に、その
昔、北条執権家臣の下屋敷があったことに由来するとか。
こんな風流な謂れを持つ”城の台”も、戦時中は横須賀海軍により<高角砲台(高射
砲台)>が建造され非常に物々しい一帯となっていました。 高角砲台とはアメリカの
爆撃機(B29)迎撃用の高射砲を備えた砲台。ほとんどが山頂や高台に築造された
ので、 高所にある砲台まで 鉄の塊や 弾薬や 兵士を運び上げるために、 まず道路
整備の必要に迫られました。
田浦町一丁目に、 すり鉢の底状の起点から山の尾根まで 一気にループを描いて
登る ”のの字橋” という変わった車道がありますが、これは”城の台”に砲台を築き、
物資を運び上げるために作られた道路。一部地理地図マニアの間で 面白い道路と
して人気の ”のの字橋” 。 しかしその実体は、 兵士達の 血と汗と涙が染み込んだ
砲台へと続く道でした。

三浦半島屈指の超高級住宅地といえば、 逗子市にある TBS披露山庭園住宅地。
250区画ある住宅の平均敷地面積は300坪。電線、TVケーブルは全て地下埋設。
思い思いの豪邸が相模湾を見下ろして建ち並ぶ様は まさに日本のビバリーヒルズ。
”テレビの父”高柳健次郎先生の別荘は入口の近くに、ソニー大賀典雄会長の別荘
は海一望の一等地に。 また松任谷家(ユーミン) の純和風の別荘と、 小田和正の
真っ白いサマーハウス風の別荘は 隣同士で並んでいますね。最近では松嶋菜々子
と反町隆史が別荘建築中という 超ゴージャスな披露山ですが、 そこへ至る坂道は、
暗く狭くカーブがきつく大変不気味。この先に超高級住宅地があるとは思えないほど
貧相な車道です。
戦時中、披露山公園には相模湾に向けて<高角砲台>が設置されていました。
貧相な車道は元々砲台へ物資を運び上げるために作られた道路。少々手を入れて
今に至ります。現在は 披露山公園や 披露山庭園住宅地など逗子市民の憩いの場
へと続く坂道。しかしこの坂道も、砲台へと続く 悲しみの歴史を秘めた道でした。

披露山、ニ子山(逗子)、 鷹取山、田浦、大楠山、衣笠山、武山、荒崎、小原台 (横
須賀)、 峯山(葉山)。 三浦半島内のこれらの山(高台)は、 標高がかなりあるにも
かかわらず、 山頂まで車道が整備されている 不思議な山です。 なぜ そうまでして
車道を必要としたのか。 実は、これらの山は すべて 戦時中 <高角砲台> が設置
されていたという 共通の事情があることが分かりました。
登山中に車道を見かけても 「車で登れちゃうなんて無粋だなあ」 なんて言わないで、
急峻な山道に 苦労して道路を開削した人々の思いと、 砲台で高射砲を撃っていた
兵士の思い、そして、戦争の最前線に立たされて要塞と化していた三浦半島の壮絶
な歴史を どうぞ思い浮かべてみて下さい。これは僅か60年ほど前のことなのです。
2003年2月3日


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